セージが嫌いなものとはなんだろうか。二日酔いだとか、辛い食べ物だとか、冷たさだとか、そういった狭い意味ではなく、広い意味である。
それは今と昔で異なるだろうが、一つだけある。己の邪魔をされることだ。散々長老たちに行く手を阻まれたことが全く関係していない訳ではないだろう。むしろ感謝しているくらいだが、まるで役に立たない妨害に関しては殺意すら湧く。例えば女性の体にして別世界に送り込む輩――例えば反乱を企てる輩。
反乱を企てているらしいと聞きつけたセージは頭に血が昇っていたが、自制心で押さえつけていた。まず情報を収集し、見計らい、足並みを揃え、最良のタイミングで横合いから蹴りを食らわしてやるつもりだった。
その女は一週間に一度会合を行い同志を集っているという。ならば参加してやろうではないか。自分勝手な反乱でもしかするとセージ自身の労働期間を大幅に延長してくれるかもしれない計画とやらの説明会に。
女の特徴に合致する人物を発見したセージは、物陰に佇んでいつでも同志の集いに参加できるように身構えた。
リーダー格の女が牢屋とも部屋ともいえる場所で仲間を集めていた。その様子を地面に胡坐をかいて耳を澄ます。
「集まりの淑女の諸君! 我々は、断固として傭兵団のやり方に反対するものである!」
「そうよ!」
「もっとやれー!」
取り巻きがやんややんやと囃し立てるのを、リーダー格の女が片手で制し、いかにも嘘くさい悲しみの表情を浮かべると己の身の上話を始める。身振り手振りの大げさなこと。扇動者にありがちなジェスチャーが鼻につく。
曰く、罪もないのに放り込まれた。
曰く、これは正当な反逆である。
胡散臭いというのが率直な感想であった。セージもある意味で無実の罪であるが、この女からはそれが感じられない。傭兵団に楯突いて捕まったのではないか。後で調べる必要があるだろう。
セージはなかば呆れていたが、同時に己の行動指針を与えてくれたことに感謝していた。
会合で語れらた内容とは要するに働きたくない辛いから今まで自分らが犯してきたことを棚に上げて蜂起しようというものであった。
リーダーが手を掲げれば、オーッと周囲の女たちが同調する。熱っぽい抽象的なセリフで場を支配して思考の方向性を意図的に捻じ曲げる。エルフということで目についたのか、声をかけられるも営業スマイルでお断りして場を離れた。
すぐに男性組と会話できる施設へと向かう。両手でメガホンを作って、声を張り上げた。
「ルエー! でてこーい!」
無遠慮な横やりが入る。酒焼けした男の声。
「ひゅー姉ちゃんの彼氏かい」
「うるせーぞ、引っ込んでろ」
セージが茶化してくる労働者を一睨みで散らす。顔立ちは優しいものの眼光は鋭く、目を細めればたちまち不良かくやという凄みを宿す。労働者は無言で立ち去って行った。
やや合間を置いて、クタクタに疲れ果てた顔をしたルエが歩いてきた。手を胸元で振って近くに来るように指示を送り、自らも鉄格子に体を近寄せて内緒話ができるようにした。
距離がほぼ零となる。耳に口を近寄せて外に漏れぬように工作する。
「なぁ知ってるか。反乱企てるアホがいるの」
「噂で知ってます。もしかして女性組にもいるんですか? 男性組にも一人いて、それなりに支持を集めているみたいですよ」
「そう……言っておくけど」
「大まかわかります。無茶をせず、なおかつ安定した道……潰すことでしょう?」
分かりきっていると言わんばかりにルエは頷いて見せると、セージの格子に絡んだ白魚のような指を一瞥した。前回のように手を握れないかとあれこれ策を練っているのだ。セージはその視線を目聡く探ると自然を装い手を遠ざけた位置に置いた。牽制の意思を込めて瞳に視線を送ると、逸らされた。まるで仕草が女のようだった。まして中性的な顔立ちも相成って、乙女のよう。
元男として心情は分かる。男というのは、女に触れたがる生き物だ。それは指であり、肩であり、背中であり、胸であり。愛しているの言葉が本意ならば、指どころか全身に触れたいと願っていることを容易に推測できた。それだけに指を許せば手、手を許せば胸へと徐々にエスカレートする予感がしたので、拒否しておく。
ともあれ、長年の付き合いだけにいちいち説明しないでも意図をくみ取ってくれるので、会話が楽である。打てば鳴る。ツーカーの仲。
「うん。もし事が起こったら、何もするなよ。するなら傭兵団に加勢しろ」
「セージはどうします」
「俺は………ウーン。魔術使えないからなぁ……そういや、連中首輪はどうするんだろ。電気ビリビリに耐えながら反乱って……電気、根性で何とかなるもんなの」
セージの脳裏には魔術を使おうとして感電した思い出があった。人生初の感電が異世界でとは、思いもしていなかった。
ルエが首を振った。
「無理でしょう、電流が強すぎてまともに身動きできないんですから……。もし電気をいつでも流せるのならば……」
セージは首輪を弄った。魔術を使うや否や電流が流れる仕組みのそれは、ひょっとすると任意で作動できる代物かもしれない。仮説が正しければ電気を浴びて気絶するだけであり反乱は無意味な体力の浪費である。
ルエも同じ疑問を抱いていたのか、首輪を弄り、そして鉄格子を越してセージの首へ手を伸ばし――途中で防がれた。
「お前さ、聞くけど……」
