ドゲザ。
古来より、最上級の謝罪の念や、嘆願の意志を表すための最上級の儀礼として、遠いセカイの島国に伝わる革新的なスタイルである。
その卑屈すぎていっそ清々しいほどのインパクトは、たとえセカイを飛び越えても、相手の許容精神に訴えかけるものがある、とは、私の持論である。
「本当に、本当に、もう本当に、申し訳ありませんでしたあっ!」
煌びやかな金縁付き赤絨毯の敷かれた伯爵屋敷の一室にて。
ゴシック調の内装の施された壁際に、ずらりと古今東西の美女を集めたかのような、綺麗どころのメイド達(もっとも、ロッテほどの化生じみた美女はいないが)が並ぶ中、私は今まさにそのドゲザスタイルを実行しているところだった。
くすくす、という壁の花達の嘲笑が耳につくけれど、そんなものは聞こえないフリをする。
その相手はもちろん、この屋敷の主であるモット伯爵。
こちらの一方的な思い込みから、見当違いに刃を向けてしまった被害者である。
基本的に、相手と揉めた時、早々に謝ってはいけない、というのが商人の鉄則ではあるが。
ただ、それは飽くまで平民同士での話であり。今回の場合、立場的にあちらが圧倒的に上(エレノアは貴族だけれど)なので、出るところにでても100パーセント勝てないわけで。
よって、この場合、こうして素直に頭を下げて、先方の慈悲にすがるしかない、というわけだ。
使い走り程度であろう、王都からの追手が相手でも、正面から相対するのはまずいというのに、まさか、領主を相手取って実力行使できるほど、私の頭はイカれていない。
いや、もう、なんかね……。どんどんと事態が悪化しているのは気のせいだろうか。
「うぅ、許してくりゃんせ……。まさか、妾の如き下賤のもとに、領主様が訪ねてくださるなど、考えも及ばなかったのじゃ」
普段は天を突くほどに鼻高々なロッテもまた、奨められた椅子に座ることを辞し、跪きながら、必殺・涙交じりの上目使いで許しを乞うている。
このように、彼女はここぞという時はプライドを抜きにして、臨機応変な対応も出来る。伊達に飲み屋の姉ちゃんをやっていなかったということだろう。
もっともその全てが演技なのは言うまでもない。本心は〝ひどく面倒なことになった〟という一点だけであり、〝悪いことをしてしまった〟という謝罪の精神はどこにもない、と言い切れる。私も似たようなものなので、他人の事は言えないのだけれども。
「……悪かったと思うわ。でも、其方側に非がなかったと、ばっ?!」
そんな中、唯一、勧められるがままに、堅牢でシンプルな作りの長椅子に腰かけたエレノアが足並みを乱そうとする。
が、間近に居たロッテが尻でも抓ったか、エレノアの勇気ある(蛮勇な)発言はすんでのところでストップした。
「すいませんっ、すいませんっ」
エレノアの空気を読まぬ発言を受け、私はさらに二度、三度と侘びを入れる。
あんの、お嬢様! 散々、謝らなくていいから大人しくしてくださいね、って言ったのに!
「あ~、良い良い。確かに彼女の言い分は筋が通っておる。紳士を気取る者としては、こちらから謝るべきだろう」
「そのような事は……」
「それに、先程のアレについてはもう許すと言っているじゃないか。他に見ている者もいなかったことだしな。そうでなければ、わざわざ屋敷に招待なんぞしないだろう?」
エレノアの対面、一人がけのソファに腰かけたモット伯は、ちびちびとワインをやりながら、鷹揚に片手をあげて、謝罪を受け入れる。
「……いえ、決して伯を疑うわけではないのですが、本当に許されていいのか、少々疑問が残りまして」
「領主を拘束の上、尋問まがいの脅迫。なるほど、確かに許されざる事ではあるが……」
「は、はひぃ」
「しかし、美しければすべてが許されるのだよ、このモット伯領では! 安心しなさい、私は美人には優しいと評判なのだ」
にぃ、とふくよかな頬を吊り上げて、あまり爽やかではない笑顔を作るモット伯。
あぁ、美人で良かったっ! さすが5000エキューの美人姉妹の名は伊達じゃなかったっ! 美人最高っ! 美人万歳……っ!
