LXVI、
年頃の娘が二人、正体不明の布の塊が一人、街並みを歩いていた。
一人はヴィヴィ。元々着てきたのが余所向きな服だったこともあり、購入せずにそのまま街に潜入することができていた。貴族のお嬢様であると伝えても疑問を抱かれない美しい容姿といかにも魔術師ですと主張する杖の組み合わせから、後ろに続く二名は従者か身内なのだと無言で情報を散布していた。
もう一人は“女の子”。いつもの服を着込み、装備を外してナイフだけを懐に忍ばせていた。容姿の幼さと、元気溌剌な雰囲気が逆に弱々しさを醸し出す。
目を引くのは、ヴィーシカ。やたらと大柄なそのものに合う服など無くて、ありあわせの服に顔や手を隠すヴェールや手袋を身に着けており、まるでミイラが出歩いているかのようであった。
と言っても交易の街において妙な格好の人間はそう珍しく無くて、三人の姿はごくありきたりな貴族と従者か、商人の娘と連れか何かのように見えていた。
街は活気に満ち溢れ、黒肌の者、白い肌の者、赤っぽい肌のものなど、多民族が入り混じっていた。
「ここ」
口元にうっすら笑みを浮かべたヴィヴィが指差したのは、看板だった。そこにはいくつかの言語で『服屋』を意味する文字が刻み込まれていた。
ここに至りセージは悟った。ヴィヴィが船でやたらと可愛い服を着せようとあれこれやってきたことと合わせて考えてみれば、答えを導き出すのはそう難しいものではなかった。
セージが服屋の前で唖然となった。
「ここって……」
「女性ものの服屋、であるな……」
もう一名、唖然として固まる。ヴィーシカである。約二名は固まったまま動かなくなってしまった。その二人の手に柔らかな手が巻き付き、がっちり捕まえる。
振りほどこうと思えば振りほどけたはずだが、二人して動くことができなかった。
ヴィヴィが、嬉々として二人を服屋の扉の奥に引きずり込まんとした。
道を行く人たちの奇異の視線が容赦なく突き刺さる。
「じゃ、入りましょう!」
「ちょ、ちょっと待つのだ。我はこのような店には入れぬ!」
凍結状態からより早く回復したのはヴィーシカであった。ヴィーシカはヴィヴィの手をぐっと引き止め、頑として動こうとしない。まるで足が地面と同化してしまったように。
ヴィーシカはあからさまにヴェールの奥でモゴモゴと言い訳を並べ立てた。ただでさえ聞き取るのが困難な掠れた潰れ声だというのに、ヴェールの奥でくぐもることで唸り声以下のノイズに近い音に変化していた。
「我がこのような店に入るなど許されることではないのだ……服を買うということは寸法を測らなくてはならぬわけであるし………ああどうして……とにかく我は外で待つ……」
「いいから!」
グイッ。
全身甲冑を着込んだうえで大剣を担げる筋力を発揮するはずのヴィーシカを、ヴィヴィの細腕が難なく引き寄せ、店内という空間に引き込む。ブラックホールのように。
セージは、ヴィヴィの瞳が肉食獣が如く爛々と輝いているのを目にして、抗うのをやめた。刹那、セージの小柄な肉体は店内へと吸引された。
「はい、腕あげてー」
「はい」
「もう少し上げてー」
「はい、これで」
セージは服の寸法を測られていた。首回り、肩幅、腕の長さ太さ、胴回り、足の長さ太さetc……。担当のお婆さんは手慣れたもので、瞬く間に全身の寸法をメモに書き留め、解放された。
一方、ヴィーシカは激しく抵抗していた。セージを担当したお婆さんとよく似た顔の女性が寸法を測ろうと服をまくらんとするのに対し、あれこれ言い訳を放ちつつ逃げまわっていたのだ。
女性は困った顔を浮かべていた。
「待つのだ! 服を上げるということは――!」
「そのようなことを言われましても、上からでは正確に測れません」
しびれを切らしたのはヴィヴィであった。ヴィーシカの耳元に密着し、囁いた。悪魔的な内容を。
「もう素直になったらどうです? 女性でしょう?」
「……………」
長い沈黙があった。
セージは寸法を測られた上にお嬢ちゃんかわいいねぇすぐにいい服仕立ててあげるからねぇそういえば昨日お隣さんが――とお婆さんのマシンガントークにくぎ付けにされていたので、二人の会話を耳にすることが無かった。
ヴィーシカはヴェールの中で苦々しげに息を吐くと、ますます密着して言葉を紡いだ。
「隠し通せんか……いつ気が付いた」
「とっくのとうに。お店に入る前どころか船で見かけたときに女性だなって気が付いてましたよ。女性ものの服屋に連れ込んだ時点で察してくださいな」
「むぅ、我が演技を見破るとは、やるな……」
「演技もなにもバレバレじゃないですか。色々と」
「そ、そうなのか!?」
「はい」
驚くヴィーシカと、呆れるヴィヴィ。そう、長老たる“彼女”は、実は女性だったのだ!
