グラムは自分を建物の陰へ引っ張り込んだ人影から距離をとって身構えた。
まずい、杖はパーティーでは持ち込み禁止だから屋敷に預けてしまっている。
子供の体でどうにかなるとは思えない。
一か八かここは逃げるのが先決だと思い、グラムは後ろを向いて走り出そうとしたが、人影からかけられた声にその動きを止めた。
「お久しぶりね、グラムちゃん。驚かせちゃってごめんなさい」
聞き覚えのある声と呼び方にもう一度前を振り向くと、夜闇に慣れてきた目に映ったのは、ピンクがかったブロンドのロングヘアーと、同じように桃色のドレスを着こんだ美少女。
「か、カトレアさん!?」
「しーっ」
グラムが大きめの声を出すと、カトレアはグラムの口に人差し指を当てた。
グラムが口を閉じたのを見ると、カトレアはにっこりとほほ笑んだ。
双月のほのかな光に照らされたその顔は絵画のように美しく、グラムは自分の顔が熱くなって行くのを感じた。
「ぱ、パーティーに参加してたんですか?」
高鳴った鼓動をごまかすために、グラムは軽く俯いて聞いてみたが、この人にはそんな事をしてもすぐにバレるだろうと頭の中では思っていた。
「えぇ、今日は体の調子が良かったし、とっても偉い人たちがたくさん来ていたから私も顔を出した方がいいかなって。でも、あまり経たない内に体調が悪くなっちゃったから、今までここで涼んでたのよ」
「えっと、大丈夫なんですか?」
「うん。もう大分良くなったわ」
カトレアはそう言うと、いつかの様に屈んでグラムと視線の高さを同じくしてから、顔を近づけてその翠緑色の瞳を覗き込んできた。
いきなりお互いの吐息がかかる程に近づかれて、グラムは固まってしまう。
ただ自分の心臓の動きがどんどん速くなっていくのを感じた。
「やっぱり、不思議な子。不思議な目をしてる。あなたの中の、魂、っていうのかしら? そんな物が他の人よりもずっと強いような気がするの」
「カトレアさん? ……」
魂と言われても、グラムには分からなかった。自分が転生した事と関係あるのかとも思ったが口には出さない。
「あなたの事、教えてくれないかしら? もちろん、話したくないなら無理になんて言わないけどね」
顔を離したカトレアはそう言うと、いたずらっ子の様に笑って見せた。
それを見たグラムは少しの間逡巡した。
この人に話してしまってもいいのだろうか。
だが、あちらは自分に何かあると確信している様子だ。
これからもヴァリエール家とは交流があるかも知れない。無駄なしこりは残したくなかった。
それに、個人的な感情にしても、彼女になら話してしまってもいいと思っている自分もいる。
グラムは諦めたように「はぁっ」と息を吐いた。この人なら無闇に言いふらす事はしないだろう。
「でも、ここじゃちょっと。誰にも聞かれたくないですから……」
「そうよね、大事なことみたいだもの。ちょっと待ってね」
カトレアはそう言ってから、懐から杖を取り出して“サイレント”を唱えた。
パーティーに出席していたのになぜ杖を持っているのかは敢えて問うまい。ホストの娘なのだから。
「これで大丈夫よ。誰にも聞かれないわ」
それから「さぁ!」とでも言わんばかりに再び屈んでグラムと目線を同じくしてきた。
『無理にとは言わない』とは言っておきながらも、結構本気で聞き出すつもりらしい。見かけによらず中々好奇心の強い女の子のようだ。
それを見てグラムは少し苦笑してから、ぽつりと呟いた。
「カトレアさんは、“転生”って信じますか?」
「転生? 生まれ変わるって事よね?」
「はい。僕は“グラム”として生まれる前、つまり前世の記憶を持っているんです。前の僕は、このハルケギニアとは違う世界に住んでいました。そこで事故に遭って死んでしまって、気付いたらこの世界で赤ん坊になっていたんです。…なんて、信じてもらえませんよね」
無言で自分の目を見つめているカトレアに、グラムは最後に片手を後頭部に当てて笑いそう言った。
しかしカトレアは頭を横に振ってから、ゆっくりとほほ笑んだ。
「あなたは嘘をついてる眼なんかしてなかったわ。確かに突飛なお話だけど、私はあなたの言う事を信じるわ。ありがとう、そんな大事なことを話してくれて」
「ホント、あなたには敵いませんね。それと、この事は誰にも言わないでください。こんな事家族にも話してないんですから」
「えぇ、わかってるわ」
またいたずらっ子のように笑ったカトレアに一抹の不安を覚えたが、一度信用してしまった以上はもうどうしようもない。
「ありがとね。でも、あなたの一番大事なことは話してくれなかったみたい」
その言葉にグラムは固まった。
一番大事なこと―――この世界の未来を知っている事は、さすがにカトレアが相手だとしても話すことは出来ない。
