LIX、
セージの予感は的中したとも言えるし、まるで的外れだったとも言える。
北の国家の特徴である騎兵達が群れを成して北の方角から押し寄せてきたのだ。おかしなことにセージ達が旅してきた間のタイムラグを計算に入れると、辺境の基地の襲撃から時間をあけて本隊が来たようなもので、対処してくださいと言わんばかりの行動ということになる。基地の襲撃――もしくは進軍が陽動だったにせよ、敵方の戦力が集結するまで待ってから本隊を進めるなどと言うのは奇妙である。騎兵の利点である機動性を活かした戦術をふいにしたも同然である。
――実は、基地を襲撃したのは北の国家の軍ではなかったのだが、セージは知る由も無い。
なんとか小さな町に辿り着いた二人であるが、通貨も交換できる物品も持っていなかったので、野宿をした。一応、連合国の町なので襲われる心配は無く、井戸を使えば無尽蔵に水が手に入るとあって、のんびりすることができた。念には念を入れて耳は隠して生活した。疲れを癒してもっと大きい街へ逃げる予定だった。
耳は隠したが、外部に耳をやらなかった。
ある夜、それなりの規模を有する騎兵達がどかどかとやってきた。町の乏しい防衛戦力と睨み合ったが、衝突すれば騎兵の津波で踏みつぶされることは明白であった。彼らの司令官らしき男と、町の代表者が話し合いに入った。町はいずれ北の国家に受け渡されるだろう。蹂躙されるのと、食糧や労働力の幾分かを渡して命を助けてもらうの二択しか提示されないだろうから。
町はほぼ占領状態にあった。セージとルエが気が付いた時には既に町中に兵士がうろつくまでに事態が悪化していた。
“女の子”は布をローブ風に仕立てた服を纏い、旅商人を装っていた。ルエも同じく旅商人に成りきっていた。エルフは連合所属の戦力であるから、耳を露出させてはならなかった。
なんとか機会をうかがって町から抜け出さなくてはいけないというのに、悪いことに兵士達は町を封鎖して住民一人一人を調べ上げようとしていたのである。もちろん、旅人もである。町で略奪を働かない辺り、統制のとれた誇りある軍隊なのかもしれないが、敵兵となれば話は別であろう。
セージは腕を組んだまま、壁にもたれかかっていた。さっと目くばせをする。
夕日が地面を闊歩する時間帯と、ローブのフードが相乗効果を出し、彼女の顔は暗黒の中にあった。
「どうする?」
囁く。
町を抜け出そうとすれば、兵士に呼び止められて素性を明らかにせよと言われるだろう。身分証明など必要ない。顔を見せろと命令され、フードを脱げばエルフと発覚、捕虜となるか殺されるかである。
早く対処に移さなくては、大勢の兵士に囲まれた状態からの脱出をすることになる。大立ち回り(ドンパチ)は避けたい。
ルエもまた、腕を組み、口を開いた。
「賄賂はどうです」
「いいね。通貨、宝石、貴重品、なんか持ってるか?」
「全く」
「短剣は賄賂になるかね」
「厳しいです」
セージがルエの腰を指さす。ルエは腰の短剣を取り出すと、鞘から抜いた。煌びやか、豪華、と言った表現からは程遠い、術の掘り込まれたそれ。宝石も貴金属の欠片も使われていない質素な短剣は賄賂にならない。ロウの品となれば価値があるかもしれないが、証明したら証明したで怪しまれる。
二人が自給自足の旅を続けてきたことから分かるであろうが、無一文である。通貨の一枚も所持していない。
ミスリル剣があればよかったなとセージは悔やむも、どうにかなるでもない。
唯一価値がありそうなものと言えばそれしかないと二人が一斉に目を向けた先にあったのは、のんびりと地面を蹄で掘り返す馬であった。健康状態も良く、気性も大人しい。毛並も美しい。
「それとも、俺がちょいとばかり色気でも使ってみるとか」
馬の鐙をぽんぽんと叩き、おもむろに提案してみる。胸は無いけどと付け加えて。
セージは美少女である。鏡に映った姿や、男の子の反応などから、己の外見が美しいと理解しているのだ。長旅と戦のストレスで性的欲求の高まった兵士を釣るのは容易いであろう。
だが、ルエが頑なに拒絶した。首を振り、短剣を腰に差す。
「いけません。僕が許しません」
セージが喉をくつくつ鳴らしつつ壁際に戻ると、演技臭く腕を組んで肘でルエの体を突っついた。
「……ふーん、色気を使って呼び寄せたところで服を奪おうかって言おうと思ったのに。いやらしい想像でもしてた?」
「………」
ルエ沈黙す。
してやったり。深読みを誘ってみたところまんまと引っかかってくれた。詳細は口にせず曖昧にぼかすことで相手の想像を擽ってみたのだ。狙いは的中した。
セージはフードの位置を直し、耳に触れて外から見えない位置にあるのを確かめると、頭を振る反動で壁から離れ、馬の手綱を握った。