……なんのこともあらん、魔術で鎧の中身を見通しただけなのだが。強力な加護を受けた魔術品ならとにかく、物理防御に拘り過ぎた鉄の塊など、ヴィヴィにとって障害にはなりえなかった。
ヴィーシカが本来身に着ける鎧は魔術的な加護を幾重にも重ね合わせた特注品なのだが、この旅の任務のために彼女の動きに耐えるだけの品を急造したので加護が弱かった。
という裏事情を知るはずもないが、とにかく中身を透かしたのだ。透かしてしまえば、内側に女性が佇んでいることなど、文字通り一目瞭然である。防衛があれば透かすことなどできなかったであろうが、まさか身内に透かされるとは思ってはいなかったのか、難なく覗くことができた。
ヴィヴィはにこにこと笑い、ヴィーシカの高い位置にある肩を抱いた。
まるで生娘を口説き落とす貴族のボンボンのような甘い口調で囁く。二人だけにしか言葉が聞こえない程度の声量で。
「逆に考えましょう。ヴィーシカ氏の姿は誰も知らないのなら、思い切って女性な服を着れば誰一人見抜けません」
「なるほど……」
「ということでお店の人お願いします」
説得を受けたヴィーシカは、素直に寸法を測られだした。唯一、顔を見られることを嫌がった点を覗いて。
状況は大まかヴィヴィの望み通りに展開していた。
「ばっ……ばかじゃないの……? 馬鹿じゃねーの! おかしーから、こんな服ぅ!」
セージが叫ぶ。顔色はリンゴが風邪をこじらせたようだった。
服を作るにあたっては、とりあえず既存の服を着てもらってからという話になった。セージは『任務が優先だろ、いい加減にしろ』と抵抗してみたが、あれこれと話をこねくり回された挙句、説得されてしまっていた。女の話術に男性は勝てないのだろうか。
最初に着たもとい着せられたのは、目立つことを目的とした踊り子の衣装だった。
合金製ながら細やかな造形をしたサークレットに、顔の前面の開いた赤いヴェール。小ぶりな胸と、腰回り覆い隠すは鴇色の布。ヴェールと同じ色の紐がくびれをキュッと締め付けてアクセントになっている。手首、両足首はシンプルな輪飾り。大理石にナイフで切れ込みを入れたように目立たないお臍が丸見えだった。
『素材』がいいだけに、セクシーさを前面に押し出した衣装を着たその姿は、宮廷に仕える専属の踊り子のような美しさを醸し出していた。
涼しい衣装だった。特に足とお腹と胸が涼しかった。というより恥ずかしかった。
生まれてこの方スカートに属する女性的な衣装を避け続けていた“女の子”にとって、その衣装は業火のような羞恥心を呼び起こすに足りる布地の少なさだった。ポーズをとるような真似ができずに、地面を睨み付けて拳をプルプルと震わす。
店員のお世辞も耳に入らないくらいには恥ずかしかった。
「さいっ………こうっ……!」
それこそ涎を垂れ流さんばかりに恍惚とした表情を浮かべていたヴィヴィが、ぐっと手で合図をした。船でできなかったことを思う存分やれるので楽しくて仕方がないといった様子である。
キャラが変わってるじゃねーかとセージは心の中で毒づいた。
セージは、それとなく腰布で足の付け根周りを隠しながら、ヴィヴィの方を赤い顔で睨み付け、店員に言った。
「もっと動きやすい服は無いんですか!」
「ありますよ。少しお待ちくださいね」
すかさずヴィヴィが店員にくっついて店の奥に消える。
天井からぶら下がった布切れや服が風に揺れた。
「私が選びますっ!」