って、まぁ、大方はロッテの事だろうけれども。本当、彼女の美貌は大した武器だよ。対男汎用人型決戦兵器ってやつだね。
さて、というわけで、あんな事があったにも関わらず、私達は現在、伯爵家の屋敷へと招待されている。
もちろん、そこで「断る」という選択肢は選べないわけで、言われるがままに、伯爵邸の豪奢な箱馬車へと乗り込んだわけである。
ドゲザ・スタイルまで披露した私だが、内心は割と落ちついている。
なぜなら、モット伯がずっと上機嫌であり、少しも怒ったり、何かを強要するような素振りをみせないから。
卑しい人間であれば、相手がここまで下手に出れば、大なり小なりゲスな面をちらつかせるモノ。しかし、彼にはあまりその兆候は見られなかったように思う。
勿論、どこかで突然、その紳士の仮面を脱ぎ棄てる可能性も無きにしも非ずだが……。善人から悪人、賤民から領主まで、数多の人間と接触してきた直感からして、あまりその心配はなさそうな気がする。
彼を評するとすれば、噂通りの好き放題やりたい放題の好色家というよりは、下心アリのフェミニストにも近いだろう。
ロッテの言うとおり、ツェルプストー辺境伯に性質が近い気がする。アッチのほうが見た目はカッコイイけど。
「もう、申し訳ないという謝罪の気持ちは十分に受け取った。ほら、頭をあげなさい。女性が床に頭などこすりつけるものではない。綺麗な顔が見えなくなってしまうだろう?」
「まぁ、お上手だこと。伯はさぞかしおモテになるのでしょう?」
モット伯の言葉を受け、私とロッテは、ようやく立ち上がり、丁度、長椅子のど真ん中に着いているエレノアを挟むような位置で席に着く。
万一、彼女が失言をかましても、すぐにフォロー出来るようにするためである。勿論、さりげに伯のご機嫌を取る言葉も忘れない。
「いやはや、なんとも男前で、お優しい領主様じゃのう。これはさぞかし、領民も誇らしい事じゃろう」
さすがはロッテさん。いいフォローじゃないか。モット伯も中々にご満悦の様子。
もっとも、メイド達は、「絶対、アレ性格ブスでしょ」とか「けっ、ぶりっこ女が」とか、そんな不穏な言葉をささやきあっているようだが。うん、女の嫉妬ってやつだね。
「何とも口の上手い。流石は旅の女商人、といったところだな」
「あら、何故、手前共が商人だと?」
「ふ、仕事柄、人を見る目には自信があってね。まず、そちらの小さなレディ以外は、トリステインの者ではなかろう?」
「嫌ですわ。どこかに訛りでもあったのかしら」
「いや、むしろあまりにも綺麗過ぎる公用語だったのでね。まるで生粋のガリア人のように」
え? ガリア人っぽい?
あ~、リュティス育ちという、ロッテの影響かな? 三年以上、ずっと一緒にいたわけだし、喋りも似てきているのかもしれない。
このままだと、私も何年後かには、どこぞのお姫様のような口調になってしまうのだろうか。それは御免こうむりたいところね。
「その若き美空で外国を旅する、となれば、貴族の放蕩か、旅芸人≪ジプシー≫か、遍歴商人か、はたまた、貧農の出奔か。しかし、傲岸不遜な傭兵のように振る舞ったかと思えば、今度は従順な下女の如く平伏し、次には最高級の娼婦かのように相手を持ち上げる。これほどの変わり身ができるとすれば、商人しかおるまい?」
「ふふ、素晴らしい。ご明察ですわ」
物語に登場する名探偵のごとく、自信ありげに推理を披露するモット伯。私はにこりと愛想良く笑む事でそれに応える。
しかしこの人、トリステイン貴族の割に、妙に商人に対しての理解が深いわね。
ふむぅ、場の雰囲気も大分和んできたところで。
「時に領主様、そろそろ、妾達を屋敷に招待した理由をお聞きしたいものなのじゃが?」
モット伯の意図について切り出そうとすると、ロッテに先を越されてしまう。
おう。さすが付き合いの長い義姉様。これぞ以心伝心というやつだね。
「うむ、これもまた商人のサガ、か……。結果を求め過ぎるというか。もう少し無駄話という前菜を楽しむのはどうかね?」
「僭越ながら、紳士たるもの、女を待たせるというのはどうかと」
私は焦らすように言うモット伯を急かす。残念ながら、私は無駄と無理と斑(ムラ)が嫌いなのだ。
モット伯は、「参った」と頭を掻きつつ、「もしよければ」と前置きをして、ようやく本題へと入る。
「単刀直入に言うと、この屋敷のメイドとして働かないか? というお誘いだよ」
…………こういう場合、どうやって断りをいれるべきだろうね?
