XXX、
一斉射出した火の球は、ことごとく風の翼によって叩き落とされた。
背中から生えた力が、卵を抱く母鳥の翼のように外敵を寄せ付けない。
セージは、その魔術の硬さに舌を巻いた。
翼の持ち主は、信じられないまでの集中力を持って翼を操作すれば、重力を無視した空中浮遊をやってのけた。実戦であれば高空から魔術爆撃を仕掛けられるであろう。
「僕は攻撃的なことは得意じゃないんです。代わりに守ることは誰にも負けません」
「かっこつけちゃって! 〝火炎放射〟!」
天井付近まで上昇したルエに対し、セージは問答無用とばかりに火炎の奔流を投げつけた。
「〝守れ〟」
ルエが詠唱した。
可視化した風の翼がはためき、横薙ぎの暴風が彼の体を覆い隠した。火炎は勢いを削がれ宙で消えていく運命だったはずが、吸い込まれた。そしてあろうことか竜巻に形態を変えた風を着色しだした。
己の放った火炎が、ルエの体を中心に発生した竜巻を火炎竜巻に昇華させてしまったのだ。
力の制御を探ってみれば、ルエのものだった。
流石に火炎旋風で防御をすればのっぴきならぬ被害が出る。火炎は萎んでいき、普通の風に変化した。
ルエは、ふっとため息を吐いた。
セージが、むっとした面持ちになった。
「力押しでは勝てません」
「なら、推し通る!」
問答の内容は噛み合わない。噛み合わせるつもりがない。
セージが距離を詰めんと地を駆けた。遠距離攻撃を何度試して防がれるなら、接近戦に移行するしか手が無い。
手を翳し、呪文を紡ぐ。
「〝火炎剣〟!」
瞬時、火炎の渦が手から出現するや、長大な一本の剣となりて握られた。それは剣というには巨大かつ無骨で、巨人が振るう棍棒のようだった。イメージが追い付かないのが原因で密度が低い。
対空攻撃、かつ近接となれば、剣を巨大にして斬りかかるしかない。
天井スレスレに伸長したそれを目一杯振りかぶり、跳躍を込めて叩き込まん。
「なんと!」
ルエが驚愕の声を上げて一撃を受け止めた。焦りの色が浮かんだものの、翼の守りは健在。それどころか、剣の表面を削り取っているのだ。
剣の構成が解けつつあるのを感じ、一度身を引けば、突く。線の攻撃が通用しないのならば、点の攻撃で貫けばいいと発想を変えた。
――だが、それすらも風の防護を破壊するに足りなかった。
切っ先は風の翼に阻まれ、一寸も前進せず。いくら押しても通らない。まるで鉄板にフォークを突き刺そうとしているようだと錯覚するほどに、硬い。
火炎の剣が大根おろしにされているのだ。
触れる先から風の威力に粉砕されて、勢いを失っていくのだ。
次の攻撃を考えるより早く、ルエの言葉が迸った。世界が変動。翼が羽ばたいた。途端に訓練場を総なめにする突風が吹き荒れた。
台風を濃縮した風があるとすれば、これだ。
「わ、わ、わぁぁぁぁぁ!?」
セージの悲鳴が上がる。
目も開けていられない。魔術の維持も無理だった。消える火炎剣。抵抗する間も与えられず、足が地面から離れ、空中で独楽にされた。
世界が廻る。三半規管がもう許してと泣き叫んでいる。悲鳴の音源がぐるんぐるん移動して円を描いた。メリーゴーランドはあっけない終わりを迎える。すなわち、停止という形をもって。
風が止んだ。重力という理に抗えなくなった小さき体は地面に転がった。
ぴくりとも動かない。
ルエ、やり過ぎたかと顔色を変えた。歩み寄ってみた。セージが震えている。拳で地を叩き始めた。何事かと、恐る恐る尋ねん。
「大丈夫ですか……?」
「なんてことを……うぇぇぇぇ吐く…………」
「ご、ごめんなさい! つい……」
セージが地面でうつ伏せのまま、ぜーぜーと呻いていた。過度に回されたことで胃の内容物が逆流するところだったのだ。
セージは、暫しの間、ルエに背中を擦られていた。
彼と彼女がやっていたのは模擬戦闘であり、本気で殺し合っていたわけではない。だが、少々やり過ぎた。
やっと立てるようになったころには、戦闘の熱も冷めきっていた。
体の機能を確かめるように立ち上がる。
「ふぅー………俺ってルエに勝ったことねーな……」
「年齢差を考慮すれば当たり前ですよ」
