LXIX、
ヴィーシカを特徴付けるものとは何か。
彼女は多くの長老のように強大な魔術を有しているわけではない。初歩的な魔術ならば使えるのであるが、専門家からは程遠い。桁外れの強さだけで長老になった、それだけなのだ。ゆえに批判も大きく、彼女自身がそれを自覚している。
逆に言えば、得意分野ならば負ける要素が無い。
彼女の最大にして武器にして最大の防御―――怪力である。比喩でも、誇張でもなんでもない。全身甲冑を着込んだうえで龍狩り用の巨剣を担いで岩という岩を飛び移りながら戦っていたこともあったくらいである。
ヴィーシカは鋭い放物線を描き飛来する矢を文字通り腕力だけで掴み取っては捨てる作業をしながらも、街の陰に駆け込んだ。あろうことか、矢は空中で一度ぐっと天に向かうや、狙い澄ましたようにヴィーシカの頭上目掛けて再加速して鏃を突き立てんと襲い掛かってきた。
「面妖な……この精度只者ではない。我が里に欲しいくらいであるが……」
ヴィーシカはおもむろに足元の石を拾うと、投擲した。空中で矢と石がぶつかり、砕け散る。
ふぅ。溜息を吐くと、物陰に身を隠す。
街に放った火が徐々に広がりをみせているようで、鼻を刺す焦げ臭い煙が空を覆いつつある。
狙撃手は、目視できないはずの地点に正確に放ってきたのであるから、なんらかの観測手段、なんらかの誘導手段を所有していると考えるのが自然である。事実、矢が誘導するのを目視した。観測手段もあると考えるのが道理である。
しかし、この攻撃には致命的な弱点があった。矢の宿命とも言える点である。
「火力が足りん。不意を打てなかった段階でお前の負けだ」
誰に言うでもなくそう呟いたヴィーシカは、多少狙いの甘くなった矢の狙撃を掴むまでも無く不規則なステップで躱すと、上空に目を凝らした。この騒ぎだというのに逃げ出そうともせず、秩序ある周回を続けるカラスを発見した。
考えを思いついたヴィーシカが物陰から姿を晒すと、カラスが首をその方向に向けた。不自然過ぎる動きだった。
脳裏に浮かんだことがある。鳥の意識操作、もしくは使い魔による索敵。
――これこそが、まさに、観測手段ではないのか?
「仕掛けはそれか!」
トリックを看破した。
刹那、ランダムな蛇行をしながら矢が街の上空に到達、今まで以上の速度をもって一直線に突っ込んできた。いちいち躱すのも面倒だが、剣や盾を持ち合わせておらず、かといって生半可な板切れでは貫通されてしまう。そこでとったのが迎撃である。手ごろな屋台にあった瓶を投げつける。衝突。進路を逸らされた矢は地面に半ばまで埋まった。
まずカラスを撃ち落とさなくてはならなかったが、遥か上空を旋回するカラスに命中させられるかは運任せであり、街を逃げ出す間射ち込まれ続けるのは面白くなかった。どうやら狙撃手はヴィーシカに執着しているようであるし仲間が離脱するまでは撃たれ続けるのも正解と言える。
ヴィーシカは続く矢の落下を駆け足で躱すと、扉を蹴り破って家屋の中に潜った。内部は既に無人でここならばカラスの視界から逃れられるはずであった。思惑通り、矢は途端に精度を失い、家屋の壁に刺さるだけだった。矢の追尾にも限界があることも利用した。まさか地面すれすれを滑空しつつ窓をブチ破ってはこないであろうと。
「………さて………」
家屋であぐらでもかいていれば矢は来ない。少し待ってから騒ぎに乗じて離脱後、合流すれば目的は達成できる。狙撃手が仲間を狙わない限り。
ふとヴィーシカは家屋の隅にそれが転がっているのを目にとめた。使い道も無く、しまう場所も無く、かと言って売れるかどうかも微妙なので放置しておいたであろうそれを。
そしてヴィーシカはそれのそばにしゃがみ込むと、ヴェールの奥でにんまりと笑った。
狙撃手にとって、その奇襲は予想外の出来事であった。物資調達のために寄った街で大爆発が起こるなど、誰が予想しようか?
