この世界の住民の夜は早い。人工照明こそあるが電気のように便利でないために、火が暮れたら寝ましょうというのが一般的なため、皆とっとと眠りについてしまうのだ。セージも例外なく眠りについていた。ここは渓谷の里。そう、セージが決心して旅に出る以前の時間軸である。
トントントン。誰かが戸を叩く音がした。
寝相の悪いセージは枕をベッドの下に捨て布団を抱くようにして、寝間着というよりもただの肌着一丁というスタイルで睡眠を貪っていた。顔は穏やかであったが髪の毛の乱れ方は嵐のようだった。
再び戸が叩かれる。最初のノックよりもやや強めであった。
セージの意識が覚醒の瀬戸際までふらついた。目尻が震え、呼吸が乱れる。赤い唇が蠢くと吐息を漏らした。暗闇で布擦れの音が艶めかしく響いた。
三度目のノック。回数も勢いも強い。いよいよ無視できずにセージの瞼が開いた。
「………あふ」
我慢せず欠伸をすると伸びをする。筋肉につられて胸元が大きくせり上がった。肌着に包まれているだけなため、形が露骨となる。
時計などという便利な道具はない。感覚で時間を計測して、誰かが夜遅くに尋ねて来たのだと理解した。
「あ、誰だよ糞遅い時間に………」
里のセキュリティが破られたなるお話は聞いたためしがないし、もし強盗の類ならばノックなどするものか。
悪態をつきつつ布団を跳ね上げると眠い目を擦ってスリッパを足に引っかけ戸まで歩いていくと、鍵を外して扉に僅かな隙間を作り外を窺った。
「どちらさん?」
そこにいたのは、フードを深く被った人物であった。外の光る鉱石による照明も受け付けぬ目深な布が邪魔をして顔立ちが不明瞭であり、人物の特定につながらない。知った人物は少なくとも深夜に部屋を訪ねてくることがない。
「セージ……? セージ! あの、できれば入れて頂きたいのですが」
清流を一枚の布に仕立てたような涼しく美しい声が発せられる。女の声である。気品高い貴族の娘という第一印象を受けた。
「はあ………確かに俺はセージだけど……」
セージは困惑して髪の毛を掻き、胡散臭い目つきで訪問者を見遣った。こんな時間にフードを被って訪問してくるなど、のっぴきならぬ問題を抱えてるに違いないからだ。追い出してしまうのが賢明だろうが、なぜか断る気が起きず、僅かに逡巡するだけで招き入れる気分になっていた。
扉を開き、内部へと誘う。
「わっ」
「? なに」
相手がローブの前を覆った。まるで女性のような仕草であるが、内容は女性というより男性なのが妙におかしくて苦笑いが零れかけた。
「その、服を着てください」
「え、女同士じゃん。一応」
一応、と最後につけて虚しく自身の内側の男性を主張してみた。
扉を開けたことでセージの格好が露わになる。下は下着だけ、上は肌着だけ、軽装を極めましたと言わんばかりの睡眠専用服。パジャマの類も所有しているのだが薄着で寝るのが好きでこうしている。
肌着は少し捲ればお臍が露出しそうであり、下着からはしどけない健康的な二の足が丸見えである。だが女性同士ならば恥ずかしがることはない。男性だったら話が変わってくるが。
変な奴だと感想を抱きつつ、扉の中に入るように促すと、両腕を上に掲げ伸びをし直しつつ部屋のベッドに行き腰かける。
ローブを目深に被った相手はおずおずといった調子で部屋の中央までやってきた。
「んでこんな夜遅くに何の用? まさか絵本の読み聞かせでもしてちょーだいとか、君を食べに来たんだとか、ふざけたこと抜かすなよ。俺は今眠くてイライラしてんの」
「その……信じてもらえるかわからないのですが……」
セージは欠伸を隠さず、手で押さえることもせず、堂々として見せる。人によっては無礼に映るだろう。意図的にそうしているのだ、当たり前なのだが。
ところがフードを被った相手は不快になるどころかますます恐縮して身を小さくして窺う姿勢をとった。申し訳なくて仕方がない、許してもらいたい、そういった態度である。
人物がフードの奥で決心したように息を吐くと、一気に脱いだ。
「ルエです……」
「………えっ」
セージが太陽ならば、〝彼〟は月光のような女性であった。
ぱらりとフードそしてローブが肩から滑り落ちると容姿を外界へと晒したのである。優美な銀髪はあたかも絹のようであり部屋に灯る鉱石の僅かな光を反射して光輪を抱いていた。その一連の流れは歪みも淀みも無く肩から下へとはらりと垂れて匂い立つ蠱惑を放射していた。
優しく、そして小動物のような顔立ち。幼さの中に大人の空気を纏った独特な目立ち鼻立ち。どこか頼りたく不安を内包した視線はセージという女性とも男性ともつかぬ生命体に眩暈を催させる威力があった。唇はふっくらと柔らかそうで血の気が赤々としている。顔の輪郭線はシャープでありすらりと首筋と鎖骨までも細い。
