Ⅳ、
山を降りるのに迷い迷って数日。
“少女”は全身あちらこちら擦り剥いて、良く分からない虫の大群に襲われたりしながら、やっとのことで町に出ることに成功していた。
と言っても簡単ではなく、自転車どころか馬すらいない為徒歩で道を歩いて、やっとのことで辿り着いたのだ。
道中で拾った布を頭に被り、泥だらけになりながら歩くその姿は物乞いと大差ない格好だったが、お金も援助者も頼れる人が居ないのでどうしようもなかった。食べ物は途中で拾った葉っぱを袋に仕立てた中に木の実を入れて食べていたのでなんとかなった。
無論、歩き続けの身体には到底足りるものでは無く、お腹が少々緩くなっていたが。
排泄に関係することには大して驚きもしなかった。そもそも野外でするのだし、見ることもしない。羞恥心が麻痺しているのかもしれなかった。
「………カレーライス食べたいな」
町に入る前に、守衛の居る門の前にあった馬小屋の傍らに座って休憩中、少女は呟いた。
カレーライスの辛いような甘いような味が舌に広がった気がして生唾を呑む。
今さら驚くことなどないが、道を歩く人たちの扮装は皆中世の頃そのもので、街並みもレンガや石造りだった。甲冑を馬にぶら提げた人が通って、少女をいぶかしむように見てきたが、すぐに歩いて行った。
危ない。
どうやらこの世界には亜人や獣人が居るらしいが、どうも嫌われているらしく街中でバレるのは自殺と同意義なのだ。特に、先天的に“魔術”を身につけているというエルフは。
魔術は一種の才能であり、使える人間は使えるが使えない人間はとことん使えず、また血筋や受け継げるものではないらしい。
魔術とやらがどのようなものかは不明だが、推測するに凄まじい威力を持つのだろう。
つまり先天的に全員が魔術を使えるエルフは圧倒的な力を持つとされ、人間社会に盾突く邪魔ものでしかなかった。結果、敵対し、迫害される。
ここまでの情報は道中の旅人や、出店で耳に挟んだ会話から推測したものだ。
他にも宗教や生活様式、またエルフの集落の位置なども正確に把握しておきたかったが、その為にはまず、町に入るしかない。
しかし、町への入り口である門の前には騎士姿の男二人が立っており、中に入る人を厳格そうな目で観察している。もしもエルフであることがバレたら殺されかねない。
だがやらねばならぬ。常識を手に入れるにはまずは一歩を踏み出さなくてはならないのだ。そうでもしなければ、元の世界に帰る方法、元の体に戻る方法の一つも分かるまい。
観察して居る限りでは孤児や物乞いの連中が門の中に入っても咎められていない様子なので、出来る限り怪しい動きをせずに歩きだす。
「………」
布を童話赤ずきんのようにしっかり巻き付け耳を隠し、門に近づく。もちろんヘマがあってはいけないのでしっかりと手で確認してから。
丁度騎士姿の一人が大欠伸をし、もう一人がそれに気を取られた。“少女”は好機とばかりに足を進めると、門を潜り、町へと入り込むことに成功した。
大通り……なのだろうか、門から入ってすぐの道はある程度広く、商店が並ぶ活気ある場所だった。店では良く分からない品を売っていたり、肉を串に刺して焼いているのも売っていた。
匂いを嗅いでいると虚しくなるので早足に立ち去る。
それなりに履き心地の良かった靴が泥だらけになっているのが見えた。きっと、他の人から見たら少女は酷く薄汚れた鼠のように見えているに間違いなかった。
水浴びの一つでもすれば話は変わっただろうが、街中でそんなことをすれば目立つこと間違いなく、最悪の場合は耳が露出し迫害の対象であるエルフとして捕縛されかねない。
エルフである以上、一般の人間社会ではまともな暮らしが出来ない。
何がエルフにしてやるだ、何が転生だ、誰にも聞こえないほどの声量で呪いの言葉を呟くが、変化なんて無い。
少女は町を巡るべく、人目を気にしながら歩み始めた。
少女は己の迂闊さを呪った。
例の、エルフの集落を焼き打ちした連中と全く同じ格好の男達が町に来たのである。なんでも生き残りを探しているらしい。
当然である。少女は集落を襲撃した一人をナイフで刺殺しているのだ、その時に命からがら逃げ出したのをばっちり目撃されている。
町から出る門は二つあるが、そのいずれも男達が見張りに付き、片っ端から顔を見せるようにしている。耳だけで判断できるのだから出身など聞かなくてもよいのだ。
困った。
少女は男達を避けて町の中の教会と思しき場所の前にある木の元で途方に暮れていた。
木の実は食べつくし、空腹で背中とお腹の皮がくっ付いてしまいそう。判断力は鈍っていくのを感じ、また生命力そのものが消滅していくのがひしひしと感じられた。
エルフの生理作用は人間と大差ないらしく、お腹が空くと頭がぼーっとしてしまう。町で食べ物をくすねようと思ったが、捕まった時のリスクを考えて実行に移せなかった。
盗人には鞭打ち刑と考える。ただの人間なら鞭打ちで済むだろう。だがエルフは違う。殺される可能性が高い。
町を出るべきなのかもしれない。このまま滞在し続けても誰かが助けてくれるわけでもなく、また、助けを求め耳を見られたら一巻の終わりである。
持ち物は布の服とナイフだけ。木の棒は邪魔なので捨ててきた。これを駆使し逃げる方法を探ってみるが、どうにも、思いつかなかった。
かくなる上は、夜陰に紛れ町を囲う塀を乗り越えて行くしかあるまい。そうと決まれば安全そうな場所に退避せねばならない。教会のような建物から離れよう。
教会に頼るというのも考えたが、その教会がエルフを弾圧する思想を持っていた時のことを考えて出来なかった。単に人が居なかったから座っていただけだ。
少女は立ちあがると、その場を後にした。
「………ふぅ、多少マシになったかな」
夜。
空に蒼い月、曇り一つ無き美しい星空、清浄な大気。
町が寝静まった頃に少女は動いた。男達も眠りについたのか、今は居なかった。
だが、門は閉じられて守衛がおり、かがり火が焚かれ、近寄れそうにない。仕方が無く塀を登ろうとしたが高過ぎて不可能。
やむを得ず民家から空き箱を拝借して重ね足場にしようとしたところ、明らかに捨てたと分かる一枚のボロ布があったので、今着ている服の上からローブのように羽織ってみた。
寒さを完全に遮断できたわけではないが、それでもあるかないかで大違いだった。高度な技術で作られた高性能繊維製の服なんてなくても、布切れで十分というのが驚きだった。
重ねた箱を足場に見立て、走る。
「よっと!」
壁に取りつくと足をばたつかせて一気によじ登り、なんとか塀の上に。
そして物音を立てないように慎重に慎重に進み、塀の向こう側が見える位置につき、下を覗きこむ。予想以上に高い。飛び降りたら痛そうだ。
「ふっ…………ぐっ」
少女は飛び降りた。地面に着地すると同時に前転を決めようとして引っかかり、ばたんとその場に崩れ落ちて痛さを堪える。
数十秒後、涙を浮かべて復帰した少女は、腰のナイフの感触を確かめると、町から続く道をひたすらに辿り始めた。
こうして歩くことで、元の世界と元の体を取り戻せると深く信じて。
~~~~~~~~~~~~あとがき
登場人物の数が少ないが気にしない。
名前が一向に出る気配もないが気にしない。
エルフってだけで行動の制限具合がトンでもなかったという。