魔物。
それは一般にヒトに害を与える生物と定義され、とくに強大な種別を指すという。
なぜこうなったのだろうとセージはぼんやり考えながら、目の前でこぞって頭を下げる住民らを見ていた。
事の始まりはとある町に立ち寄ったことである。エルフ迫害を掲げる王国が滅んだおかげで狩りの対象にならないとはいっても、長い耳は獣人と同じく目立つもの。とある住民がエルフ三人組――つまりセージらを見つけて騒いだことからだ。
エルフは華麗に魔術を使いこなし装飾された美しい武器で戦場を支配する強力な存在というステレオタイプがある。確かにエルフは生まれ持って魔術を行使できるのだが、戦闘魔術を使えないエルフなど腐るほどいる。また獣人などもパワフルと言えば合っているが、動物的直感の鈍い獣人も腐るほどいる。そんなものである。
答えは否なのだが、期待は自然と集まるもの。
住民曰く、化け物が裏山の石碑に出現する。
曰く、恐ろしい叫び声を上げる。
曰く、城の騎士に依頼しても頷くだけで調査さえしに来ない。
エルフがいるという噂を元にして町の主とやらがやってきた。部屋に招かれあれこれもてなされた。金は払うので調べてきて欲しいと。セージは渋っていたが金の話が出るや否や二つ返事で引き受けた。ルエは言葉を濁した。メローは黙っていた。結局引き受けることとなった。
町の外に出たところで三者は相談し始めた。
「セージ………」
「金貰えるなら調べておいたほうがいいかと思ったんだけど。金だぜ、金」
「かね……貰ってどうするの」
ルエの呆れ顔をものともせず金を貰えるからと主張する。メローは金と縁のない生活だったのかよくわからないという顔をしていた。
セージはやれやれと肩のあたりでわざとらしく手を広げて見せると懐を叩いた。
「これから危険な迷宮に潜るんだぜ? メシにしても、装備にしても、自前で全部準備するのはきつすぎる。金はあっても困らない。なら引き受けた方がいい。俺らも得。住民も得。いい取引じゃねーか」
「確かにそうですが………では、手早く済ませましょうか」
住民らの言う石碑がある山へと向かう。ほどなくして到着した――というよりも町を囲う壁のすぐ隣から森が始まり小高い山があるのだから一分と掛からない。
石碑は山の頂上にあるという。舗装もされていない獣道を歩いていく。
セージはミスリルの槍の穂先に着ける保護カバーを取ると、切っ先を前に、姿勢を低くして先頭を歩み始めた。右に槍、左手は遊撃として遊ばせてある。森のような環境では時に槍の射程距離が致命的な空白を生むことがあるからだ。だからこそ銀の剣に意識を張っている。
セージは前衛。ルエが後衛。メローは狙撃という役割分担である。
森やら林やらを歩きなれたセージと、歩きなれないルエとメローでは進行速度に差が出る。セージがひょいひょい木の根っこを跨いで枝を躱していく一方でルエが悪戦苦闘しメローは後をついていく。
山といえど勾配はある程度ある。獣道は勾配に顕著な石ころや乾燥した砂地を晒しており足元を崩そうとしてくる。
「よっ、ほっと」
軽やかに枝を槍で退けて、蜘蛛の巣を鷲掴みにして壊す。顔に蠅がたかろうとするのを吐息で追い払う。獣道どころか草むらが道という森林を踏破した経験もあるセージにとって、この程度の障害、石ころのようなもの。
約二名を置いてきぼりにして頂上に着いた。森が開けこじんまりとした空間が姿を現した。ふぅ、と息を吐いて、吸い込む。ヒトの気配に感づいた鳥が悲鳴を上げて慌てふためく。
「これかぁ。いかにも古臭いな」
きょろきょろと視線を彷徨わせて石碑なるものがどこにあるのかを探してみれば、石の塔があった。趣深いと表現するか、古ぼけていると表現するかは、各々の自由であろう。セージは後者である。全高はヒトの身長と同じ。根本に花がお供えされている。
石碑が何を祀っているのか、記念するためのものか、鎮魂か、種類を聞いてこなかったことを思い出し、腕を組んで唸る。花があるということは死者を慰める目的か。何やら文字が刻んである。目を凝らすも掠れて読めない。顔を近づけて、目を開いたり閉じたりして頑張る。
「疲れました……」
「疲れた」
後から二人が追い付いた。ぴんぴんしているセージと対照的に疲労の度合いが強い。
石碑の文字を読もうと悪戦苦闘している背後に二人がやってきた。振り返って、石碑の文字を指でなぞる仕草をする。
「さーて謎の奇声の主はいなかったわけだけど、こいつ読める人ー」
「申し訳ないですが僕には無理のようです……」
「……わたし………専門外」
「だと思った。さて、どうする。化け物がいない以上調査は終了ということで」
二人が首を振った。
セージは調査を切り上げてはどうかという提案をしてみたが、これも首を振られる。
住民らとの話では正体を突き止め排除すること。中途半端で投げ出しては信用問題にかかわる。
「駄目ですよ。最低でも化け物の雄叫びを聞くまで待たなくては」
「だよな。ウン……。ならメローが上で見張る。ルエは石碑で、俺がその辺うろついてみるってのはどう」
「時間はどうします」
「どうせ………急いでない、から…………ゆっくり………で。のぼる、木……」
こうして、役割が決まった。メローが黙々と木に登り出す。狙撃が得意とだけあって木登りはできるらしい。予想は当たっていた。
