蜂のように舞い、蟻のように運ぶ。
使用人の服をドレス風に戻したとでもいうべき可憐な衣装とも作業着とも分類できそうな衣服を着込んだ、ブロンド髪を後頭部で纏め上げた女の子が飛び回るように働いていた。耳は細く尖っており肌が白い。エルフ族の特徴である。
衣服は腰の部分できゅっと窄まっており引き締まったウェストの魅力を引き立てている。また胸元は張りのある丘陵の形をうっすら浮き上がらせていた。
女の子の手にはエールを満載したジョッキが複数あり、腰の位置を上下させない見事な足の使い方にて運んでいくと、酔っ払いがたむろするテーブルで解放する。手際よく並べれば、注文を聞きつつ別のテーブルへ視線をやって注文が来ないかを牽制する。
「おーい姉ちゃんエール追加してくれたんねーぞ!」
「エール追加かしこまりましたー!」
「こっちもまだなんだけど!」
「はーい! お待ちください!」
うっかり、喜んでー、と叫びたくなるところだったがぐっとこらえる。
「飯がまだこないんだが?」
「はいただいまー!!」
セージはてんてこまいだった。ウェイトレスという人手の絶対数が足りていないため、必然的に個々の労働量が大きいのだ。
空のジョッキ、中身入りのジョッキ、皿を厨房と机の間で行ったり来たりさせる。注文も聞きつつである。ちなみに酔っ払いが帰った後は掃除に部屋の準備に皿洗いにと仕事がてんこ盛り。最初の数日間は大変であった。ろくに注文を覚えられず怒られること数え切れぬ。やっと慣れてきても仕事量が変わらないのだから楽になるはずもない。
いいことなのか悪いことなのか判断しかねるのだが、エルフがウェイトレスをしている噂を聞きつけて飲み客が増加傾向にあり、仕事はますます忙しくなっていく。
おまけに、イレギュラー要素の乱入もある。
セージがエールを並々注いだジョッキを机に置いている最中に、突如お尻に手を置いた客がいた。思わず小さな悲鳴を上げて手を払う。振り返ると酒臭い男の下衆な笑みがあった。
「いい尻してんじゃーん。脱いでくれよー頼むよー」
「っ! ……お客様困ります。あまり度を越すようだと実力で叩きだしてもよいと言いつけられてますので!」
セージはあくまで客に対する態度ということでやんわり釘を刺すと、一瞬だけ身に陽炎を纏わせてみせた。無詠唱の火炎魔術の基礎中の基礎である温度を変化させる術。ポニーテールが揺れ、服の布地が波打った。全力で放てば大気を急激に膨張させて全方位を破壊することも叶う。
宿に盗賊が押しかけてきたのを三人で全滅させた噂を耳にしているのか、男はあっさりと降参の意思表示として両手を挙げて着席した。
「冗談だよう本気にすんなってお堅いなー。へへへっ」
「……まったく」
セージは注文を脳内で反復すると、酔った勢いで抱き着こうとしてくる旅の者をステップで切り抜けると厨房へと駆け込んだ。途中で壁を蹴っておく。
厨房の奥にいるであろう係りの者に注文を告げると、また蹴る。腕を組んで営業スマイルを捨てた様はいつものセージである。不機嫌を鍋にぶち込んで煮詰めて塗りたくった顔で、床を靴で断続的に叩いている。
「あぁ糞忌々しい。服もなー………畜生、スカート短くしろぉ? 腰を絞れぇ? これもあれも盗賊が悪いってのに………」
不平不満をひたすら垂れ流しつつ、スカートの裾を下に引っ張る。スカートは短い。と言っても基準は踝も見えないようなロングスカートであり、脛が覗くだけの露出である。とはいえ男性の服を愛用してきたセージにとって、いきなり女性の服は精神的に厳しい。
だが、服装は決まっているため脱ぐのは許されない。羞恥心を殺して臨まねばならぬ。
「………よし。こいつがここ、こっちとこっちとここで……いける」
山のようなジョッキが運ばれてきた。それを指に挟み腕に抱えると零れない限界の傾きと揺れを目測で計算してフロアーへと進出する。
「おーい注文なんだけど!」
「ただいまー!」
運んでいる最中というのに、客が手を挙げて新たな注文をした。
セージは首だけ回して返事をすると、手早くジョッキを並べていったのであった。
本人に伝えれば首がもげるまで左右に振るだろうが、割と順応していた。
一方その頃、ルエも働いていた。
エールの樽を台車に載せて運ぶ作業。薪を割る作業。洗濯。ようするに純粋な肉体労働である。それなりに体を鍛えていたことが災いしたのである。ウェイトレスやコックをやったらやったで大変ではあるが。
