その青年は、生きたかったはずなのだ。
よくある話だ。いじめられて、人生に絶望した挙句の自殺。迷惑をかけないように、それでいていじめをしてきた連中の心に一生とれないような傷を残す自殺をしようと思った。
電車自殺。否。
その瞬間をいじめしてきた連中に見せることは難しく、むしろ関係無い人に迷惑がかかる。
リストカット。否。
中々死ねない。しかも痛い。恐怖感は与えど、よほど深く切らねば出血ショックで死亡にはならぬ。
薬物自殺。否。
最近の薬は余ほど飲まねば死ねないし、そもそもそんなことはできない。
薬局で大量に購入したり、コンビニで大量に購入したら怪しまれることは確実である。
青年は悩んだ末、生きることを選んだ。
死んだら生き還らない。命は代用不能で、取り返しのつかない美しく気高いもの。
それをやすやすと捨てるなど、生命に対する冒涜であり、また自分で自分が許せなくなる。親が泣くことは分かった。命は一つだけと思った。だから、生きようと思った。
人間、なんとか生きていけるものだ。特に日本では仮に家も職も家族も無くして社会から切り離されても、生きて行く道はいくらでもある。
だというのに、死んだ。
道端を歩いていたら突如トラックが突っ込んできた。
あ、と思った次の瞬間彼は見事に轢かれていた。何せトラックほどの重量物にぶつかられたのである。体が跳ねて地面を転がる。顔やら腕やらが研磨された。コンマ数秒とかからずトラックのバンパーが衝突、ひしゃげながら肉体を後ろへ流す。後ろにあるのはトラックの下面部とタイヤである。鋼鉄のそれにもみくちゃにされながらタイヤにしっちゃかめっちゃか揉まれコンクリートの凹凸に体を甚振られた。トラックが急停止したことで肉体の損傷はより広がる。タイヤに引っかかったままトラックの制動で生じる左右前後の運動に内臓が壊れる。やっと静止したとき、肉体はほぼ死を迎えていた。
腕は妙な方向に捻じれ骨が飛び出している。顔は皮膚が削られて筋肉と骨が露出。胴体ももはや、生きていける状態にない。肉体から血液が流れ水たまりを作っていく。
無論、意識があるはずない。時速数十kmで鉄の塊が突っ込んだときに気を失っていた。
高校生になって二年目の真冬のことだった。
よくある不幸な事故として新聞の片隅を飾っただけで世間からは忘れ去られた。
どこだここは、と思った。
彼が目を覚ますと、そこは一面の白であった。
記憶を手繰る。思い出した。自分はトラックに轢かれた挙句郵便ポストに突っ込み背骨をボキリと折って死んだのだったと。
だが、妙ではないか。死んだのならそこでお終いではないのだろうか。仮に非科学があるにしても、裁かれるのではないのか。
何故自分は真っ白な空間に全裸で浮遊しているのか。
青年は自分が全裸であることに気がつくと、とりあえず前かがみになり股間を隠した。みっともない格好ではあったが、服も無くまた隠すものすらないのではこうするしかない。
十分、否、二十分?
どれだけの時間が経過したのかはさっぱり分からないが、突如目の前に男が現れた。
男? それは変だ。何しろその“男”は輪郭が極めて曖昧で、ノイズがかかったようにおぼつかない。
霧を人の形にしたと言うべきか、白いクレヨンで人を描いているようにも見えた。
「やぁ」
「………」
その存在が理解出来なかった。
その“男”はニヤリと笑うと(そう見えた)と、親しげな様子で握手を求めてきた。無視した。
と言うより、白の空間に白の男が浮いているのに、一体全体、どうして輪郭や性別を判断できたのかがさっぱり分からない。淵があるわけでもないというのに。
“男”は残念そうに頭を振ると、歩み寄ってきた。地面があるような歩調であるのに、青年が足を動かしても地面など無かった。
“男”が口を開いた。果たして、物理的な口なのかは青年に分かる訳もなかった。
「君にはこれから別の世界に転生して貰いたい」
「…………はい? はい? あの、テンセイ……? というかあんた誰なんですか?」
死んだと思ったら妙な“男”に別の世界にテンセイしろと言われた。天性、点睛、という単語が頭をよぎる。
笑えない。最高に笑えない。これから人生頑張ろうとした時に、どうしてこんなことになったのか。
もう、死ぬほど笑えない。死んでるか。
“男”はひらりと手を振るとまた口を開いた。
「君はね、死んだんだよ」
「はぁ、そうなんですか。じゃあ天国に行きたいんですが。それか家族を見守る守護霊的なのにお願いできますか。あんた、神様的な存在なんでしょう?」
あくまで現実的に考える。死んだのならば死んだなりの身の振り方がある。
「エラく現実的だなぁ、君は。神様って言ったら確かに神だがね」
「ところで、誰が僕を殺したんですか?」
「私だよ」
「あ?」
「私だよ」
青年は一瞬あっけにとられたが、すぐに表情を怒りに染めた。
すぐにでも殴りかかりたかったが、白の空間においては推進力を得るための地面も壁もないので腕を振り回すしかできなかった。
怒りの理由は山ほどあった。生きたかったのに死んだ。家族も友人からも切り離されて、しかも謝罪の言葉すらなくむしろ楽しげに言ってみせた“男”を殴りたかった。
しかしこうも考えた。これが神なら、運命で殺したのではないかと。
神が世界の運命を決めるなら、なるほど、『殺す』のも神様の仕事かもしれない。ならば怒っても無意味ではないか。
そう考えてなんとか怒りを抑える青年。
だが、続いて“男”が言ったセリフで青年は完全にキレた。
「……つまり?」
「暇だったからなぁ………人生に絶望してたし、いいじゃないか。おまけに美幼女でエルフで転生させてやるからさ。な、悪い話じゃないだろ?」
「はぁ!? 死ね! 今すぐ死ね! 暇だったから!? ふざけんなよクソったれ! おまえが死ねよ! 出鼻くじきやがって、ぶっ殺すぞ!」
「ぁー聞こえないなぁ。いいだろ? 人生をやり直させてやるんだから感謝しろよ」
「殺してやる……!」
「ハイ転生―」
青年は股間を隠すことも忘れ、目の前の傲慢な“男”を睨み、傷一つでも良いからつけてやらんともがいたが、一寸たりとも前進しなかった。
“男”は青年の怒号に耳を塞ぐと、最後に『精々楽しませてくれよ』と高らかに笑いつつ指を鳴らした。
畜生め、いつか殺してやる。
アンナモノ神様だとは認めない。
青年は自分の知る限りの罵り言葉を吐き出しつつも、勝手な理由で殺されたことを心に深く刻みこんだ。そして世界を認識できなくなるその瞬間まで、自分を産んでくれた両親と、今まで支えてくれた全ての人に心からの謝罪をした。
殺されてごめんなさい。
―――――世界が、暗転した。
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