「じゃあなぁー!」
「お元気でー!」
元気よく手を振る二人。相手は蝶。言葉を理解できるとは思えないが、テンションの上がったセージが大声を張り上げると、ルエも同調したのであった。
一方メローはぽーっと虚脱状態で半ば機械的に手を振っていた。空中飛行がよほど堪えたのか足元がふらついていた。
蝶は音も無く高度を上げていくと、あろうことか鱗粉で自身の姿を透明へと変え、徐々に薄くなりながらも空の彼方へと消えていった。
セージは、森の民の技術はどうなっているのかと手を上げたまま考え込み、眉に皺を寄せた。
「ステルス迷彩……軍事利用したらトンデモ兵器扱いになるぞコイツ」
「すて……?」
「なんでもない」
怪訝な表情をして振り返るルエに、ひらひらと蝶のように手を振って応じる。
蝶の旅は快適であった。
馬と、ほかの細々とした荷物は、蝶が着陸もとい垂直離着陸した地点に見事に送り届けられていた。
そして三人はやっとの思いで目的の街へとやってきたのである。
遺跡が晒される脅威は年月は勿論として雨風や地震その他天候があげられるが、一種の致命傷を与える大きな要因として、ヒトによるものがある。盗掘である。遺跡に眠る品は多くが歴史的文化的資料的価値を持ち、到底値段では換算しきれない価値を持っているが、金持ちや好事家の手に渡ってコレクションされる可能性を秘めている。遺跡に侵入され貴重な遺産を奪われたのちに封印。後の学者が立ち入った時には荒らされた後など日常茶飯事である。
そして、セージが求める遺跡も大まか同じような状況下に立たされているらしいことがわかってしまった。
遺跡の根元の街にやってきた三人は思わぬ活気に圧倒された。情報によると寂れた村があるだけだったはずが、木造の家が立ち並ぶ立派な街に変貌していたからである。道端では遺跡から盗んできたのか装飾品その他魔導具などが並ぶ骨董市が開催されており、さながら盗人だらけの街であった。
しかしである。そもそも遺跡に所有権などなかったとしたらどうであろうか。所有者だったらしき王国は既に滅亡している。主権が曖昧な今、勝手に押し入っても咎める者も捕まええようとするものもいないのだ。
情報がなかった。まずは情報を収集して遺跡に潜る手はずを整えなくてはならないだろう。
三人はひとまず宿をとった。
黒く豊かな髪の毛を櫛で整えつつ、微かに鼻を擽る女性特有の体臭を感じていた。水浴びに対抗して上昇した体温が肌をほんのりと赤くさせており、酷く艶めかしく目に映ってくるものの、むしろ感じるのは羨望の類であった。おかしなことだがヴィヴィに対し恋愛感情を抱いたこともあるというのに、今となってはむしろ憧れの眼差しを向けてしまうようになっていたのである。
セージは、メローと同行するようになってから時折やってあげていた髪の手入れを続けながら、頭の中で今後の行動指針について条項を練っていた。
湿り気のある髪を急に梳こうとすれば引っ掛かりキューティクルを傷つけるばかりか抜けてしまう。場所によってはタオルを当てて水分を取り、ゆっくり、ゆっくりと整える。
セージは、街の情報を知るべくして集めた掲示板や人に聞いた話をメモした羊皮紙と睨めっこするルエへと視線を移した。彼は狭い宿の片隅で紙を広げて時折聞こえない声量で何事かを呟きつつ別の紙に羽ペンを滑らせていた。彼はどこまでも真面目だ。嫌とは言わないお人よし。
全体を整える作業に手を移していく。脳裏に描く遺跡の惨状を思い出しながらも手は止めず、ふと面を上げた。
「ルエ。で、どうするよ」
「言うまでもないですが二通りの手段があります」
ルエはセージの方に顔を上げると、羊皮紙を指で突いた。
なぜ遺跡にいきなり潜って行かずに相談事をしているのか。気ばかり焦るセージが足踏みをしている理由は何か。
セージはメローの髪の毛の先を櫛で丹念に慣らし始めた。
「ギルド……連中を突破するか、加入して入るか……だろ」
「ええ……」
二人は顔を見合わせて陰鬱そうな表情を作った。
そう、遺跡の盗掘にはギルドなる組織がかかわっていたのである。到着して早速調べてみれば、ギルドなる集団が遺跡を統括しており、入るのも物を持っていくにも許可がいるのだ。出入り口はギルドによって厳重に固められており侵入は容易ではなかった。
ギルド。よくファンタジー世界で登場する組織。その実態はヤクザやマフィアに近く、荒事を含むことを許容されたフランチャイズ契約の元締めとでも言うべきものである。物資、ノウハウなどを提供する代わりに、商売を許可する。逆に商売をさせずに、ロイヤリティを要求することで利潤を生む。