「……すいません。こればっかりはカトレアさんにも教える事はできません」
「うん。わかってるわ。それじゃ、そのお礼に私もあなたに一つ教えてあげる」
そう言うとカトレアは立ち上がった。
何だろうと思いつつ、グラムはカトレアの言葉を待つ。
「ルイズの居場所よ」
「ルイズの、ですか?」
お手洗いにでも行ったのだと思っていたグラムは首を傾げた。
「そうよ。あの子は嫌な事があると、よくあの子の特別な場所に逃げ込むの。今も多分そこにいるから、その場所を教えてあげる」
「どうして僕にそんな事を?」
そんな事を教える理由がわからない。グラムが軽く小首を傾げると、カトレアは手を伸ばして2,3回程グラムの頭を撫で、いつものように優しい笑顔で言った。
「あなた達も、ルイズを支えてくれるかも知れないって思ったから」
――――――――――
―――――――
――――
ヴァリエール邸の中庭、そこにある池に浮かぶ小舟の上で、ルイズは膝を抱えていた。
池の真ん中にある小島の陰にちょうど隠れるように、小舟は位置どられている。
しかし、小島の上では十人以上の護衛が周囲に目を光らせていたので、隠れると言う事については意味を成していなかった。
ふと、護衛の一人が、誰かがやってくる気配に気付き、その方向の暗闇へ鋭い視線を向ける。
それを見た他の護衛も身構えた。
護衛達の視線の先から、金髪翠眼の少年が現れる。
相手が子供だと分かり、護衛は少しだけ警戒を緩めた。
グラムは小島へ続く木橋をわたり、小島へ足を踏み入れた。
気配に気付き、ルイズがグラムの方へ顔を上げる。
「グラム……」
「やぁ、久しぶり、ルイズ」
グラムは笑顔で挨拶をすると、護衛を通り過ぎてルイズに近づいて行き、小島の端の方へ向かった。
「それ以上は近づかないで頂きたい」
後ろから掛けられた声を聞いて、しかしグラムは危険と分かりつつあと2歩前に進み出て小島の端までたどり着くと、そこで立ち止まり腰を下ろした。
グラムの目の前、1メイル程離れた場所に、ルイズの乗る小舟は浮いている。
グラムが座りこんだのを見た護衛達は、思わず抜いていた杖を戻した。
少しの間、静寂が辺りを支配し、風が木々を揺らす。その後先に口を開いたのはルイズだった。
「ここね、私が魔法を使えなくて、お母さまに怒られている時にいつも逃げ込んでいた場所なの。エレオノール姉さまも、ちいねえさまも、あんなに魔法が出来るのに、どうして私は全然魔法ができないんだろうっていっつも泣いてた」
「………」
ルイズの独白に、グラムは何も言わず、身じろぎもせず、ただじっと耳を傾ける。
「そんな私が伝説の『虚無』の使い手なんだって。信じられる?」
そう言ってルイズは空を見上げた。グラムもつられて上を見る。
星は見えない。
「はじめは嬉しかった。私も魔法が使えるんだって。お姉さま達みたいに立派なメイジになれるんだって。でも、家に帰ったら、古代語を読めるように勉強をさせられた。社交の場での作法を前よりも厳しく鍛え直された。ワルド様との婚約も解消することになったし、作り笑いの仕方も教えてもらったわ」
そう言うとルイズは、それを証明するようにグラムの方を向いて作り笑いをした。
ルイズのその顔は、確かにグラムにも疲れているように見えた。
「お父さまは隠してるけど、私に婚約の話がたくさん来ている事も知ってる。今日会った人達も私に気の良さそうな笑顔をしてきたけど、頭の中じゃ全然違うことを考えてる事にも気付いてる。……なんだか、周りの人が全員敵に見えちゃって、怖くなってまたここに来ちゃった」
「ルイズ……」
グラムは思わずルイズに声をかけたが、何を言っていいのかも分からなかった。
『あなた達も、ルイズを支えてくれるかも知れないって思ったから』
『あなた達、と言うのは姫様やモンモランシーも含まれる、と言う事ですか?』
先程のカトレアとのやりとりを、自分達がルイズを支えられるかも知れないと言ったカトレアの笑顔を、思い出す。
『えぇ、ルイズの友達らしい友達と言えば、あなた達しかいないから』
『……でも、間接的にとは言え、ルイズをあの状況に追いやった原因は俺です……』
『あなたが今のルイズの状況を作ったのなら、今のルイズを変える事も出来るかも知れないわ。大丈夫。そんなに難しく考えなくても、ただあの子の友達でいてくれればいいの』
『カトレアさん……』
『あの子を、あの場所から連れ戻してきてあげて?』
そう言ったカトレアの、少し悲しげな笑顔を思い出す。
いつの間にか眼を閉じていたグラムは、再び瞼を開けてルイズを見た。
夜の闇に黒く染まった池の上で、小舟はルイズだけを乗せて寂しく揺れている。
自分の存在によって狂った世界で、目の前の少女は本来より辛い道を歩んでしまう。
ならば、その原因となった自分は、ルイズに何ができる?