体は衣服に覆い隠され淡くにしか窺うことができないものの、男性用の服を着ているせいで裾が余っており、庇護欲を掻きたてた。
女性とも男性とも形容しがたいエルフ――ルエは、セージより幾分低くなってしまった位置から視線を飛ばした。
「夜、暑くて目が覚めたんです」
そして、ぽつぽつと紡ぎ出した。時折宙を仰いで言葉を選びつつ。
「吐き気が止まらなくて、暑くて……水を飲んでも吐いてしまって。誰かを呼ぼうにも声が出ない。それでふと違和感を覚えて鏡を見てみると―――」
「女になってた?」
言葉の先に助け舟を出すと、こくりと頷いた。元から中性的な顔立ちと丁寧な口調だっただけに下手すればセージより女性らしい。
ルエは戸惑いを隠せずもじもじと服の袖を弄りつつ、セージを見つめた。
「信じて頂けますか?」
「うん、無理。質問に答えてくれよ。問一。ルークの里に来る前、俺は何に襲われたでしょうか」
にわかに信じがたいというのが正直な気持ちであったため、問いかけによって本人を認証しようと試みた。人差し指を起立。揺らしつつ問いかける。
ルエがごくりと唾を呑む音がした。暗闇の先に潜む猛獣を探すかのように唇を使う。
「熊……です」
「正解。第二問。俺の好きな酒は」
「ワイン」
「第三問。ルークのお忍びはどんなんでしょうか」
「女装ですね」
「……………ルエか」
打てば鳴る、立て板に水の解答。二問目までは知っているヒトが多いため確定できないが、三問目は知る者しか答えられぬ。ルークが女装してお忍びしているのを知るのは側近か兄弟の関係にあるルエと、そしてセージくらいなもの。
セージは重苦しい吐息を漏らすと、手持ちぶたな両手を合わせるという仕事をさせた。おもむろにベッドの横を叩いて示すと手招きをする。
「ルエ。随分可愛くなっちゃったんだなぁ。誰に何をされたの」
とセージはすっ呆ける。性別を変える術の被験者のようなものなので、もしかするとという疑惑が頭に渦巻いていた。だが、ルエにだけは知ってほしくないという気持ちが強くあり、初体験を装った。
ルエは両手を振ると、ローブの上から自分の体を抱きしめるようにした。
――――かわいいなぁ! と感じてしまった。なんと可愛い生命体だと。果たして男性視点の女性なのか女性視点の男性なのかは定かではないが、とにかくルエは恐ろしく可愛くなっており、セージはそのように感じた。
「し、知りませんよ! こんな性別変えるような術あるなんて聞いたこともないです! 目を覚ましたらこうだったんです。セージ。僕はどうすればいいんでしょう……」
「んー……どうすればいいか、ねぇ……」
泣きそうな顔で己を頼ってくるルエに対し、セージは腕を組んで考え込んだ。経験があるだけに上手い助言ができると思い込んでいたのだが、実際に前にするとかける言葉がみつからない。
しかし、いつまでも交流を深めているわけにもいかぬ。時刻は深夜。寝なければ明日に差し支える。
わんわんと泣き始めそうなルエの肩に手を置くと、崩れ落ちそうになるのを支えてやる。
「今日は寝ようぜ。明日考えよう。な、一緒に考えてあげるから」
そして翌日がやってきた。都合よく済ますべき仕事も用事もないので朝一番に起床してルエの部屋に向かう。といってもすぐそばにあるので労力は極微でよい。戸を叩くべく拳を固める。三度のノック。戸の向こう側を窺おうと耳を澄ます。ばたばたと足音が部屋を往復して布の擦れる音やらが混乱していた。
戸に口を寄せると、小さくノックして問いかける。
「ルエー? 俺だよー。起きてる?」
「どうぞ……鍵はかかってないです………」
返答があった。左右の耳で計測した結果、それは扉のすぐそばで放たれた声であることが判明した。勢いよく元気よく開くのは憚られた。ノブを捻り、開閉音が響かぬように心を配りつつ内部に滑り込むと、後ろ手に閉める。
そこには、布団がいた。否、布団は出歩かない。足も生えていない。布団を被った何者かが佇んでいるのである。
布団の陰から潤んだ瞳が覗き込んでいるのを発見した。
とりあえずセージは、目の前の可愛い生物の布団をはぎ取らんと手をかけた。その手をセージよりも小さく華奢な手が迎え撃つ。小癪なインターセプターが手を封じて布団への侵犯を許さない。
「布団をさ……着るほど寒くないよな」
「だって恥ずかしくて……!」
「恥ずかしい恥ずかしい言うなよ布団被ってうろうろするほうが恥ずかしいわ。脱げ!」
「嫌です! やめて! やめてください! ああっ!?」
「よっしゃー!」
必死の抵抗を見せるルエであったが、元の男性の筋力ならともかく、小柄な女の子となっているためにセージの腕力に負けて脱がされてしまう。布団を遠くに放ると昨日のダボダボな服のままの可憐な雪のような少女の姿が現れる。