セージはあまりに自然に伸びてきた手をしかし反応してみせ掴み取っていた。掌を甲の向きへ捻じりついでに回転も加えてやる。痛そうな顔へ舌を出してやった。鋭利な輪郭を有する瞳が、じっとり湿った視線を宿し相手の脳天を穿つ。
「そんなに触りたいわけ? おれは、触っていいなんて言ってないんだからな」
「では」
ルエが柵に体を押し付けるようにして距離を接近させると、囚人のように柵に掴まった。
セージは、中性的かつ整った顔立ちが僅かに嗜虐を帯びるのを見逃さなかった。吹っ切れたことで秘めていた嗜好が表層に出現したとでもいうのか。
「触ってもよいでしょうか? できればあちこち触ったり揉んだりしたいのですが」
あちこちという単語に意味深なニュアンスを置いた発言へ、しかし眉一つ動かさず人差し指を手前に引く仕草で答える。慣れが羞恥心や動揺という要素への鎮静剤と作用した。と言っても完全ではなく、声の節々が奇妙に音をはずしていたが。
「じゃ、ちょっと目を瞑って顔をこっちにやってくれ」
「了解しました。これでどうでしょう」
目を瞑った哀れな標的の額に視線という照準用レーダーを照射。反射波から測定した結果と構造データを元に算出された数値を中指と親指に伝えて薬室へ装填すれば、構え、そして放つ。中指のチャージが親指がずれることで解放されて打撃と化し額を景気よく叩く。デコピンである。
「いたっ!?」
「はい触った。指とおでこがぴったんこしたぞ満足かい、色男。はは。俺に自由に触ろうなんざ一億年早いぜ」
もはや子供の理屈であるが、それがどうしたと言わんばかりの尊大な態度を示す。額を押さえて後ずさる姿を見遣り悪戯っぽい笑顔を浮かべ退散する。最後に振り返ると恨みがましい双眸がじっと見つめてきていたので、手を振ってやった。
さて、労働に備えなくては。セージはメローのもとに急いだ。
最悪の気分だと男は酒を飲む。
赤い髪の毛に狼のような鋭い目をした筋肉質な男が一人暗い部屋にて酒瓶を傾けていた。男は一人ソファに身を横たえている。部屋中央にあるベッドには女が一人。金で呼んだ売春婦である。男は暑苦しくなり抜け出したのだ。
「糞が」
男は古い一族の血を受け継ぐものであった。豊富に銅を産出する銅山も受け継いでいた。銅という経済基盤を背景に傭兵団を経営して時に武力で従わせてきた。だが、いまや肝心の銅は産出量を大きく減らし傭兵団もまとまりを欠いていた。男は一族の血を、やり方を変えまいと固執して、それに嫌気がさした妹が逃げた。一族から逃亡者が出たという噂は傭兵団に亀裂を作ってしまった。傭兵団が認められてきたのは銅という背景があったからだ。もし銅を失えば、赤錆のようにそぎ落とされるだろう。
男は悪態を酒で飲みこむと、赤毛にも負けないほど上気した顔をやっとのことで持ち上げて、商売女の寝るベッドに硬貨を投げ込むと、酒で回らない頭を引き摺って部屋を出た。
男には姉がいた。アッシュという名である。姉は一族の中でもとびぬけて頭がよく経営に関して才気を発揮した。妹もいた。逃げてしまったが、妹は一族の中でも特に武術に秀でていた。
姉はこう主張する。銅山はやがて尽きる。早く見切りをつけて傭兵団を拡張すべきと。姉が間違っているとは思えないが、男はどうしても銅山から離れたくなかった。銅山は一族の誇りなのだ、易々と手放していい代物ではない。
そんな男に愛想尽かせた妹は逃げた。傭兵団の中での不穏な噂に恐れたという話もある。果たして妹が間違っているのか男はわからなかった。
だからこそ腹が立つ。なぜ俺の代で銅が底をつきそうになっているのか。
男はいら立っていた。だから、ついこの前捕縛したエルフの娘の腹を蹴るという暴挙に及んだのだ。女を抱こうが蹴ろうが酒を飲もうが不安が薄れることはなく深みへと落ちていく。まるで泥沼のようだ。足掻けば足掻くほど下へ落ちていくのだ。
男は部屋から出ると、よろめきながらも鉱山全体を見回せる塔を登り始めた。酔っているため足元は覚束ないが、階段を踏み外してしまうほど前後不覚なわけでもない。
―――銅の一族のしきたりに固執して財産を食いつぶして、そうかと思えば奴隷商売にも手を染める! おまけに次は暗殺と来たもんだわ。
――家を守るためだ!
――家を? 違う。違う。違う! 怖いんでしょう?
――アシュレイ!
――さようなら。今日から私は一族を抜けて一人で生きる。
――アシュレイ!
脳裏に嫌な映像が過った。資金難に陥り奴隷商売やら傭兵団を暗殺者として派遣するやらと迷走を続けていた。銅の傭兵団――銅の一族は誇りを第一にする。姉であるアッシュが勝手に実行に移したのを男は止められず、その話が妹に伝わった。妹は一族に愛想をつかして逃げた。数年経った現在も発見できずにいる。
一族の逃亡者という噂は傭兵団に罅を入れていた。しかも悪いことに反乱の風説まで流れているくらいだ。
男は鉱山を見下ろす位置へとやってきた。いわば見張り台。侵入者と逃亡者を監視するための施設である。窓際にある椅子に乱暴に腰かけると、背中を丸め窓の外を睨む。
不安で不安でたまらない。一族を守らなくてはならない。けれど守れるかわからない。未来地図を描くためのインクさえなく、羽ペンを持っても砂のように手のひらから溶けていくのだ。
男は外を眺めたまま永延時間を食いつぶした。