LXII、
“女の子”と一行は船に乗っていた。戦闘装束は脱いで高価な衣服に身を包んで。
セージは見慣れぬ風景をぼーっと眼球に映していた。警備、帆に風を送ることなど、仕事があることにはあったが、当番ではなかった。要するに暇だった。船にあった本はあらかた読んでしまったし、訓練しようにも船内は狭すぎた。せめて陸地ならば話も変わっただろうに。
ヴィヴィと再会した後、ワイバーンで一路大河へとやってきたセージとルエは、エルフと連合国が共同で遂行する作戦に参加したのだ。エルフ側の方針が変更となり支援から攻勢へ変化が起こったらしいが、詳細を知ることはできなかった。
作戦はこうだ。貿易船を装い侵入して植民地からの特産品を詰め込むと見せかけて兵や兵糧を水揚げするのだ。ブルテイン王国内部の役人を買収して口止めも忘れず行っていた。戦争状態にないなら外交問題になるだろうが、戦争中なら極論なんでもありである。国際条約なる優しい約束ごとも無い。要は勝てばいいのだ。後は歴史が判断してくれる。
植民地に侵入した後は、現地住民を誘導して反乱を起こさせ、連合国軍と共に進軍を開始する。
しかし、大規模な艦隊がわいのわいのと大河を遡り始めれば、ブルテイン王国に気が付かれてしまう。装甲化された砲船を使うのも論外である。そこで抜擢されたのは高速性能の高い商船だった。
と言っても所詮は民間の船と変わりない。それに河川では機動性を活かすこともできない。もし大軍が押し寄せてきた場合、相手がただの手漕ぎボートでも陥落するだろう。求められるのは感づかれないことである。緊急時にはワイバーンが駆けつける手はずになっているが、あくまで最後の手段なのは言うまでもない。
セージは金属製の水筒に口を付けると、気まぐれに従い足を動かした。南洋特有の浅黒い肌をした屈強な船員にあいさつ。焦げ臭い廊下を通って、階段を登る。
ノブを握り、開けようとして力不足を認識し、肩で押す様にして開ける。外気が扉の隙間から流入して抵抗力となったのだった。
船の最上階は、見張り場でもあり休憩所でもあった。遠眼鏡とクロスボウを装備した船乗りが四隅に立っており、中央には廃材の机と椅子があり、トランプ(絵柄と枚数が違うが)遊びに興じる船員がたむろしていた。
キョロキョロと視線を彷徨わせてみたところ、その人物がいた。
エルフは外に出る際には耳を隠すよう言いつけられているのでフード付きローブを着込んでいて顔は見えなかったが、後ろ姿だけで判別できた。なぜなら背中に宝石の付いた大杖を背負っていたからである。
船員らの好奇の視線を無視し、歩み寄らん。
「ヴィヴィ」
「セージ? どうしたの、眠そうな顔しちゃって」
「眠くは無いけど……暇で」
ヴィヴィが振り返った。身長はヴィヴィの方が高いので視線が水平にならない。
ませた雰囲気のあった彼女も成長を遂げて、すっかり大人びていた。
とりあえず二人は船内に戻るとヴィヴィの部屋に向かった。すぐに上陸するとあって部屋は小奇麗に整理整頓されていて、個人の性格を窺い知れるようなものの置き方がされていない、いわばデフォルトの状態だった。
二人はローブを脱ぐと椅子でくつろいだ。
「………」
「? 何かしら」
「や、なんでもない」
セージはじっとヴィヴィの姿に魅入っていた。ヴィヴィが首を傾げ訊ねてきたので曖昧に誤魔化す。
出会ったときは肩までしかなかった髪は腰まで伸び、末端が緩やかに波打っていた。濃いブロンドの流れが光を反射してシルクのように表情を変える様は、一つの芸術品だった。また、両左右から髪をとって編み上げてあった。