銀髪は乱れており、目は涙で汚れて充血している。平素ならばきちんと着込んでいる衣服も今にも肩からずり落ちそうであった。
セージは自分よりも遥かに小さくか弱くなってしまった男の肩を軽く叩くと机へと誘導して座らせた。
「とりあえず、昨日何があったの。誰かに苛められたとか?」
「何もなかったんですけど……着替えとかお風呂とかトイレとかが!」
「何もできなかったと」
「………はい」
ルエが目をぐいと袖で擦ると、机を叩いて説明した。そして己の手が袖に隠れているのをじっと見遣るとまくり上げた。恥じるように。
なるほどと頷く。セージも苦労したものだ。男の身支度と女の身支度は違うということに。遺伝子が違うのだから生理的な点においても異なる。着替えお風呂トイレは男女の性差を実感させるイベントである。
だからこそルエの服が同じなのだろう。着替えもできずお風呂もとい水浴びもできず。トイレは不明だが、もしかすると用を足すこともできないで一夜を明かしたのかもしれない。
聞くべきか、聞かざるべきか、それが問題だ。
それとなく察してもらうための材料を用意するのも回りくどいので直球ストレート低めを狙う。
「質問なんだけど、ルエ、そのあれだ、あれあれ」
「…………」
「トイレとか…………まだじゃねーのか」
「………! ………」
聞くや否やルエの瞳がぱっと見開かれあからさまに視線を逸らした。隠すのならば平静を装い真顔でいるべきだったろうが不器用なルエにとって困難極まる大事業であった。
男は端的にいえばずらし出してしまうだけだ。一方女は脱いでしゃがんで拭いて云々と工程数が多岐に渡る。女性として暮らしてきたセージならまだしもつい今しがた女性になったルエには辛かろう。
仕方がない。教授して仕る。手招き。意地悪な笑みを浮かべつつ。
「おいでー。一緒にやったげる。おいでってば、おいでよ」
「嫌ですほっといてください!」
セージはおもむろに机を後にすると手招きした。ルエは動かない。仕方がないので背中にまわって押していく。
あとは、そのなるようになったとだけ記す。
「セージ………あのぅ。大変恐縮なのですが言わせてもらいます」
「おう」
「ふざけないでくださいっ!」
「いいじゃんお堅いこと言うなよ色男…………色女?」
「意味が変わってしまいます!」
肩を怒らせ服を脱ごうとするルエを宥めつつ友人らから借り受けた服やらタンスの肥やしにしていた服を着せかえしてみる。セージは男物を好んで着る。女物はタンスにブチ込んで無視を決め込んでいたため新品同様の服が大量に余っていた。
ルエは白亜のフリル付きワンピースを着せられていた。セージが昔貰った一品であり見るなりお蔵入りしたものである。
肢体が長く、そして体の華奢なルエによく似合っていた。銀色の髪の毛と織りなす色の一体感が青い瞳の色彩を際立たせる。もし麦わら帽子を被り海辺に立ったのならば絵画の主人公になれる破壊力を内包していた。羞恥心で顔が赤信号なのも花を添える。
腰を絞り調整すると、ルエから数歩離れて見つめてみる。完璧なる美少女だった。
思わず称賛の拍手を送ると、ルエは唇を噛み眉をしかめてみせた。
「可愛い。嫉妬し……ないけど、可愛い。お世辞抜きでお前可愛いな。もう女でいいんじゃね?」
「うう………嫌ですよぉ………男として生きていたいのに……」
ルエがすぐに泣きそうになるのを、宥めるべく手を握ってやる。あれこれ着せ替えをして遊んでしまったのは迂闊だったかもしれない。
「ごめんごめん! 正直俺の専門外だしさ、ロウのとこに行こう! ロウだったらなんとかしてくれる。俺が保証する」
「セージ。聞きたいんですけどぉ……」
「ん?」
ルエは泣きやすい性格ではなかった。冷静であり優柔不断な男性だった。だが女性になったせいか衝撃の大きさが影響したか泣きやすく情緒不安定になっていた。
セージの手を両手で包み胸元に引き寄せて縋り付いて上目遣いを使う。
「女の子同士って恋愛は通用しますかね……?」
しがみ付いてくることでより一層華奢さが伝わる。運動と訓練で引き締まった体と平均より高い身長を手に入れたセージと比較するとまるで年の離れた姉妹のようだった。ルエもそれなりに鍛えていたはずだが女体化する際に筋肉と身長をどこかに奪われてしまったのかと奇妙な思いに囚われる。
言葉の裏の意味をくみ取った
「するんじゃないの………あーなるほど。いいんじゃないかなぁ。俺はそう思うよ。男女間だけが恋愛じゃないってさ」
「………ぐすっ。ですよね。うん………よかった………」
顔を背けて何やらぶつぶつと独り言に没頭し始めたルエを見つつ、さて次はどんな服を着せてやろうかと下衆な顔をするセージがいたとかいないとか。
という特別篇特有の同人誌っぽいノリだったとさ。
続きません。