強くなったのは自分を変えていったから。同じところに留まらないで前に進んだから。そんな感じのことを京ちゃんは言っていた。確かに京ちゃんは変わった(変わってないところもあるけど)。麻雀においては昔は猪突猛進って感じだったけど、あの対局では、止まるところではしっかり止まって場を冷静に見る力、そんな所が京ちゃんにはあった。
私も、京ちゃんのように変わった方がいいのだろうか。でも変わるっていうのは、過去の自分を否定するってことだと思う。過去の自分を捨てることが、私にはできるのだろうか。はっきり言って怖い。
私はこれまで自分の麻雀に、戦い方に自信があった。でもそれは勝ち続けてきたから…。家族での麻雀でも、お年玉を巻き上げられるのが嫌だったから負けていただけで勝負とは程遠いものだったし、勝負に関してなら、私は負け知らずだった。つまり私の持っていた自信なんてものは、薄っぺらの、濡れたらすぐ破けてしまう紙、あっさり崩れてしまう豆腐のようなものだったってことなんだ。一回負けただけで、自分には上がいるって知っただけで崩壊してしまうんだから。そんな自信なら、捨ててしまった方がいいのかな。
でも…竜君の言葉が、引っかかる…。
「竜君は負けたことはあるの?」
昨日、私は京ちゃんにそう質問した。そしたら京ちゃんは
「竜に同じ質問をしてみな。『…勝てば生、負ければ死…。それだけのこと…』って返すからよ。何かっこつけてんだかな。あいつも」
負けることを許されなかった。それが竜君…なんだ。京ちゃんの話では、竜君は部に入る前はずっと一人だった。勝つから自信を持つとか、負けるから過去の自分を捨てて新しい自分に変わるとか、そういう世界に竜君はいない。自分しかいないんだ。信じれるのが自分しかいない。どうしようもないから、そうしているだけなんだ。
「ツモ…500オールの一本場です」
咲 手牌
四五六九九③④⑤12666 ツモ 3
ツモのみ
染谷さんのマネって感じなのかな。流れが移動したのか、あっさりツモれた。前の私なら、ここからスタートするんだっけ。山に登るように、少しずつ体を空気に慣らしていくように、手を少しずつ高くしていく。そして最後に山のてっぺんで、強く咲き誇る。それが、私の麻雀。それが私の歴史。
これから、私は自信を持ってそれを敢行すればいいのか。でも、相手は私より遥か高みにいる、山よりも雲よりも高い所にいる竜君。思い返せば、竜君は大会で頂点に登った私に、青い雷(いかずち)を落とした。今回もそうなら、私は何のために登るの?負けるとわかっているのに私は登るの?ダメだ…。ドロドロした気色悪い何かが、私の頭の中でグルグルと回っていて、私の思考を犯している。感情の起伏も激しい。もう少ししたら、眩暈や吐き気に襲われるのかも…。
「ツモ。1000オールは1200オールです」
南二局二本場
咲 手牌
③④⑧⑧234678 カン(加カン)⑥⑥⑥⑥ ツモ [⑤]
タンヤオ赤1
それでも世界は廻っているし、それでも局は進む。私の歴史が引き起こした習性のようなものなのか、現出した結果は、私がまた一歩山頂に向けて歩を進めたという事実だった。私は、どうしたいの?納得できる自分でありたい?納得できる自分って何?どう戦えばいいの…。私は、私の戦い方しか知らない…出来ない。
「ポン」
南二局三本場 ドラ②筒(表示牌 ③筒)
咲 手牌
②②③[⑤]⑦⑧⑧⑧ ポン 三三三 ポン 発発発
ここから何を切ろう。打③筒で⑥筒待ち、打⑦筒で④待ちになる。嶺上牌は⑧筒。二番目の嶺上牌は⑥筒。登るなら、打③筒…。発をツモって加カンすれば、そのまま発、嶺上開花、ドラ2赤1の満ヅモ。でも…。
染谷 捨て牌
⑤三二56三(上家ポン)
③79一⑤⑥(下家チー)
一萬以降はツモ切り、国士を臭わせていた。まだ張ってる感じじゃないけど、発をツモってカンした時にはアタリ…。そんな感じがする…。その原因みたいなのが竜君の両面チー(④[⑤])と、2索の加カン。新ドラは⑦筒(表示牌⑥筒)だった。まるで私の流れを阻止するかのように、単なるたった一つの鳴きなのに、そう思えてしまう。登ると…いけない。そんな気が強まってきた。
