『私がその話題を出したのは本当に些細な動機だった。次のライブで訪れることになった風都。聞き覚えの無い名前に、面白そうな何かが見つからないものかと、柄にもなく下調べしてみたのだ。果たして、その成果はあった……と、この時の私は実に満足していた』
「実は、これから行く風都って街は、色々と《噂》の絶えない街でね」
「う、噂?」
じっくりと思わせぶりにためを作るその様は、正に玄人はだし。田井中律は斜め45度の方向にその才能を開花させようとしていた。
「ああ。《怪人》が人を襲い、そして人を殺す」
「……っ!?」
しかし一つばかり誤算があった。
殺す。その一言は繊細、というかやや病的なまでに臆病な澪に、行き過ぎる程の反応を取らせてしまったのだ。
「き、聞こえない、聞こえない……!」
ふるふると小動物の様に、部屋の隅で震える澪。いつものことと言ってしまえばそれまでだが、今回は少々過剰に過ぎる。
「りっちゃん、怖がらせすぎだよ」
いつもだったら乗っかってきそうな唯も今回ばかりは、少しばかり窘める様な声色。
流石に事ここに至り、律も少しばかり調子に乗りすぎたことに気付くと、慌ててフォローを入れる。
幸いと言うべきか、風都と言う街にはピッタリの噂もまた同時に存在しているのだ。
「あ~……まあ、なんだ?大丈夫だろ、どうやら噂ではそいつらを倒す《超人》もいるみたいだしね」
言いながら彼女は考える。一体誰が考えたのだろうか。
流石に都市伝説の域を思い切りはみ出した、子供向けの特撮じみた奇妙なロア。
「まあ、いざとなったら守ってもらえばいいさ」
きっと、そいつは自分以上に思考がぶっ飛んだ奴なのだろう。多分、仲良くなれる気がしないでもない。
「噂の《ヒーロー》に」
『しかし、私、こと田井中律はこの時の会話を改めて振り返りこう思う。
もしかしたらこの時に要らぬフラグを立ててしまったんじゃないかな~っと』
『Cは求める/芸術家の異常な愛情』
その街に着いた時、梓が感じたのは優しい風の気配だった。
無論、ここに来る前から風都の成り立ちはそれなりに知ってはいたものの、実際にその風を受けた時の感触は、彼女の貧相なイメージなどは遥かに超えていた。
包み込むような緩やかな風、少し淋しげな木枯らし、彼女の長い髪を弄ぶ旋風《つむじ》。
風都を廻るあらゆる風が、まるでこの街を訪れた者たちを歓迎するかのように踊っている。
「わあ……本当に《風の街》なんだね、風都って!」
そうだ。この街の主役は人間であると同時に、この風なのだろう。
感受性の強い唯は、ある意味で梓以上にそれを感じ取っているのだろうか。
そのやや幼さを感じる声がいつも以上に弾んでいる。
「それに沢山風車があるよ!」
そして《彼等》もそれに応えるように、駅の至る所に存在する風車《ふうしゃ》や風車《かざぐるま》をからからと躍らせていた。
「あっ!ねえ、皆」
唯が待ち合わせ場所に佇んでいる一人の青年を指さす。その瞬間、全員が納得した。
澪のボディガードとして探偵を雇った、と聞いて皆、どんな人物かを色々と想像していたのだが……
「探偵さんってあの人じゃないかな?」
唯に指摘されるまでもない。皆一目で彼が探偵だと認識した。
寧ろ、それ以外で認識できない。
一昔、どころか二昔は前――そう、言ってみれば古き良き探偵小説からでも切り取ってきたような服装の青年。
確かに、どこか浮世離れしたかのようなこの街である。
そんなテンプレートな探偵が居たところで……いや、無い。
「あー……いや、まあ、私もそうだとは思うけど」
「ある意味、予想の斜め上で来ましたね」
限度を超えたテンプレートは、《左翔太郎》を嘘臭ささえも感じさせる程に探偵としている。
「あ、でもそれはそれで面白いかもな。あの恰好で実は教師、とか」
「これが本当の探偵学園!ってやつですか!?」
「何を言ってるんですか……」
律と唯の相も変わらずの無駄に絶妙なコンビネーションを尻目に、梓は少しばかり、いや多大に不安になる。
「そりゃあ、形から入る、っていう言葉はあるにはありますけど」
あれはそういうレベルで済ませていいんでしょうか?
