XXXVII、
エルフと人間では捕虜の取り方が偏っているという話を耳にした。
エルフ側が人間の捕虜をとる状況と言うのはつまり、屑値で引き抜かれた植民地の人間を捕虜にするということが大半で、王国に対して取引の材料になりえない。捕虜と引き換えに交渉する相手はほぼ植民地となる。
植民地は奴隷同然の搾取を強いられる国であるからに、取引を交わす体力すらない。そもそも重量人物ならとにかく、たかが一般の男など金銭や条件と引き換えにする価値もなかろう。
逆に相手側、すなわち人間側は積極的にエルフを捕虜にしたがる。多方面に利用できるだけではなく、エルフの総人口が少ないすなわち『価値』が高く取り返したがることが多いからである。
エルフ側は捕虜をとりたくない。捕虜をとって、万が一スパイでも紛れ込んでいたらということもあるし、ただ飯を食わせる余裕もないのだ。
肉体労働――奴隷にしてしまうのは、エルフの倫理観に反することである。悪しき文化を肯定しては、エルフの精神は穢れてしまう。
だから戦闘におけるエルフ側の行為は単純なものとなる。
撤退させるか、名誉の戦死を与えるかである。あえて逃がすことすらあるのだという。
セージは己が参加する作戦の概要を説明された時、あまりの残酷さに耳を疑った。なぜやるのかと問うと、偽りの情報を流す為と言われた。
歴戦の勇士揃いの攻撃隊の中で一人だけ子供が居る。片側だけ短い髪型に幼いながらに立派に鎧を着こなした――セージである。得物は鉄剣と不釣り合いな大きさの盾。
彼らは里の地下から続く坑道の中を進んでいた。
そう、かねてから掘り進められていた地下道が完成したのである。これにより危険を冒してまで地上を 行軍することはない。空も使わないでよい。
作戦は、まず地下から鉱山内部へと侵入することが必要だった。
「……本当にやるんですか?」
「お嬢ちゃん、叩けるときに叩くのが戦争だぜ」
「でも」
「デモもカカシもありゃしないんだ。そうさね? ひょいとばかし顔覗かせといて、向こうで蓋閉じておしめぇよ。むせぇ男と鎬削るのとくらべりゃあ面白くもねーがねぇ……ヤらずに落とすのが最良ってことよぉ」
セージは、中年の戦士―――心の中のあだ名は髭オヤジ―――の後ろにぴったりくっつきながら、答えのわかっている質問をする。
髭オヤジは松明を落とさぬようにしつつ、足元の岩をよっこらしょと乗り越えた。セージが躓きかけると、後ろのエルフが大丈夫かと助けてくれた。
作戦に同行すると言っても本格的な訓練を積んでいないセージでは危険なので、付添い役がつけられた。それが前の髭オヤジと後ろの女性である。
坑道は整備が行き届いているとはいいがたく、天井からは作業に使われた棒切れが飛びだし、地面には腰かけるのには丁度良い大きさの岩が無造作に転がっている有様であった。
鎧、剣、体がすっぽり隠れる盾という大仰な装備を身に纏ったままでは、歩きにくいにもほどがある。関節の可動範囲も制限される。
おまけに照明が松明だけとくれば、揺らめく影が目測を誤らせることになる。
土を押しのけて穿たれた坑道は、あたかも竜の腸のようで、己が消化されているのではという疑念が湧いてくる。ありえないと頭で理解していても、一行の発する鎧だとか声だとかのみが幾重にも反響する最中では、ベッドの下の幽霊と同じ種類の存在を疑ってしまう。
暫く、坑道のくねりを行ったところで、前から順々に伝言がまわってきた。
髭オヤジは前から聞いたことをセージと付添いの女性に伝えた。
「止まれってよ。先頭の奴がけしかけるから遅れるんじゃねーぞ?」
「わかりました」
セージは頭を振った。戦闘に備えて盾と剣を意識した。重装備と付添いそして列の最後尾というところから、戦闘に参加せず見学せよということであろうが、心構えが必要だった。
これより戦が始まる。緊張が高まった。
セージは髭オヤジが駆けだすのについていった。
―――戦はあっけなく幕を閉じた。
それも、セージが戦うまでもなく、途中で引き返す指示を受けたくらいにはあっけなく。
理由は作戦にある。まず先方隊が坑道の奥から侵入して入口を占拠している人間らを誘う。次にワイバーン部隊が上空から降り立ち、入口を落盤に見せかけて完全に封鎖する。最後に先方隊が後退して坑道を塞ぐ。作戦は終了。あとは中の人間が果てるのを待つ。これだけだ。列の最後に位置していたセージは要らないも同然だった。
閉じ込めた戦力を滅ぼし、同時に鉱山が埋まったと錯覚させるのだ。