「はーい、どうぞ、これなんてどうですー?」
残されたセージは、ほかの人の視線を浴びるのが嫌で、壁際に寄った。脱ぎ捨てるわけにもいかず、かと言ってすることもなく、時間が過ぎるのを待った。
少しして、大柄というより単純に縦に長い人物が脱衣室の幕を手で除けながら現れた。その人物は明らかに慣れない様子で服の裾を引っ張ってみたり、位置を直したりしていた。
服が変わっていたせいで認識が遅れた。
その人物は長老だった。
「このような服が、な……羽のように軽いことは確かだが……」
「誰……? ヴィーシカさん?」
ヴィーシカは誰か耳をそばだてて居ないか気配を配り、人差し指を左右に振った。
「本名を口にするのをよせ。我は腐っても長老である。それにしても随分防御力に欠ける服を着ているな」
ヴィーシカの服は、着物を思わせる平面構成の上服と、動きやすさを重視したスカートだった。特筆すべき点は頭に巻かれた布と首筋を隠すヴェール程度で、シンプルさを極めていた。
ただ、デカかった。それに目を見張った。薄い色の布に覆われた胸元から隆起するのは丘という単語では説明できない規模を誇る山脈だった。元の世界における巨乳のグラビアアイドルさえ超越したサイズであった。男性のように張った肩幅の下に、巨人の握りこぶしが張り付いているが如しだったのだ。
一体全体、今の今まで胸が無かったはずなのに、どう仕舞い込んでいたのか疑問が尽きなかった。包帯でグルグル巻きにしていたのか?
胸を無視しても、鍛え上げられた肉体は素晴らしく、シンプルな服と合っていた。意図せず生まれるくびれの角度、筋肉の乗った腕部の流線、スカートの布地を僅かに押しのけるすらりと伸びた足と、セージの目からしてもハイレベルに纏まっていた。
残念なのは顔が露出せずのままだったことくらいだが、本人が火傷で酷い有様であると語っているのだから、見せてくれるわけもなかった。
ヴィーシカはしばらくスカートを弄っていたが、やがて不満げに溜息をついた。潰れた喉からはグルグルと言った奇妙な音しか漏れなかったが、それなりに付き合ってきたセージには、それが溜息と分かった。
「性に合わん。ひらひら揺れるなど面倒の極み。我の知る戦士の中にはスカートで視界妨害をやらかす奴もいたが、我にはできん。おーい店員よ変えてくれ」
丁度その時、ヴィヴィと店員が出てきた。服を大量に抱えて。
ヴィヴィの視線がぬらりとヴィーシカの上半身下半身を見遣った。
「……変えてしまうんですか………」
「ウム。邪魔くさい」
「でしたら仕方ありませんね」
「そうだな」
なぜかあっさりと了承を受け、ヴィーシカは奥に消えた。
セージは嵐のように服を着替えた、着替えさせられた。さすがにはぎ取られはしなかったのだが、半ば服が消し飛ぶような速度で着替えた。
「可愛い!」
「ヴィヴィぃ、暫く会ってない間に妙な趣味を持ちやがったなぁ……」
一人やんややんやを受けて、頬がリンゴ色から煮込んだトマトに変色す。
涙目のセージは、幾何学的な刺繍のある薄青色のワンピースを、穴があったら埋まりたい気分で着ていた。男のように振る舞うセージが萎れて、なおかつ女性的な服を着ていると、女性のそれにしか見えない可愛さを放っていた。
ヴィヴィは狂喜乱舞せん勢いでセージの手を握った。セージは拗ねて視線を逸らすと、鼻を鳴らす。
「べっつにいーじゃないのお。女の子は可愛い恰好するものよ。神が許さなくても私が許すわ」
