XLVIII、
戦争から、半年の時間が過ぎた。
あっという間だったと言えばそれまでだが、セージ、里、世界、それらの要素は少しづつ変わり始めていた。王国に反旗を翻した国の結集した『連合』はエルフと正式な条約を結び、諸国に対して圧政を覆すべく立ち上がることを要求した。王国はこの連合を秩序を乱す暴力集団と認定し、後でも先でも協力関係にある国は容赦なく叩き潰すと意気込んだ。世界は帝国主義と反帝国主義に割れた。
エルフの里では技術提供などの面での支援が行われることが決定され、巨老人の里からはロウなどの優秀な魔術師が旅立っていった。余裕のある里からは出稼ぎの意味合いを含めた傭兵が派遣されるらしい。
世相ではエルフは迫害されるものであるが、それはあくまで王国などの宗教国家がお題目として唱えたことであり、王国にいい気持ちを抱いていない国は関係ない。もとより神に近き者として神聖視されるくらいだったのだから。
セージもなんとか派遣員に入れないかとしたが、当然のごとく撥ねられた。
半年の間、王国と連合は不気味なまでに静寂を保った。
王国は国内の経済状況の悪化に伴う情勢不安に陥っていた。一方の連合は王国の軍備に対抗できるだけの兵力を整えられずにいたのだ。よって拮抗状態が続いた。
その間、里では軍備の増強が進められた。水際で食い止めるために鬼のようにバリスタが増設され、登れないように『返し』もつけられた。ごく少数であったワイバーンは増えて、攻撃隊が本格的に組織された。人間がワイバーンの飼育に成功した事例が出てしまったのだから当然のことと言えた。
セージは毎日を普通の子供として過ごす一方で、里の兵士に混じって戦闘訓練を受け、魔術の修行に没頭した。小さな子供が必死に剣を振るい、魔術を唱える姿は、滑稽であったかもしれない。
そんなある日、里と里の人的交流ということで、渓谷の里から一団がやってきた。逆にこちらの里からはワイバーンに乗った一団が旅立った。
歓迎式が開かれた。と言っても定型文を読み上げて一礼する程度だったが。
一応、組総出で参加となったので、列を作って出迎えた。
無意識にルエの姿を探したのは秘密である。
それから幾年か年月が経過した。
永遠に続くと思われたにらみ合いは、王国内部で発生した反乱を好機とみた連合の先制攻撃から崩れ去った。植民地軍(王国が屑値で雇った)は他の植民地軍と戦うので精一杯だった。多くの国を支配するためには戦力を分散しなくてはいけないこともあってか、王国を守る兵力は比較的手薄だった。
電撃的に軍を進めた連合であったが、それもやがて止まってしまった。
数多くの軍をねじ伏せては隷属させてきた百戦錬磨の王国本隊が王都への道を阻んだのである。植民地軍を退けることができても、本隊は一筋縄ではいかなかった。総兵力だけで計算すれば本隊は連合国軍に劣っていたが、練度、武器、地形、それらの要素では圧倒していた。
連合国軍と本隊がぶつかり合えば、共倒れは必至だった。双方が消滅したのを見計らって北の国家達が漁夫の利を狙うことも考えられた。
そこで王国と連合は条約を結び、一時休戦した。不可侵条約といくつかの条約を交わして。結局、植民地化された国の解放はならなかった。連合は自国の安全を確認すると、安堵したように軍を下げた。
世界は歪な平和を抱えて時の経過をただ享受するのであった。
エルフ側の出方はおおまか一つだった。
エルフへの迫害を止めさせるために王国を倒すもしくは王政を倒すこと。
とある派閥は連合に働きかけて武力行使を誘発しようとし、またとある派閥は王国内部に工作員を送り込んで民衆を煽った。王国の情勢が不安定なことに付け込んだ工作活動は一定の効果を発揮した。植民地の不満が高まり、反乱が頻発するようになったのだ。それでも王国はそれを抑え付け続けた。元の国土が広いこともあり兵力にはことかかなかった。民衆の不満を抑える為に兵に取る人員を削減していただけだったのだ。
不可侵条約の期限切れと共に第二次戦争が幕を開けた。
連合と王国の軍勢は大河を挟んでにらみ合った。
連合側は研究により技術レベルを王国と同程度まで引き上げており、エルフの加勢も合わせれば、王国軍を凌ぐ実力を有するまでになっていた。
一方の王国は国内情勢の悪化から士気が低下していたが、植民地軍や追加徴兵分を合わせれば連合をも超える戦力を有していた。
だが、数年の間に台頭してきた北の国家の圧力もあり、戦争は硬直状態に陥っていた。もし王国と連合が戦えば北の国家がやってくるだろうし、王国と北の国家、連合と北の国家が戦っても、やはり同じことが起きる可能性があった。三勢力の戦闘力はほぼ同等であり、釣り合っていたのだ。
