LXIII、
植民地と一口に言っても想像されるような奴隷国家というわけではない。
ブルテイン王国のやり方は国家を丸ごと併合してしまうのではなく、武力的制圧、もしくは経済的に掌握した後で政府上層部や王族貴族たちを脅迫して傀儡化するというものである。名目上、相手国側が『自発的に』従っているとなっているが、他国は白い目で見ている。
であるからして王族貴族領主は植民地の人間なのだが、ただ富を差し出すだけの日々を送っている。
そこで、戦後の優位性を約束するような密約を持ちかけたらどうなるだろうか?
答えは言うまでもない。言うまでもないが、一端の兵士として運用されるセージたちにとって世界情勢はマクロの領域であってミクロの視点においては話題にはなっても考慮すべき事象になりえなかった。
船旅は順調だった。
貿易船は裕福な商人らの“支援”のもと、道中で堂々と街や橋を通過しながら、内陸へと向かいつつあった。
セージはヴィヴィ達女性陣にいわゆる女性的な衣服を着せられそうになったので逃げまわった。上陸して早々に戦闘をおっぱじめるわけにはいかないので、ある程度はフリをしなくてはならない。つまり、商人になりきらなくてはならない。にも拘らず年頃の娘が貧相な服装のままでは疑われる。ある程度はいい服を着なくてはならない。
頭脳では着る必要性を認知しているセージであったが、本能的に嫌がった。まだ成長の途上であるがために男の子にも見えなくもないとはいえ、いずれは体が女性のそのものになる。そう、いずれは女性の服を着なくては不自然に見える時がやってくるのだ。
世の中には成人しても男だか女だかわからない人物も存在するが、セージは現在進行形で女性寄りだった。ならば未来でも女性寄りの容姿に成長するであろう。
たとえば胸が出てしまったら? 明らかに胸があるのに男の格好をしていては、変人も変人、異端と取られても不思議ではない。宗教的文化的な違いを許容するエルフ族とはいっても、男の子は男の格好、女の子は女の格好という縛りは明白に存在する。処罰は受けないまでも変な奴という目で見られる時がやってくるであろう。
しかしセージは、戦いに身を投じた戦士であれば格好に縛りがないことを知っていた。
力のなさを痛感したという理由もあるであろうが、無意識では戦士ならば女性を感じさせることなく生きていけるなどと考えているのかもしれない。もっとも本人はそのようなことを熟考しないし、考察もしないが。
セージが彼女らのピンク色空間から抜け出してすぐに、それと遭遇した。
なぜ今まで気が付かなかったのかと思うくらいに存在感のあるもので、しかし周辺の人はまるで気にした様子がなかった。
船の最後部に、巨大な鎧が佇んでいるのだ。
その鎧の人物は、肩背中から布きれを垂らし、腰などには旅の装備をして、いかにも商人の護衛を装っているものの、鉄の塊としか言いようがない剣を背中につけ、腕を組んで過ぎ行く景色を見つめ続けるさまは、城を守る衛兵のようであった。
フルプレート装備に、斬ることのみを目的としているであろう鉄塊剣を背中にぶら下げ、まるで微動だにせずのその人物は、少なくとも素人ではないであろうことが容易に感じ取れた。
しかもただの鎧ではなかった。分厚く、黒光りしており、各部には補強のためであろう金属板がベタベタと打ちつけられていた。肩、頭、膝には突起物があり、体当たりや蹴りの際に刺突効果を付与するのだろう。
剣も、尋常なものではなかった。肩幅に迫らんばかりの剣の幅に、成人男性と比べても頭一つ高い身長と同じか少し超えるかという刃渡り。ギラギラと日を反射する刃はびっしりと魔術文に覆い尽くされ、異様な雰囲気を纏っている。
そして装備の主も普通とは程遠かった。仁王立ちする人物の背中から香る、戦士のオーラが目に見えんばかりであった。
不自然だったのは、雰囲気こそベテランだというのに、装備一式が新品であろう光沢を放っていたことである。つい最近こしらえましたと言わんばかりなのだ。