私の選択は
打赤⑤筒…。
論理的に選択した牌じゃなかった。気が付いたら切っていた。示した結果は『一旦戻る』だった。登るのが怖かった。私の自信など、私の歴史など、恐怖の前ではちっぽけな存在なんだと思った。だけど…。
透華 打①筒
「!?…チー!」
鳴いた。鳴けた。私は打②筒でテンパイした。そして次巡にはあっさりツモった。
咲 手牌
⑦⑧⑧⑧ チー①②③ ポン 三三三 ポン 発発発 ツモ ⑨
役牌ドラ2 2000オールの三本場
この一連の流れに、少し私は拍子抜けした。牌が見えていたわけじゃないけど、流れが見える人は意図的にこういうことが出来るんだろうか。あっさりと、竜君が鳴いたのにアガってしまった。いや、冷静に見ればここは下がっていいんだ。下がったことで受けが広がったんだし…もしかして、答えはこんなにも単純なことなのかもしれない。
南二局三本場終了時
透華 10100
咲(親)13900
染谷 13100
竜 62900
とどのつまり、私は山を見ていなかったんだ。見ていなかったから、山を恐れたりもしなかった。山の恐ろしさなんて、知らなかった。私も、昔の京ちゃんと同じだった。竜君はそれを私に見せくれた。竜君はたぶん、そんなこと意識なんてしてないだろうけど。でも、やっぱり竜君のおかげだ。
私は登ることを辞めなくていい。山さえ見ていれば、信念を捨てなくても、前に進むことが出来る。自分を…信じれる。勝てる勝てないじゃない…。変わる変わらないじゃない…。こんな…こんなにも単純なことを実行すればいいだけだったんだ。山は動かず、あり続けるんだから。
だから…。
「ツモ!嶺上開花!」
私は咲き誇っていいんだ!
南4局 四本場
咲 手牌
⑦⑧⑨⑨⑨99東東東 カン(加カン) ⑤[⑤][⑤]⑤ ツモ ⑨
役牌 嶺上開花 赤2
4000オールの四本場
少しずつ、少しずつ登ろう。そうすればいつかは着くんだから。
「ツモ…」
南二局五本場 ドラ7索(表示牌6索) 新ドラ3索(表示牌2索)
竜 手牌
2223477 ポン 七七七 暗カン ⑦⑦⑦⑦ ツモ 7
タンヤオ 三色同刻 嶺上開花 ドラ4
4000・8000の五本場
さすが竜君。簡単には登らせてくれない。でも大丈夫。もう、私は折れない。
南二局五本場終了時
透華 1200
咲(親)18600
染谷 4200
竜 76000
「竜君…」
南三局…。山が上がる。賽が回る。私の心臓の鼓動は、最初のころとは比べものにならないくらいゆったりとしていた。
「この対局が終わっても、また打とうよ…。私、もっともっと竜君と打ちたい…」
私はまっすぐ竜君の瞳を見て、感謝の意をその言葉に込めた。届かなくてもいい。私が言いたかっただけなんだから。
「え?…。そんな…。竜さん…また、わたくしとも打ってくださいますよね?今回は、たまたま私、調子が悪かっただけですわ!」
透華さんが私の後を追って言った。そっか、透華さんもそうだっけ…。
「もてもてじゃのぉ、竜」
染谷さんも…。やっぱりすごい卓についちゃったな・・・。
「勝負はまだ終わっていない…。早くツモりな…」
微かに、竜君が笑っているように見えた…。
南三局 親 染谷 ドラ 南(表示牌 東)
咲 配牌
一四①②②②③[⑤]39南発中
なんだろう。大きく何かが変わる気がする。悪い予感はしない。何か…。
咲 手牌
1巡目 ツモ ② 打 一 四①②②②②③[⑤]39南発中
2巡目 ツモ ① 打 9 四①①②②②②③[⑤]3南発中
3巡目 ツモ ③ 打 3 四①①②②②②③③[⑤]南発中
4巡目 ツモ ③ 打 四 ①①②②②②③③③[⑤]南発中
5巡目 ツモ ① 打 発 ①①①②②②②③③③[⑤]南中
6巡目 ツモ ④ 打 中 ①①①②②②②③③③④[⑤]南
7巡目 ツモ ③ 打 南 ①①①②②②②③③③③④[⑤]
……来た。あと少しで…頂上。
しかし、私は次の瞬間目を疑った。竜君の…打①筒だ。
「え・・・?」
竜君が、私に振り込むなんて…そんなことがあるなんて…。いったい、どういう形で切ったのだろう…。それとも、これは罠?どういう。ただの振り込みに、どんな意図がある?
