XV、
空き教室にて。
まずセージが教わったのは使える魔術の強化だった。
セージが使える魔術といえば火を灯すことと、剣に火炎を纏わせること(気絶する)ことくらいである。
女の子が紹介してくれた先生曰く、セージにとっての魔術のイメージの中でもっとも安定していて具象化しやすいのが『火』であるという。
魔術について詳しい話を聞いたときのことが思い出される。
あの中年男性に魔術についての話を聞いた時に、傍らで誇らしげに燃える焚火が強く刷り込まれたのかもしれない。
「いいですか、魔力とは肉体と魂の結合力を流用したものです。簡単に申しますと、死ぬような気持ちで魔術は行使するものです。死ぬかもしれない、魂が砕けるかもしれないと、意識の片隅に置いてください」
「………〝灯れ〟」
椅子に背筋を伸ばし座った少女の人差し指に灯る、真っ直ぐな火。
意識する。肉体と魂の結合を担う細い銀の糸の幾本かを摘まみ取り、己の意思で紡ぐ。銀糸を成形して、漏斗に流し込み火炎に変える。指先に視点を固定。火を維持する。
平素なら一瞬で消えてしまう着火石が、数時間の練習だけでガスライターに昇華した。
イメージしたのが文字通りにガスライターだったためか、火は青く、先端にちらちらと赤い火のかけらが見られた。
女の子は机に肘をつき、眠たげに火を見ていた。
「竜の鼻息みたいね」
「………あっ」
集中が切れ、火がボッと断末魔の煙を残して消え去った。
「消え方もそっくり。んっ……嫌な顔しないでよね、皮肉のつもりなんかじゃないんだからね」
女の子は目つきの悪さに似合わずそう付け加えた。
一分の点灯に成功したとはいえ、すぐに消えてしまう。指先の火を攻撃魔術に転用するのは困難で、ゼロ距離で押しつけて相手を燃やす以外の戦術が取れない。アネットがそれを許すかと言えば答えは否である。
セージは二人の見ている前でもう一度火を灯し、二分頑張った。
蝋燭か、ガスライターか、バーナー並みの火力を出そうとしても、心の焦りが火力を不安定にして、ガスライター止まりだった。
これでは蜘蛛に食われそうになった時のような攻撃力のある火を灯すには遠過ぎる。いっそのこと魔術を諦めて爆弾でも製造した方が早かろう。だが、爆弾を製造できるだけの技術も知識も経験も人脈も、少女には無いのである。
購入しようにも無一文であり、売るものすらない。
先生は手をぽむと合わせた。
「では、次は訓練場に行きましょうか。下準備はこれくらいで十分です」
「今のでですか?」
「ええ、その通りです。詳しい事情は知りませんができる限りの短時間でアネットさんに勝つためには基礎を固めていては時間がかかりすぎます。こけおどしだとしても実戦で耐える……いえ、実戦で威嚇にはなるくらいの魔術を構築せねば」
「ところでアネットさんが使うのは幻術ですか? 予想ですけど」
「正解です。彼女は幻術で惑わせ――罠に誘導して捕らえたり、弓の一撃を食らわす戦術を得意にしているのです」
「じゃあ……」
「得意なだけで肉弾戦が不得意なわけじゃあないですから早とちりは危険です」
「………」
先生は黒い髪を指で弄りつつぴしゃりと言った。
ちなみに先生の名前はアルフと言い、女の子の名前はヴィヴィという。
アルフを先頭に、セージとヴィヴィは訓練場に足を運んだ。太陽が沈みかけた頃のことだ。
アルフ――先生の指導の元、セージが魔術をヴィヴィに浴びせかけるという危険な方法がとられることになった。
「大丈夫ですよ、どんな魔術が飛び出しても。ヴィヴィの実力であれば対処は可能ですし、私もついています」
さすがの私も訓練場が倒壊するような魔術は不可能ですが、とアルフは口にしてから、二人の中間地点、やや外側に立った。
ヴィヴィが両手をだらりと下げ、両足に力を行き渡らせ、臨戦態勢に入った。
一方セージは、集中できる立ち方は無いかと逡巡した挙句、ヴィヴィの真似をするのだった。
「始め!」
アルフが手を打ち鳴らし、特訓が開始した。