彼女を救うために何をすることができる?
『ただ、相談に乗ってあげるだけでいいと思いますよ』
それは、自分自身が言った言葉。
『大丈夫。そんなに難しく考えなくても、ただあの子の友達でいてくれればいいの』
それは、カトレアさんが自分に言ってくれた言葉。
……そうだよな。難しい事なんて考える必要はない。
「全員が敵なんかじゃないよ」
「え?」
難しい言葉で取り繕う必要もない。
ただ、思った事をぶちまける。
「俺も、モンモランシーも、姫様だっている。家族やその家臣の人達だって、ちゃんとルイズの事を考えてくれているはずさ」
空を覆っていた雲が僅かに取り払われ、星がぽつぽつと姿を現し始めた。
少しだけ強くなった月光が、グラムの居る小島を少しだけ明るくする。
「まだ4回しか会ってないけど、俺やモンモランシーだってお前の友達だ。たまにはここに遊びに来てやるし、そうじゃない時は手紙でも送ってやるよ」
そう言うとグラムは立ち上がり、優しげな笑みを浮かべた。
“救う”なんて大それた事は言わない。
ただ、自分の存在が、今度は少しでも彼女の支えになる事を願って・・・。
「お前は一人じゃないんだ。だから、いつまでもそんなとこで蹲ってないで、さっさとこっちに上がって来いよ。ルイズ」
それからグラムはルイズに手を差し伸べる。
ルイズはしばらくの間、呆然とその手を見つめていたが、やがて手を伸ばし、グラムの手をしっかりと握りしめた。
腕に力を込め、グラムは小舟の上からルイズを引っ張り上げた。
「……くっさいセリフ。しかも“俺”だなんてあんたには似合わないわよ」
少しだけ明るい小島の上、星が現れ始めた夜空の下で、ルイズはグラムにバレないように目を拭いながらそう言った。
口調は明るい。
「うっせぇ、ちょっと地が出ただけだ」
「普段から本性隠してるの、あんた? 自分を偽ってても良い事なんて無いわよ?」
「あっちももう片方の俺だよ。それに、そのセリフを今のお前が言うか?」
「それもそうね」
ルイズはフフっと笑うと、小島から伸びる木橋に向かって歩き始めた。
「さてと、もうパーティーも終わる時間ね。心配されない内に戻りましょう」
自分の方を笑顔を浮かべながら振り返るルイズに、グラムは「はいはい」と苦笑しながら後を追う。
しかし、少し歩いた所でルイズはふと立ち止まり、再びグラムの方を振り向いた。
「そう言えば、どうしてあんたはこの秘密の場所が分かったのよ?」
「カトレアさんから教えてもらったんだよ。外で涼もうとしている時に会ったんだ」
「ちいねえさまがパーティーに出てたの!?」
「そうだけど、知らなかったのか?」
「えぇ、また体調を崩してなければいいんだけど」
ルイズはそう言うと少し物憂げにヴァリエール邸の方を見た。
「一度気分が悪くなったみたいだけど、今は大分体調がいいって言ってたから大丈夫だと思うぞ」
「そうなんだ。ちいねえさまの体、どうにかならないのかしら? あのままじゃ学院にも入れないだろうし」
そう言うとルイズは少し下を向いて考え出す。
そこでグラムは、かねてから気になっていた事を聞いてみる事にした。
「……『虚無』じゃ、カトレアさんを治せないのか?」
「え?」
虚を突かれたとでも言うように、ルイズは一瞬ポカンとした。
それから、懐からあの日以来自分が持つ事になった祈祷書を取り出す。
グラムは前世で原作を読んでいた時から、ルイズがカトレアの前で祈祷書を開いたらどうなるのか気になっていた。
グラムが覚えている限り、作中でルイズがカトレアに会う事は二度あったが、片方はアンリエッタに口止めされていて、もう片方は祈祷書をその時持っていなかった。
もしかしたら、カトレアを治せる魔法があるんじゃないかと思うのは当然だった。
ルイズはただ立ったまま祈祷書を見つめていた。わずかに手が震える。
あの日以来、祈祷書と一緒に貰った『虚無』に関する様々な本を、王宮の奥底から引っ張り出して読み耽った。
確か、その文献のどこかには、『必要な時に祈祷書を開けば読む事が出来る』と書いていなかったか?
