LXVIII、
襲撃決行のときががやってきた。
一行の準備は完了しており、キャラバンの集まる場所、王国の荷物が大量に運び込まれる日、物資の内容、兵の詰所の場所と配置などを十全に把握していた。度重なる議論の末に、夜中に荷物ごと燃やし尽くして離脱するのがよいという結論を得た。
それから数日後、街外れで少人数のキャラバンが忽然と姿を消したという噂が立ったが、一行の襲撃と無関係とは言えまい。
多くの人間は――エルフも含めて――自分が災厄に巻き込まれるなど考えもしない。明日が明日へ繋がっていくと頭から信じ切って油断している。訓練されたつわものであれば警戒を怠るまいが、交易都市を守る素人集団には想定の範囲外である。
魔術で少し精神を誤魔化せば、怪しげなキャラバンもごく普通のキャラバンに様変わりする。
その夜。セージらは襲撃の直前になって任務を遂行していた。すなわち、街を守る門の守りと留め具を破壊するためである。
「他愛もない」
ヴィーシカの言葉がゆるりと漏れる。
彼女の眼下にはひれ伏す格好で気を失っている門番が計三人。いずれも男。彼女はその豊満な肉体を誇示して気を惹き、近づくと、男らが鼻の下を伸ばしたところでその強靭な肉体から繰り出される突きを鳩尾に向かい連射して瞬時に意識を刈り取ったのだ。男たちは何が起こったかも理解できずに夢に落ちたであろう。
セージはヴィーシカとルエが周囲を見張ってくれている間に、門の留め具を外していた。門の構造は以外にも単純で、門の左右を丸太で動かないようにしているだけであったので、その丸太をえっちらおっちら外して転がすだけでよかった。
門の隙間の向こうには、キャラバンに扮したエルフの味方が既に構えていた。件の隊長であった。
隙間越しに言葉を交わす。
「準備完了です。すぐに行けます」
「お前、丸太外しやがったな」
「いけませんでしたか?」
隊長は隙間から視線をやり、地面に丸太が転がっているのを咎めた。
「あからさまに怪しい証拠を残してどうする。目撃されたらおしまいだぞ。丸太の裏を削るなり焦がすなりしてブチ破れるように細工して戻せ」
「慎重ですね」
「頭の悪い賊を装うには仕方がない。力技で破ったと誤解させろ」
「やっておきます。我々がキャラバンの荷物のとこで派手に火柱あげますんで、それを合図に突入して荒らしまわってください」
「よし、やれ」
セージと隊長は頷き合うと、さっと身を引いた。セージはルエとヴィーシカにも手伝ってもらい丸太に細工をすると門に戻し、見張り達を藁の中に隠すと素早く行動した。
暗闇から暗闇を駆けてキャラバンの集まる一帯に戻れば、戦闘準備を整える。王国への積荷が集積された場所が狙いだ。
異変を最初に察知したのは、犬だった。人間よりも生物学的にも魔術的にも察知に優れた彼らが街に生じた異変に耳と鼻をひくつかせるのに、そう時間がかかるまでもなく。
ズンッ……。
キャラバンがたむろする一帯から小爆発が上がった。震動が地を揺らし、建物を軋ませた。地震か。寝ぼけた住民やキャラバンのメンバーが目を開くもすぐに寝てしまった。
「“フレイムボール”ッ!!」
次の瞬間、街を貫く火柱が地上から生えるや、その熱が瞬く間に膨張し、水面に滴を垂らした僅かあとのように、地上の大気を根こそぎ巻き上げながら収束し、建物の真上に巨大な火球となりて存在を誇示したのだった。
中二病こじらせたようなネーミングセンスと言うなかれ。
「ルエ!」
「はい! “風よ、爆ぜろ”!」
次に、火球にルエが短剣を掲げ、スープをかき回すかのように一回転させた。イメージするは即ち『爆発』。火球が俄かに竜巻の気配をちらつかせた刹那――爆発、幾多もの小さき火の球に分裂して四方に飛び散った。衝撃波が街並みを揺らし、寝ぼけた住民たちを起こす。泡食った鳥たちが一斉に夜空に逃げ始めた。
街中で爆発が起こったことで、詰所にいた兵士たちはもちろん、街に住まう者たちも何事かと一斉に行動を開始する。あるものは龍でも攻めてきたかとベッドから落ち、あるものは剣を掴もうとして転倒し、あるものは屋上に上がって街の一角で火災が発生しているのを見た。
敵襲か? 事故か? 盗みか? 天変地異か? それとも埒外の事象か?