「修羅場は潜り抜けてきたんだけどな……奇襲とか不意打ち待ち伏せならともかく、真正面からじゃこんなもんなのか」
セージは、今まで経験してきた戦いを思い出して呟いた。
蜘蛛の時は、真正面から戦って死にかけた。ヴィヴィと正面から戦った時、ボコボコにされた。アネットと正面から戦った時、投げられまくった。
勝利した戦いはいずれも奇襲や目つぶしなど、背中に蹴りを入れるような手段をとったことが勝因だった。
身も蓋も無い言い方をすれば、セージは正面から戦うと負けてしまうのだ。
たかが女の子の力などその程度なものだ。
呟きに対し、ルエが首を振ってくれた。
「まだ若いですから、成長の余地はありますよ」
「ルエ、年寄みたいなこと言っちゃって」
ルエは、この里で時間を重ねましょうと言う歯の浮くような台詞を嚥下した。
その日、二人は訓練を重ねた。
翌日は良いお日柄だった。
「……コーヒー……」
セージは水車の回転をぼんやりと見つめながら、ぽつりと言葉を漏らした。
ここは渓谷の里の畑。小麦やそのほか太陽を必要とする植物は、地上で育てているのだ。物理と魔術を組み合わせ隠蔽されているため、簡単に発見できないようになっている。
水車の回転は一定で、見つめていると眠気を催してしまうようだったが、考え事するにうってつけなオブジェクトでもあった。
コーヒー。小難しいことを抜きにすれば、コーヒー豆の煎り汁である。豆さえ手に入れば作るのは簡単である。手に入れば。
ある日、突然コーヒーが飲みたくなったので里中を駆け回った。
異世界においてコーヒーなるものが発明されたことはないらしく、里の住民らに説明しても首を傾げるばかりだった。豆と言う豆を片っ端から加工しても渋いだけの汁が出るだけだった。
試行錯誤の末、いくつかの豆を組み合わせることでコーヒーもどきを作ることに成功したが、似ているのは色合いだけという代物だった。
諦めよう諦めようとしても、一度飲みたいと思うと、諦められなくなるのだ。
セージは深く息を吸いこみ、仰向けになった。蒼天。小鳥。羽虫。水車が臼を打つ音。かぱぽこかぱぽこ。傍らの草を千切って草笛を作る。ピュー。捨てる。
「ん?」
セージは次の草をむしろうと手を伸ばした。失敗したので、顔を傾けた。黄色い花。タンポポに似た可憐な花が健気に咲いていた。
タンポポのようなだけで、別の花かもしれないが、関係ない。
「…………………それだ!!」
ぱっと顔に花が咲いた。
セージは夢中になって、タンポポを集めた。花弁ではない。根を集めるのだ。
一応、里の人に『これは毒があるか』を聞いてまわって安全性を確認すれば、根を乾燥させる作業が始まった。里の外で天日干しにした。干した根を前にしてニヤニヤしてしまったのは秘密である。
乾燥したら、部屋に持ち帰って加工し、布を使って汁をとる。
みるみる内に黒い液体が出来上がった。
「妙なにおいですね」
「んー?」
セージの部屋の机の上にて、二人が作業をしている。
今日はやることがあるから訓練は無しとルエに伝えたところ、興味があると言われたので、一緒に作ったのだ。
セージは黒々とした液がなみなみ注がれたカップをとり、一口飲んだ。芳醇な香りが鼻を通り抜けた。ほっと息を吐いた。現代文明の味がした。砂糖とミルクがあればパーフェクトだった。
全部飲んでしまってもよかったが、物欲しそうな顔をしたルエに半分あげることにした。カップを渡す。
彼は一口飲み、二口目で眉に皺を寄せ、三口目で唇を離した。カップの中身はほとんど減っていない。ずいとカップを返された。
「……これは、なんのお薬なんですか」
「薬じゃないよ。えー……俺の生まれたところの……嗜好品? ってやつ」
「……嗜好品……ですって……」
「うん。砂糖と牛のお乳を入れて飲むと味が優しくなるんだ」
「……」
ルエが絶句しているのを肴にコーヒーを啜る。
明日は蜂蜜と牛のお乳を探さなきゃと考えたのだった。
そして、セージが渓谷の里にやって来てから数えて約一か月後。巨老人の里の戦いが終結したと報告があった。
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エタりたくなってきた