XXI、
独り旅 何を言っても 独り言。
「くそ……なんか悪いもんでも食ったかな? 草はお腹にいい食物繊維入りなのに。うん。おいしい。草の中でもおいしい方」
お腹の調子が悪かった。それも、荒地のド真ん中で。
食料調達のめどが立たないのに乾いた砂と岩くらいしか無い地帯に突入してしまい、慌てて引き返すと雑草を引き抜いて一応の食料とした。草原に暮らす鼠も剣で串刺しにして干し肉にしておいた。水を調達したかったが、見つからなかった。
おかしなものである。口にしているのは草が大部分で食物繊維たっぷりの自然食品であるはずなのに、腹部がストライキを起こしているのではと現実逃避したくなる程に緩い。
さんざん雑草を口にしてきた経験上から、獣が好んで食べる草をもりもりと食べる。
食べながら、歩く。
雑草もとい食糧を口に放りながら歩く少女。草は食べられるもの、薬草(と信じているが効果は不明)、擦ると虫よけになる強い香りの草など、分類されている。
草の他は欠片しか無い干し肉と、鼠と、木の実と、まだ動物で実験していない謎のキノコ。
草だけは大量にあるので当分は困らないであろう。
問題は味である。草は、本来食べるものではない。特に雑草に分類されるものは。
アクが強く、渋く、苦く、硬く、鉄臭い。野菜っぽい味がするのを選別して採取したとはいえ、草である。まごうことなき草である。
少女の口を覗き込む機会が経った今巡ってきたと仮定して、中を見れば感想は次のようなものになる。
緑一色と。
ひょっとするとこれがいけなかったのかとバックパックから取り出したるは、木の実。赤く、酸っぱく、消しゴムのような滓が口に残る食べ物。鳥が食べられても人間には食べられなかったのかもしれないが、どう証明すればいいのだろう。
お腹が緩いのが続けば水分も栄養も流れるばかりである。
整腸剤でも転がってないだろうか。
鼠の肉を口にする。血の味だった。咀嚼して飲み込む。咽頭が波打った。
「喉乾いた………暑かったら死んでたわ」
ブロンドの髪の毛をぐしゃぐしゃに掻きつつ蒼穹を仰ぎ、睨み付ける。
“素晴らしい”御日柄。雨は望めそうにない。飲み水は得られないし、水浴びもできない。
地図によると墓場の付近まで行くと古井戸があると記されているが、枯れた木の例もあり信用ならないのだった。別の手段で水を入手することも考えなくてはならなかった。
布と砂利を使ったろ過装置でも試作してみようかしらんと考えつつ、乾いたくちびるをきゅっと引締め、歩く。
―――突如、頭に落雷があった。
地面を蹴っ飛ばし大喜び。涙まで浮かべて手を叩いてくるくる回る。気が違ったわけではない。
「そうだろ! バッカじゃねーの俺! 魔術使って水を出せばいいじゃんか!」
その発想はビッグバン。
魔術はイメージである。己の魂と肉体が結合しあう力を流用した力で世界に働きかける神秘である。イメージできるのなら大抵のことはできてしまう。
ならば、水をイメージして作ればいいのではないだろうかと考え付いたのである。
さっそく地面に座り込むと水筒を腿の内側に挟み、両手を広げて、集中する。生命の源。透明の流体。重なれば青くなる。山に注げば川となる。乾けば空気に溶けて雨を作る。
雨よ、水筒に出ろ。
「〝水よ満ちろ〟」
瞬間、水筒が微かな振動を孕んだ。水筒の底が冷たさを生むや、振動は激しくなり、蓋がはじけ飛んだ。辛うじて蓋を掴み取った。
「うおっ!?」
水筒から溢れる水が顔面を直撃して鼻と口から侵入した。
驚きより喜びが勝り、イメージは噴水のような勢いへと昇華されていく。水筒が反動で腿を圧迫したが構わずに水を口に流し込む。ごくんごくんと喉を鳴らして飲む。
顔の埃と汚れが水流によってはじけ飛ぶ。
飲んで飲んで飲みまくる。
「…………んぐんぐんぐぐぐ? んぐんくっ………ぶはっ」
思う存分飲んで、魔術の行使を切る。蓋を閉めるべく手を伸ばす。水は蓋を押しのけんばかりの圧力を作ったが、強引に押し込むと、あっさり無圧状態に移行した。
そこで気が付いた。
水なのに味気ないと。
「おいこれ……あーくそ」