「“神”かーあんちくしょうが発端だったなー」
恥ずかしさを紛らわすために現実逃避に入る。事の発端は“神”なる糞野郎だったなと。もし“神”がこの場を観察していたら、愉悦に浸っていることだろう。
『○○が無いのが悔しいところだがな』などと注文さえつけるだろうか。
セージの言う神とヴィヴィの捉える神はもちろん別物である。よって次のような会話に流れる。
「何、霊視体験でもした?」
「なんでもない。とにかくこんなヒラヒラした服はヤだな」
男物で一生突き通したいよ。心の中でだけ発言しておく。
「そうね、動きにくいもの」
「敵に仕掛け……じゃなくて強盗に襲われたとき、逃げられないからさ」
着せ替え人形ではいられないと、セージはきっぱりと服の是非を自身で下した。否と。
セージの戦闘スタイルは機動戦である。魔術とクロスボウで牽制をしながら機会をうかがい、懐に飛び込んで致命傷を食らわすなどが中軸なのだ。ワンピースなどもってのほかである。
すると予想に反してヴィヴィは深く頷き、同調した。決して着せ替えを楽しんでいるわけではない。任務上必要な服を調達するためにあれこれ試しているからだ。
……本当である。多分。
「だからって!」
次に着せられたのはやたらと布地が少ないドレスだった。
足は丸見え、腿もスカートが短すぎてほぼ見え、お腹も丸見え、背中もザックリ開いてほぼ見え。元の世界ならコスプレで済ませられたが、この世界ではいかがわしい職の服である。全力でブン殴ってやろうかとしたが何とか堪え、次の服を着る。
セージはうんざりした。
「……なにこれぇ」
黒塗りの服。足、腰、お腹、胸、腕に至るまでをぴっちり密着する艶消しブラックのそれ。ご丁寧にもマスクまでついていた。いわゆる盗賊ルックである。
が、言うならば『風呂敷に手ぬぐい』を身に着けた泥棒並みにステレオタイプな盗賊服であり、なぜ服屋にあるのか首を捻らざるを得なかった。
次の服。
「……なぜだ……」
全体像は、ドレス。ワンピース調の衣服を豪華に飾り立てた一品。
ただし真っ白。
白無垢。結婚服。要するにウェディングドレスであった。この世界においても婚約は白い服と決まっている。セージらのいる文化圏ではの話に限るが。
セージは、羞恥が麻痺するどころか頂点に達しかけていたところでウェディングドレスを着てしまい、ブーケの代わりに自分が人ごみに投げ込まれたいと投げやりな考えを起こした。ポーンと人ごみに投げ込まれればどんなに愉快だろうか。
店員に指示して一番動きやすい構造のスカート(本人はズボンがいいと指示したが断られてしまった)を用意させて履いたヴィーシカが、うっとりとセージを眺めるヴィヴィの横に並び、腕を組んだ。そこに店員も加わった。
いっそ殺してくれとセージは苦悶した。腕をすっぽり覆う白手袋を投げつけて決闘を申し込んでやりたくなった。
顔を両手のヴェールで隠し、指の間から視線の主を窺う。
ヴィヴィはうっとり、ヴィーシカは感心、店員は複雑そうな顔をしていた。
「よくありましたね」
「貴族のお流れ……おっと、仕入れてきたもんなんで質だけは本物です」
カチンと来た。頭のどこかで血管が自壊するのを感じ取った。
セージは白無垢の手袋を脱ぐと、ダンッと床を踏みしめた。猫が威嚇するように背を丸め、大きい青目を更に見開いて。
「いい加減にしろっ!」
結局、ごく普通の女性服に落ち着いた。