ルイズは屋敷に向かって一目散に走り出した。
「あ、おい、ルイズ!」
グラムも慌てながら、後を追いかける為走り出した。
――――――――――
―――――――
――――
屋敷の正門前では、既にパーティーを終えた貴族達が帰る為に各々馬車に乗っている所だった。
公爵はそれを見送る為に、護衛に囲まれながら貴族達に手を振っている。
馬車が次々と正門を通り過ぎていく中、ルイズが現れ公爵の傍まで走り寄ってきた。
「お父様! はぁっはぁっ、虚無で―――」
「事情は分かっている。今は見送りの最中だ。みっともない姿を見せるんじゃない」
娘の言葉を遮って言われた公爵の言葉に、ルイズは自分が父の使い魔に監視されていた事を思い出すと、口をつぐんで自分も去っていく貴族達を見送り始めた。
続いてグラムがその場に到着して荒い息をつく。
「グラム、どこへ行っていたのだ! もう帰るぞ」
その場でグラムを探していたモンモランシ伯爵は、グラムを見ると声を張り上げた。
「はぁっはぁっ、すみません父様、帰るのはもう少し待って下さい。」
「何か用事があるのか? いずれにせよこれ以上は公爵殿の迷惑になるぞ」
「確かめておきたい事がありまして。公爵様なら多分許可をくださるかと。それに、モンモランシーもルイズと話したい事があると思いますし」
グラムが伯爵の傍にいたモンモランシーに顔を向けると、モンモランシーは頷いた。
「グラムさん、ようやく戻ってきましたか」
グラムの後ろから声がかけられ、振り向くとそこに立っていたのはアンリエッタだった。
「カトレアさんから話は聞きましたよ。ルイズを連れ戻しに行っていたようですけど」
「はい。ですがルイズと話をする前に、少しやらなければいけない事ができてしまいまして」
「そうなのですか。ならお母様に帰るのをもうしばらく待つよう言っておきます」
そう言うと、アンリエッタはトリステインの紋章の付いた馬車の前で待っているマリアンヌ太后の方へ歩いて行った。
それからしばらくして、トリステイン王家の馬車と、モンモランシ家の馬車を除いて、全ての馬車が跳ね橋の向こう側へ渡り終えた。
「行ったか」
公爵は、隣に居たルイズにギリギリ聞こえる程度の声量でそう言うと、踵を返して屋敷へ走り出した。
「あ、待って下さいお父様!」
ルイズが後を追い、その声に気付いたグラムとモンモランシー、それにアンリッタは二人の後を追いかけだした。
他の大人は、常に威厳の溢れる公爵が脇目も振らず全力で走る所など見た事がなく、あまりの珍事に唖然としたまま5人を見送っていた。
カトレアの部屋の前まで来た公爵はそこで立ち止まり、少しの間荒い息を整えていた。
続いてルイズや他の3人も、ドタドタと部屋の前までやってきて肩で息をする。
「ちょっと、何事よ?」
「どうしたのです?」
カトレアの部屋の隣にあるエレオノールの部屋から、足音に気付いたエレオノールと公爵夫人が顔を出す。
「これからルイズの『虚無』でカトレアの病を治せるかどうか試す」
呼吸の整った公爵の言った言葉に、事情を知らぬ4人は驚いた。
公爵はそれを一瞥すると、ドアに手を伸ばしノックをする。
「はぁい」
「カトレア、私だ。他にもアンリエッタ姫殿下にルイズにカリーヌに、エレオノールとモンモランシの双子もいる。入ってもいいか?」
「いいですよ」
公爵がドアを開いて中に入り、それに続いて他の皆も部屋に入って行く。
「どうしたんですか? こんなに大勢で」
ネグリジェ姿でベッドの上に腰かけるカトレアは、口に手を当ててそう言った。
「お前の病を、ルイズの魔法ならば治す事が出来るかも知れない」
「それを試しに来た、という事ですね?」
カトレアの問いかけに公爵は頷く。
それからルイズがカトレアの前に進みでた。
ぎゅっと強く目を瞑り、心の中で強く願いを込める。
自らの姉を治せる魔法を、救える伝説を……!