物事の判断がつかず、しばし騒然とする街に対し、答えを与えてくれる音が存在した。
ワーッ、という鬨の声である。
いつの間にかに開かれていた門からどっと流れ込む、フードを深く被った怪しげな一団。
一団はあたかもあらかじめ知っていたかのように兵士の詰所に次々押しかけては一方的な攻撃を行い、残りは街の中枢へと馬で猛烈な進撃を駆け、火を放ち、屋台をひっくり返しながら目標のものまで目指す。その浸透速度たるや電光石火。街の防衛戦力が整う以前の状況を正確に把握する段階で既に目的の半分を達成していた。
セージは魔術行使で荒くなった息を整えるなど面倒なことはせず、手当たり次第の積荷に火を放ち、味方の方に駆けた。ルエ、ヴィーシカが続いた。
「成功しましたね!」
「大まかな。逃げきれなくては十全とは言えまい」
「そうですよ。まず逃げなくては!」
セージが言えば、ヴィーシカとルエが答えた。
成功したなどと嬉しそうな口調をしつつも、内心では火を放ったことで街が被る人的被害について考えていた。ためらいは無い。後悔があった。
セージは通路を塞いでいた荷車の上に手をかけ下半身を横にどけて飛び越し、中腰で着地してすかさず走りを復帰した。次にヴィーシカは荷車の上に手を付き空中で前転を決めて着地。ルエは飛び越せないと悟ったか、魔術の風で推進力を付けて強引に飛び越した。
騒ぎに気が付いた人々が通路に溢れてはいたが、セージらが襲撃者であるとは思いもよらないのであろう、右往左往するばかりで妨害といえば邪魔の一点のみだった。
男を避け、女を避け、老人を避け、狭い通路を走る。人々の悲鳴や怒号と、火が燃え広がるという圧迫感を背に、狭く混雑した上に散らかった街をただ走った。
大きな通路に出た。屋台やお店の並ぶ直線道路だ。そこに予定通り三騎の仲間が待ち受けていた。周辺の住民はここに至って三人も仲間だと気が付いたのか、金切り声をあげて逃げていく――。
セージは剣を腰に差すと、仲間の手をしっかり握って馬に飛び乗った。ルエも多少もたつきながらも乗った。最後の一人、ヴィーシカだけは馬に乗らなかった。
遥か遠方、ありもしない塔を睨み付けている。すなわち、街の上空をじっと見つめているのである。それは襲撃という現在進行形のもとにおいて、酷く悠長に思われた。
「早く乗ってください!」
「まて、しばし待つのだ」
セージの乗る馬の手綱を操る仲間がそう言葉をかけた刹那、ヴィーシカが目にもとまらぬ早業で一回転した。
ふわりと裾がめくれ上がった。
チッ。ヴィーシカが舌打ちをした。
「こんな辺境にも腕利きは潜んでいるか」
すわ何事か。
セージは見た、ヴィーシカの手には確かに矢が握られていたのだ。目視すら許されない高速の矢が空間を貫きやってきたのをセージらに命中しないように空中で、しかも素手で掴み取ったのだ。ペキリと音を立てて矢が掌の中で粉末になった。
更に、ヴィーシカは両腕を鳥のように広げた。刹那、その両手には矢があった。超高速二連射を受け止めたのだ。
狙撃を受けている。
一行が感づいたのはこの段階になってからだった。すかさず三騎手が鞭を振るい、馬をせかす。いななき。両前足ががくんと持ち上がるや、馬が駆けだした。
「長老!」
「長老!」
「案ずるな、後で追いつく!」
去り行くセージとルエを背に、長老はひらりと手を振るついでに矢を砕いて見せた。