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指輪とは特別な意味合いを持つ装飾品である。ネックレスやブレスレットなどとは違う、契約の意味を持つ。それは例えば世界を左右する強大な力を秘めた指輪であったり―――。
―――結婚の象徴であったりした。
“女の子”は指輪をしていた。事もあろうに左の薬指に。装飾の少ないそれは魔除け効果を有する実用品であり、結婚の意味合いを含まないのであるが、第三者視点からは結婚指輪にしか見えない。
幸いなことに色合いがダークトーンで目立たないが、よく観察する相手には気が付かれる。
セージと再会したルエは、指輪の存在に気が付き、顔を青くしていた。
再会は喜ばしいことだ。男勝りな彼女は美しく成長していて、体当たりを食らわなければ半日は見つめ続けていただろうとルエは確信があった。だが、指輪は喜ばしく無かった。万が一結婚指輪で、セージがにっこり笑いながら『結婚しました』とでも言ってきたら、絶望のあまり自殺を考えるだろう。
ルエがこの城に居るのは、セージと同じ理由であるが、違う理由でもある。実力を養う為に派遣されたのと、ロウに魔術の教えを乞うためである。ロウは大が付く魔術師なのだから。
「任務完了だっ」
「ですね」
厨房に赴いた二人は、メイドに言って美味しい酒をくれないかと頼んでみた。するとどれも出せないが、ロウ様のだけはたくさんあると言われた。ロウが所望であると伝えると、貰うことができた。話を聞いてみると、国側のロウに指示を出す係の役人が酒を呑ませるなと命令しているからだそうである。ロウが言っていた『あの女』とはこの役人のことだろうか。
葡萄酒入りの瓶を片手に戻ってみれば、何やら部屋が騒がしい。
二人は扉を叩く前に、そっと耳を密着してみた。
ロウの倦怠感溢れた声と、情熱的な色気を湛えた女の声が木越しに鼓膜を叩いた。
「―――……君の言う仕事をしているのだからほっといてくれないか。それに、じきにセージとルエが戻ってくるぞ。役人の立場としてはまずいのではと俺は思うがね」
「あん、厳しい顔も素敵ですわぁ」
「寄るな触るな抱きつくな!」
「お仕事お疲れでしょう……? 少しベッドに横になられてはいかが? 添い寝いたしますわ」
「……本気なのか? 冗談なのか? 籠絡せよと命令でも下ったか」
「お仕事は命令ですわ。親密になりたいのは自分の意思ですの」
「気に入らんな」
「では、まじめにお仕事しましょう……夜までねっとりこっとりたっぷり」
「………そうだな、抱きつくな」
「私の地方では友好の印に抱きつくのが普通ですので~」
「どこに触ろうとしている!」
「お・き・ら・い?」
「余りごちゃごちゃ抜かすと、その口縫い合わせるぞ」
「お縛り? やぶさかではありませんわ」
二人は顔を見合わせた。
まるで痴話喧嘩ではないか。
「………取り込んでいるようですね」
「そうだな、俺らの入る隙間もない」
「湖は初めてですか? 案内しますよ」
「頼む」
ということで、二人は葡萄酒入りの瓶を小脇に抱えたまま、湖に向かったのだった。
湖は美しかった。乱れの無い水面から覗く底は、清らかなる青い色を湛えていた。非番の兵士が釣竿を垂れていたり、子供たちが舟遊びをしている、のどかな風景。二人は城から伸びる桟橋を歩いていった。
よく水面下を観察してみれば、ぼろぼろになった鎧や剣が放置されていた。かつて城が戦略拠点として運用されていた時代の名残であろうか。
セージは腰のロングソードを外し、置くと、桟橋に腰かけた。隣にルエが腰かける。
「それじゃ、会わなかった期間のことを話そうか」
「はい」
話している最中でも、ルエの集中力は指輪に注がれていた。だが聞けずにいた。怖かったのだ。
セージは、ルエが手ばかり見つめてくるのに気が付き、変な奴だと首を傾げた。魔除け効果のある実用品なのだから、欲しいのかもしれないと考え、薬指から取り、掌に乗せる。
「何、欲しいの?」
「そうではなくて……」
「煮え切らん男は嫌いだぜ。どうしてもというのならあげてもいいけど」
「そうではなくて………そ、それは結婚指輪ではないのかと……」
「へ?」
口ごもりつつ訊ねるルエの顔は、明日にも隕石が落ちることを計算で知ってしまった学者のように蒼白で、今にも嘔吐してもおかしくなかった。
