LIII、
お使いの内容は、街外れの洞窟に潜むモンスターを退治してこいと言う、要するにお使いクエストだった。そんな用事、現地の人か街の兵士にでも頼めばいいだろうに、セージがやる理由は一つしかない。戦って経験を積ませようと言うことだろう。
ロウが渡してきた紙切れにはモンスター退治という内容と、位置情報が記されているだけで、詳細が見当たらない。蜘蛛か、スライムか、はたまた幽霊か。セージは情報を求めて街中をほっつき歩き、人に訊ねてまわった。すると、どうやら巨大な猪が巣食っており、時折抜け出しては畑を荒らしていくそうである。街の兵士達は関わり合いになりたくないらしく知らぬ存ぜぬを突き通した。
街の畑という小規模農園での被害などたかが知れてるし、お役人もわざわざ税金を投じて討伐はしたがらない。そうした結果、猪は現在に至るまでぬくぬくと生活を送っている。そういうことだろう。
深夜。月が雲で隠れる天候。
街外れにやってきた“女の子”は、装備品の調子を確認していた。もちろん城には仕事があると言ってあり、街の警邏にも通達しているので、問題が起こることはない。強盗や自警団に絡まれる恐れは否めないが。
「――――……ふぅ………」
ロングソードを月明かりに晒す。鏡の役割すら果たせる、金属的光沢の美しい剣身。ミスリル製が最高だが、入手は困難だった。無骨な鞘。刃毀れ無し。腰に差す。
使い込んだナイフよし。腰に差す。
二連式小型クロスボウ。弦の張りよし。矢よし。腰の固定具に引っかける。
軽装鎧よし。ブーツの紐を結び直し、きゅっと引く。
指輪よし。
セージは頭を振る反動で腰を上げると、頭に黒い布きれを巻きつけた。モンスターを退治するに当たっては、穴倉に接近するまで、察知されてはいけないのだ。
人差し指の根元まで口に突っ込み唾液に浸し、天を指さす。蒸発して熱が奪われていく。風上を探しているのである。ほどなくして、風はセージに味方しているのを知った。洞窟のぽっかり空いた入口に対し、逆の方から吹いているのである。接近するに好都合だった。
セージは抜き足差し足忍び足で洞窟までの距離を埋めれば、腰のロングソードに手をかけ、入口の横に屈んだ体勢で張り付いた。
選択肢はいくつかある。中に堂々と入っていくか、誘い出すか、大火力で焼き払うかである。最初の選択肢は危険だが、夜と言うこともあり寝ていることが考えられ、討伐はしやすいであろう。第二の選択肢は、相手に対応の隙を与えてしまうが、穴から出た背後を突けるという利点がある。第三の選択肢は、洞窟に火炎を流し込むことで焼き肉にしてやる案であるが、セージの実力では実行に移せないし、万が一にでも内部に人間が居たら、殺人者になってしまう。
セージが採用したのは、第二の選択肢だった。
獣が嫌がる金属音、すなわちロングソードを抜き差しすることで誘う。わざとその場で足踏みをして、目標が出てくるのを待つ。
「……きたっ」
気配がした。ロングソードを抜いたまま、洞窟の入り口の横――つまり内部から出てくるものにとっての死角となりうる位置――に身を隠した。
魔術の発動に備えて、鼻から息を吸いこみ、肺を新鮮な空気で満たす。獣は所詮獣。一度火を放てば、消火はできまい。人のように水を浴びるだの、誰かに布で叩いてもらうだの、考えも付かないだろう。
セージの思惑通りに巨大な猪が鼻を鳴らしながら洞窟から姿を見せた。
ロングソードを使うまでも無く、手を掲げて唱える。
「“火よ”」
『!?』
まるでブルドーザーのように大きな毛並が、突如として炎上した。姿かたちの詳細はオレンジ色に沈んだ。阿鼻叫喚。猪はその場に転げると、大暴れして火を消そうとした。
容赦無用。
