セージらが通されたのは、森だった。森しかないコミュニティなのに森に通されても、だからどうしたというのだという指摘が入るかもしれないが、その空間は果たして森といえるかもわからなかった。
樹木と呼べる直立した木でなく、ただ木の表面だけが壁と床と天井を構成しており、迷路状に入り組んだ洞窟となっていた。日光の介在のない暗黒の世界。もし猫でも連れてきても前が見えないであろう。なぜなら、光源の一切が空間に存在しないからだ。
集落へやってきて初めて出会ったドライアドとは別のドライアドが途中まで案内をしてくれたが、その木の洞窟前で説明がされた。集落を纏め上げる主がいる場所はこの洞窟の奥である。ただ一人だけが足を踏み入れることが許されている。別に取って食うわけではなく仕事の依頼がしたいから恐れることなく進んでほしいと。
三人は顔を突き合わせ相談したが、結局セージがやることとなった。敵が待ち受けているならともかく、主とやらが会いたがっているだけなのだ、迷うことはない。
武器も規則で持ち込み禁止なので二人に預けると、光る鉱石を入れたカンテラ片手に洞窟へと挑む。
通路の角を曲がる際に振り返ると、恐れよりも興味の強く出たルエがこちらを覗き込んできていたので、手を振っておく。
「じゃ、行くから。住民から話とか聞いておいてくれよな」
そうして、木の洞窟という不可思議な空間へと漕ぎ出したのである。
木の洞窟とだけあって、歩きやすさは保障されていた。通常の岩の洞窟であると出っ張った足場や砂場が混在しており気を抜くと転倒からの頭部強打へつながるのであるが、木だけに凹凸も無く、天井に危険な突起物や落石の心配もなかった。
鉱石のカンテラを前に、空いた手で木の表面を撫でながら前へ前へと歩いていく。
凹凸なし。表面がつるつる。故に、まるでパイプの中を歩いている気分がした。危険のない状況下において人は好奇心を強く意識するもの。主とやらがどんなドライアドなのか、胸が高鳴る。
踏み出すごとに足音が反響して耳に長く残る。カンテラの光だけが頼りだった。前を見据え、一歩一歩着実に前に進んでいく。目標物や特徴的な目印のない曲がりくねった木の洞窟ということもあり、自分がどこまで進んだのかの判別が鈍っていくのを実感した。
ある程度進んだ頃、前方に二手に分かれる道を見出した。
Y字の分岐点に佇み、左右をじっくり観察する。顎に指を這わせると喉に低音を宿らせた。
そして、ぱむ、と手を合わせると、爪先を左に向けた。
「うーん。道が二つ。一つが正解? 二つとも正解? ………うし、左だ。迷ったら左っと」
どこかで聞いた謎の理屈を元に適当に左を選択すると、分岐を後にした。
セージは気が付かなかったことだがその分岐はセージがいなくなるや否やうねうねと形を変えて道を一つに絞ってしまっていた。言わば臓器が食物を消化するべく働いたように。
セージは、相も変わらず同じ形状同じ光沢を放つ道を歩いていた。音が内側で自己完結してしまっているようで、誰の声も無く、風の音も、木が軋む音すらない。果てしのないパイプを歩いている気分。ハムスターの居心地である。
「暇だなぁ。いつまで歩けばいいんだろ」
いい加減飽きてきたのでため息を吐いた。胡坐を掻き、カンテラを横に置いて、壁の反りに背中の角度を合わせて姿勢を楽にした。
緊張にせよ、興奮にせよ、長時間持続する感情ではない。長くなればピークを過ぎ惰性と化すのだ。主とやらが一向に見えず目的地もどこなのかもわからないと来れば飽きがくる。
セージはいっそ一眠りしてやろうかと考えていたその時であった。
通路が蠢くや、角度が変わり始めたのだ。即ち斜めに。突起物も掴まるものもないのに斜めになればどうなるか。滑る。
「と、と、と、ととと!?」
素っ頓狂な声を挙げて床に壁に肢体を投げ出し接触面を増加させて滑降を防がんとするが、角度が45度へと急激に移り変われば、無駄な抵抗に終わる。カンテラもろとも勢いよく滑り出した。
途中で暴れてうつ伏せから仰向けに変わると、膝を抱えた体勢で一目散に暗闇の底へと下っていく。滑り台。懐かしさを覚えたのも最初だけ。徐々に速度が上がっていく己の体の行く末を表現した。
「ひえええっ~~!」
女の子なのか男の子なのかも定かではない絶叫にて。
そしてセージは滑り台から投げ出されると、草が敷き詰められたマットのような地点へ顔面から飛び込み、若さゆえの弾力で地面を跳ねて静止した。ぴくりとも動かない。扇のように広がった髪の毛の下にある顔立ちは陰に隠れ誰にも露見していない。指がぴくりと関節を曲げるや、拳が握られ、マットを強く叩いた。
「くそ!」
虚空へ罵り文句をパイ投げの容量でぶつければ、髪の毛を掴んで乱暴に後ろにやり上体を起こす。もし木の洞窟を傾けた奴がいるならば燃やしてやろうという決意表明である。