さあ、みんなで考えよう、ってか。
*
案の定、モット伯の提案を聞いて、いの一番に反応を示したのは彼女であった。
「ぐ……、……如きが、この私に向かって、使用人になれ……? なんて、なんて、屈辱……」
歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほどに、屈辱の表情でぶつぶつと呟くエレノア。
俯き加減で歯を食いしばっているあたり、彼女としても、ここで伯を怒らせるのはまずい、というのは、理論上は分かっているのだろう。
が、彼女なりの貴族の矜持というやつが、彼女の本心をダダ漏れにさせてしまっているというのが事実であり。
幸い、エレノアのすぐ隣に居る私でも、はっきりとはその内容が聞き取れないから、伯にもそれはわかるまいが、彼女が不機嫌になっているのは誰の目にも明らかである。
「あぁっと! いや、実はこの娘、〝元〟は貴族の家系でありまして。少しばかり気位が高くて困っているんですよ。あはは(聞こえているって! お願いだから、この場は自重して!)」
「ほんに、申し訳ありませぬのう(お主も貴族だとバレると面倒じゃろうが、たわけ)」
私達姉妹は、花が咲くような満面の笑みをモット伯に向けつつ、隣のエレノアだけに聞こえるように、鋭く小さな声を飛ばす。
「うぇ?! ……あ、ああ! そうね! えぇ、そういうことよ! 私は、元とはいえ、貴族の家系なの。領主……様、とはいえ、あまり不躾な発言は慎んで頂きたいわ!」
自覚がなかったのか、エレノアは、ハッ、としたような表情で、なんとか話を合わせてみせる。
甘く採点しても三十点の反応であるが、彼女にこれ以上の演技力を期待するのは酷というものだろう。
「ふむ、これは失礼。となると、君達はどこかの貴族の? なるほど、それならばその美貌も、まぁ、納得がいくというものか」
何故だか、ひどくがっかりとしたような様子で言うモット伯。
「いえ、私とそちらの姉は、歯牙ない農民の出でございます。こちらのお嬢様とは、成り行きで旅路を共にしておりまして」
「おお、そうか! それは良かった。何せ、私は貴族の女というのが大の苦手でね。特に、この国の貴族ときたら、プライドばかりが高くて、愛想というものがない」
なるほど、それで、今の私達のように、平民をスカウトするわけだ。
そういえば、男性は女性に要求するものの第一として、容姿(顔)をあげることが多いけれど、実は顔そのもののつくりよりも、表情の豊かさの方が重要だ、ってどこかで聞いたわね。
まあ、貴族の女といっても様々な気もするが……。トリステインでは、エレノアのごとくツンケンしたのがデフォルトなんだろうか。
「男は度胸、女は愛嬌といいますものね」
「ほう、それは、中々に良い格言だな。まったくもってその通り。鉄面皮でマグロな女など、誰が愛せようか」
私はエレノアを刺激させまいと、当たり障りのない同意を返すが、伯はより辛辣な貴族(女性限定)批判を繰り出してくる。
過去に何かイヤなことがあったのだろうか? しかし、この話題をこれ以上続けさせるのはよろしくない。
「ぐ……。抑えなさい、エレ────。この程度で自分を抑えられないようでは──」
なぜなら、隣のエレノアが、必死で自分の中のナニカを抑えるかのように、額に手をやって念仏を唱えているからである。
モット伯としては、〝元〟貴族の家系というだけで、彼女を平民としか思っていないのだから、そう悪気はないのだと思うが……。
しかし、おそらくこのような罵倒になれていない、現貴族であろうエレノアとしては耐えられないものがあるだろう。
気分良く話をしている伯を遮るのはやや気がひけるものの、これ以上続けられると、またぞろエレノアが爆発しかねない。
話も脱線しているし、さっさと話題を変えないと……。
「あ、あは、そうですわね、受け身ばかりでは、殿方の興も乗らないというもの。あの、話は変わりますが──」
「一例としては、私の妻だよ。何かあるたびに、『実家に報告させていただきます』だの『このような仕打ち、生まれてこの方、受けたことがございません』だの。ま、もう、今はこの屋敷にはおらんがね。まったく、せいせいする」
しかし、モット伯は止まらない。矢継ぎ早に、今度は奥様の愚痴へと話を繋いでくる。
「……ところで、そちらの小さなレディ、エレノアといったかな? 君は、何か言いたいことがあるようだね?」
「へぅっ?」「い゛っ?」
ちょお?!
