LXXXIV、
ロウの調べを元に古文献を読み漁ったセージは半ば呆然とする羽目になった。
曰く、扉の奥は迷宮となっており侵入者を阻む。
曰く、異形の化け物が徘徊しており侵入者を殺す
曰く、罠が万と設置しており勇者を食らう。
伝承ではそうなっている。箱舟という重大な遺産へ近づけまいとする防壁が存在すると。事実、王国が扉の奥に兵士を送ったが誰一人帰還しなかったという。果たして自分ごときが挑んで無事箱舟まで辿り付けるのか。言うならば伝説のドラゴンに立ち向かうようなものである。
伝説の勇者なり、天使の力を授かるなり、血統なり、契約なり、迷宮を突破するための能力があればよし。
――だが、セージはただのエルフである。火炎魔術と剣術と自己流の体術があるだけだ。もしアネットに挑みかかれば惑わされ手刀で意識を狩られ、ルエと戦えば火炎を風に散らされ、ヴィヴィとやり合えば全身を氷漬け、ロウとやろうものなら術を片っ端から消されるだろう。
これはゲームではない。ゲームオーバーになったらロードすれば元通り。というわけにはいかない。
「ふー………。うしっ。やるぞ!」
意識を集中して剣を――もとい鉄の棒を最上段に掲げて構え、足の筋肉に集中する。
私は松明。私は火の精霊。念じて念じて念じて。イメージを描き出す。
そして、おもむろに閉じていた瞳を開放すれば、呟く。
「〝火炎剣〟!」
刹那、腕から全身から火炎が渦となりて吹き上がれば棒に巻き付き火柱と化した。歯を食いしばって魔力を捻出する。絞り、汲み上げて、火炎へと変換する。微かに頭が痛むも無視して、魔力を出力した。
轟、と爆発的な勢いで火の柱が成長した。身長の三倍はあろうかという火の塊へ。
まだだ。セージはイメージをただの火から噴出するガスへと切り替える。火が流動して赤い噴水となるように。次第に魔力の消費量も跳ね上がっていく。精神が悲鳴を上げている。
火が、集束を始めた。枝分かれしていた火が勢いを失っていき、根本の鉄棒へと集まる。拡大から集合へ。火の色は赤から朱そして白へと変貌する。
たっぷり数十秒かけて、それができあがった。
身長の優に数倍はあろうかという巨大な白熱した火の剣が。
息を吸い、一歩を踏みしめ、大地から己が弾かれること実感する。己が押すとき、相手もまた押す単純な真理。地を蹴り、眼前の目標に照準を定め、安全装置を解除、最上段から下段まで上半身のバネを利用して、叩き落とす。
「せぇッ、の……おらぁッ!!」
着弾。
敵である――藁と木でできた人形は炎上さえ許されず影も残さず蒸発し、剣の切っ先は勢い余って地面へと接触した。
「うぐっ!? くそっ!」
地面という硬い物質に触れて形状を維持できなくなった剣が崩壊した。エネルギーの逃げ場がなく炸裂する。白い火が地を焼き、砂を溶かしながら、白い煙でセージの体を打った。
よろめき、棒を手放す。棒は熱に耐え切れず持っていた箇所から上が焼けつきねじ曲がっていた。
「は………うぅ……………やり過ぎたかぁ」
魔術行使の反動で貧血にも似た眩暈が起こる。たまらず、どう、と大地に肢体を投げやると空を仰いだ。
ここは渓谷の里。里の近辺にある訓練用の広場から。戦争が終わって里を隠蔽しないでもよくなったことから開放された場所である。
セージは平衡感覚がなくなったことに気が付くと、起き上がるのを諦めた。何度剣を作ったかも定かではない。今日は休むべきだろうか。苦労など露知らずの鳥が上空を横切る。
これは、扉を潜り迷宮を抜けるための修行である。火炎と強化しか取り柄のないエルフが伝説に挑むための試練の克服である。
セージは転がっている棒切れを見た。発生する熱量に耐え切れなかったらしい。こと熱量にかけてセージは他者を寄せ付けないが、それだけでは勝てないのが戦いである。もし敵が100の矢を放ってきたら火の剣ではかき消せずに蜂の巣だ。
大の字で寝ころんでいると、誰かが歩いてくるのが見えた。
民族服。洒落たブレスレットとネックレスと地味なサークレット。流れるような銀髪を頭の後ろで結ったおっとりとした美人である。
彼女はセージのすぐそばまで来るとおもむろにしゃがみ込んだ。
「こんにちは、セージ君」
「………どなたですか?」
「さあ?」
「さあ、って言われても困ります」
セージは彼女に見覚えがなかった。怪訝な顔で見返す。目立つ銀髪と整った顔立ち。一度見たら忘れない容姿にも関わらず、記憶に合致する人物がいない。一人だけいたが性別が違う。
すると相手はふっと笑みを浮かべてみせると、懐から珍妙なデザインの眼鏡をかけて見せた。セージの顔が秒を追うごとに間抜けになっていく。目をかっと見開いて、顔を人差し指で示して。
「嘘? 長老………!?」
「静かに。感心しないぞ」
「冗談だろ……」
「冗談でも嘘でも幻覚でもない」
彼女もとい彼は柔和に微笑んでみせると、優雅な動作で膝を払って起立した。外見、仕草、声質、どこをとっても女性そのものである。唯一、胸の膨らみがないことが女性を否定する材料かもしれないが、胸の薄い女性などいくらでもいるのだ、決定打にはならない。