ルイズは意を決して目を開くと、祈祷書を勢い良く開いた。
すると、いつかの様に開かれた祈祷書のページは光り出し、部屋を明るく照らした。
祈祷書の上には、ルイズにだけ見る事のできる古代ルーン文字が浮かび上がる。
無意識に杖を取り出し、ルイズはそれを口に出していた。
「『虚無』の素質無き者から、その魔力を引き取る。“吸収”。エオルー・フィル……」
それからルイズは呪文を詠唱し出した。
誰も聞いた事のないルーンが次から次へと部屋に響き、消えていく。
やがて全て詠唱し終わったルイズは、力強くカトレアに向かって杖を振り降ろした。
すると、ルイズとカトレアの体が淡く光り出した。
カトレアの胸の辺りから光の粒のような物が無数に出現し、それは一直線にルイズの胸に吸い込まれていく。
カトレアは目を瞑り、自分の胸に手を当てた。
自分の中の奥深くを蝕んでいた、しこりの様な物が段々と消えていくような感覚を彼女は感じた。
それは何だかとても心地よく、彼女はそれを味わうように体の奥底からふぅ、と息を吐きだした。
やがてカトレアから光子の様な物は出てこなくなり、二人が発していた淡い光は消えて行った。
「ちいねえさま!体は……?」
「……えぇ、体の中の悪い部分が無くなったような気がするわ」
すがる様に問いかけたルイズに、カトレアが答える。
すると、今まで目を見開き微動だにしていなかった公爵が、はっとして口を開いた。
「い、医者を呼べ!早く!」
「は、はい!」
同じく茫然としていたエレオノールが部屋の外へと走っていく。
数刻後、カトレアを専門として診ていた医師が連れて来られ、カトレアを診始めた。
「か、体の芯に蔓延っていたモノが、綺麗さっぱり消えております」
「それは本当か?」
「間違いありません。今までは、どこかを治せばまたどこかが悪くなるという繰り返しだったのですが、今はその悪い個所が見当たらないのです」
診察の終わった医師が、驚愕して公爵に答える。
「よかった……ちいねえさまが治って、本当に良かった…」
それを聞いたルイズは、カトレアに抱きついて泣き始めた。
「ありがとう、ルイズ」
カトレアもそれに抱きしめ返すと、ルイズの頭をゆっくりと撫でる。
公爵もそれを見て感極まったのか、手で目のあたりを押さえ天井を仰いでいる。
グラムはそれを眺めながら、良かったと思う反面、疑問に思っていた。
あの“吸収”と言う魔法をルイズが使おうとした時、『虚無の素質無き物からその魔力を引き取る』と言っていた。
どういう事だ?
カトレアさんは『虚無』の魔力を持っていて、しかしその素質が無かったから、体がそれに耐え切れていなかった?
しばらくグルグルと思考の渦にのまれていたが、当然の如く推測の域を出ない。
まぁ、カトレアさんが治ったのなら、素直にそれを喜ぼうと、グラムは抱き合う二人を見てほほ笑んだ。
それに、まだ要件は全部終わっていない。
それからしばらくしてルイズが落ち着いた所で、アンリエッタがカトレアに抱かれたままのルイズへ近づいて行った。
「ルイズ、少しいいかしら?」
「姫様……なんでしょうか」
「はじめにこれだけは言っておきます」
アンリエッタは両手を腰に当てるとそう言った。
しかし偉ぶったような様子はない。
「例え国が割れ、ヴァリエール派と現王家派が争う事になったとしても、ルイズは私の大切なお友達です! これは未来永劫変わる事はありません! 大人の喧嘩なんかに仲を裂かれてたまるもんですか!」
アンリエッタは力強く一気にそう言うと手を降ろして、いきなりの事に頭が付いて行かずにぼうっとしているルイズに笑顔を向けた。
「だから、何かあれば何でも私に話してください。辛い事も、悲しい事も、嬉しい事だって私が聞いてあげます。ただ、私を置いて遠くへ行って、辛い思いをするような事は絶対にしないでください。そんな事をされる位なら、あなたと喧嘩した方がまだマシですわ」
「姫様……」
「…ま、安っぽい言葉ですけど本心です。これだけ恥ずかしい事を言ったんですから、無下にはしないでくださいね?」
「姫様……! 私……! 私…!」
ルイズが必死に何か言おうとするが、出てくるのは嗚咽ばかりでうまく言葉にならない。
そんなルイズを、アンリエッタは「大丈夫、分かっています」と言って抱きしめた。
今度は声をあげて泣き始めるルイズを、周りは静かに、しかし暖かく見守っていた。
2010.06.20 初回投稿
2010.06.27 文体修正