「ちょっとネギ! 大丈夫なの、カーマインさんだけ残して!?」
走りながらも器用に、バスタオルを素肌に巻いただけの格好から制服に着替えるアスナがネギに怒鳴るように叫ぶ。ネギも同様に腰巻きタオルからパジャマに着替えていた。
「大丈夫です! あれでもカーマインさんは悪魔を一人で倒せるほどの実力者ですから!!」
「そうなの!?」
信じられないと、アスナは思った。彼女のカーマインに対する印象は、筋トレ好きで人の良さそうな好青年といったところだ。それが、見たことはないが悪魔というファンタジーの中の強敵を倒すほどの能力があるのかと。
「「「悪魔?」」」
アスナとネギを除くバカレンジャーが聞き耳を立て、聞きなれないフレーズを反復する。
「と、とにかく今は脱出が最優先です! 本のことは残念ですが、テストを受けられなければ意味がありません!!」
「そうです!」
「早く戻らないとテスト勉強の意味がないアル~」
「ニンニン」
ネギは完全にカーマインを信頼しているようだ。ならば自分のやるべきことは決まった。
「そうね、さっさと地上に戻って勉強の続きをしないと!」
仲間の一人を戦闘不能にされてガスマスクの一団は攻撃対象をゴーレムに変更したようだ。小銃による一斉射撃によってゴーレムの石に鎧が剥がされていく。
しかし、その内側まで破壊することは叶わなかった。
銃撃を受けても怯むことのない石像は、その巨体に比例した巨大な腕で殴り飛ばす。いかに堅牢なアーマーに身を包んでいても、その衝撃までを消すことは出来ない。
その繰り返しを数回行っただけで、立っているのはゴーレムと服を着たカーマインだけになった。
『フォフォフォ、銃は効かんぞ。儂の体は人とは違うからの』
「知ってるよ。だからこうする」
カーマインは勿体ぶるように語りかけると、拝借したチェーンソー付きの小銃をゴーレム向かって撃ち放った。
『フォフォフォ、無駄じゃ。儂には効かん!』
ゴーレムは銃撃を物ともせず、アメフトの選手のような肩口から突っ込むようなタックルをカーマインに浴びせる。
カーマインはそれをぎりぎりまで引きつけてから転がるようにして避ける。そしてその勢いを殺さず、水辺から離れ、本棚が密集した区画へと走り込む。
『逃がさんぞ~』
それに続くようにゴーレムの後を追った。カーマインは時々振り返っては数発弾丸を撃ち込み、再び走り出すという行動を繰り返していた。ゴーレムがこちらを見失わないように。
『どこに行ったんじゃ~?』
カーマインを追い続けて周囲に背の高い本棚が並ぶようにした場所に迷い込んだゴーレムはあたりを見渡す。
そのとき、耳障りなエンジン音が辺りに響きわたった。
『なんじゃ~!?』
何かを削るような音が響き、ついでミシミシを何かがきしむような音がし始める。音源を探ろうと周囲を見渡すゴーレムは、自分の体がいつの間にか影の中にいるのに気づいた。
そして見上げた先には、二階建てのビルのような本棚が自分の元に倒れかかっている光景があった。
『フォ~~!!!?」』
規格外の重量をもった本棚がゴーレムに覆い被さり、動きを封じる。その際、ゴーレムの首もとからハードカバーの本が転がり落ちてきた。本は砂の上を滑っていくと、その先にあった何かにぶつかって止まる。それは革靴を履いたカーマインの足であった。
「こいつがネギの言ってた"魔法の本"か」
足下に転がった本を拾い上げるカーマイン。その手に持つ小銃は木屑にまみれていた。
『なんてことをするんじゃー! 本棚を切り倒すなどと!!』
本棚で身動きが取れない状態でゴーレムが激昂する。対してカーマインは落ち着いたものだ。
「しょうがないだろ、銃が効かなかったんだから。とりあえず、これは貰っていくぜ。ネギたちに届けないと」
『ま、待つんじゃ~!?』
本を抱えると、ゴーレムの叫びを背中に受けながらカーマインは走った。
ネギたちの行き先を知るのは簡単だった。なにしろバスタオルが道を作るようにして落ちており、カーマインに彼らの行き先を示していたからだ。
「ネギ達は滝のなかに入っていったのか?」
タオルが水しぶきをあげる滝壺の裏に続いているのをみてカーマインが訝しむ。しかし、裏にいって気づいた。何故かそこには非常口があったのだ。
「そういうことか……」
ノブに手をかけて開く。その先は大きなホールの様になっているが、それだけだ。別の出口らしき物はない。