突然の話の転換(悪い方向への)に、名指しされたエレノアだけでなく、私の体もまた、びくり、と跳ねる。
「いっ、いえ、そのような事はございませんのよ? この娘、所構わず、一人言ちる趣味がありまして。ね? そうよね?」
「うっさいわね。そんな趣味はあるわけないでしょ」
あっ?
「ここは、我慢しようと思ったけれど。折角のご指名なら、言わせてもらうわね。奥方が怒るのは当たり前よ。そんなこともわからないなんて、モット卿、噂通りの悪辣な色ボケ貴族ね。社交界で鼻摘みにされるのも無理ないわ」
ああっ?!
「これは手厳しい。なるほど、平民の間にまで、そのような噂が」
「噂じゃなくて、事実じゃない。領主ともあろう者が、金にモノを言わせて、こんなに平民を侍らせて……。恥ずかしい、とは思わないの?」
エレノアは、メイド達をぐるりと見渡すようにして言う。
伯からの申し出であるために、無理矢理彼女の口を塞ぐわけにもいかず。
エレノアが言葉を紡ぐたびに、メイド達のどよめきは大きくなる。
私とロッテは、軽くアイコンタクトを交わすと、腰を浮かせて、いつでも逃げられるように待機する。
まさか、ここに来てまで、エレノアの正義の味方ごっこが始まるとは……。
「恥ずかしい? どうして?」
「そ、それは! どっ、どうせ、その、使用人、ということは、よ、夜の、うー、言わせないでよ、そんなこと!」
「それは違う、とは言わないが」
「ほっ、ほら、見なさい! 汚らわしい! 妾を持つだけでも裏切りだというのに、平民のメイドにまで唾を付けるなんて、まっとうな貴族のすることじゃないわよ、ねえ?」
「ほう、そうかそうか。君のご両親は随分と仲がよろしいのだな」
柔和な表情のまま首を傾ぐモット伯に、してやったり、と言った表情で辺りに同意を求めるエレノア。
が、伯が腹を立てたような様子はない。
なんというか、あえて喩えるならば、孫の駄々につきあう祖父……という、感じだろうか?
えっと、これって、逃げなくても大丈夫な感じ? マジで?
「ナニ言っちゃってんの、あの娘?」「ほら、夢見るお年頃ってやつよ」「元とはいえ、貴族の家系なんて言っていた割に、常識ないわねぇ」
しかし、やはり、エレノアに同意する者は、この場には誰もいないようで。メイド達からは彼女を馬鹿にしたようなひそひそ声があがる。
勿論、ロッテも、そして、私も、彼女の意見には首を傾ぐ。
貴族、それも領主クラスの上流なんて、妾を多数侍らせ、世継ぎ候補をいっぱい作ってナンボじゃないの? いや、あまり多すぎてもそりゃあ、諍いのタネになってしまうとは思うけど。
平民にお手付きというのは、そんなに褒められたことではないけれど、まあ、余程のご無体をしなければ、いいのではないだろうか、うん。
「どっ、どうして嗤っているのよ? アンタ達だって、無理矢理に手篭めにされたんでしょう?」
「それは誤解というものだ。彼女達には同意と契約に基づいて、正式な対価を支払ったうえで、この屋敷で働いてもらっている。賊ではあるまいし、無理に攫ってきたワケではないよ」
モット伯の言葉に、メイド達はうんうん、と頷く。
彼女達の無意識であろうその行動は、伯の言葉が嘘ではない事を十分に証明できるものであった。
その気になれば、富裕層はともかく、中層以下の平民など、領主ならば好きにできるのにも関わらず、きちんとスジを通しているっぽいあたり、やはり、このモットという男、エロくはあるが、存外にまともで、キレイな貴族様なようである。
それに、エレノアがこれだけ暴言めいた発言を繰り返しても、微塵の怒気も感じさせないし。
まともな大人は子供の癇癪や戯言にいちいち腹を立てたりはしない、ということね。トリスタニアの徴税官殿とはエライ違いだこと。
しかし、正式な対価、か。一体、どのくらいなんだろうか、ちょっと気になる。
一般的な土地持ち貴族付きのメイドの年収は100~250エキュー程度だけど、お手付きが前提となると……。
しかし、見たところ、その、結構年齢が行っているメイドもチラホラといるから、使い捨て、というわけでもなさそうだし、終身雇用となれば、それほどの上乗せはないか?