こうして、三勢力はにらみ合ったまま兵力だけを悪戯に増やし続ける時代に突入した。
所謂冷戦の時代に入った現在では、エルフの里への干渉は緩くなっていた。エルフ迫害はそのままだが、里への『定期便』は鳴りを潜めていた。
それもそのはず。連合の支配領の中に里の大半を隠すことに成功したのだから。
エルフ側は技術を提供し、連合は里を守る。理にかなった協力体制が安全を作ったのだ。もちろん、大陸の各地に存在する里全てというわけにはいかないが。
小鳥の鳴き声。
朝。体内時計が無音で時を知らせてくれた。
出発の日だ。
瞳を開いた。慣れ親しんだ天井が迎えてくれた。夜中の間に沸いた粘つく唾液を飲み込み、顔を乱暴にごしごし擦る。白い布団を跳ね除けてベッドに腰掛けた。
一片の曇りも無いすらりと伸びた足先は、ぎりぎりのところで床に接していない。綺麗に整えられた爪先は薄らと血の気を帯びており、若さに張り詰めた二の足を飾っていた。
身を包むは男用と区別の無いであろう白シャツと白い下着。布地から覗く腿は瑞々しく、贅肉の類を削ぎ落した健康的な肉の付き方をしていた。
きゅっと引き締まった腰から上は、いまだ成長の余地を残した、布の上からでもしゃぶりつきたくなる魅力があり、曲線美を体現した丘を作っていた。
その女の子は、肩をグルグルまわすとベッドに寝転がり、布団に顔を押し付けた。夜の余韻が睡眠を呼ぶ。このままでは二度寝になってしまうと布団を退ける。そして、ベッド下の靴を引っかければ、伸びをしつつ立ち上がった。
ブロンドの髪はショートカットに切り揃えられていた。その子の昔を知る人ならば、なぜ切ったのかと訊ねるであろう。理由はある。一つだけ。
髪の毛を割って伸びる細く尖った耳は幼き頃よりも長くしっかりとしていた。
理知的な瞳、通った鼻筋、ふっくらとした唇など、全体的に均整がとれており、髪型と服装をそれなりのものにすればどこかの名家のお嬢様に見えたであろう相貌であった。
“女の子”は毎日欠かさずやっている軽い運動をすべく、ベッドに座り直すと、両足を広げた。足を広げ、体を正面に倒す。健が伸びる。気持ちよくもあり痛くもある。
「ふぅ……」
深呼吸をしながら体を起こせば、足の角度を大きくして、左右に上半身を倒す。下着の隙間から内側が覗くも、気にしない。
一通りのストレッチをした後は、筋トレを行う。本格的に鍛えるのではなく、体の慣らし運転のようなものである。
ベッドの上で軽く腹筋をする。一回一回を確かめるように。
次は、ベッドから降りて床で腕立て伏せをする。数百回はせず、十数回で止める。
すると、扉がノックされた。
「セージ君~?」
「はい、クララさん! ちょっと待ってください、準備しますんで!」
“女の子”は扉の外からの声に答えれば、棚から服を取り出し、着込んでいく。ズボン、シャツ、どれも男物。軽く動きやすく作られた鎧を装備、ロングソードを腰に差し、小型二連クロスボウを専用のホルスターに突っ込み留め金で固定する。滑り止め付きの長手袋を嵌め、魔除け効果のある指輪を付ける。
机の上に纏めておいた私物を背中のバッグに詰め、最後に靴をタンタタタンと打ち鳴らせば、扉を開けた。
変わらず美しいクララが、体の前で手を重ねて待っていた。
「行って。時間に遅れてしまうわ」
「ええ」
この日、“女の子”ことセージは、里の外へ出ることとなっていた。
ロウが派遣された国への追加支援として送られる一団の一人に抜擢されたのだ。
毎日のように訓練を積み重ねてきた努力があってこそのことである。変な目で見られながらも剣を振り魔術を学んできたかいがあった。
クララには仕事があった。送別会には出席できなかった。そこで部屋の前でお別れをすることにした。
クララの手を握る。握り返してくる。しっとりとした肌質だった。
セージは、別れの言葉を言おうとして言えなかった。なぜならクララがまるで母親のように、生活の心配をしてくるからである。面倒くさいとは思わなかった。ありがたくて心が温かくなった。
「ちゃんとご飯食べるのよ?」
「わかってますよ。もりもり食べますからっ」
「うん、よろしい。兄さんによろしく伝えてね」
「はーい」
クララはセージの手を握りながら、暫し逡巡し、やがて面を上げて胸の中に誘った。
「……おいで」
「あぅ、クララさん」
「………」
「………」
「………」
「そ、そのぉ……そろそろ行かないといけないんで……」
セージはクララの胸の中に包まれた。クララは安堵の塊のようだった。優しい匂いがした。照れくさくなって離れると、表情を引き締めて、直立不動をとった。
「行ってきます!」