「あれっ?」
さらによく見ようとカーマインが中に入る。そこで気づいた。広い円を描く壁面に沿って、螺旋階段のように階段がついており、それは遙か高くまで続いていたのだ。
「……エレベーターとかはないのか」
愚痴を言いつつも、カーマインは本と小銃を抱えなおして階段を駆け上り始めた。
「あっ! あれってカーマインさんじゃないの!?」
はじめに気づいたのはアスナだった。この螺旋階段は所どころに仕切があり、そこには問題がかかれていてそれを解かないと先に進めないようになっている。そこで足止めをされているときに気づいたのだ。
「本当だ、じゃあゴーレムもやっつけたんだね!」
「すごいアルな!」
カーマインも彼女たちに気づいたのか、手を振っている。カーマインはネギ達よりも一段下におり、まだ距離が離れていた。
だが、ゴーレムはまだ沈黙していなかった。
突然カーマインの背後の壁が吹き飛ぶと、そこから巨体を揺らしながらゴーレムが飛び出してきたのだ。
「カーマインさん!?」
ネギが叫び、カーマインに呼びかける。カーマインは手に持った本に、銃についたストラップを巻き付けると、それの端を持ってグルグルと回し始めた。
「受け取れ!」
遠心力で加速された本がカーマインの手を離れ、ネギの元に届いた。衝撃で取り落としそうになるが、アスナが加勢してなんとか抱き止める。
「この本は!?」
両手でしっかりと抱き止めた本を見て、ネギが叫ぶ。それはネギ達がこの図書館島にきた目的そのものであったからだ。
「走れ、追いつかれるぞ!!」
そして再びカーマインとゴーレムの追いかけっこが始まった。ゴーレムはその巨体故か、階段の上では上体が大きすぎて壁面をガリガリと削りながら上ってくる。カーマインは散発的に銃を撃つが、効果がないのは知っているため期待はしていない。
「ちょっと不味いな……」
意外に速度が速い。このままだと追いつかれる。そうカーマインは思っていた。
手にある銃の残弾は残り少ない。これが尽きれば後はスナッブピストルに込められたゴム弾だけだ。
『フォフォフォ、くらえ~い』
ゴーレムは自らが削り取った手のひら大の大きさの岩石の破片を持つと、カーマインに向かって投げつけた。手のひらと言ってもゴーレムの手だ。成人男性ほどの大きさがあるそれを受ければ命が危ない。
「うおおおぉ!!?」
とっさに身を屈めやり過ごすカーマイン。しゃがみ込んだ彼のヘルメットに岩石が擦り、勢いを殺すことなく壁に向かって激突した。
そのまま岩石は壁を転がるように移動し始め、上の段にいるネギ達にまで迫っていった。
「なんだ、魔法でもかかってんのか!?」
カーマインはネギたちに向かう岩石をちょうどネギとカーマインから対面側にある所を狙って銃撃を行う。放たれたライフル弾は岩石を削りとばし、その内の一発が岩石の中央に突き刺さり、岩石を割った。
「くそッ! 弾切れだ!!」
サッカーボールほどの大きさになったが、未だにネギたちに迫る岩石に、最高尾を走っていた長月が気づき、体を張って受け止めようとするが。
「ぐッ!?」
岩石は止まったが、彼女の体が衝撃で弾かれ、階段から落ちてしまった。
「長月さん!!」
ちょうど真上から落ちてくる影にカーマインが気づき、手を伸ばす。長月の手をつかむようにして何とか転落死は防いだものの、すぐには引き上げることが出来ないでいた。
「まずい……」
カーマインが迫るゴーレムを見て悪態をついたとき、ちょうど両者の中間の壁が内側から爆発した。
『フォ~!?』
「ッ、今度はなんだ!?」
砂埃が漂う中、壁の中から先ほどのガスマスクのような装備をした数人が飛び出してきた。そのうちの何人が長月が落ちかけているのを見るとカーマインを手伝うように彼女を引き上げ始め、残ったものたちはゴーレムに向かって銃撃を行った。
「団長、ご無事ですか!?」
「馬鹿ッ! 今は長月先生だ!!?」
敵対している筈のカーマインを助けようとしているわけではないようだ。その視線は長月に向いている。しかし。
「団長?」
「「「ッ!?」」」
カーマインの姿が眼中に無かったのか、失言だったと長月が口を押さえるように言葉を飲むが、カーマインには聞き捨てならないことであった。
「長月さんが団長って、どういうことだ!!?」
詰問するカーマインをしばらく見つめる長月。だが、その口が開かれる前に、攻撃を続けていたガスマスクが階段の下に弾き落とされた。