っと、いけない。どうにも金の事となると、思考が脱線してしまうわね。
「う、だとしてもよ! 下賤な平民の成金ではあるまいし、その、男女の関係を金で買うなんて、おかしいでしょう?」
「……おい、もうそこら辺でやめておけ。真っ直ぐなのは嫌いではないが、誰かれ構わずつっかかるというのは、さすがに見苦しいぞ」
賛同者が得られずとも、なおも自らの価値観を振りかざすエレノア。
この辺りが切り時と察したか、ロッテがそれに待ったを掛ける。あれ、私、ちょっと影薄くないか?
「アンタ達は黙っていなさいよ。平民に貴族の事が分かるわけないでしょ?」
「はあ……。お主、相当な箱入りのようじゃのう。甘ったれて育ってきたのが手に取るようにわかるわ。見ているモノの狭さ加減が、まるで、餓鬼の頃のこやつ並みにヒドい」
おい、私はここまでズレてはなかったぞ。多分。
大体、箱に大事にしまっておくどころか、野ざらしの挙句に大安売りだったじゃないか。
「甘ったれ?! 侮辱するつもりなら許さないわよ! 私の事も、家の事も全然知らないくせに!」
「おぉ、おぉ、さすが、ヌルい環境で育ってきた餓鬼は堪え性がないのう」
「ぬぁんですってぇ!」
伯の御前であるというのに、あわや掴みあいになりそうになる二人。私は慌てて、二人の間に割って入る。
「そこまで! ロッテ、言い過ぎよ。それと、エレノア嬢、貴女も少し落ち着きなさい。〝もし〟貴女が貴族だったとしても、領主様に意見するなど、10年、いえ、20年は早いわ」
「でも!」
「デモもストもないっ! 貴女の貴族観では、債務もロクに果たしていない書生如きが、王宮の役職まで戴いている当主相手に上等を切るのが普通なの?」
「……っ」
声を荒げて理屈を突き付けてやると、エレノアは吃驚したように目を見開いて押し黙る。
正論がどうというより、彼女はこの手の恫喝にあまり慣れていないのだろう。
「いい? 貴女の両親がどれだけ立派な人間かはしらないけど、私のような立場から見れば、このモット伯だって、お世辞抜きに善良で立派なお方よ」
「ど、どうしてよ? あんた、同じ平民が貴族に略取されているというのに、何も感じないわけ?」
「働きに対してきちんと対価を与えるのは略取っていわないの。悪辣な色ボケ、なんて言っていたけど、本当に悪辣なのはね、見返りや報酬など一切与えず、搾取するだけの連中よ。例えば……そうね。貴女、カノッサス家は知っている?」
なんというか、正義感が強すぎるというか、キレイすぎるんだな、この娘は。貴族には貴族の泥臭さ、ダーティーさがあるはずなんだけれども。
多分、ロッテが言うように、両親がそういった闇の部分からは極力遠ざけているのだろう。
天上の暮らしの中ならば、それもいいかもしれない。汚れを知らぬ深窓の令嬢、ふむ、男性の好みそうな女性像だ。
しかし、下界に降りた今は、ソレは通用しないワケで。
短い間かもしれないが、私達と行動を共にするのだ。少しは現実というものを知っておいてもらわねばこちらが困る。
まあ、この娘を助けに入ったのは、そういう汚れのないところに惹かれたところも大いにあるのだけれど。
「……カノッサス? ロマリアの?」
「そう、今は再興してトスカーナの農村地域を支配する伯爵家ね。もっとも、その昔は侯爵家で、しかも、一度はお取り潰しになっているけど」
「それが。どうしたのよ」
「かつて彼の家が侯爵家だったころの最後の当主、ボニファチオは領民への無茶な略取で有名なのよ。その一例をあげれば、領民が結婚する場合、娘が美女である場合は処女権を、そうでなければ法外な結婚税を要求したわ。勿論、それに逆らう者には死をってね! ま、最期には、圧政を敷いていた平民の恨みを買って、毒矢に倒れたのだけれど」
「……え? ロマリアの教会が、そんなことを許すわけないじゃない!」
「ところが、許されたのよねえ。結果的には、当主が倒れたことで、他の領主や聖職者が訴えを起こしたからお家取潰しにはなったけれど。勿論、こういう貴族は、今現在でも存在すると思うわよ?」
「そうじゃの。ガリアにも、似たような事をしておる貴族がおったわ」
「このトリステインにはいないわよ! 絶対!」
「ほう、国で最も戒律に厳しいであろう、王都の役人があの始末で、よくそんな事が言い切れるのう。中央から離れれば離れるほど、無法になっていくのが世の常というものじゃが」