セージの全身をびしょぬれにした水が数秒とかからず蒸発していく。外だけではない。中もである。咥内を、喉を湿らせたはずの水が、見えざる手に奪いとられていく。
喉がくっつく。咥内がかさかさになった。鼻の中が乾く。顔も体も服の一切が乾燥に向かった。
ものの一分と経たずに水は消え去った。
茫然とするセージは一抹の期待を込めて水筒の中身を覗き込んだ。量に変化なし。溢れんばかりの水は白昼夢のように消えて無くなっていた。
魔術とはイメージである。イメージは本人に依存する。イメージが続かなくなれば魔術は世界の修正力に飲まれて消える。理屈は単純だ。
恒常的な効果を発揮させるには物質に頼るか、世界を塗り潰すような高位の術を使う他ないと知らなくても、水が無くなったという事実を目の当たりにすれば気が付くだろう。
興奮しすぎて水を出し過ぎた反動か、軽い頭痛がした。魔術を行使しすぎて体と魂が感動のフィナーレを迎えるのは避けなければならない。
セージは立ち上がる気力が失せ、その場で座り込んで休憩に入ってしまった。
少なくとも体を洗ったり、熱さをとったりなどはできるという収穫があったのだから決して無駄ではなかったと、ポジティブに変換する。
そこで第二発目のビッグバンが脳天に轟いた。。
顔がぱっと明るく輝く。
「そうだ! なら間接的にやってやれば!」
水筒の布を剥がして金属を露出すると、寝転がって上に掲げ持つ。子供を「高い高い」しているような恰好である。
イメージするのは冷たさ。目を瞑り青い空を遮断する。北極。南極。冷蔵庫。冬。雪。思い出す。組み立てる。映像と映像を組み立てて強く念じる。
思考の端に混じる灼熱の火炎がイメージを乱す。燃える家。焚火。太陽。イメージが消えてしまう。精神力を振り絞り、命の危機を回避したいと強く己に暗示した。
息を吸う。吐く。吸う。吐く。目尻に力を込め、開く。
「〝冷やせ〟」
呟いた言霊はしかし目に見える形の変化をもたらしていないかのようである。
ところがセージはニヤリと口元をゆがめると、水筒の金属部分を口に近づけ、寝転んだまま舌を伸ばし、ゆらゆらとしなやかに揺らせば、水筒を舐めた。
確かに水があった。水筒には水が付着していた。
夏場、コップに冷たい水を注ぐと『汗』をかく。これは空気が冷やされて飽和量から弾かれた水分が結露という形で水になる現象である。セージはこれを利用したのである。
魔術で水を直接作ることができないのなら、間接的に水を空気中から取り出す。
水筒の底をセージは舐めた。舐めて舐めて舐めた。舌で寄り集めた水滴を唇で吸い取った。重力に従い伝うのを顔で受けた。大真面目に水筒を舐めまくる姿はシュールを体現していた。
だが、徐々に腕が疲労を訴え始め、舌も重くなってくる。
「へふっ……う、うん……ぇう………っんっん………げほっ、畜生、疲れるぞこいつ」
魔術行使を切り上げて顔の水滴を指で救って舐める。ため息を吐くと、水筒をお腹の上に乗せた。
問題が判明したのだ。
量が少なすぎるのと自分で舐めなくてはいけない点である。しかも一度舐めると唾液が付着し、その部位に水滴がつかなくなるので拭き取らなくてはいけないのである。
舐める労力と水を得る効果が釣り合わない。
有効な方法を考える必要があった。
金属の板と垂れた水滴を回収する容器を手に入れることができたのならば最高なのだが。
「買う金が無いんだよな」
生憎、売れるような品は無いのだと苦笑する。ミスリル剣は売ることができないし、他の装備も借りただけなので売ることはできない。
働こうにもエルフを雇ってくれる職場があるわけもなく、子供の体力では肉体労働も長く続かない。下手すれば奴隷という新しい職業を笑顔で斡旋してくれるであろう。
商品価値を有するのは一つだけしか持っていない。
「体でも売るか!」
それは体である。美しき容姿を持つと一応の自覚があるからこそ出た台詞であった。
誰も聞いてくれない冗談を飛ばし、立ち上がる。お尻の埃を払った。水筒をしまう。胸当てを引き締める。ベルトを引き締める。屈伸。腰をまわす。前髪をかきあげた。
出発だ。
地図を広げ、歩き出す。
古代の円形岩墓場まではもう少しだ。
しばらくして、墓場に辿り着くことができた。