仮にこのままアガった場合、12000点。点差は明らかに離れているし、逆転にはならない。また、嶺上牌は④筒…その次が⑦筒で連カン出来ないから、このままアガっても、カンしても同じ12000点。意図は、局を流すってことなのだろうか。
「鳴かないのか?」
「え…?」
鳴くどころか、アタリ牌なのに。竜君にはもしかして見えていないの?私の手牌が。それとも…ここは哭くべきだと、竜君は言っているの?何かが、変わる感じがする…。鳴いても同じなら、哭こう…。
「カン!」
嶺上牌は④筒。
「ツモりました…。12000の責任払いです」
「…カンドラをめくってくれ」
「あ・・・はい…」
これまでカンドラが乗ったことなんて無かった。それが牌が見える代償だと思っていたから。それに、あまりの出来事だから忘れていた。
ドラ表示牌は⑨筒…つまりドラは①筒だった。12000の手が、三倍満の24000点になった。
②②②②③③③③④[⑤] カン ①①①① ツモ ④
清一(食い下がりで5役) 嶺上開花 ドラ4 赤1 24000
「す・・・すみません…24000です…」
少し、恥ずかしかった。でもカンドラが乗るなんて…。これが変化?そういえば、竜君は鳴けばよくカンドラが乗る。これは竜君に近づいてるってことなのだろうか。少しの戸惑いと、少しの嬉しさが、その時あった。私は、まだまだ強くなるんだ。そう思ったら、勇気というかやる気というか、そういうプラスの粒子のようなものが、胸の中心から体の隅々まで広がっていく、そういう感覚がした。
南三局終了時
透華 1200
咲 42600
染谷(親) 4200
竜 52000
近づいてきた。あれだけ絶望的点差だったのに、近づいた。点差も、力も…。そしてオーラス…。信じられない配牌が降りてきた。
咲 配牌
[⑤]3東東東南南南西西北北北
初めて見る…こんなわけのわからない配牌。これが運というものなんだって、私は確信した。親の竜君から切られた第一打は西…。
「ポン!」
私はノータイムで発声し、そして3索に手をかけた。だけど、その時ふと京ちゃんとの会話を思い出した。竜君が3索を鳴く…。そしたら必ず緑一色を竜君はアガる。そう、京ちゃんは言っていた。あまりにも信じがたい、オカルトどころではない話。
その時私は四槓子をアガれる感じがしていた。その最後の嶺上牌は感覚では赤⑤筒で、それがそのまま3索を切る理由になっていた。切ったらアガる。怖いもの見たさというより、竜君への興味から、そのオカルト話の真実を見てみたい気もしていた。その魔性のような魅力が、竜君にはあった。
もはやその時私自身に、成長や、変化や、勝利などといったキーワードは存在せず、あるのは好奇心だけとなってしまった。そしてその好奇心に、私は身を委ねた。
「ポン」
竜君が・・・哭いた。
牌が、青白く光って見えた。
そして切られた牌は、北…。
「カン!」
またもノータイムで発声した。その間におそらくコンマ1秒もなかったと思う。早く、早く結末を知りたかった。私と、竜君だけの世界の結末を。
「カン!!」
嶺上牌は西…。見える、牌が見える。さらに次の牌は南、次は東…それも見える。私は哭いた。
「カン!!!」
「カン!!!!」
咲 手牌
[⑤] カン(加カン) 西西西西 カン 北北北北 暗カン 東東東東 暗カン 南南南南
そして最後の嶺上牌に私は手を伸ばした。あれは…あれは[⑤]筒…。これで…ついに、やっとわたしは………。
引いてきたのは・・・3索・・・。そんな…。
いや…そっか…。そうだよね…。
「・・・まだ・・・まだ、か…」
私は、一息ついて少し自分を落ち着かせた。竜君の魔性に、魅せられちゃってた。京ちゃんなら、止めていただろうな、この牌…。そして…アガっている。勝てたんだ…私、あっさりと。
「終わったな…」
竜 手牌
2222444466 ポン 333 ロン 3
緑一色 48000
南四局終了
透華 1200
咲 -5400
染谷 4200
竜 100000
負けた―!!!!!!!!!!!!
「竜君!もう一回!!」
「ふっ…」
また、竜君が笑った。