セージはあっけにとられ、暫しぽかんと口を開けっぱなしにしていたが、やがて我を取り戻すと、かつてのことを思い出したのであった。すなわち、ルエが自分に好意を抱いているであろうことを。そして内心驚いた。指輪についての態度から察するに、いまだに好意を抱き続けているのであろうと。
セージは無意識に手をぱんと打ち、大きく頷いた。合点したのだ。
指輪を摘まみ、人差し指に引っかけてみせる。
「こいつはただの魔除け。俺は結婚してないし予定もないよ」
「……よかった……」
ほっと胸を撫で下ろすルエに、こういう時は何が何でも動揺をおもてに出さないように振る舞うのではないかとセージはおかしな気分になった。
「………素直な奴だなぁ……」
ルエがぎくりと肩を揺らした。セージが吹き出した。
二人がルエの部屋に戻ってみると、エルフを含めた物々しい警備体制が引かれており、すわ侵入者かとびくつくこととなったが、話を聞いてみるとどうもそうではないことがわかった。とあるものが運び込まれたので、やむを得ず厳戒態勢を取ったというのである。
それが運び込まれた先はルエの部屋ではなく、魔術師が魔法陣を組む為に使うという部屋らしい。
二人は大急ぎでその部屋に行ってみた。屈強な兵士が四人も部屋の前に立っており、刺繍で装飾された上品な服を着た女性が苛立ちを隠せず行ったり来たりしていた。
「警備の者です!」
「ロウに師を仰ぐ者です!」
その女性は警備の者を一瞥すると、二人の顔を見て、耳にじっくり視線を注いだ。警備の者に手を軽く振る。
「ロウ様がお呼びだったわ、早くお入りなさい」
扉が、女性の指示で開かれる。次の瞬間、うめき声とも泣き声とも取れぬ絶叫が漏れてきた。二人が戸惑っていると、女性が背中を小突き中に押し込んだ。
部屋は頑丈な石造りを金属で補強した造りとなっており、装飾がまるで見られない。何も知らない人間に感想を聞けば、牢獄のようだと答えるだろう。人一人が大の字で寝られる直径の円が部屋の隅からいくつも描かれており、甘い香りやきな臭い香りに加えて埃臭さが漂っている。
その部屋の中央で、眉間に皺を寄せたロウが屈み込んでぶつぶつと言葉を発していた。
二人が歩み寄ろうと一歩を踏み出した刹那、暴力的な魔力の奔流が部屋の中央から立ち上った。二人は蹈鞴を踏んだ。部屋唯一の不動は、ロウだった。彼は魔力を露として感じさせない佇まいだった。彼は一歩も引かず屈んだ姿勢を取り続けていた。彼の体は、彼の魔術で守られていたのだ。
『それ』に猿ぐつわを噛ませながら、ロウは二人に手招きをした。
「ちょうどいい所に来たな。見てみるといい。本来ならば他の者に補助を頼むのだが………よりによって皆が出払っている時にこいつがやってきた。まぁ、俺ならば抑え込めるし、君らでも問題あるまいよ」
「何事です?」
焦ったルエが腰の魔術短剣の柄に手を置きながら駆け寄ると、ロウが手で制した。そしておもむろに『それ』を顎でしゃくった。
「まぁ、落ち着くのだな、せっかちな弟子よ。こいつを見てくれ、どう思う?」
「…………!?」
ルエは絶句した。彼の想像するものが無かったからである。
それはエルフだった。ただし、褐色肌の至る所に刻印をされた痛ましい姿の。薄汚れた布を服の代わりに着込んでおり、起伏ある体付きだった。女性のようだ。狂ったように暴れているが、魔術により拘束されており、動けないらしかった。
セージが後から追い付き、同じく覗き込むと、絶句する。
セージには見覚えがあった。肌の黒いエルフのことを。RPGなどにはよくダークエルフなる種族が登場するからである。この世界にもいるのかと驚きを隠せないでいたが、『居るのだなぁ』という感想を抱いたに過ぎなかった。
拘束されている―――……ダークエルフは、猿ぐつわから唾液がはみ出すほど何事かを叫び、手足を縛る光を筋力で引き千切らんと暴れている。時折、魔術が風を巻き起こすが、ロウの手から放たれる淡い光によって相殺されていた。瞳に宿るは狂気。黒い髪を振り乱し、脱出せんとする。
セージは、魔術の余波が及ばない領域を見定めつつ、ロウに問いかけた。
「ダークエルフですか?」
「なんだ、それは。ダークエルフなる種族が存在したことは、無い。エルフは、皆一様に白い肌と尖った耳を持つ種族であるとな。それに見てみろ、この刻印は古き魔術……強化を示すものだ」
一度言葉を切り、ロウが断言した。
「この子は何者かに改造されたのだろう」
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ロウとルエが紛らわしい……語感がなんとなく似てるんで何度もしくじってます