XXIV、
セージが選択したのは、敵に命を懸けて立ち向かうことであった。
強行突破も逃亡も難しいのならば、選択肢を選ぶ以前の問題で、決められたようなものである。
使えるものを確認する。装備、ミスリル剣、ナイフ。魔術。
攻撃の手段を模索する。ナイフは最終手段とすれば剣か魔術。スタングレネード(魔術名である)は己が術の跳ね返りを受けるので却下。火炎も却下。氷系。選択の余地あり。
蜘蛛達は今にも跳びかかってきそうだが、一向にこない。魔術を行使できることは予想外だったのかもしれない。好都合であった。
不慣れな氷の魔術でいかにすれば蜘蛛を攻略できるかを考える。
一度も成功したことが無い魔術に頼ることは正しいのか?
不確定要素という、猫が生きているか死んでいるかも曖昧な事象に頼ることは正しいのか?
否。
セージは否定する。慣れた手段こそ最上である。この場を切り抜ける最高の手は、三匹に同時攻撃を行うこと。範囲を限定した、それでいて威力の高い一撃を見舞うこと。一体だけに集中して二匹にやられてしまうのならば、そうするほかにない。
使えるものがもう一つあるじゃないかと、それを見遣る。炸裂したらさぞ愉快そうな、それ。
行使する魔術は火炎。イメージするは“爆発”。対象は―――蜘蛛の死骸。
ミスリル剣の切っ先を下にしたまま、逆手に持ち替えた。ミスリル剣が魔力に揺らめき波紋を伴う。
「〝爆殺剣〟!」
セージは気合いの掛け声を兼ねた呪文を吐きだすや、剣を両手で保持、天の神にささげるが如く、振り上げた。
そして、背筋の反りを含めた全力を持って蜘蛛の死骸に突き刺した。
魂と体をつなぐ力を掬い取り、意識の力を持って純粋無垢な力に仕立て上げる。剣を中心に死骸の内部で下と横に指向性を持った大爆発が起こるように念じた。小規模な爆発が世界に生まれる。
内圧が高まり、肉が弾け、結果的に死骸は爆弾と化した。
「ぐっ――!」
甲羅の破片が狙い通りに爆散する。前髪の一部が持っていかれる。足場が肉の塊となり、投げ出されるセージ。内臓を靴で踏みつけた。
ばらばらと森に降り注ぐ肉の雨。
破片は四方八方に飛び、例外なく蜘蛛三匹にも襲い掛かった。一匹は目を潰され、二匹は己の甲羅に加わった衝撃と光で恐慌状態に陥った。機会到来。剣を持ち替える。
爆発で鼓膜がおかしくなったのか、キーンという耳鳴りと、酷い吐き気に苛まれるも、戦闘意欲を削ぐ理由にならず。
無音の世界で、目を潰されて暴れる一匹に切っ先を向ければ、足の一本を切り落とし、目元に斬撃を追加、正確に脳天を貫き、殺す。
「ぉぉおおおおお!!」
二匹目。一歩、二歩、跳躍。馬乗り。脳天を穿ち、力任せに角度を変えて抉り、手首で回転して穴を広げた。脚力と腰の力を併用して剣を引き抜き地面に転がる。体液が顔にかかった。
三匹目。恐慌状態から回復したらしく、爪を振り上げてくる。ミスリル剣を横にして受ける。重い一撃でよろめき、たたらを踏む。蜘蛛の体当たり。腹に食らった。
セージは無様に地面に転がった。
人より大きな蜘蛛の体当たりは軽自動車に衝突したのではと錯覚するほど重く、前後不覚になりかけた。苦痛が腹を覆い潰して意識を閉ざそうと騒ぐ。口から垂れる涎も拭う暇無く、血の流れる右腕で剣を構えた。
蜘蛛が尻を持ち上げ、糸を射出。粘着質がミスリル剣に絡まった。腕力で引きちぎろうとしたが、粘りが強すぎて意味を成さぬ。角度を変え、手前に引いて糸をピンと張れば、強引に断ち切った。ミスリル万歳。
足と上半身の振りを利用して立ち上がらん。
「あ……、つぅ……」
腕と腹の痛みが燃え、顔を歪める。鳩尾が痛む。内臓が鈍痛に包まれて冷や汗が増えた。
蜘蛛が糸を顔面に射出。大きくステップを踏み、右に回避と同時に地を駆ける。剣を右手に握り、低い姿勢から蜘蛛の顔面目掛けて跳んだ。足の根本に刃が埋まった。
――――キキキキキキキッ!?