そう言外に滲ませる。
仮にも澪を守る、という目的で雇った人間である。
そりゃあ憂が探してきた人間だから、信用できる人間ではあろう。
しかしそれが信頼――文字通りの信じ頼ることのできる人間かは別の話だ。
「放課後ティータイムの皆さんですね」
そうこうと躊躇っているうちに、翔太郎の方から話しかけてきた。
翔太郎はやけに気障ったらしい仕草で名刺を取り出す。
『あらゆる事件をハードボイルドに解決 探偵 左翔太郎』
((胡散臭っ!?))
特にハードボイルドを己で語っているあたり、本当にこの男はハードボイルドの意味を 理解しているのだろうか?
澪と梓の胸裏にドンドンと不信感が蓄積されていく。
「すっげー!本物の探偵なんて初めて見た!」
「私も。どきどきするわぁ」
「おお~!やっぱり、怪盗とか捕まえたり!?」
「甘いな、唯隊員。それは一年前のキャラだ。そんな奴より、きっと埋蔵金とかも見つけるぞ!」
ただ、それを気にしないものもいた、というよりこの放課後ティータイムの面々に限って言えば、比率的に澪や梓のような反応の方がマイノリティだったようだ。
「ちょっと、待て!そして律は何か、というか明らかにおかしいでしょ!っていうか一年前って何!?」
「そうですよ!大体、探偵なんて依頼の殆どは精々ペット探しなんですよ!」
澪と梓の2トップによる突っ込みを受けた唯は、しかしどこ吹く風である。
というか、この街に来てからの唯のテンションは少しばかりおかしい。
「そんなことないよ!きっと行く先々で殺人事件に見舞われたりするんだよ!だって探偵だよ!?」
「どんな探偵像だよ!いくらハードボイルドでも嫌だよ!」
「いやですよ、そんな血塗られた探偵!!」
今度は翔太郎と梓の突っ込みが同時に炸裂する。しかし、翔太郎はハタと動きを止める。そして今度は、すかさず梓へとその矛先を変える。
「――って失礼だな、オイ!ちゃんとした依頼くらいあるに決まってるだろ!」
「じゃあ一番最近の依頼は?」
「……そ、そりゃあ、お前、あれだ……」
梓のズバリ過ぎる直球に、翔太郎は盛大に視線をそらすと、やや以て言葉を濁す。
「ペット探しだって大事な依頼だろうが!」
……ペット探しであった。
それを皮切りにきゃんきゃんと子供の様に梓と言い争う翔太郎だが、そこに彼の持ち歌でコールがかかった。
翔太郎は慌ててスタッグフォンを取る。
『やあ、翔太郎。もう放課後ティータイムとの顔合わせは済んだのかな?
だとしたら僕の分、サインを貰ってきてくれ』
第一声がこれである。
翔太郎は疲れた様に溜息を吐く。
「……まさか、そんな理由で電話してきたんじゃないだろうな?」
もっともフィリップであればそれも十分にあり得るが。
『まさか。実は今、刃野刑事から興味深い写真が送られてきた。今、メールで送ろう』
刃野刑事、通称『刃さん』はこうやってちょくちょくと捜査情報を翔太郎に横流ししてくる。
無論、違法である。
もっとも、そのおかげで彼等はドーパント事件の最新情報を入手。
刃野刑事はその手柄を手に入れるので持ちつ持たれつ、世の中存外巧く回っているもののようである。
閑話休題
送られてきた写真を見た翔太郎。
そこに映る『異常』としか言えない光景に、彼はその言葉を失くした。
「……何だ、こりゃ」
その写真に写っていたものは一瞬、出来の良い蝋人形を思わせた。
だが、すぐさま本能がそれを誤りと判断する。
作り物が、人の手がこんな生々しい死相を、死の匂いを再現出来る筈が無い。
写真に写っているのは、艶のある光沢に包まれた死体。
それらは年齢、性別共にバラバラだが共通点が一つだけある。
それは、死体全ての容姿があまりにも、美しい。
それがこの猟奇的な死体達に、狂的な美術性を纏わせる。
否、或いは、犯人にとってこれは真実、芸術なのかもしれない。
それは死体で組み上げられた、塔だった。
翔太郎は写真から目を逸らす。
恐ろしかったのだ。彼の感性がこの《作品》を美しいと認めてしまいそうで。
『数日前の死体らしいが……この光沢……それに保水性からして蝋の類かな?』