だが、次の句を告げる前に言葉を失った。果てしない空洞。大地に巨大な穴を穿ち、その地底から巨木が生えている。セージはその空洞の途中に空いた横穴にいたのである。燃えるのは取りやめた。
魔力を多量に内包した光の粒子が蛍のように舞い飛んでおりカンテラが無意味と化していた。
葉っぱのマットから足を振った反動で飛び降りて着地する。地底から天空に貫く大木の表面には螺旋状に余りに太く頑丈な蔓が巻き付いており、下にも上にも行けそうであった。蔓の下を見遣ると、足が竦むような高度が目前に迫った。
「ひゅー………さぁてと。上か下か。上行こう」
腕を組み、空を仰ぐ。大木の葉から、幹から、有無の境界線を無くしてしまったかのように、雲から雪があらわれるがごとく、光の粒子が降り注いでいる。蔓を足場に、せっせせっせと登坂を開始した。
息を切らさぬように呼吸のリズムを狭め、一歩一歩確実に高度を稼いでいく。
「遠いな。エレベーターとかないの」
文句を呟きつつも大木に張り巡らされた蔓を登り続ける。ひたすら登って、休憩。登って休憩を何度繰り返したことか。
多くの蔓が木の中に潜り込むような形となっており、看板が立てかけられていた。矢印。中に入るように矢印の頭が向いている。どうせ行くところも無い。セージは素直に看板に従った。
内部は薄暗くなく、むしろ明るかった。光の粒子が無数に空間に瞬いており眩しいほどであった。黄色とも白ともつかない神々しい輝きを歩いていくと小さな祠があった。拳ほどの塊を祀ったそれは一見岩造りであったが、近くによって調べてみると、灰色の材木で作られているのがわかった。
誰もいない。主とやらはトイレにでも言っているのだろうかと首を捻ったその時、頭に声が響いてきた。
『ヒトの子よ………よくぞこられた……』
「………ん?」
気のせいだろうか。深みのあるバリトンボイスが頭に響いた。言わば独り言を脳内で再生したような、しかし耳には決して聞こえてこない強い違和感。
可能性があるとすれば祠しかない。振り返ってみるも、拳サイズの謎の塊しかない。塊が喋ったのだろうか? 恐る恐る近寄ると、屈んで耳を近寄せてみる。
笑いを含んだ声が再び脳に届いた。
『そうではない。私はヒトの言葉を借りるならば大木そのものなのだ。今お前は、私の上に立っているのだ』
「なるほど。で、要件とは」
セージはあっさり飲み込むと、祠の前にどっかり胡坐を掻いて座り、地面でもあり木である相手の体を撫でた。この場に至って詐欺の片棒を担がされているでもあるまいし、信じることにしたのだ。細かい原理はファンタジー世界だからと考えること自体やめた。
俄かに大気中の光る粒子が強みを増すと、頭に響いてくる声も音量を上げた。
『これは依頼と受け取ってかまわない。我が忠実なる同胞達は戦いに適してはおらぬ。木の手入れは得意な彼らも、害獣駆除は不得意なのだ』
「害獣が何か知らないけど、要するに駆除してくれってことか。んな面倒なことせずドライアド通して言ってくれればいいものを」
『すまぬな。規則なのだ』
もし実体があれば頭を下げているであろう物言いに噴出しかけるも、依頼と言うからには見返りがあるのだろうと見当をつけて、顎を手で撫でつつ質問した。
「それで報酬は」
『森を迷わず出られるように導こう。森である限りどこへでも行けるように』
具体的にどのような方法なのかを質問するべきだろうか悩むも、それよりも仕事内容について質問したかった。相手が木であり壁であり地面ならどこに居ても構うまいと考え、興味関心の向いた祠を観察する。拳程の塊が気になるのだ。
返事に合わせて両手を打っておく。
「のった。じゃあ害獣駆除しに行くから場所教えてくれ」
『場所か。お前はきっと縦穴に訪れるときに中ほどからやってきたはず。下方を覗き込んではおらぬか』
「高くて見えなかったけど………」
目がくらむほどの高さをつい今しがた体験してきたので即座に頷くことができた。相手がこの話を持ち出すということはつまり、下に害獣とやらがいるのではないか。
唇を曲げ、腕を組んで再び胡坐を掻いた。
「嫌な予感がする」
『そういうことなのだ。我が愛しき大地に通じる根っこに憎き彼奴が取り付き液を吸っておる』
肝心なことを質問し忘れていた。敵を討伐しに行くのだから、敵の種別くらいは知らなければ対策のしようがないではないか。姿の見えぬというより、巨大すぎて全貌を視界にとらえることのできない大木に対し、質問を続ける。
「ちなみに害獣とは」
『硬い殻で身を包み………複数の足と目………糸を吐く……』
「また蜘蛛かよ!」
セージは小さく毒づいた。
どうやら奴らとは深い因果で結ばれているようだった。