耳もつんざく絶叫を蜘蛛が発し、セージの肩に爪を突き立てた。思考が乱れる。魔術を構築できない。
悲鳴を上げることすら困難になった。痛くて痛くて涙が出るだけなのだから。
右肩の刺し傷と切り傷から血が溢れ、服を染め、地面に鉄を供給する。奥歯よ割れよと食いしばり、剣を抜けば、距離を取る。刹那、蜘蛛が飛び掛かる。横っ飛びに回避。
右手から左手に持ち替えれば、背中を丸く、前傾姿勢で次の攻撃に備える。
細かい戦術を考える余裕はない。殺されるかもしれないという一種の興奮がアドレナリンを過剰分泌させて、頭を犯していたから。
「……っ゛ふ……あああ、あ! ……この……ぁ、くあ……殺されろ、屑ぅ!」
セージは唾を吐き、声を張り上げた。
酔っ払いが瓶を振り回すような緩慢な横薙ぎを、蜘蛛の目に繰り出す。跳び下がる相手。糸を飛ばしてくる。髪にかかる。頭から引き倒されるより前に、行動を起こす。
「こんなモンくれてやる!」
髪の毛を根元から掴むと、ミスリル剣でねじ切る。頭の右側の髪がごっそり地に落ちた。
髪の毛を糸に絡ませて粘着力を制限すれば、手に巻き、蜘蛛の動きを制限するために腰を落とす。蜘蛛が糸を切り離すや、すかさず糸を鞭のように使って足に絡ませた。
蜘蛛が突進。
危なげな横っ飛びで回避。糸をさらに足に絡ませたが機動性を奪うには足りないように見えた。蜘蛛の外殻は糸がくっつかない材質なのだった。
舌打ち。糸を捨てた。
蜘蛛が馬鹿正直に正面から突っ込んでくるのがスローモーションに見えた。足を曲げ、腰を落とし、跳び箱の要領で真上を飛び越えた。地面で前転。
すかさず踵を返せば、蜘蛛の後方から上に乗る。
「暴れンなッ!!」
暴れ牛かくや全身を使って振り落とさんとする蜘蛛の頭をミスリル剣で貫く。悲鳴が上がる。剣を斜めにしてやり、外殻を剥がす。中身を素手でかき混ぜてやろうかと考えた。
だが、ロデオのように揺らされてしまっては力が入らない。
「くっ!?」
とどめとばかりに剣を押し込もうとしたが、振り落とされてしまった。
セージは転んだ勢いを利用して一回転すれば、豹のように地に這いつくばる形で身構えた。
蜘蛛が大暴れしている。頭に剣が墓標のように突き刺さっており、体液がグロテスクさを増大させている。複数ある目にも粘液が掛かっていて、赤いのも混じっていた。
剣を取り返そうにも近づけそうにない。
地に手を付く。震えていた。怪我をした右腕も左腕も。
「なら、押しこめばいいんだろ!」
イメージするのは巨大なハンマー。持つところは棒で、叩くところは岩石のような、少女の体に似合わない不相応な代物。重量で相手をプレスする打撃武器。
半分足を引く。魔力を捻出しなくては。傷ついた体と、疲弊した精神が、ますます痛みつけられるのを感じ、目の前に白い光が点滅し始めた。まるで貧血のようだった。平衡感覚をつかさどる器官が酒を呑んでいるようでもある。
セージの手に冷気が収束していく。初めは緩く、途中は急速に、最後はゆっくりと集まれば、イメージによって形という概念に押し込められるのだ。
両手を天に掲げた。
「〝アイスハンマー〟!」
冷気が具現化した。柄は凸凹激しく直線からはかけ離れている上に、頭部は北限の土地に転がっている氷塊を拾ってきたかのような不恰好。おまけに術の暴走で腕が凍結し始めている。
血の欠片がパラパラ落ちた。
セージは、真上のハンマーを重力という手助けの元、力いっぱい蜘蛛に振り下ろした。強度は無かったが、剣を叩くことに成功した。
ハンマーが砕け味気ないシャーベットになった。
剣が柄まで押し込まれ、脳を完全に破壊した。蜘蛛の足が脱力して折れ曲がり、腹を地に付けてこと切れた。敵は全て死んだ。
「―――――ハーッ……ハーッ……、っぐ……いた、い」
セージがその場に倒れ込んだ。
世界がぐるぐる回転している。地面に付けた足が踊りそうになる。呼吸が不協和音を刻んでいる。バックパックを下ろすと震える手を突っ込み包帯類を取り出す。
傷口を診る。腕の切り傷は大したこと無いようであった。
肩の傷は深く、手持ちの装備では治療しきれないと結論付けたが、治療魔術を使えない現在はどうしようもなかった。後でやるしかない。
凍傷は無かった。せいぜいが皮膚が冷たい程度だった。
服が邪魔だった。胸当てなどを乱暴に取り去り上半身裸になると、傷口に水筒の水をかけ、薬草を手でこね、荒いペースト状にしてからしっかり擦りこむ。酷く痛んだ。無意識に足の指が内側に曲がるほどには。
頭を振って耐える。涙が汚れた頬を濡らした。
「消毒液、もこれくらい、……あー、いたいいたいいた! 痛い! 糞、蜘蛛のクセに」
包帯を噛み、傷口を縛り上げていく。
すっかり結んでしまえば、悪魔的な欲望が訪れてくる。眠気がやってきた。疲労が少女を睡眠へと誘っているのだ。
蜘蛛の死体が転がっているところで寝てしまったら何が寄ってくるかもわからない。
蜘蛛の頭から体液と肉に塗れた剣を引き抜くと腰に戻し、上半身の服を纏って、その場で最も高い木に登る。そして、蔓で己を雁字搦めに縛り付けた。絶対安全ではないが、ほかに場所がない。
もはや限界だった。
セージの意識は暗闇に落ちていった。
逃げるという選択肢を無理にでもとれば良かったなというのが最後の思考だった。