「ウダウダしてらんないぞ。行くぞムッツリ」
「ムッツリ!?」
「……大声出すなバカ。とっとと賄賂渡して町から逃げないと、後悔しても仕切れなくなる」
「す、すいません」
セージが歩き出すと、ルエが後ろに続く。そこでふとセージは面を上げると夜空を睨んだ。懸念材料があった。そしてそれは、身の破滅を呼び寄せる可能性を孕んでいる。
「賄賂が通用しなかったらどうしようか」
「命に代えても守ります」
淀みなく答える男に、心中にさざ波が立つ。相手が抱く好意から生まれる意欲であることを理解していても、真正面からキザな台詞を吐かれると、精神も、心の臓も乱れる。
だいぶ体に心が引っ張られてきたか。例えようのない寂寞を味わう。
唇を硬く結び、歩き出す。向かう先は町の外。道を見張る兵士の居るところだ。下調べの結果、一人しか兵士が居ない通路を見つけてある。
「止めろよ、自分だけ逃げりゃあいい。むしろ里の長老の弟であるお前の方が、俺に守られるべき」
「里は兄が居れば安泰です。僕はしたいことをします」
「俺に価値は無い」
「あります」
「……フン、恥ずかしげも無くよくぞまぁ」
道を曲がる。馬は従順に引かれてついてくる。ボロ屋の横を直進。右折、小道から町の外へ出ると、小道にあるこれまた小さな門の前で槍を右に携えた軽鎧の兵士が道を通せんぼしていた。目を凝らしてみると、門の外に馬に乗った兵士がおり、ぼーっと空を眺めている。数分前には居なかったはずだが、今更引けない。
接近してくる怪しい風貌の二人組を目にとめた兵士は、槍を構え、冷たい声を浴びせかけた。
「止まれ! お前達、何者だ!」
セージはへこへこと頭を下げつつ、平素の男っぽい乱暴な喋り方を封印して年相応な可愛らしい声色を使う。兵士に一歩一歩距離を詰めた。兵士が退く。一歩詰める。距離は変わらず。
「お忙しいところゴメンナサイ……私達、旅の商人の者なんですが、お兄さんと取引したいんですよぉ」
猫なで声を使ってみる。
セージは背筋に鳥肌が立つのを感じた。自分の声なのにである。
「………そっちのお前はなんだ?」
兵士が仏頂面でルエを顎でしゃくる。門の外にいる兵士がこちらを睨んでいるのが、兵士の肩越しから窺えた。
セージはまたも頭をさげると、口元に柔らかい笑みを浮かべてルエの肩付近をゆっくり叩いた。
「お兄ちゃんです。私たちのことはいいとして、お取引しませんか?」
「………言ってみろ」
セージは、兵士の眼球の奥底で興味の光が蠢くのを見逃さなかった。
ここぞとばかりに擦り寄っていくと、兵士の手を握った。硬くてごつごつした手。兵士は振りほどこうとしたが、胸元に引き寄せると大人しくなった。上目遣いに兵士の顔を覗き込む。存外若かった。
門の外で監視を続ける兵士が、馬で近寄ってきた。曲者かと警戒しているらしい。
「実はお兄ちゃんが商売で失敗しちゃいまして、すっからかんなんですよぉ。知り合いの旅商人がすぐそこまで来てるっていうので、家まで送ってもらおうかと」
「それで?」
「だから、お兄さんにこの子をお譲りします。どうです? それなりのお値段にはなるいい馬でしょう? ちゃんと蹄鉄打ってあります。そうそう、何を隠そう元は軍馬です。もちろん鐙とブラシなんかも差し上げます」
「……ふーむ……」
兵士が馬の検分に入った。言葉通りに蹄鉄は打ってあるし、健康状態も良い。筋肉の付き方、毛並、顔、若さ。田舎で農業に用いられる馬とは違うと判断する。
相手に考える隙を与えると怪しまれる。今しがたの説明にだって致命的な大穴が空いているのだ。疑問を投げかけられるのは時間の問題だった。
先手を打つ。
セージはセールストークをつらつらと流し終えるや、馬の手綱を握らせてウィンク一つ。外に出たいから馬を賄賂に黙ってくれということである。兵士は黙って手綱を見つめると、おもむろに空を仰いでこう言った。
ちなみに空は闇が大部分を覆い隠しているだけではなく、紙を丸めたようなグシャグシャ雲が四割を占めていてお世辞にも『晴れ』とは言い難い様相である。
「ああ今日は晴れてるなぁ」
「おい、そいつらは何者だ」
馬に乗った兵士が門のすぐ手前までやってきて、セージとルエを順番に指差した。町の外に人を出すべからずと命じられているのだ。
すると、賄賂を渡した兵士は馬に乗った兵士に頷くと、馬を槍で示し、次に町の外を示した。馬に乗った兵士は小刻みに数回頷くと、さっさと行けと言わんばかりに手をひらひらさせた。
かくして二人は町からの脱出に成功したのだが、馬と言うアシを失ったのであった。
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数日間忙しいですあしからず