セージは猪が暴れるときに振り回される牙の範囲を正確に見定め、ロングソードを槍のように使った。刺して、刺して、魔術を放ち、刺しまくる。決して深々と突き刺そうとはせず、先端で殴りつけるように、刺す。
猪の毛は、何かしっとりとして重厚で、火が消えかけてしまうも、その度にセージは魔術で着火した。火力が足りない時は火炎球をぶつけた。
『―――――!!』
「まじかよ!」
が、猪もさるもの。全身を焼かれ、刺されながらも蹄を大地に突き立て、野生の絶叫を轟かせた。二つの相貌が憤怒に燃える。火炎と暗闇のコントラストが、地面に影を生やす。
セージは殺気に鳥肌が立つのを感じ、小型二連クロスボウを腰だめに連射した。鋼鉄の鏃が猪の足に突き刺さった。再装填は間に合わない。腰に戻し、次の行動の為に目を凝らす。
猪は死ななかった。
身を焼かれ、刺されても、死なない。矢を射られても、死なない。
猪は、あたかも騎乗した兵のランスチャージが如き圧力で迫り、セージをひき肉に変えて焼き殺さんと突貫した。
「ちっ」
舌打ち。セージは横っ飛びに回避し、砂を握りしめながら機敏に起き上がってロングソードを肩に担いだ。
暗闇に浮かび上がる焔の塊は憎悪をもっとも原始的な表現手段の一つ、攻撃によって示す。独楽のように素早く振り返れば、地を蹄で蹴り、突進する。単純な物理攻撃であるがゆえに、少女一人など容易く殺害できる威力を有している。
車は急に止まれない。勢い付いた猪も急には止まれないし、方向転換もできない。ロングソードを握ったまま猪を正面に斜め右方に前転して躱せば、片膝をついて身構える。危険を冒してまで斬り込む必要はない。魔術で燃やしていけば、いつか死ぬのだ。
猪の動きが変わった。
勢いつけての体当たりから、牙を用いた近接殴りへと。命が残り僅かなら、回避のしやすい攻撃ではいけないと判断したか。
「らあっ!」
牙をロングソードに突き込み牽制、返す刃で片目を斬り飛ばす。バックステップ。
猪が怯む。目に見えて動きが鈍ってきた。
手をロングソードに翳す。
「“火炎剣”!」
魂と肉体の結合力を吸い上げ、別の物に変換する。
瞬間、幼き頃とは比べ物にならない熱量が剣を軸に竜巻となりて発生するや、刃が白熱し、光となった。それは完全に制御されていた。剣身こそ太陽のように輝いているが、柄などは元の形態を保っているのだから。
莫大な熱量に猪は気圧されたも一瞬のこと、真正面から体当たりした。それが彼もしくは彼女の終焉だった。
「お終いだ!」
セージが剣を両手で構え、振り下ろす。熱が爆発した。前に指向性を与えられた魔力が、破滅となりて猪の前半分を跡形も無く蒸発、後ろ半分を肉骨片に変えた。衝撃波が同心円状に広がり、地を舐める。頭に巻いた布が飛ぶ。砂埃が立つ。夜の漆黒が翳った。
セージがよろめき、過熱したロングソードを地面に突いてぐったり蹲った。
背後から沈めるはずが、真正面から戦ってしまった。しかも全力を出した。魔力消費は大きく、おまけに高熱に晒されたロングソードは触れれば火傷する温度に過熱していた。ミスリル剣なら十分耐えるのだが、ただの鉄では、下手に扱えば曲がってしまう。魔術だけで剣を構築すると威力に欠ける。そこが困り所である。
セージは肩で息をしつつ、白熱したロングソードを斜に構えて洞窟に潜っていった。
暫くすると、後味の悪い物を見てしまった。
何匹もの小さい猪の子供が一丸となってセージを睨みつけてくるという光景だ。
巨大な猪は母親で、餌を求めて人里にやってきたのではないだろうか。母親なくては生きては行けまい。街の人に報告すれば喜んで狩ってくれるだろう。
「………はぁ」
セージはため息を吐くと、その場を後にした。
お使いは達成したが、しっくりとこなかったのは言うまでもない。