一方、スタッグフォンから聞こえるフィリップの声は、写真の発する猟奇的な美、倒錯した魅惑、それらに対しての興味を一切匂わせない。いつも通りの相棒の声は、翔太郎に奇妙な安心感をもたらした。
『恐らく、メモリの正体は《CANDLE》。メモリ自体は凄まじい強度を誇る蝋を精製する事の出来る程度の単純な物さ。そんなことより、興味深いのは犯人の思考と嗜好だ。一種の屍体愛好であるのか、或いはなんらかの意味をもった犯行計画の一環なのか……』
寧ろフィリップにとって興味の対象は唯の一点、犯人そのものという事なのだろうか。
『ただ放課後ティータイムのライブを邪魔する様な真似をされると非常に困るな』
「お前、色々凄いよ、やっぱ……」
訂正。もう一点あったようだ。
『とはいえ……これは蝋人形にでも見立てているつもりかな?中々に興味深い』
実に不謹慎な言葉である。しかし当のフィリップはそんなこと気にも留めずに話を続ける。
『どうやら犯人はジャロッド教授でも気取っているようだね』
何とも皮肉なことだ。
古き良き名探偵の名を冠する彼の口から、怪奇小説の登場人物の名が飛び出すとは。
翔太郎はそれが奇妙に可笑しく感じた。
「だったらそのうち蝋人形の館でも作るんだろうぜ、フィリップ=マーロウ」
『翔太郎……間違っても放課後ティータイムのメンバーに危害が及ぶことのないように』
「――って、それが言いたかっただけかよ……」
返事は返ってこない。なにせとっくに切られている。
ぼやく翔太郎を無視して、フィリップはさっさと電話を切ってしまった様だ。
相変わらずの相棒の自由さ加減に、翔太郎は本日幾度目かもわからない溜息をついた。
「どうしたの、探偵さん?」
「ああ、相棒からちょっとした連絡さ」
「相棒!私、それTVで見たことある!」
「あれは刑事だろ……」
疲れたように呟く翔太郎だが、内心ほっとする。
何せ、以前憧れていた若菜姫があんな感じだっただけに、またイメージを裏切られるんじゃないかと密かに不安だったのだ。
だが彼女達は――と、いうか主に唯と律が――マイペース過ぎて少し疲れるものの、会話をして決して嫌な感じはしなかった。
それに、澪はストーカーに遭っていて、しかもそれが警察に門前払いさせられ、だいぶん神経質になっているとも憂から聞いていたが、今の彼女の表情からはそのような陰は感じられない。
何となくだが、翔太郎には唯と律が無闇に騒ぐのはその為なのではないかと思えた。
(どんなに立場が変わっても友達って訳か……)
そして彼には、そう感じられた事が、なんとなく嬉しくもあったし、そんな彼女達を守る自分が誇らしくもあった。
「やれやれ、まあ取り敢えずいつまでもここにいても……あん?」
そんな自身の思考を振り払うように翔太郎は頭を振る。ここでしょうも無い言い争いを繰り広げても仕方がない。
翔太郎が5人を伴って彼女達の宿泊先に移動しようとしたところで――翔太郎の眼前には、何時の間にか一人の男が立っていた。
その男の様子は一言でいえば『異様』
眼は血走り、全身は病的なまでに痩せこけているその姿は『亡者』を想起させるもの。
死臭さえも漂ってきそうなその姿は、否が応でも翔太郎の悪い予感を掻き立てるものだった。
そして、その予感は放たれた次の一言で決定的。
「お、お、お前、彼女達と、ど、どんな関係だ?」
男の眼の放つ輝きは尋常な物ではない。
その眼に、声に宿っている狂気に、唯達は僅かに怯えを見せた。
翔太郎はそんな男の視線を遮るように、彼女たちの前に出る。
「俺はこの街の探偵、左翔太郎。彼女達のボディガードさ」
尤も、そんなときでさえも気取った仕草を忘れないのが、左翔太郎という男なのだが。
「そういう、アンタこそ何モンだ……Mr.ストーカー?」
クール、と本人は信じている笑みを浮かべる彼が少々お気に召さなかったのだろうか。
どこか苛立ったかのように男は答える。
「ぼ、ぼくは芸術家さ。そ、そざい、をしっかりと間近で見ておこうと思って」
「そ、ざい?」
素材。そしてさっきの写真。蝋人形。
これらの単語が結びつき、翔太郎の中の嫌な予感がはっきりと形を作った。
(こいつ、まさか……!?)
