LXXX、
結局、体を完全には取り戻せないまま、生贄の儀式当日がやってきてしまった。体が寝ている間や気が抜けた隙を狙い取り戻そうとするものの、よくて十秒間元に戻るのが精いっぱいなのだ。よほど洗脳は強烈らしい。焦りに焦ったセージだが、精神を集中するより方法はなく、物理的に阻止することができないことも手伝い、苛立ちだけが募っていった。
それでも一矢報いようとルィナの目を盗んで秘密の部屋の鍵を盗んで教会の外に捨ててやった。もっともルィナが合鍵を取り出したので無意味だったが。
儀式はルィナ曰く、神が悪魔たちに追いやられて落とされた穴でやるそうである。聖域と彼女は表現したがセージには地獄としか思えなかった。
観音開きの扉の奥に穴があり地下まで梯子が続いている。予想に違わず梯子は半透明の液が付着しており触りたくなかったが、肉体が躊躇なく触れて下っていく。
―――虫唾が走る。
手に張り付く気色悪い感触。だが、白服を着込んだセージは顔色一つ変えない。慎重に穴の奥へとどんどん下っていけば、地下に到達した。魚市場と死体置き場とトイレを融合させたらこうなるであろう 臭いが溜まっていた。鼻が曲がる。
穴の中心ではルィナが作業の真っ最中であった。木製の祭壇。人ひとり横たわるスペース。両サイドには篝火が焚かれており、果物や花などの供え物が設置されている。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイなんとかしなきゃマズイマズイ殺される食われるなんとかしなきゃヤバイどうするどうする!)
セージはパニックに陥っていた。寝たら最後、化け物に食われる。精神を集中させて体を止めんとする。成功した。セージの足がその場に釘付けとなる。成功率が上がっている証拠。時間をかければ肉体を奪還するのも夢じゃない。悲しいことに時間は手のひらから零れてしまったのだが。
ピタリと静止して動かないセージを不審に思ったか、作業中のルィナが面を上げて問うた。
「どうかしましたか。準備はじきに整いますよ」
「………あ、なんでもありません。最近、ぼんやりすることが多くて」
「そうですか。疲れがたまっているのでしょう。これから神の寵愛を受けるというのに由々しい事態ですが、延期しましょうか」
(しまった、制御が……)
誤魔化そうとしたセージだったが、制御が離れてしまった。肉体が勝手に首を振って涙ながらに懇願する。
頼むからやめれと懇願したいのはこっちだ。セージは思った。
「嫌です! 一日も早く神と共に参りたいのです……!」
「ああ、セージ………」
二人は見つめ合い手を結んだ。二人だけの世界の突入している。
だがセージは、ルィナの肩越しに神の姿をじっと見ていた。
頭を眼球に置き換えた蛇が全体像と勘違いしていたが、違った。本体は人間の体をしていた。痩せ細った人間の肉体が倒れておりその胸に薄汚れた銀の剣が垂直に刺さっている。頭があるべき個所から太い触手が一本と無数の細い触手が群がるように生えている。
(なるほど、あの全裸が本体ってわけ。こんなん本に載ってなかったぞ)
本では眼球の親玉のような気色悪い生物が本体だと描かれていたが、実際には人間の体だった。剣も刺さっていなかった。ゲームなどでは封印の剣だよなと思い出す。ひょっとしてもとは人間だったのではと想像するも、今はどうでもよいこと。
脱出の手段を探さない限り命はない。
「それではセージ。儀式を始めましょう。私は村の皆を呼んでまいります。ここに横になりお待ちなさい」
「はい、わかりました」
ルィナが肩に手を置き頷く。セージの体は勝手に祭壇に横になった。止められない。手を胸元で組んで天井を仰ぐ姿勢。化け物が身を捩じらせる音が鼓膜に届く。視線を感じる。例の巨大な眼球でじっと見つめてきているようだ。
(おいおい、いくらなんでも……)
セージは困惑した。心臓が早鐘を打ち、興奮し始めるのを読み取ったからだ。
興奮しているのはセージの洗脳されている心である。信じられないことにもう一つの心は興奮していた。性的に。何をされるのだろう。どれだけ可愛がってくれるのだろう。という気持ちもあれば、これから神に触れることができる喜びもある。いずれにしてもセージにとって嫌悪の二文字である。他人が妄想に耽るのは構わない。だが自分がとなれば、自己嫌悪の対象だ。
ルィナが梯子を登っていく。はずが、上から梯子を滑り降りてきた何者かに潰された。
「あなたは!?」
「ちょっと眠ってな!」
アシュレイだった。彼女はルィナに馬乗りになると固めた拳で顔面を殴り付け止めに鳩尾に肘を叩き込んだ。ルィナが奇妙なうめき声をあげて動かなくなる。
セージの体が祭壇から飛び起きた。倒れたルィナを見遣り憤慨する。敵だ。神の意に背く敵が入ってきたのだ。ならばどうする。神が見ている前でみっともない真似はできない。
ただしセージの心はそうは思わず小躍りしたい気分だった。
(いいぞもっとやれ!)