長老が女装して現れるという事態にひょっとして己ははめられているのではという懐疑にとらわれた。
長老――ルークは唇に指をあててウィンクしてみせた。
「私くらいの立場になると遊ぶ時間がなくてね。顔を合わせるたびに仕事仕事とうるさい。たまらないから時々こうして変装して抜け出すんだ。ルエに見抜かれるのが欠点だがね」
「変装というより女装なんですが」
「似合ってるだろ? うん? ヒトは性別というふるいで判別している節がある。女装すれば気が付くものなどいなくなるのさ」
「確かに似合ってますけど」
やっと立つ気力の戻ってきたセージは、よっこいせとオッサン臭い掛け声つきの起立をすると、じろじろ無遠慮にルークを凝視した。どこから見ても女性である。男装しても女性として見られるセージにはうらやましい限りであった。
ルークは完全に女性特有の軽やかな歩調にて、森の方へ歩き出した。途中振り返り緩く片手を差し出して。
「ちょっと来るといい」
「なんですか。お手軽に強くなれるアイテムでもくれるとかですか?」
「無理。そんなものあったら私が使ってるところだ。お手軽にとは言わないが、土台を作ってくれるものをやろう」
「土台?」
それっきりルークは何も言わず木の合間をすり抜けていく。セージは、取るものも取らず走って後をつけた。
里の前にある小川を遡っていく。ルークは動きにくそうなスカートなのにすいすいと岩を越えていく。重さがなくなってしまったような軽やかさ。一方セージは躓きながら。
小川を遡ることしばらくして滝が目前に広がった。ごく平凡で見るところもない水の流れの一形態。
ルークは滝壺へとすいすい歩いて行った。何をするのかと注視していると、彼は呟きながら手を横に動かした。すると滝は、まるでガラスがあるかのようにルークを割けて横へとねじ曲がって落ちる。
目を凝らすと、滝壺の奥に通路が見えた。滑り易い岩場。バランスを奪われぬよう慎重に歩を進めて、滝の霧を抜けてついていく。
そこには岩があった。平凡な岩である。ところがルークが何事かを呟き手を翳すと岩が横にどいた。
奥には、小さな部屋があった。岩を削って作った正方形のシンプルな空間。窓も無く、装飾もない。ただ部屋の中央に無骨な鉄の箱が置いてあった。長さはヒトの身長よりなお長い。
ルークがネックレスを外し、鍵穴に差し込んだ。それは装飾品などではなかった。カチリと軽い音色がした。そして彼は蓋を開けて一握りの槍を取り出した。
「ミスリルの穂先。ドラゴンの骨をふんだんに使用した柄。祈りと加護により強化された名品……」
ぎらりと輝く不思議な色合いをした金属の穂先。まるで濡れているかのような反射。白く、しかし真っ白ではない、どこか生物的な感触を担った柄。各部は美しく装飾されており精霊や大地を賛美する文句が刻まれていた。
「これは……………凄い! ミスリルにドラゴンの骨?」
驚きを隠せないセージに、ルークが妖艶な笑みを湛えて槍を押し付けた。
「君の得物とは違うのは許せ。こいつを君に貸す。貸すだけ。売るのはだめだ」
「なんで、こいつを俺に」
「勘違いしてもらっては困る。君のためではなく弟のためだ。感づいてるだろうが弟は君のことを好いている。好ましいというより、生涯をともにしたいという深い感情かもしれない」
「………知ってます。あいつ隠すの下手糞ですから」
複雑な表情で答える。既知の事実。
「答えてやらないのか。それとも別の事情とかかね」
「口頭で伝えられてませんから。まだ、ね。そのうち伝えてくるかもしれないですけど」
ルエが己を好いていることなどとうの昔に知っていた。
ルークは、箱を閉めると、外へ爪先を方向転換した。
「君はどうしても外の世界へ行きたいんだろう。私には止められない。おそらくほかの里でもね。もし外で死なれたら一番困るのは他の誰でもない。ルエだ。君が死ねば我が愛しい弟は泣くだろう。だから、せめて武器をやる。障害を排除し、行先へ到達するための」
「長老。ありがとうございます。心から感謝します」
セージが両足を揃え腰を折った。最敬礼。腰の角度は90度近い。セージは礼儀を知らぬ人間ではない。
胸の罪悪感がしくしく痛む。外の世界などいかず里で人生を過ごしていくならば誰にも心配はかけないし負担にもならない。元の世界に帰るという願いはしょせん自己満足やわがままの類。自覚があるからこそ頭を下げたのだ。
ルークは透明な瞳でセージの背中を見ていたが、ひらりとスカートに風を孕ませて外へ歩き出した。
「礼には及ばない。……ところで」
そして、足を止める。
セージはお辞儀を止めると槍を胸に抱くようにした。
ルークは演技とは思えぬ自然な手つきで顎に人差し指を触れさせて僅かに首をかしげた。
「すぐに里を出るわけじゃないだろう。時間のある時だが特訓してやろう。君が巨老人の里などに戻りたいと言わなければ、だが」
ルークは長老。一定の力があるからこそ認められる地位。
長老直々に特訓してくれるならば大きな一歩前進だ。
最強の指三本に入るヴィーシカのような強さは望めないとしても、だ。
―――だがまさかその特訓が数年にも及ぶとはセージ自身も思いもしなかった。