LVII、
この世に安全なところなど無いのだなと実感したのは、基地が炎上しているのを目にしたからだった。遠距離からでも分かる盛大な燃えっぷりで、夜空を赤く化粧していた。
翌日。すっかり炭になってしまった基地の前にて。
安全なことを確かめた二人は基地を調べた。死体も、怪我で動けない者もおらず、馬の一頭も残っていなかった。矢も使われていなかった。どうやら、基地を放棄した後から敵がやって来て燃やし尽くしたようだった。食糧は、近隣の村の備蓄も合わせて全て消えていた。味方が持って行ったのか、敵が持って行ったのかを判断することはできなかった。なぜなら、村人も消えていたからである。
腰を屈め、地面を観察する。
「蹄の痕の数が尋常じゃない。基地と村の馬の数を合計しても、こうはいかない。あと、やってきた方角が、俺が正しければ北の方からだ」
“女の子”が北の方角に人差し指を向けると、ルエが頷いた。
「彼らが攻めてきたと考えるのが自然ですね」
北の国家が好んで使う戦法は機動戦術である。戦略的及び戦術的な機動の要は馬である。北から大量の蹄がやってきているから、北の国家が攻めてきたと考えるのが自然だった。
だがセージは首を捻ると、顎に手をやった。
どうしても違和感がぬぐえなかったのだ。
「それにしちゃおかしいぞ……ここは攻める価値のない辺境だったはずだ。次の町までどれだけかかるかも分からない。それに、基地を焼いたのも変だ」
「誰かに使われる恐れを減らすためでは?」
「誰かって、連中が使えばいい。とりあえず燃やすなんてことより、ここを拠点に使えばよかったはず。なんか変だ。証拠は無いけど……」
「一応、頭には置いておきましょう」
北の国家は馬鹿ではない。攻めるというのはつまり国家を陥落させるということであり、わざわざ占領する価値の無い街が遠い場所から侵入するより、より近い国境から侵入すればいい。北の国内ならば気が付かれないように移動できるし、対処もし難かろう。
距離が遠ければ兵糧の確保にも手間取る。特に人家の期待できない辺境では、略奪以前の問題であるからに、運搬の必要性が出てくる。
と言っても、全ては推測と憶測によるもので、確固たる証拠がある訳ではない。
戦力を呼び寄せるための陽動かもしれないのだ。だとすれば侵攻すると見せかけるだけなので、なんら不自然なことは無い。『狼煙』の代わりに基地を焼いたとすれば不思議どころか合理的である。
補給など関係なく、食糧となる羊でも連れて行軍していたのかもしれない。
セージは立ち上がると、これからの事を考えた。基地が無いというのは、身を守ってくれるものが無くなってしまったことと同意義である。もはやここは危険地帯に他ならない。エルフが連合に肩入れしているのは知れ渡っているので、一度エルフとわかるや攻撃を仕掛けてくるだろう。
「で、どうしようっか」
セージは手ごろな基地の残骸を蹴っ飛ばしつつ、ルエに今後の方針について訊ねてみた。返事など解り切ったことだ。基地の残骸を組み直して野営しましょうなどと言うはずがない。
ルエは馬の腹を撫でつつ返事をした。
「連合の方に逃げるべきですね。一番いいのは近場の基地へ向かうことですが……」
「そうだな、基地の場所がわかってれば基地が安全だ。敵に襲われてなければな」
「あと……場所が」
「分からない」
二人は基地の残骸を一瞥した。壁は崩れ、屋根は落ち、家具や扉は砕け、瓦礫と化した家屋。柱は辛うじて直立を保っているが、見る影も無くボロボロ。基地の位置を記した地図は、間違いなく炭になっているだろう。探すだけ無駄というものだ。焼失を免れているとすれば基地の味方の手元にあるだろう。
これからの旅は、敵を避けながら安全圏を目指すと言う危険なものである。
だが、セージの不安は少なかった。ルエという相棒と馬の存在があったからである。少なくとも草を食み、森林を掻き分けて進み、ビクビクして旅をすることは無さそうに思えたのだ。
ともあれ進まなくては旅は始まらない。
セージは馬の傍に寄ると、鐙に手をかけた。燻る基地の臭いに馬が鼻を鳴らした。
「行こう、日が暮れちまう」
「はい!」
ルエが元気よく返事をすると、最初に馬に乗って手綱を取った。後から乗るセージに手を差し出したが、一人で乗れると言わんばかりに拒まれてしゅんとなった。
後ろに乗ったセージは彼の肩を叩いて発進を促した。
旅で困ったことと言ったら食料の確保である。水は魔術の応用で作りだせたが、食糧はそうはいかなかった。廃村調査用の食糧は全て食べつくしていたため、自力で調達を余儀なくされた。
広大な大地には木も疎らで、食用の動植物を見つけるのは困難だった。
乾燥した風が砂を巻き上げて水分をあっという間に持って行った。水浴びする水源も無く、雨も滅多に降らない。精神力を削る魔術を何度行使しても水は不足気味だった。