アシュレイはスコップではなく長い棒を背負っていた。それをゆっくり構えれば威嚇するかのごとく一回転させる。空気を乱す風切り音が穴に反響した。
セージは怒髪天と言わんばかりに顔を引き攣らせていた。祭壇から降りるとゆっくりアシュレイに近寄っていく。
両者の距離はほぼ無い。アシュレイの棒が届くか届かないかという距離である。
「やっと入れたよ。教会だなんだと言って怪しい奴は絶対に入れないもんだから手間取った。鍵を見つけたのが切っ掛けだけどさ、とりあえずどきなよ。私はアンタの後ろにいる怪物を退治しなきゃいけない」
「ふふ、アシュレイさん。よくも神聖なる領域を穢しましたね。あなたは贖罪しなくてはいけませんわ」
セージの肉体に殺意が宿る。こいつやる気か。セージは止めようと精神を集中するも制御が効かない。もし戦いになればアシュレイを殺してしまうかもしれない。縁もゆかりもない人を殺すのは避けたい。
アシュレイが素っ頓狂な声をあげた。手が怒りでわなわなと震えている。棒を地に突き立て、指さす。セージを。後ろにいる神を。
一方、神は静観していた。
「神聖な? 冗談じゃないよ。村の皆を操り人形同然にして! ルィナが魅入られたのが発端と言えばそれまでだけど、元凶があるからいけないんだ!」
「神の愛を知ったのです。今からあなたにも教えてあげましょう」
「さぁてどうかしらね! セージだっけ。本心からそう思ってないんじゃない? 私にはわかるのよ」
(………え、わかるの? ほんとに?)
口を挟もうにも挟めなかったセージは、アシュレイに話しかけられたように感じ、驚嘆した。アシュレイはセージの心が完全には操られていないことを知っているようなのだ。
―――チャンス到来! セージはいつでも肉体の制御を乱せるように意識を集中させた。
セージの肉体はため息を吐くと両手を肩の高さに広げて見せた。魂と肉体の結合する力が強制的に引きはがされてイメージの元に凝結すれば形態変化する。トリガー、もしくはイメージの基礎を作るともいう言葉が紡がれた。
「〝神の流星〟」
両掌から生まれた十ほどの赤い火の玉がセージの周囲を衛星のように周回する。まるで墓場の人魂のように。セージがかつて試して失敗した魔術だった。もしかすると魔術の才能を司る部分が洗脳を受けたのかもしれない。
火の玉を前にしてもアシュレイは怯えるどころか肉食獣染みた好戦的な表情を浮かべ棒を槍のように握った。片側を斜め下、片側を斜め上へ。肢体に力を張り巡らせた低い構え。深く吸い込み、ゆっくり吐き出す。戦意という感情がオーラとなって見えるようだ。
(手馴れてる? アシュレイとかって人、何者なんだ……)
明らかに農民ではない素振りにセージは驚きを隠せずにいた。
セージとアシュレイの距離はほとんど至近距離と言える。棒が先か、魔術が先か。
刹那、セージが戦いに適しているとはいいがたい白い服をはためかせバックステップ。片手を掲げた。
「行きなさい!」
神の流星の名の通り、火の玉が矢の如き速度にて空間を飛翔すると、赤い残像を引きながら距離をゼロとし―――硬質な棒に打ち払われた。
アシュレイは棒の先端を足で蹴り、勢いを利用して顔面を狙いに来た玉をくじくと、両手で保持、右左と打撃を繰り出し複数の玉を火の粉に分解してやり、バトンのように高速で回転することで面を構築すれば残りを防いだ。
火の玉を受けた棒に焦げ目はない。
アシュレイの意外な反撃にセージが戸惑いを見せた。まさか農民が、という油断があったのだろう。
瞬間的にアシュレイが風となる。棒を右手に持ち、体勢を低くして肉迫すれば、棒で突く―――。
「かかりましたね。〝憤怒〟!」
セージの言霊が発せられるや、衝撃波となった。セージという肉体を中心とした爆発が生じてアシュレイの体を打つ。セージの口角がにやりと歪む。勝った。まさか爆発には耐えられまいという慢心である。
「くふふふッ! 残念だけど!」
だが物語はそう上手くいかない。爆発範囲を完全に見切ったうえで踏みとどまったアシュレイが、術後の隙を狙い肉迫に成功した。棒を突くとフェイントを仕掛け相手の防御を誘い、足を払った。セージの体勢が崩れ転倒する。棒が、セージの顔面目掛け、ある程度力を緩めた状態で落ちる。
棒を、ぼんやりとした塊が受け止めた。
「く、うう」
「やるね! けどいつまで耐えられるか、見せてもらおうじゃないか!」
セージが咄嗟にろくすっぽイメージも練らないままで火炎の剣を構築。棒を受け止めるも、数秒も持たず亀裂が生じる。右腕一本で受け止めるにはあまりも力不足。そこで左腕も使おうとした。筋肉に限界が近いのか引きつけを起こしているがごとく震えている。
が、セージの表情が凍りつく。左腕が言うことを効かず、あまつさえ己の頭に指を向けているのだから。その手には魔力。
――干渉できるのは数秒もない。魔術も一回限りしか使えない。洗脳を解くにはどうすればいい。セージは書物にあった情報を元に仮説を立てていた。赤い光は苦痛を与えることで洗脳する。ならば苦痛を伴った刺激ならば一時的にでも麻痺させられるかもしれないと。
セージの顔がしてやったりと喜びに変わる。
「この時を待ってたぜ、俺」
次の瞬間、セージの手のひらで小規模な爆発が誕生。頭を地面へ叩きつけた。
暗転。
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久しぶりに書くと楽しいですねぇファンタジー系