LXXV、
右から左へ薙ぎ払い。横薙ぎ。一歩退いての中段突きからの流れるような身のあたり。洗練された攻撃は技量と腕力の伴った見事なものであり、セージをしても受けに徹するので精一杯であった。攻防入り混じる剣の運用は難しいが、受けと防御に専念するのであれば、話は別である。
問題は守りに専念すればするほど体力がなくなっていくことである。何分、鍛えているとはいえ子供の体では、長時間の戦闘に耐えられるだけのタフネスがない。
剣を振り回し続ける首なし騎士は、横に頭を抱いたまま、要するに片手でロングソードを操っているにも関わらず疲れがみえなかった。死んでいるからだろうか。それとも、単純な体力差があるからだろうか。
セージは敵の薙ぎを大きく後ろにステップを踏んで躱すと、舌打ちをした。
「埒が明かない、なっ!」
再び繰り出される突きをロングソードで切り払う。まともに受け止めれば逆に弾かれる恐れがあった。受け流すことに専念する。
騎士の攻撃はとことん教科書通りであり、次がセージでさえ読みやすいものであったが、例え一撃でも貰えば布の服は切り裂かれ、皮膚の奥に鋼鉄の刃が届くことが確実であり、死力を尽くしてでも躱すか受け流すかしなくてはならなかった。騎士も敵が軽装備であることを承知しているらしく、鎧ごと叩き斬るような攻撃よりも、素早さを重視した斬りを連発していた。
バックステップ。騎士が大きく踏み込み、剣を腹の高さで薙いだ。それを危ういところで腰をかがめて躱すと、左手を突き出す。
「〝火炎放射〟!」
指の隙間に揺らめく大気が出現した刹那、それは瞬く間に紅蓮の集束へと姿を変え、迸った。燃え盛る重油を水鉄砲で吹きかけるような粘つく火炎が騎士を包み込む。
セージお得意の火炎魔術が頑丈な鋼鉄を火にかけられた鍋よろしく過熱させていく。
「ウォォォォォォォォォォォ………!」
絶叫。重低音。数十の断末魔の叫びを録音して地下室で一斉に流したとでも表現すべき気味の悪い叫び声が鎧が抱える頭部から発せられた。がたがたと身を震わせ剣で右を左を滅多切りにする。地に擦った剣先が火花を散らし、小石を砕いた。
セージはじりじりと後退しつつ、左手を向け続ける。みるみるうちに精神力が削り取られていき頭の奥が痛み始めた。それでも更に火炎を強めんとして精神を集中させた。放射量が増大するや掌を焼き焦がさんばかりの熱量を宿し、ドラゴンブレスかくやの勢いを得る。
呼吸が早まり、心臓が痛いまでの脈を打つ。小柄な肢体が後退する際に足を引っ掛け、膝を付いて座り込む。しかし火炎放射が続く左手は向け続けていた。
騎士はセージを見失ったか、鎧もしくは存在に深刻な影響が発生したのか、剣を振り回して暴れるだけで理性的な行動を放棄していた。熾烈な高温に晒された鎧の節々が白熱し、暗闇へ対する照明となった。
火炎放射は止めることが許されなかった。何せ相手は得体の知れない化け物である。悲鳴を上げるということは苦しんでいることにほかならず、ならば殺せる可能性があるのだから。
「オオオオオオオオオオ!!」
「死ね、死ねよっ! って、うわ」
突如として騎士が剣を投げ捨てるや火炎に身を焼かれながらも突進を仕掛けてきた。
白熱する鎧に抱かれたら鉄板の上の肉と大差ない。火炎放射を続けながらも騎士の横をすり抜けることを目標に足を運び、回避する。
首無し騎士は目標にぶつかることもできず岩に足を取られ転倒した。姿勢を崩しつつも頭はしっかり小脇に抱えている。
「ウアアアアア、ウオオオオオ、ァァァァアアアアアア!!」
「しつこいぞコイツ!」
再び立ち上がった騎士の姿に、セージが怯んだ。戦慄した。武器も無く、鎧のあちこちをくすぶらせているにも関わらず絶叫を上げて突っ込もうとする姿に本能的な恐怖を感じ取ったのである。鳥肌が立っていた。
