LVI、
廃村と言っても、放棄されて数百年経過していたということは無く、数年前、十年前までは活気ある街だったろうことが容易に想像できる、煉瓦と木と藁の複合住宅群であった。外敵の侵入を防ぐための塀が村を覆っており、粗末ながら見張り台が四隅に設けられていた。
だが、村の周囲は草でボーボー。馬車の残骸やらが散乱し、身を隠す場所が無数に存在したため接近は容易かった。見張り塔に各一人しか配置されていないのも好都合だった。村の正面入り口はそれなりの人数で固められていたので、外壁からの偵察を試みた。もし見つかって攻撃を受けた場合にはルエが援護してくれる手はずだった。壁は酷く壊れており、足掛かりもまた無数にあった。
夜陰に紛れて外壁に取り付いたセージは、顔の上半分を覗かせて内部の様子を窺って見た。
村はしんと静まりかえっており、井戸らしき設備のある中央広場に数十人程が集合して火を焚いていた。村の建物に人気は無い。中央と、見張り塔と、正面入り口以外に人が居ないように思われた。
人の様子を探るには距離が遠く、遮蔽物が多過ぎた。虎穴に入らずんば虎児を得ず。ルエに借りたローブのフードを降ろして顔を隠せば、外壁を一っ跳びで乗り越え、侵入を果たす。篝火が外壁に据え付けられていれば発見された恐れがあったが、そもそも無かった。
暗闇を完全に味方に付け、とある家にお邪魔する。
「お邪魔しまーす……」
扉をそっと開けて身を滑り込ませれば、慎重な手つきで閉じる。ドアノブを乱暴に離すような真似はしない。
部屋の中は荒れ放題ではなく、食器がそのまま机の上に置かれていたり、腐敗の進んだスープ鍋があったり、家具の戸が開きっぱなしだったり、生活臭が漂っていた。玄関の方に足を運ぶと、子供サイズの靴が片方だけ放置されていた。何気なく床を靴で歩くと、埃の積載に足跡が残った。
セージは、かつて観賞したテレビの心霊番組を思い出した。たしか、廃墟が舞台だったはずだ。お決まりのパターンで、車がエンストを起こす。そして最後は失神で幕引きとなるのだ。
それは兎に角、このような感想を抱いた。
――――まるである日突然人だけが消えたようじゃないか、と。
何か不気味なものを感じ取ったセージは、左手の魔除けの指輪を擦り、窓際から外部を窺った。
焚火を囲む者達は皆一様に粗末な服を着込み、どこかの戦場で拾ってきたとしか思えない切っ先の欠けた剣や、棒の先にナイフを括り付けた即席の槍、木の板を針金で固定した貧相な盾を装備していた。男たちは逞しい体の者ばかりなのに対し、女子供老人たちは今にも倒れそうなほど疲労感溢れる出で立ちであった。そして、皆一様に首に絞殺痕のような痣があった。
それは、とある身分の者達に特有の特徴であった。
「奴隷か」
セージはそう呟くと腰のロングソードの鞘に触れた。窓の下の陰に身を潜め、腕を組む。
村を占拠しているだけで腰を据えて生活しようとしないのといい、服装といい、装備といい、何より首筋の痛々しい痕跡といい、奴隷の集団であると断定した。スパイではなかろう。スパイなら、もう少し賢く村を使うはずだ。
どこからか逃げ出してきた彼らは、たまたま廃村を見つけて住んだのではないだろうか。
王国や北の国家なら排除も検討に入れなくてはいけないのだが、奴隷では出方を考えなくてはいけなかった。
接触は危険性が高い。エルフのような高値が付けられる種族がのこのこと出て行けば、捕まえてやろうと意気込むだろう。ドンパチに発展しかねない。だが、フードを深く被ってロングソードをぶら下げた怪しい格好で出て行くこともまた危険である。奴隷からすれば、追手が村に入り込んだのかと考えるだろうから。
取るべき選択肢は一つだけ。
誰にも気が付かれないように村から去ることである。
調査は終了、それでいいではないか。
セージは家の裏から出ると、己が失敗を犯していたことに気が付いた。壁の外側はぼろぼろで足をかける場所があったからよかったものの、内側はつるつると健全さを保っていて、とても登れそうに無かったのだ。生憎壁を登る装備は準備していないし、魔術で空を飛ぶ妙技は会得していない。外敵を迎え撃つための登り台か、見張り塔か、奴隷たちの意表をついて正面出入り口から外に逃げるか。