手を出さずにして殲滅する―――……出入り口を封じられた人間の末路など子供にも分かるであろう。
もともと鉱山は石を採取する場であり、食物を生産することなどできない。都合の良い貯蓄など配置されているわけもない。
セージが仰せつかった任務は戦闘についていくだけではなかった。
それは、坑道の封鎖扉の監視である。
「………やめてくれ……」
頭と膝を抱えて、耳を服で塞ぐ。鼓膜を突き破れるならそうしよう。耳栓があるなら使おう。場を離れていいのならばそうしよう。だが、指示を受けた相手はほかならぬ巨老人で、扉の前で待つ以外の選択肢がなかった。
金属の扉一つ隔てた鉱山の中から、地獄に落とされた罪人かくやうめき声や罵り合う声が聞こえてくる。それは男たちのもので、すすり泣きも混じっていた。
初日は男たちが扉に殺到して破らんとしてきた。セージは破壊を恐れて報告したのだが、なんとミスリル合金製であり、人力では傷一つ歪みひとつ作れぬと言われた。係のものが去り際にワザとらしく見張りは必要だと付け加えてきた。
四日目からがより地獄に近かった。中の人間、外のエルフにとって。男たちは扉が破れないことを理解すると、懇願し、脅迫し、戦い、絶望して暴れ出した。
中にはセージの見張る扉のすぐ手前までやってきて、やれ開けてくれだの、俺はエルフが好きなんだなの、妻と娘がいるだの、救助を求めてくる者がいた。
言葉を交わしてしまっては情が移る。耳を塞ぎ、一言もしゃべらぬようにした。だが、完全に遮断できるはずもない。彼らの懇願が精神を痛みつけた。
一週間経つ頃、中で兵士達の感情が爆発した。剣と剣がぶつかり合う音。怒号。血しぶきの音。扉が叩かれた。セージは歯を食いしばって体を縮めた。
脳裏に映像が浮かぶ。
鬼の形相をした男たちが食料を奪い合い、剣を交え、殴り、蹴り、反吐を垂らして……。
そんな兵士たちも、二週間経つ頃になると静かになった。
三週間、四週間、五週間、六週間……。
セージは毎日ねぐらと坑道扉を行き来した。誰かと会話する気力も無く、声をかけられても虚ろな応答しか返せなかった。時の流れは卑怯なまでに遅かった。
六週間目、セージは鉱山内部の『清掃』作業に同行した。
扉を開けると肉の削げ落ちた死体が出迎えてくれた。セージはそれを運んだ。他にも無残な死体が鉱山中に散らばっていた。腐敗の始まっているものも多く、強烈な臭気に嘔吐しかけた。
わずかな食糧を奪いあったらしく、武器を持ったまま息絶えている死体がかなりの数に及んだ。
中には人間の大腿部を片手に持った死体まであった。意図的に切り落としたとしか状況からは読み取れなかった。嫌な想像が頭を過った。作業の手は止めなかった。他の作業員が表情一つ変えずに仕事をこなしていたから。
すべての死体を運び出す頃には一日が終わっていた。酷く精神を痛めたセージは食事も口にせず床についた。
夢を見た。
己が扉を開けてしまい、餓死寸前の人間達に犯された上に食い殺される悲惨な夢を。
己の股を割く一物は腐り、胸に伸びる手はいずれも骸骨。首筋を斬られた。血を啜られた。腕を、足を、臓物を、彼らが食い荒らす。目玉を穿って口に運ぶ、男。眼光まさにケダモノ。
冷静になってみれば、夢は夢であるが、見抜けなかった。何しろ感覚は全てリアルそのものであり、臭いも触感も現物と大差なかったのだから。
ベッドから飛び起きる。汗が酷い。頭痛もした。最悪の目覚め。途端に走る恐怖に身を縮めて布団をかぶって、暗闇に逃げた。
その日は一日を恐怖に肩を抱かれて過ごした。食事と排泄以外は室内で時を潰した。
翌日はようやく外出する気分となり、扉を開けた。すると巨老人の指示を受けたという者が立っており、仕事をやれと言われた。セージは安堵した。ただの本の整理だったからだ。
普通の仕事しかしていないのに、その日の夢も最悪だった。
最初に殺した男と、二番目に殺した女の子が、火炎に満ちた草原でいつまでも追いかけてくる。逃げようにも足が言うことを聞かず歩くことしかできない。捕まっても危害を加えてこないが、ぶつぶつとセージの顔を覗いて何事かを念仏のように呟き続けるのだ。
セージは目を覚ますと声を立てず泣いた。
セージは、ここに至って殺害への罪悪感が蘇り、精神的な重荷に押しつぶされそうになっていたのだ。
いつしかセージは人との接触を嫌い、仕事や勉強(するように言われた)が終わるとさっさと己の部屋に戻って本を読むことに没頭するようになった。睡眠前には、医者から夢を見なくてもよい睡眠薬を貰ってきて常用した。
そんなある日、巨老人からの呼び出しがあった。