XLIV、
セージは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の男から相応の報酬を受け取らなければと決意した。
数日後、セージは木の棒を携えてロウの部屋に突撃した。さすがのロウとて訪問者が殺意を滲ませているとなれば怖気付かざるをえない。
血走った目で木の棒を剣のように突き出すセージに、ロウは両手で『まぁまぁ落ち着いて』のジェスチャーをしつつ、机の引き出しを探し、それを取り出した。
「報酬!」
“少女”の剣幕は鬼も凌駕する圧力に満ちていた。
「まて、落ち着け。話せば分かる!」
「問答無用!」
セージは、ロウの頭部に一撃くれてやらんと棒を振りかぶった。目は爛々と、暴力の光に満ちていた。
ロウがさっとその羊皮紙の巻物を取り出し、盾を構えるが如く突き出した。セージの手が静止した。
ロウはセージの瞳に冷静さが戻ったのを見遣ると、にやりと口角を上げ、不健康な白い指で羊皮紙の巻物の腹を叩いた。内心、生きた心地がしなかった。
「これはなんだと思う? 王国の地図だよ」
その情報はセージにとってなくてはならない重要なものだった。
王国の情報は一部の者にしか閲覧できない。現代と違い、この世界では情報は大金を投じなくては入手できない代物である。特に地形や都市の配置などは軍事利用可能な情報であり、そんじょそこらの者が楽に知ることは不可能である。
ところが、ロウは王国の地図を持っている。真贋を確かめる術はないが、偽物を掴ませるような男ではあるまい。
セージは棒を床に放りだすと、無言で羊皮紙を受け取って、その場で中身に目を通した。
王国―――北は雪国、南は南国まで支配権を伸ばす超大国。王国以外の国が点線で記されているが、王国の領域が上から塗り潰す格好になっていた。
地図は王国や他の国に接する部分、街の場所、地形などについては詳しく書かれているのであるが、エルフの里や情勢については触れられていなかった。
食い入るように地図を見つめるセージの後ろにまわったロウが、指で示しながら解説をし始める。
「これが王国の元の領土、そしてこの線が今の領土だ。首都はここ。里の位置は機密中の機密でな、通常の書類に記すことはなんであれ許されないのだが、この里に限っては正確な場所を知られているので意味がない。ちなみにこの点だ」
「よく手に入りましたね」
怪物の粘液の効果を知らされずに採取作業に当たったことに対する怒りはどこへやら、セージは地図を宝物のように抱え、質問していた。
地図とは機密である。ロウは顔を曇らせると、言葉を濁した。
「独自の経路……かな。とにかく、この地図は君のような子供が持っていてよいものではない。クララにも見せてはいけない。目的遂行のためには隠すんだ」
「わかってますよ。ところで、まだ報酬には足りないと思うんですよね」
セージはいいつつ地図をくるくると丸め、付属の紐で筒状に固定した。
自分の部屋には帰らない。報酬は不足であるとして、ロウと目を合わせて交渉を続ける。
「粘液一杯分と地図は同等どころか釣り合わないくらいだと思わないか」
「いいえ? 粘液に催淫効果があると説明があれば別でしたけど」
セージは交渉の材料として、ロウの説明の不手際をついた。やろうと思えばセージが聞いてこなかったからと巻き返される恐れがあったが、押し切ろうとする。
ロウは苦々しい顔をして部屋のガラクタの元に足を向けた。
「君は外見に似合わず“素敵”な性格をしているな。欲がある」
「どうも、童貞さん」
「童貞はいいぞ、体力を頭脳に使える」
「童貞はどうでもいいんでなんかください」
「少しは遠慮しろよ。いいだろう。目的のものは手に入ったことだし。あげて痛いものもあるまいし、好きなものをもってけ」
ロウは鼻を鳴らし、ガラクタを顎で指した。実用的な品はほとんどないに等しい。思いつきと勢いで作って、飽きたので放置して部屋の肥やしと化している品もある。いっそ持って行ってくれた方が整理の手間が省けると考えていた。
セージはガラクタを隅から隅まで見て回った。杖にナイフを仕込んだ品。ひん曲がったビーカー。盾に剣と槍と斧と弓を組み合わせた謎の武器。靴の底に車輪を付けたもの。など。
確かに報酬として持ち帰るには価値の無い物品が多かった。
唯一、利用価値がありそうなものがあった。片手で握れる大きさの二連式クロスボウ。まともに訓練していないが、近距離で取り扱うには十分であろう。拳銃感覚で射ればよい。
セージは付属の矢も一緒に抱え、ロウに訊ねた。
「これください」
「いいぞ。どうせ俺は使わんし誰も欲しがらん」
するとあっさりとロウは頷いた。
セージはクロスボウを携え、何気なく部屋を見回した。
羊皮紙だらけの机の横の作業台に興味深い物体が鎮座していた。それは、肩に担がなくては運べないであろう、辛うじてクロスボウの形をした巨大な物体であった。
弩に取り付けられた箱の構造には見覚えがあった。射出物を詰めておく箱、弾倉ではなかろうか。地図とクロスボウを手の中で弄びつつ、近くで観察する。
ロウもセージの後ろについて歩いてきた。息子にトランペットを買ってやる父親のような雰囲気を纏って。
「連射式の弩?」
「冴えているな。セージ、こいつは連射できる画期的な弩だよ」
ロウが弩の肩当てを叩いた。
連射式と言っても引き金を落とせば次々発射されるのではなく、自動で矢込めがされ、自力で引くのである。それでも全工程を自力でするのと比べれば劇的に早く射撃ができる。
もし、その弩が小さく、軽く、扱いが容易ならば、実戦に投入する機会もあったであろう。
「大きいですね、とっても」
それは弩というにはあまりに巨大過ぎた。大きく、重く、長く、多くの空間を占有していた。まるで巨人の大腿骨だった。
ロウが腕を組んで解説してくれた。
「威力不足を補うために張りを強く、矢を長くしてみた。熊も殺す威力がある。が……」
「重くなったと」
「そんなところだ。器械式の装填器具を使わんととても矢を込められん。いっそ二人くらいで運用することを想定して巨大化してみたらこの有様だ」
弩にはてこの原理を利用した装置がついている。弦を強く張った代償は、人の腕力では矢を込められなくなってしまった点であった。だが器械を使えば威力は上がるが、連射は効かなくなってしまう。
連弩であるはずなのに、連射が効かないのである。
つまり、机の上で静かに横たわっているその兵器は、欠陥品なのであった。
「ゴミですね」
「身も蓋も無いことを言ってくれる。一週間かけた粗大ゴミとは認めたくないというのに」
セージが弩の評価を下し、ロウが項垂れたその時だった。
――――カンッカンッカンッカンッ!!