安全の確保であるが、北の国家達の軍隊の痕跡が風で消されてしまっており、どの方角が危険かすら見当が付かなかった。目立たないようにすることと身分を隠す以外に策は無かった。
食糧の確保、水の確保、安全の確保、それらが重くのしかかり疲労が蓄積して、旅は酷くかさついたものであった。
やっと見つけたのは野犬の群れだった。飢えた二人は獣のように襲い掛かり全滅させた。血の処理問題はロングソードを高温にして焼切る手段をとった。その日はたまにはいいだろうと盛大に焚火を起こしてバーベキューをやった。
「………」
「………」
人間は――エルフだが――極度に腹を空かせると一言も喋れなくなるらしい。
セージとルエが焚火の前で岩を椅子代わりに腰かけている。二人揃って焚火を見つめており、視線の先には串肉がこれでもかと並んでいる。野犬は痩せていて肉はあまり多く採れなかったが、数が集まれば話は別である。
肉が美味しくないだとか、調味料が無いだとか、関係ない。空腹を満たせればそれでよかった。ギラギラ血走った女の子と青年が焚火の前で微動だにしない光景はさぞ異様であろう。
肉がジュウジュウと油泡を立てている。赤と朱色に晒されて黒っぽい煙を吐き、食欲を誘う匂いを上げている。焦げ目が目立ち始める。野犬が危険な病に感染しているとも限らないので中まで熱が通るまで待つ。
セージのお腹が鳴る。空腹だった。お腹と背中がくっついてしまいそうとも、お腹が空きすぎて腹が痛いとも言える限界状態。唾液が口内を占領中。
どちらがともなく手を伸ばすと、布を巻きつけて串を取り、肉を食らう。
熱々の金属串に接触しないよう気を配りつつ、肉を歯でほうばる。筋が多いので歯で擦り切り、適量を食む。硬く、小さく、そして臭う肉はしかしすきっ腹にはご馳走だった。
「あちち」
セージは無我夢中で肉を食らっていた。
熱さを唾液で相殺してやり、はふはふと声を鳴らしつつ肉を噛む。じわり広がる苦いような渋いような味わいが嬉しい。思い切って頭を使って串から肉を食いちぎり、一気に食べれば串を布の上に置き、次の串を取る。ルエは既に二本目に突入しており、中性的な外見をしていてもやはり男性なのだと意識させる食いっぷりを発揮していた。
セージも負けじと二本目を食らい、三本目を取る。ルエは四本目だった。
焚火が体の前面を熱くしていようが構わない。串を取っては食らい、飲み込む作業に没頭する。いつしか肉の数は減少して、最後の一本になってしまった。あると言えばあるのだが、残りは保存用であるからこの場で食べてしまうことは、愚かである。
セージとルエは同時に手を伸ばし、そして同時に串を掴んだ。
上品で、どこぞのお嬢様を思わせる顔立ちを打ち消す凶暴な光を宿した瞳が男を睨む。中性的で優美な顔に二つ存在する優しげな瞳が、食欲に燃えて、女の子の瞳を睨む。
「………」
「………」
セージが引けば、ルエが引かれる。ルエが引けば、セージが引かれる。引いて引かれて引かれて引いて。串肉が二人の間を行ったり来たり。この間、一言も喋らない。焚火の中で薪が小さく爆ぜた。火の粉が昇り、夜空の星々に混じる。
どうぞと遠慮する余裕は二人に無かった。だが、腕力で争うつもりも無かった。
すっ、とセージが空いている方の手を握って出すと、ルエも同じく出してきた。
「さいしょはグー!」
セージの掛け声と共に二つのグーが上下するや、各々の描く勝利に向かって形を結び、繰り出された。
「じゃんけんぽん!」
「じゃんけんぽん!」
セージ、グー。ルエ、チョキ。セージの勝利であった。
実は、旅の道中でじゃんけんについて教えたのである。『こんな遊びしらない』と言われたので『俺が考えた』と言っておいた。セージのは兎に角、ルエの掛け声はイントネーションが呪文を唱えるそれであり、元の世界でやったら笑いの種にされてもおかしくはないが、ご愛嬌である。
勝者には肉が与えられる。
セージは肉を一口ほうばると、にっこり笑った。
「………」
「あまり見つめるなよ」
セージは食事を隣から見つめる彼の視線に耐えきれず、そっぽを向いた。しかし、やはり視線を感じる。振り返ればひもじそうな表情でこちらを見つめてくる男一匹。育ち盛りの彼にとって敗北は絶望のどん底に等しかった。
セージはため息を吐くと、肉を半分ほぼ食らい、串をルエの手に握らせた。
「半分やるよ」
「いいんですか? いいんですか! ありがとうございますっ!」
幼子のように驚喜する様を見て、可愛いやつだなと思ったのは秘密である。
食事を終えた二人は交替で睡眠をとった。
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そろそろあのキャラと再会させたい今日この頃