「不思議だ」
声がした。ガサガサと掠れた低音。酷く聞きづらく、くぐもっていた。
鎧の人物の声と認識したのは、次の言葉が紡がれたときになってからだった。
「切れた糸を繋ぎなおした……。一度切れた糸を完全に繋ぎなおした? 馬鹿な」
「あの、何の話ですか」
独り言とも語りかけとも取れる言葉が発せられた。謎めいていた。
セージは訝しげに眉に皺を寄せながら、そっと鎧の隣に並んで過ぎていく風景を見つめた。
再び鎧が唸り声に酷似した言葉を発した。
あたかも鎧に意思が宿りしゃべっているかのようだった。無論、兜の奥に陽光を反射して煌めく双眸があり、確かな呼吸のもとに甲冑が膨らんでは萎んでいるからには、中に人がいるのであろうが。
「なんでもない。それよりも我と話しているのはよくない」
「なぜです?」
「よくないからだ」
「はぁ、よくわかんないですけど」
何やら誤魔化そうとする鎧の人物に、これ以上の追及は無意味とみたか、セージは押し黙った。
その時、やっとセージを追ってきたルエが艦尾に姿を見せ、鎧姿を一瞥した。彼は驚かなかった。すたすたと寄れば、セージに声をかけた。
「ここにいたんですか、探しました」
「おーっす。女の子たちがさー、ドレスやらひらひらした服やら着ろ着ろうるさくってさー。逃げてきちゃった」
「そ、そうですか。それは残念ですね」
「残念も何もよかったくらいだよまったく」
セージは振り返ると柵に体重をかけるような姿勢をとり、上着の裾をひらりと捲った。男女兼用の――やや男性よりの活動的な衣服からこじんまりとしたお臍が――みえずに中着が覗いた。ルエの視線が一瞬固まるのをセージは目にしながら、内心『楽しいなこれ』などと不適切な考えを起こしていた。
ルエはいかにも惜しそうに視線を逸らせば、鎧の仁王像に目を戻した。
驚きはなく、ただ情報を得んとする目つきだった。彼の瞳は鎧から剣に移る。
ルエが声をかけた。
「こんにちは」
「………また会ったな、悩み多き青年よ」
「以前も言いましたが兜を外して頂けませんか」
「だが断る。これは我の顔である。我の頭である。それに船に乗るときに身分証明は済ましてある。不審人物ではないのだからいいではないか」
鎧は饒舌に反論を並べると、カチャカチャと音を立てながら艦尾から俊敏に歩き去った。何やらその様子は、知られたくないことがあるから場を立ち去ったと言わんばかりであった。
セージは唇に手を当てて考察をしてみたが、すぐに諦めた。
ルエがセージの横に並び、なにやら手で囲いを作って顔を寄せてきた。内密な話があるのだろうと察し、耳を貸してやる。エルフ式の内緒話の定番、耳を引っ張って方向を変えるやり方で。
「僕の見立てが正しければ、彼――もしくは彼女は長老の一人です」
「冗談だろ……」
ナンセンスだとセージが首を横に振った。里を指揮すべき長老が前に出っ張ってくるなどありえない。よほど戦いの実力があるか、里の指揮をほかの者に任せられる環境下に無い限りは。
ルエは一瞬言いよどむと、人差し指で宙を撫ぜるようにして鎧が去った方向を指した。
「いいえ。長老の一人が該当します。その方は血筋で里の長に据えられ、実際には妹が里を仕切っていると言われます。そしてその方は怪力を誇り、戦場では巨大な剣を背負って縦横無尽に駆け巡るそうです」
「それって」
「はい。あの大きさの剣を背負いながらさらに鎧を着こんで平然としていられる人を、僕は一人しか知りません。鉄の里の長、ヴィーシカでないかと」
「はーんなるほどねー。でもわざわざ危険な任務に出っ張ってくるもん?」
「ヴィーシカが危険を好むのは周知の事実ですから」
「なるほど。任務の成功率は100に近づいたようなもんかな」
「だといいんですけど」
二人が深刻な顔をしている一方、鎧の人物はまた違う場所で船から見える陸を睨みながら腕を組んでいた。
よし、バレてないなどと能天気なことを考えているとはさすがのセージとルエにも予想できなかった。