騎士が勢いよく立ち上がるや猛烈な勢いで駆けてくる。猶予は数秒と無い。もし避け損ねれば熱い抱擁をされるであろう。温度的な意味で。
「くっ……なら!」
セージが駆け出した。背を向けて。ブロンドのショートカットが体の動揺に追従してたなびく。追う騎士と逃げる女の子。強化された脚力が生産する速度は騎士の速力をやや上回った。前方には岩。狙いは単純なことだった。セージは岩に辿り着くや、その上に陣取って振り返った。騎士が岩に正面衝突し、それでもなお岩の上のセージを捕らえんとよじ登ろうとした。
足に力を込め、跳躍するや、騎士の鋼鉄製の手を掻い潜って背後に着地し、ロングソードを腰で構え、騎士の背中を貫いた。地点にして丁度人間ならば心臓がある部位に、正確に。騎士の動きが止まった。
「これで終われぇ!」
ロングソードの柄を握り直し、引き抜きざまに背中を一閃。陽炎纏った剣が硬質なはずの甲冑をバターのように溶かし斬った。確かに威力は向上しているが鉄を膾切りにできるはずがない。セージは手ごたえの無さに不安に駆られた。
すると心臓にぽっかり空いた穴と、斬撃の跡がとろけ始め、轟々と火に変わった。鎧という輪郭がぼやけすべてが火と化す。尋常ではない青白い火炎が、セージが放った赤い火炎を飲み込んで膨張し、何もかもを焼き尽くしていく。
なにせ相手は化け物である。最後まで油断はできぬとロングソードを構え直し、様子を見守る。すると、目の前の風景に光が差した。背後で頭に矢を受けて死亡したはずの馬が同じく炎上し始めたのだ。
馬と騎士。いずれもまるで幻想のように、鎧も骨も皮も存在自体が燃え尽きて、炭になっていった。
「………っ」
馬と騎士の燃えがらが天へ緩やかに昇ったと思いきや、下降してセージの元に襲い掛かった。真夜中。星と月しか光源のない暗黒の中でも、黒色をしているはずの燃えがらは、視認できた。黒とも灰色とも付かぬ靄だった。それはあたかも復讐するために速度を増して拡散、再収縮すると、息を呑む“女の子”に覆い被さろうとした。
が、できなかった。
魔除けの指輪が更に光を増すと、害意を祓った。靄はいつまでたってもセージに近づくことを許されない。時間経過という残酷な掟により、靄は存在を維持できなくなり、消滅した。
指輪が徐々に光を失っていった。効力は確かに発揮されたのだ。気休め程度の効果だと考えていたのは大きな間違いであり、実際には身を守ってくれた。指輪を擦り、その場にがっくりと膝を付く。強化の効果が消えた。酷使された肉体と精神が休息を求めていた。
セージはロングソードを引き摺るようにして運搬していくと、荷物の元にやってきて、片づけを始めた。二連式クロスボウを回収して手元に置く。
酷い疲労が肉体に伸し掛かっていた。怪力の化け物とまともに剣を交えるために腕と脚を強化した反動がやってきたのだ。腕はしくしくと痛んだし、脚は油を長年注していないからくり人形のようにがたがただった。倦怠感、重圧が全身にへばり付き、休息しなければ暴動を起こすぞと脅迫をかけてきていた。
深夜ということもあり、眠気も酷い。濃縮した牛のミルクの如し。
犬のような四つん這いで這っていくと適当な地面を見繕い転がった。
「さすが……ロウの発明品ってか………あ~疲れた……」
そう一言呟くと首無し騎士と遭遇したときと同じように目を瞑った。
ところが眠れない。眠気があるにもかかわらず一向に睡眠に落ちる気配がない。心拍は高く、全身の筋肉が熱い。眠気はいつの間にやら薄めたワインのように味気なくなっていた。
「くそ、眠れない……」
地面の上で寝返りを打つ。顔を手で覆って星と月の僅かな光を遮ってみた。
どれだけの時間が経過したか、いつしかセージは寝てしまった。