セージはとりあえず二人から分かれると元来た道を調べなおすことにした。獣道とはヒト以外も利用することがある。土に残る足跡を、屈んで調査する。足跡らしいものを見つけるも、それは自分らの靴の形であった。草むらも調べる。草むらは背の低い木と草の集合体。例えば熊のような巨体が草むらを通ると、痕跡が残る。調べる価値はある。
槍が邪魔なので背中にひっかけておく。槍は近接格闘では最強の武器とも称されるが持ち運びに難があるのが面倒である。
草むらに不自然な分け目を見つけた。まるで馬か何かでも無理にねじ込んだように葉が乱れ枝が倒れている。
「ふむふむ……」
尖った耳が僅かに傾ぐ。音をよく聞こうとしたのだ。
足元に躍り出てきたバッタを踏みつぶすのも可哀想だと鷲掴みにして他所へ放り投げつつ、腰の剣を抜き、薙ぐ。数度切り付けて道を作り前進。蔓の絡まりを一刀両断。魔を封じる特殊な剣をマチェット扱い。
草むらの乱れを進んでいく。鎧にがつがつと枝がぶつかる。普通の布服だったら傷だらけになっていただろう。
顔に執拗に纏わりつく小虫を手で払う。
やがて、草が強引に引き抜かれ、倒されて作られた地点を発見した。そこには皮膚をぱっくり裂かれた鹿の死体があった。蠅がたかっており辺りには死臭が漂っている。死後数日経過しているのは確実であろう。鼻を貫く不快臭に顔をしかめながらもしゃがみ込んで調べていく。
「内臓がないのか………。内臓がない、のか」
セージは同じ内容を二度呟くと、頭を振った。馬鹿なことを言うものではない。
ちなみに日本語ならダジャレになるがこの世界の言語ではダジャレにならない。
近場から枝を拾うと鹿の皮膚を突いて蠅をどける。傷口は内側に陥没していた。皮膚を裂いただけではありえない損傷具合。該当する損傷は一つしかない。皮膚の千切れ方を調べ確信に至る。
「肉を食べたってことね……熊とか狼とかが正体?」
皮膚のうち、鋭利な切り傷に注目した。数本並んだ曲線状の傷。爪だろうか。爪を持つ大型肉食動物となると狼は除外だ。まさか辺境の土地にワイバーンなどがやってくるはずもないので、熊だろうと推測した。
セージの顔がうんざりとした調子に変化した。また熊かと。
この世界の熊は元の世界と同じタフなものだが、中には異常な強さを持つ個体がある。火の魔術をものともしない個体、小屋のように巨大な個体、など。蜘蛛が馬並の大きさなのと同じように、単純に熊と区別できない傾向にある。
だが不思議なのは、鹿の死体が食いかけで放置されていることだ。
セージは枝を捨てて後ずさりした。エルフ族を特徴づける耳に命じて音による索敵を開始。
つまり、折角の獲物を放置するような理由があったことに他ならない。理由が何にせよ、その化け物はここにいる。ここは獲物を運んできて食らうテリトリーの可能性が高い。
腰を上げて足の位置を直した。異物の感触。足裏へ目をやれば、白骨が。
刹那、上から降る大気の流れと、何か巨大なものが着地した衝撃があった。もはや脊髄反射的に腰の二連式クロスボウを抜くと振り返り様に照準した。
「え!?」
赤く充血した眼球。長く伸びた顔と、亀裂のように発生している口から覗く真っ白な歯。肉体はヒトのように直立二足歩行をする特有の形式。胸の筋肉は隆々としており、爪はナイフのように鋭い。皮膚の露出は無く毛皮に覆われている。
――ウェアウルフ。半人半獣の化け物。
この世界にも確かにいる。獣人の変異種。先天的なものと、後天的なもの、二種類がいるという。
二連式クロスボウの引き金が留め金を外す。予め装填された矢がクロスボウの上下に供えられたレールに沿って飛翔した。大型のクロスボウに劣るが初速は既に人間の反応速度を超えている。
ウェアウルフは極めて凶暴な化け物として知られており―――。
矢は紙一重のところで命中せず草むらを貫通した。外した? 否、躱されたのだ。単純に屈むだけで。
「嘘……」
―――また、驚異的な身体能力を持つことで知られる。
再装填は間に合わない。二本の弦を持つ二連式クロスボウの装填は二倍の手間がかかるようなもの。背中の槍も遅い。クロスボウを指から落とし、空いている腕で銀の剣を抜くや、斬りかかる。
はずだった。
セージの目が大きく見開かれる。ウェアウルフの膝が雷のように炸裂した。足が地面を離れた。
「か…………ッ」
驚きと痛覚の燃えるような作動。肺から空気が強制的に吐き出され唾液が唇から舞った。
腹を起点にくの字に折れ、草むらを構成する背の低い木々ごとなぎ倒しながら吹き飛んだ肉体は、背の高く頑丈な常緑樹の幹にぶつかって止まった。酷く頭を打ち付け脳が揺れてしまった。上から木の実が落ちてきて鼻先を掠めた。
口を開き、酸素を求めて横隔膜を使おうとするも、反応してくれない。口からひゅうひゅうと奇妙な音が漏れる。
「ぁー………、……ぅ………」
腹を防護する鎧が内側に陥没していた。もし無ければ一瞬で意識を刈り取られていたであろう。
呼吸ができない。脳震盪を起こしたか、立ち上がる気力さえ起らなかった。
セージは己の抵抗力が完全に崩壊したことを悟りつつも、必死に喘いでいた。視界にノイズが混じっていく。
最後に見たのはウェアウルフの強固な肉体が徒歩で接近してくる風景だった。