瞳は深いグリーン。狩人さながらの力を内包していながら、水流に研磨された宝石が如く魅力を放っていた。魅惑の魔術(チャーム)を使っているわけではない。造形の美しさが成す自然の魔術とでも言おうか。
瞳はもちろん、通った鼻筋、眉、ふっくらとしていて血の気色の唇、どれもが淡い輪郭の顔に寸分の狂いも無く乗っており、遺伝子の成す奇跡を感じさせた。
セージがつい見てしまう部分はある意味で兵器だった。
品のいい衣服を押し上げる、たわわに成長した果実が二つ。丘などという生易しい単語では表現できないそれらは大陸の東西を隔てる山脈が如く隆起していた。上からなだらかに線を描いて降り、頂上から急に麓に辿り着く。腕の位置が変われば柔軟に形を変える。肺に空気が入れば微かに上下した。
ヴィヴィは足を組んでいた。肉付きのいい、しかし贅肉の無い美脚が交差している。彼女らしく動きやすい簡素な靴を履いていたが、活発な印象を強調していた。
セージはヴィヴィを見つめる一方、内心では混乱状態にあった。精神が男性ならば女性を好きになってもおかしくはないが、体は女性である。ただでさえ精神が男性とも女性とも言えぬ灰色に佇んでいたところに、強烈な恋愛感情を抱いてしまい、アイデンティティーが揺らいでいた。クララの場合は憧れと母性だったのに対し、ヴィヴィに抱いたのはloveだったのだ。
気の迷いと一蹴するのは容易いが、果たしてこの感情は偽りか真実か判別が付かなかった。
再会の喜びと誤認していると心を納得させた。
「本当に久しぶりよね。基地が燃えてるの見て、もう会えないのかなと思ったのだけれど、無事でよかったわ」
「回収されたらいきなり別の作戦への参加って厳しいって」
「同感。私も別のところで戦ってたらある日ワイバーンに乗ってエルフを呼び集めに行けって命令が来たの。情報の場所に居なかったら自力で探せって、もうくたくたよ」
「でもかっこよかった」
「褒めても何も出ないわ。お茶もお菓子も切らしちゃってて、お水しかないの。残念ね」
二人は打ち解けて話していた。昔は丁寧な喋り方をしていたセージも砕けた風に会話をする。
どうやらヴィヴィは別のところで任務についていたところ、ワイバーンでエルフの回収を行えと命じられた後、植民地侵入作戦に参加しろと追加で命令を受けたらしい。命令に次ぐ命令。移動に移動を重ねた彼女は疲労を湛えていた。セージも同じく疲労していたが、船で寛ぐうちに和らいでいた。
「そうそう、魔術は使えるようになった?」
「鼻血は吹かないよ。熱風吹かせるけど」
「今度機会があったら模擬戦でもやりましょうよ。私の成長っぷりを見せてあげるわ」
「うげ……昔ボロ負けしたのに勝てるかなぁ」
「剣を使うの?」
「うん、射撃はへたっぴだし、槍は性分に合わないし、かっこいいし」
「かっこいいからって剣……セージらしいわね」
「ヴィヴィの杖って魔術専用? 殴れそうだけど」
「一応殴れるわ。でも魔術用ので殴ってたらいくら替えがあっても足りなくなっちゃうじゃないの。うん………今度補強してもらおうっと」
「殴る気マンマン?」
「唱えて殴れる魔術師ほど頼もしいものはないでしょ」
成長したのは魔術だけじゃないよなと、本人が聞いたら憤慨しそうなことを考える。
あからさまに胸を見れば怪しまれる。かといってチラチラと時折目を向けても怪しまれる。理性でもって頭ごと制する。
いずれにせよ船内で模擬戦は不可能なので、陸に上がってからになりそうだった。
セージは視線を逸らし丸い窓から外を覗いた。風景は相変わらずだった。
「戦争はどうなるんだろう……」
「さぁね。殺して殺されて平和が作れるなんて虫のいい話だけど、やらなきゃやられるわ。頬張られたらあごの骨をカチ割るのが原則でしょ」
ぽつりと呟いたセージに、ヴィヴィが肩の辺りで両手を広げた。