そしてその嫌な予感を証明するかのように、男の手の中で彫刻刀の刃が鈍い輝きを見せた。
「ウソだろ!?」
「退ってろ!」
だが、この手の輩にある程度慣れている翔太郎にしてみれば、そのくらいの行動は予想範囲。
立ち構えるその姿には刃物に対する怯えはなく、且つ油断もない自然体。
しかし男にはそれを見取る力量など無論、無い。
ただ、素人丸出しで彫刻刀を縦に横にと振り回す。
当然ながらそうして闇雲に振り回される彫刻刀の刃先は、翔太郎には掠めもしない。
「おらぁ!」
それどころか気合一閃、翔太郎の上段蹴りが男の側頭部に突き刺さる。
しっかりと体重の乗せられた蹴りで、男の身体は軽々と吹き飛んだ。
「強ぇ~」
今一頼りになるのか疑問だった翔太郎の、素人目にも場馴れした強さ。
辛うじて零れた律の一言が一同の心境全てを表わしていた。
「くそっ!くそっ!邪魔しやがって!馬鹿にしやがって!」
しかし男は頑丈であった。否、あまりの怒りと狂気に、痛みがマヒしているのかもしれない。
2mは弾き飛ばされるほどの一撃を、頭部に叩き込まれたというのに、すぐさま立ち上がると、懐から何かを取り出す。
その正体は――
「な、何だぁ?」
「USB?」
「あ、あれは……ヤバい!」
その正体は少しばかり派手な装飾をされたUSBだった。だが何故それをこの状況で取り出すのか。律達は首を傾げる――それの本性を知る翔太郎以外は。
《 C A N D O L E ! 》
「ガイアメモリ!!」
そう。この街を蝕む悪魔の小箱。
超人的な力と引き換えに身体と精神――そして命さえをも侵食していくそれは正しく悪魔との契約。
男はシャツを捲りあげると、鳩尾のコネクタにキャンドルメモリを突き刺した。
《 C A N D O L E ! 》
そして内包する《蝋の記憶》が男をキャンドルドーパントへと変貌させる。
その姿からは、もはや人を感じさせる部位など殆ど残ってはいない。
「お返しだぁ!!」
キャンドルドーパントは、小手調べとばかりに、まるで邪魔な小虫を払いのけるかのように、無造作のその異形と化した巨腕を振るう。
「しまっ!?ぐぁぁぁ!!!」
翔太郎の反応は決して遅れたわけではない。
しかし軽く掠めただけに見えた一撃は、それでも人間一人を吹き飛ばすには十分足るものだったのだ。
自動車にでも跳ね飛ばされたかのように道路に叩き付けられた翔太郎を見やって、キャンドルドーパントの声が愉悦に濁る。
「いいなぁ……やっぱり 最 高 」
ドーパントは自身の得た力が齎す全能感に陶酔している様だった。
「やはり、芸術を極める為には悪魔との契約が不可欠なんだよぉ!!」
「そうだ!有史以来の素晴らしき先人達は、その全てを捧げ、そして破滅へと躍り出て初めて神を手にしたぁ!そして僕もその域に立ったんだよ!」
だが、嬉々として語る彼の姿は最早人のそれを留めていなかった。
燭台と人間のシルエットを無理矢理にパッチワークで継ぎ合わせたかのような酷く歪な、そしてちぐはぐな異形。
醜悪なその姿、しかし唯達が恐怖を感じているのはそんなところではない。
「ああ、本当にいい。皆、綺麗だぁ。顔も、心も、そして恐怖も!君達は皆、最高の素材になってくれそうだよぉ。特に澪ちゃんはねぇ。
怖気振るう姿の美しさこそが人間の美を決める指標なんだからねぇ?」
その姿以上に、歪でおぞましい狂気。変身する前は辛うじて内に籠っていたそれが、今や隠すことなく澪にぶつけられている。
「あの探偵もそこそこに見た目は良かったから、惜しいことをしたけどさぁ。
あいつは駄目なんだよ。僕を見ても、死の気配が迫ってても、脅えもせずに生を見据えてた……醜い!醜いだろぉぉぉぉぉ!!!」
その腕からどろりとした蝋が垂れた。
「だから、今は君からだねぇ!!!!」
「澪!逃げろ!」
律の叫びも、完全に怯えきった今の澪には届かない。
律が、唯が、紬が、梓が、せめて自分の身体を盾にしようと身を構え。
その瞬間――
《 C Y C L O N E ! 》《 J O K E R ! 》
――風が起こった。
ドーパントの悪意を苛烈に吹き飛ばすように。
澪の涙を優しく拭うかのように。
風に攫われ礫塵が吹き散らされる。風を受けカラカラと風車が廻る。
風都が風に包まれる。
そしてその風の中心には――人影が佇んでいた。
この街を体現するかのようにその身に風を従え。
風が、白いマフラーを靡かせる。
瞳が紅く輝いた。
何故かは解らない。しかしその影は不思議と澪に安堵を齎す。
(ああ、私、助かったんだな)
根拠など無い。しかしその思考を最後に、澪の意識は静かに闇へと落ちていった。
「仮面……ライダー?」
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