里中に鐘の音が鳴り響いた。
二人は顔を見合わせ、同時に叫んだ。
「敵襲!」
「敵襲!」
人間による攻撃が開始されたのであった。
「―――見えるか?」
「いいえ。連中、煙幕で我々の視界を遮る戦法に出たようで。焚き始めは隠せなかったわけですが」
「情報源からの報告はまだか」
「来てません。我々の網に掛からず……つまり奇襲です」
「やってくれる」
歳、50前後の男と、30前後の男が羊皮紙を広げて話をしていた。
里と湖の境界を守る砦の内部、司令室とも言うべき部屋でのことである。
そそり立つ砦のあちこちには複数の見張り穴が穿たれ、外から攻撃が入り込まないように格子と網と硝子の三重の防護がされている。その内部には部屋があり、外の様子を窺いながらの指揮を可能としていた。
砦の各所には湖からやってくる敵を排除するためのバリスタには、既に各員が配置についていた。
30前後の男――副指令官に命じられている――が見張り穴から外を覗いた。
湖を越えた先に、不自然な靄がかかっている。魔術の仕業ではない。人間が煙を焚いて視界を遮ったのだ。
お陰で砦からは人間側の戦力を探ることができない。
人間とて馬鹿ではない。何度挑んでも攻略できないのであれば、戦術を変えてくるのだ。
秘密裏に準備が進められていたのか、対策がされたのか、里の外に放ったスパイでさえ攻撃を察知できなかった。
50前後の男――司令官は、ワイバーンによる空中偵察を命じた。
偵察の結果、多数の船が湖を渡っていることが判明した。例え煙幕があろうと、上空から見下ろせば見やすいものである。魔術も併用すれば障害は無いも同然となる。
ワイバーン隊による投石攻撃が開始された。
湖の白い靄の向こう側から、ワイバーンの雄叫びと、人間達の悲鳴や鬨が響いてくる。
矢と魔術の迎撃を受ける中、煙幕の中に向かって岩を投じるのだから、命中は期待できない。士気を削ぐのが狙いである。空から攻撃があると知れば、いつ死ぬか分からないというプレッシャーをかけることができる。
ワイバーン隊は岩を投げ終えてしまい、一斉に帰投した。
お次に、湖の怪物が音も無く触手を伸ばしては、人間の乗る小舟を次々と転覆させていく。
人間側のストレスは計り知れない。霧と煙幕の帳に視界を遮られるなかで攻撃を受けるのが、いかに恐怖をもたらすか。
戦闘の経過報告を受けた司令官は、コップの水をぐびりと飲み干し、苛立ったように羊皮紙を撫でた。
「……煙幕が自らを滅ぼすか。しかし何かがおかしい。我らが里を攻め落とすには兵力が少なすぎる。削りや威圧が目的にしてもだ」
「ワイバーン隊の報告を多めに見積もっても、前回の攻撃の半分にも満たないですね」
副指令が同調する。
そう、里の防御が堅いことは王国側、植民地側のいずれも知っているはずである。にも拘らずこの度の戦闘に投入された戦力は少ない。
定期的にやってくる戦力でさえ、この度の戦闘で確認された数を上回る。
司令官はワイバーン隊に周囲の警戒任務を与えた。
やがて新しい報告が入った。伝令係が息も絶え絶えにかけこんでくると、さっと畏まり、叫んだ。
「ワイバーン隊より報告! 空よりワイバーンがやってきます!」
「応援か?」
司令官は伝令の方を見遣ると、首を傾げた。他の里のワイバーンが応援にかけつける予定は無かったからである。そもそも事実上の奇襲に応援が間に合うわけもない。
伝令係は首を振った。
「人間が乗っています! 我が方のワイバーン隊と交戦に入りました!」
「なにぃ!?」
ついにワイバーンの飼育に成功したか。
司令官は目を剥いた。
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走れメロスとベルセルクのパロを無意識に入れてしまいました。
ロウの前ではセージが容赦なくなる不思議。