セージが選択したのは、見張り塔をよじ登っていくルートだった。
まさか内部から外に出ようとするものが居るとは思わないし、よりによって見張り塔を登ってくるなど考え付くまいと。
塔とは言っても丸太を組んで作った代物で、梯子を登らなくてはいけない。目立つこと請け合いであるが、頂上に行く必要性は認められない。壁の高度を越えたあたりで外側に伝っていけばいいのだから。
映画だと見張り員を『あばよ』と言いつつ突き落とし、下からの銃撃をひらりひらり華麗に躱しつつ爆発炎上する村を去るのであるが、派手なことは何もなかった。
まず、梯子の一段目に足をかけて、登り始める。
「………つう~……」
塔は雨風で腐食が進んでいて、丸太と丸太の接合部がギシギシと音を立てた。梯子はつい最近つけられたもののようだが、作りが荒く、やはり音を立てた。歯の隙間から息を吐く。極度の緊張で手汗が滲む。
見張り員が梯子を覗き込んだら最後、発見は免れない。天に祈るような気持ちで登って、壁を越えた辺りで丸太に足をかけて伝っていく。元々人間が歩くことを想定していない足場は不安定で、やもすれば落下しそうであり、肝を冷やした。時に斜めに突き出た丸太を手掛かりにした。
丸太から壁の上部に乗り移り、手早く外に飛び降りる。
着地の衝撃を足のばねと前転で殺し、腰を低くして駆け出す。
フードを顔から降ろす。尖った耳がぴょんと元の位置と形に戻った。
合流地点までは少し歩かなくてはいけない。見張り塔から見え難いように草むらや大地の窪みを利用して、野犬のように歩む。暗闇という最大の味方の存在があってか一度も発見されずに脱出に成功した。
大きな三角形型の岩に辿り着いたセージは、ローブを脱ぎつつ、村から見て裏側にまわった。口を布で縛った馬が地面に座り込んでうつらうつらしており、その横にルエが待っていた。
セージの姿を認めたルエはほっとした顔で立ち上がった。
「無事でしたか! よかった……」
「はいこれ返す」
ローブを脱ぎ去るとルエの腕に返してやって、岩の後ろに胡坐をかいた。ルエは、何やらローブを複雑そうな顔で見つめていたが、座るように促されると、着込んで腰を下ろした。
馬が目を覚まして目ヤニの付着した瞳を向けたが、すぐに眠ってしまった。
セージは右肘を右腿にやり右頬の杖とした。
「奴隷が二~三十人いた。首輪はしてなかったし、たぶんどっからか逃げてきたんだと思う」
「奴隷が……どこの奴隷かはわかりましたか?」
セージは首を横に振った。更に接近して調べれば会話から出身や経緯、どんな顔立ちなのか、どのような言語なのか、いかなる方言だったのかなどを知ることができただろうが、安全を優先させたので分からなかったのだ。
頬を撫で、半腰となり岩から村の方を窺う。何もいない。
腰を落とすと再びの胡坐。
「いや。でも、なんとなく同じ場所から逃げてきたんじゃないかと思う。奴隷の集団脱走で調べれば分かるかもしれない」
「数十人単位となると、限られますし特定は容易かもしれません。北や王国以外の国なら……」
「俺らは仕事をこなした。あとどうするかはお偉いさんの判断ってことで」
「そうですね。悲しいですが、彼らがどうなるかは僕達の関与すべきことではない」
「仮に基地に連れて帰っても養うお金も食糧もなければ仕事場もないしな」
一応、書類に纏めることになっているので、要点を紙切れに書き込んでおく。光源は月の光で事足りた。焚火は熾さない。不安定な地域なので、感づかれたくなかった。
紙を懐にしまったセージは馬の横に吊るされている物入れから携行食と水筒の容器を取り出した。にこにこと笑みを浮かべ、まずは水を一口。
「飯食おう!」
空腹に勝る敵なし。
食べたら夜道を戻るのだ。
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サブクエスト回でしたとさ