脂肪のなく筋肉のある均整のとれた上半身を惜しげもなく晒したエルフが一人宿の裏庭で労働に従事していた。作業を続けるうちに暑くなり脱いでしまったのだ。全身はしっとりと汗に濡れており、中性的な顔立ちと相成って、女性的な魅力さえ醸し出していた。
ルエは薪を切り株の上に据えると、斧を軽く振りかぶり、刃を食い込ませた。
「よっと…………ふっ!」
次に薪ごと斧で持ち上げると、振り下ろした衝撃で割る。傍らには適度に細分化された薪の山。何せ宿である。料理にも暖房にも使う。いくらあっても損がないのだ。
数時間に及ぶ格闘を終えたルエは、切り株に腰かけて一休みに没頭し始めた。銀髪を後ろで結ぶスタイルは仕事のせいで酷く萎れていた。セージが指摘したとおりに外見をよくするために鍛えていただけに、持久力がなく、疲れに強いとはいい難かった。
ルエはひとまず今日はこのくらいでいいだろうと薪の山を見遣り頷くと、斧などの道具を満載した棚にひっかけておいたタオルを取り顔の汗を拭いた。
そして体の汗を何とかしようと水浴び場がある宿の裏まで歩く。水浴び場と言っても水が置いてあり桶があるだけだ。
まさか冒険の旅に出て薪を割ることになるなんて。ルエは暫しぼーっとしていた。
やがて水浴び場までやってくるとズボンを脱ぎタオルを腰に巻いて髪を結わく糸を取り、頭から水を浴びる。思わず声が出た。
「おぉっ!? ……冷たい………あー、冷たい」
誰もいないのだ、丁寧な口調にする必要もなく。
冷たく清らかな水が汗を流し体温を落としてくれる。とりあえず頭髪を擦り、腋などの汚れが溜まりやすい個所を重点的に洗えば、腰に巻いたタオルを絞って全身の汚れを取り、薪割り場へ戻って服を装着する。髪の毛の水気は魔術で飛ばしてしまう。風魔術で髪の毛乾燥など旅に出る前は考えもしなかった。
宿の中に戻って掃除をしようとして裏口から入る。従業員らがばたばたと忙しく駆け回っていた。
髪の毛を後ろで纏めつつ廊下を歩いていき、客の目に留まらないようにしつつ掃除用具入れがある場所へと向かった。
ところが明らかに酔った獣人の女性がふらふらと近寄ってくると、ルエの前で止まり、おもむろに顔を上げた。獣人は酒に酔っても顔が赤くならない以前に毛並でわからず外見で判別は難しいが、喋り方と歩き方で容易に判別できる。
獣人の女性はルエを見上げるや耳をピコピコと動かした。両手を合わせる。尻尾が左右に揺れていた。
「まぁ! お兄さんお名前は? ひっく。素敵ねぇー可愛い顔。食べちゃいたい。ひっく。ふふ、ねー今夜お暇かしらん?」
「ルエと申します。酔われているようですね。お水でも持ってきましょうか」
「はぁいおねがぁい」
女性は、やけに間延びした言い方と甘えるような喋り方をする。ズバズバと指摘して言いたいことを言う女性が好きなルエにとって苦手なタイプの女性である。
ルエが水を入れたグラスを持って来たときには、獣人の女性は壁に寄り掛かって寝息を立てていた。
どうしたものか。グラスを床に置いて傍らに跪き肩を叩いてみる。
「もしもしお客様。立てますか?」
「……ねむーい。ね、お兄さん運んでよ私だるいよ眠いもん」
対処法に困ったルエが目線で助けを求めていると、いつものようにローブを着込んだメローが現れた。彼女も仕事の真っ最中。飲み屋でありがちな喧嘩で生じる怪我人を手当てするという比較的楽な役回り。怪我人が出ない時は基本的に暇である。どうやら外見の幼さ故に年齢を低く見積もられたらしく体力がなくてもいい仕事を宛がわれたらしい。
メローは獣人が壁に凭れ掛かっているすぐそばを通ると、ルエに向かい手を振って見せた。もし親指を立てて激励することを知っていたら迷わずやっていたであろう。
「がんばって………」
「………はい」
ルエは結局獣人の女性を担いでいくこととなったのは言うまでもない。
仕事は続いた。盗賊と三人が作ってしまった損害を埋め合わせるためには十分な日数が必要だったのだ。とはいえ三人の噂を聞きつけた客によって売り上げは伸びて主人が想定していたよりもはるかに短い期間で金銭は集まった。
ある日三人は呼び出され仕事の終了と、今後働くことについての是非を問われた。
三人そろって丁重にお断りすると、改めて旅支度をするべく町へと繰り出していったのであった。