肝心の遺跡に入るためにはギルドをなんとかしなくてはならなかったということである。
セージは手を止めて櫛を凝視していたが、やがてふぅとため息を吐くと、メローの肩を軽く叩いて知らせた。
「おしまい。ちょっと偵察してくるから、ルエと留守番しておいてくれ」
「わかった」
振り返り頷く褐色肌に頷きを返すと、起立。机に櫛を置き部屋の隅まで歩いていくと、おもむろに上着を脱ぎ始める。
ぽかんと口を半開きにして見つめてくるルエに対し、人差し指をピンと張りつめて作り上げた直線にて威圧をかける。
「脱ぐから見るな。了解?」
静かに申す。威圧と言ってもあくまで警告。真の意味で威圧しているのではなくて、これから脱ぐから目を背けろという了解を求めているのである。
ルエは深く頷くと頬を僅かに赤らめて視線を明後日の方角へと向けた。顔だけは別の方角にやりながら、声で質問をしてくる。
「わかりました! けど、いったいなんで脱ぐんです?」
「偵察と言ったろ? 持てる武器は全て使った方が情報を引き出しやすいってね」
わけがわからぬという顔をするルエなどよそに、セージは上着を脱いで肌着も脱いでしまうと、胸をぎゅうぎゅうに締め付ける包帯をはらりと解いた。女性にしては逞しい筋肉の上に乗った豊満な胸が解放され、ゆるやかに重力に従う。服を着直すと、胸元のボタンを緩める。さらに荷物を探って包帯を突っ込むのと交換にシンプルなサークレットを出すと、頭に被る。前髪を整えつつ、両手を打ち鳴らした。
「いいよ。ちょっと行ってくるから」
「セージ? 僕も……」
ルエは、雰囲気の変わったセージに一瞬戸惑いを見せるも、すぐに立ち上がり後をついていこうとする。
セージは首を振るとノブを捻った。腰に下がるナイフの鞘を手で叩いてウィンクを一つ。
「いらない。心配だってのもいらない。自己防衛くらいはできる。知ってんだろ」
ドアを潜ると後ろ手でノブを離す。首をまわして関節をコキコキ鳴らした。小奇麗な部屋からロビーへと。客たちは机について食事を摂っていた。視線を真っ向から受け止めながらも涼しげに宿の外へとつながる扉を開いた。
燦々と降り注ぐ日光。清らかな風。遺跡からひっくり返してきたあれこれを運搬する馬と荷台が前を通過した。歩調を意図的に切り替える。常日頃、大股で歩いてしまう癖がついているので、小股にした。
太陽を仰ぐと、ほう、とため息を吐いて前髪を指で触って、おもむろに呟いた。
「やられてばっかりも面白くないだろ。こっちから仕掛けてやる」
呟きは風に紛れた。
一歩を踏みしめる。
セージは知っている。自分がいわゆる美人であることを。それをみせびらかそうだとか、もてようだとか、不純な動機を常日頃は持っていない。だがこういう媚が必要な場ならば発揮してやろうと思っていた。男は胸に弱い。異世界だろうがなんだろうが、それは不変だ。
遺跡のある山のふもとまでは、街である。通りのあちこちでは盗掘品を広げて商売をやっていた。
「そこのエルフの姉ちゃん! 買ってかないかい!」
「結構です」
市の横を通ると声かけの集中砲火を食らった。一切応じるつもりはない。例え武器だろうと(ちょっと立ち止まった)料理だろうと(腹の虫が鳴いた)本の類だろうと(あからさまに財布を見た)。とにかく、山の麓までやってきたのだ。
山の麓にぽっかりと口を開けている大穴がある。それは石と土で偽装されていたらしいが、いつしか誰かが退けてしまい、誰にでも侵入容易になったという。
穴の崩落を恐れて木製の柱と梁が張り巡らされている。入口には柵、武装した男たちが居り、立ち入る人間に証明書の提示を求めていた。
「なるほど……うーん、やっぱり忍び込めそうにないかー」
顎に手をやると、道端に置いてあった資材の後ろに身を半分隠すような立ち位置となり、出入り口を観察する。兵士の数は見えているだけでも六人はいる。入口に敷設された小屋の中にもいるだろう。ゴロツキと甘く見て痛い目を見るのは勘弁だった。もし護衛以外にも街の住民らが参戦する恐れもある。そうすると忍び込むしかないが、人数が多すぎた。出入り口以外の口を見つけるしかないのだろうか。
考え込んでいると、出入り口を封鎖する兵士の一人が持ち場を離れた。小屋からもう一人が出てくると挨拶を交わして後退する。
兵士は武器を違う兵士に渡すと大あくびをしながら街へと歩いていく。セージの目の前を通過して、向かう先は酒場。
しめた。いいカモだ。疲れて酒場。まさに、カモがネギを背負ってくるようなもの。
セージはそのあとをつけてみることにした。
扉を潜る兵士の後について、酒場の中へと。