『フォフォフォ~、ここは関係者以外立ち入り禁止じゃ。許可の無い者はお仕置きだべ~』
迫るゴーレムに対し、残った数名のマスクが攻撃を引き継いだ。その中の一人、堅牢そうなアーマーを着込み、ドクロを模したペイントがされたガスマスクが、背負っていた小銃を長月に投げ渡した。
「行って下さい、時間を稼ぎます!」
そういうと、カーマインと長月の背を軽く押し、そのマスクの男はゴーレムに向かっていった。
「ちょっと!?」
「いいから、来るんだ!」
長月は戻ろうとするカーマインの手を引き、階段を駆け上る。ネギたちの後ろ姿が見える頃になってゴーレムの方を見ると、そこには自動車事故のように人が吹き飛び、螺旋階段の底に落ちていく兵士たちがいた。
カーマインは長月を訝しげな目で睨むと、立ち止まって言った。
「聞きたいことは山ほどあるが、今はネギたちを此処から逃がすのを優先する。変なことはしないでもらおうか」
長月はカーマインと向かい合うようにして立つ。その際、彼女の持つ銃がカーマインに向けられ、反射的にカーマインもスナッブピストルを突きつける。
長月はフッと笑うと、銃をカーマインに掲げる。
「同感だね。私としても、子供の命は大事だ」
ピストルを納め、銃を受け取ったカーマインはスリングを肩に掛け、背中に回す。
「さっさと行くぞ、ネギ。あの石像もまだ諦めていないようだしな」
かくしてゴーレムとの階段登り競争が始まった訳だが、一時間ほど上っても未だに出口らしきモノが見あたらない。
わずかに先を行っていたネギたちは、階段をふさぐように所々に設置されている石版を何かしらの方法で退かしていた。地上が近いのか、壁から木の根が生え始めている。
「足場が悪いな……」
根が階段にまで及んでいるため木をつけて上らなければ足を捕られかねない。
「あうっ!?」
「夕映ちゃん!?」
そんなとき、足を捕られた夕映が転んでしまったようだ。立ち上がれないようで、怪我をしているように見える。そんな彼女を、ネギは背負おうとしているが、魔法を封印しているため子供の身体能力しか持たない。故に、小柄な彼女の重さに押しつぶされてしまっていた。
そんなこんなでネギたちに追いついたカーマインは、倒れたネギの上にいる夕映をひょいと肩に担ぎ、ネギに手を伸ばした。
「ほれ、ネギ。捕まれ」
「うぅ、ありがとうございます、カーマインさん……」
「……感謝をするべきなのですが、この扱いでは怒りが湧いてくるです……」
「そう言うなって。それに、やっと終わりが見えてきたぜ」
そういって前方を指さすカーマイン。そこには"1F直通"とかかれた作業用エレベーターがあった。
「やっと着いたんですね!!」
「みんな急いで乗ってーっ!」
疲れきっていた筈の少女たちは我先へとエレベーターに乗り込む。長月も乗り込み、カーマインは夕映を乗せると銃を構えてエレベーターの前に立て膝で待機する。
だが、ブザーがエレベーターから漏れ、重量オーバーの警告灯が灯る。
「「「いやああああーーっ!?」」」
その悲鳴は脱出のチャンスを奪われたことに対する悲鳴なのか、あるいは女としての"重量"に対する絶望なのか。
カーマインの視線の先にはゴーレムが迫っている。ゆっくりとではあるが、着実に。後ろから聞こえる声は止む様子がない。
「何してるんだ! 急いで扉を閉め……」
振り返ろうと顔を後ろに向けたカーマインの顔に何かが覆い被さった。手に取ってみると、それは赤い布地の服であった。確か古菲が着ていた変わった作りの……
「チャイナドレス?」
「カーマインさんが居るの忘れてたー!?」
「こっち見んといてー!?」
「みッ、見るなー!!?」
怒声とともに、カーマインの顔面にハードカバーの本が突き刺さる。それと同時にエレベーターの警告灯が消え、『OK』の灯りが点る。
「カーマインさん、長月さん!乗ってください!」
本を呻きながら引き抜いたカーマインは、なぜかエレベーターから降りている長月に気付いた。
「ありがとうね、子供先生。でも、二人が乗ったらエレベーターは動かなくなっちゃうから」
「さっさと行けネギ!俺たちは後から行く!」
長月が外からエレベーター内に手を伸ばし、『閉』のボタンを押す。閉まる扉の先、二人の背後にはゴーレムの拳が迫っていた。
「カーマインさん!!!」
閉まる扉の向こうで、大きな音が響いた。