傭兵家業をやっていた男は曖昧模糊な概念ではあるが『直感』に反応して目を覚ましてみると、街の一角で火災が発生したのを目撃した。すぐに敵襲と理解したが、勢力は不明であった。
街の護衛も、殺害任務も受け持ってはいなかったが、眠りを邪魔されて頭に血が上り、自慢の剛弓と使い魔を準備して狙撃体勢に移った。索敵してみれば、体型が自分好みの女性が馬に乗ろうとしているではないか。様子から、襲撃者と判断した。これも直感であるが、男は自分の感覚を信頼していた。
躱せるもんなら躱してみなの軽い気分で弓を射た。
あばよヴェールの美女、と。
が、あろうことか人外染みた身のこなしと腕力で矢を空中で掴みとられた。呆気にとられたものの、偶然だと思い直し全力を込めて狙撃を行うも悉く躱されるか迎撃を受けるか掴み取られた。
こいつ、只者じゃない。
傭兵の男は女性を強者の分類に入れた。
そして、狙撃を一時取りやめ、移動せんと窓から身を乗り出した直後だった。
なにか小さい棒のようなものが上空を回転している。目のピントを調整して見れば、それは棒状で、人の身長を遥かに越えるものであるどころか重量も人を越えるものであることが分かった。
それは、丸太だった。
丸太が空中をぐるんぐるん冗談のように激しい回転をしながら鋭い放物線を描いて一直線に我が方に向かってきていたのだ。
男は最初それが丸太であると解析したとき、見間違えではないかと考え、さらに目を凝らした。がしかしどこからどう見ても丸太であり、象の突進よりなお凶悪な威力を秘めているであろうことを理解してしまった。
「ン? ン? ン、おおおおお馬鹿野郎!」
男は口に咥えていたタバコをぽろりと落とすと、罵声を吐き窓から飛び降りた。
次の瞬間、すれ違いのタイミングで、男が宿泊していた部屋に丸太が轟音と共に突き刺さり、寝室を粉々にしてしまった。
哀れ地面に落下した男は頭を擦っていたが、ふと顔を上げ、二階の部屋にこれでもかと男らしく屹立する丸太を見遣り、いよいよ目を丸くした。回避が遅れたら部屋の染みになるところであった。
男は、背筋に鳥肌が立つのを自覚した。
美女の類、もしくはカモと思いきや、その実バケモノを相手にしていたのである。多くの戦場を渡り歩いてきた男でも、丸太をおそらくは素手で投擲できる女を相手にしたことはなかった。
「ヒャー、こいつぁタダモンじゃないね。面白くなってきた」
男は服の埃を叩いて払うと、顎の無精ひげを指で擦りつつ丸太がやってきた方を見つめた。
ふと、男に気まぐれな思いつきが浮かんだ。
まずは目立たないように丸太を引っこ抜いてから荷物を纏めて、襲撃者を追おうと考えた。
ヴィーシカは丸太を投擲した余韻に僅かな時間浸っていた。
が、おちおちと留まってもいられないと、すぐに姿勢を正すと街の混乱に紛れるべく駆けだした。
丸太を投げた奴がいる――という噂はなぜか広まることがなかったが、離脱を最優先に考えた彼ら彼女らが知る由もなかった。噂どころか丸太自体が消滅していたことも。
ヴィーシカは全速力で建物の屋上から屋上に飛び移って高速で移動し、やっと馬の列に追いついた。ヴィーシカが合流したときには既に攻撃は完了しており、全員が揃っていた。
平原にぽつんと生えた木の陰にて、月光を背に馬に跨った一同が並んでいる。遠景に、燃え盛る街と、朱色に侵された漆黒の空。かすかに香るきな臭さに馬が鼻を鳴らした。
ヴィーシカは馬の後ろに堂々と跨りながら、隊長の方に言葉をかけた。対する隊長は機敏な手綱捌きで馬を寄せる。
「隊長よ、我とあなたで隊を二分して予定地点で落ち合おう!」
「任せました、長老殿」
「長老ではないと言っておろうにっ……まぁいい。ウム、では行動を開始しようではないか、諸君」
「それではご無事で」
一団は、街の襲撃前と同じように別れると、目的地に向けて馬の列を進めていった。
セージは話を聞いていたが、重要な部分を聞いた後は街を見つめていた。まるで暗闇の海にぽつんと孤立した光の島だった。赤、オレンジ、黒、群青、茶色、白、数えきれない色の群れが成すマーブル模様が街を覆いつくし、人が次々と逃げ出していく様子が遠くからでもはっきりと見えていた。立ち昇る煙は僅かな風に流されて、地を這ってから天にのびている。
並走する馬の後ろに腰かけたルエは、街よりもセージを見ていた。月明かりと街の火に浮かび上がった憂い顔を。