まず火を飛ばしてみようと思った。イメージしたのは映画などでよくある火炎放射の場面。手を広げ、腕を水平に伸ばし、ヴィヴィを狙う。
ヴィヴィがただでさえ悪い目を細め、歯の間から吐息を吐いた。エルフ特有の尖った耳が脈打ち、上を向く。
セージは目を固く閉じ、火炎が手に絡み付くさまを念じ、瞳を開くと同時に唱えた。
「〝火炎よ〟」
次の瞬間、右手が燃えた。
思考が追い付かない。
「!? えっまっやっ嘘だろ!? うそうそうそあちちちちちち!!」
「〝 〟」
右腕に侵略を開始した火炎を、体を丸め包み込むことで消火せんと行動するより数瞬早く、アルフの呪文が作動し、重力の理に真っ向から逆らう水流が発生した。
右腕の火は魔術で生み出された水に飲み込まれ息絶えた。
水は、右腕を基点に包帯でも巻くかのようにぐるぐる回転し、火傷を癒していく。北限の海水を汲んできたような水は、熱を奪い、冷をもたらした。
やがて水が空気中に溶けた。セージは腕を、手をつぶさに確認し、一切の傷も残されていないのに驚愕した。赤くすらなっていないのである。
腕が燃えた証拠として、あたりに焦げ臭さが残留していた。
「今、君の魔術は制御を外れて暴走しました。焦るのは結構。ですが焦りすぎてことを急げば今のように己を灰にします」
「んもう……何をそんなに急いでるのか知らないけど焼死体にだけはならないでほしいわ」
「ごめんなさい。次は、やります」
セージは頭を下げようとして、頭を下げても意味が通じないと思い直し、言葉で伝えた。
次こそはやるぞと頬を張ったら、同じ右手を突き出す。
体から魂を引きはがすことを意識して、脳髄の半ばから液を抽出するかのように、唱える。
呪文の言葉に具体性を混ぜて。
「〝ファイアーブレス〟」
瞬間、手の平に光球が誕生した。一秒後、瀕死の馬の吐息よりひどく緩い火炎の風が、三十cm弱流れたのだった。
「もう一度! もう一度やります!」
「私はいつでもいいわよ」
いつ攻撃が来るかわからないヴィヴィは、集中の糸を張ったまま、一歩も動かない。
手を突き出し、今度は何か棒のようなものを握るように、指を曲げて、腰を落とす。
「〝フレイムソード〟」
火炎が指という指を覆いつくし、爆発の気配を見せたが、意思の力で抑え、イメージという指向性を与えて、こねくり回し、一つの結晶となす。
ヴィヴィが嬉しそうな顔をして、同じくそれを魔術で作り上げた。
「できるじゃない!」
剣である。
火炎の剣と氷の剣が、それぞれの手に握られた。
氷の剣が堅実なサーベルの形をとったのに対し、火炎の剣は靄を赤く染めて剣の体裁を繕った見た目にも脆いもの。
セージは剣が壊れる前に、剣を下段に構えヴィヴィに突っ込んでいった。
馬鹿正直に剣を上段に振り上げ、振り下ろさん。
「熱いのと冷たいのじゃ相性が悪いけど!」
「受け止めた!?」
ヴィヴィの冷気を纏った氷サーベルが、火炎の剣と体の間に割り込む。拮抗する力と力。氷は熱に弱いはずだが、溶けることなく、美しい造形を保っていた。
ヴィヴィは口元をニヤリと歪めれば、剣を引き寄せ、一気に向こう側に弾いた。セージがよろめき数歩後退したが、すかさず地を蹴り剣を振った。鍔迫り合い。精神が削られるのを感じた。
しかもセージが全力で押しているのにも関わらず、ヴィヴィは余裕を崩さず同等の力で押し返してくる。
「けどね、私の氷は頑丈なの!」
「くっ……」
ヴィヴィがウィンクをするや、空間で氷の結晶が生じ、砕けた。それは粉雪となり視界を覆い、怯んだすきに剣を押し返され、転んでしまった。
セージが起き上がった時、剣をだらりとさげたヴィヴィが目に映った。
剣を振るうには距離がありすぎた。
「〝雪神様の戯れ〟!!」
――その背後には無数の雪玉が浮遊していた。
「言っておくけど痛いわよ!」
剣が燃え尽きた。
身を守る方法はただ一つ、腕で顔を守ること。
次の瞬間、セージは雪なのに雨あられと機関砲が如く襲い来る雪玉に蛸殴りにされた。
痛かった。