「うっ」
自らの持つ貴族観を、二人掛りの上、実例込みで否定されたのが応えたのか。
気落ちするような素振りを見せるエレノアを余所に、私とロッテは更に続ける。
「そもそも、体を売り買いするのが悪、という前提がおかしいのよ。人類最古の取引は、狩猟によって手に入れた獲物と、未亡人女性の操だった、という逸話もあるくらいなのだから。もっとも、私がそういう立場となるのは、御免だけどね」
「うむ。対価を貰えるならば、体を売るくらいなんともない、と考える者が多いのも事実。人間、食うのに困れば、貞操など割とどうでもよくなるモノ。そう考えれば、伯のしていることは、むしろ人道的である、ともいえるな。もっとも、妾もそういう身分になるのは、御免じゃが」
「う~……」
私とロッテが捲し立てるように少々乱暴な持論を展開すると、エレノアは頭をわしゃわしゃと掻き毟るようにして、唸り声をあげる。
一気に自らと異なる価値観の情報を流しこまれ、頭が混乱したのだろう。
「貴女と私達とじゃ、育ってきた環境がまるで違うんでしょうから、そう簡単に理解はできないだろうし、貴女の価値観が間違っているとは言わないけれど……。世間では、そういう見方の方が一般的、ということは覚えておいてほしいわ」
「くぅ……。い、いえ、ま、待ちなさい! そういう意見が一般的なのだとしたら、どうしてモット卿の悪い噂が立つわけ? そこのところを説明しなさいよ」
「えっ? うん、それは……」
この話はここでお仕舞い、と締めくくろうとするが、エレノアがそれを阻止する。
この娘、やっぱり、頭の回転はかなり良い。というか、鋭い。それは私も疑問に思っていたところだ。
さて、どう説明したものか、と、しどろもどろになってしまったところで。
ぱち、ぱち、ぱち、と。
対面からの手を叩く音が響く。
「伯?」
拍手の出所は、当然だが、モット伯。
やべ、主役をそっちのけにしちゃってたよ。
「ああ、失礼。君らの博識さと気丈な持論に驚いてね。その歳で既に自分の在り方を確立しているとは」
「勿体なきお言葉を、と言いたいところじゃが……。何か含みを持たせた言い方じゃのう」
「勘が良いな。実は、若い娘ばかりということもあって、商人とはいっても、ロクに考えも経験もない、半分、悪い意味での旅芸人のようなものだろう、とタカを括っていたのだよ。はは、許してくれよ」
「くく、狡いお人じゃの。そう言われても、妾達は許す、許さない、の立場にはないのを分かっておるというに」
「ふっふ、多少の狡さがなければ、領主などやっておれぬよ。しかし、この分だと、私の申し出など余計な事であったかな?」
モット伯は、いかにも軽い感じで、こちらを低く見積もっていたことを自白すると同時に、件の提案を断りやすいような状態へと持って行ってくれる。
無理強いする気はない、という意思表示であろう。やはり、私の見積り通り、相当に好い男だわ、このおっちゃん。
ここでいう、〝悪い意味での旅芸人〟とは、芸を売るというか、体を売りながら定住地を求めているような類の娘達の事だろう。
些か心外ではあるけれど、何度も言うように、女の行商人など韻竜並みの珍獣なのだから、そう邪推してしまうのが普通の反応かもしれない。
ということは、だ。彼が私達をスカウトしようとしたのは、どちらかといえば人助けという側面も強いのでは?
もちろん、彼の言葉通り、男だったり、女でもアレだったりしたら呼ばれもしなかっただろうから、下心はあるだろうが。しかし、手を差し伸べるにあたって、何かしらの対価を求めるというのは、商人的には当然の事であるからして。
「伯のお心遣い、痛み入ります。しかし、やはり、非常に申し上げにくいのですが……」
「はぁ、やはりか……」
「申し訳ありません、好意を袖にするような事を」
「ふむ、残念だが、いた仕方あるまい。商人というのは頑固だからな。断る、と決めたなら揺るぐこともないのだろうし。こちらとしても、ノリ気でない者を無理に引き留めるつもりもないしな」
とりあえず、あっさりと伯の申し出を断れたことに、私は大きく胸をなでおろした。
私の大いなる野望のためには、ここで足止めされるわけにはいかないしね。
しかし……。うぅん、このおっちゃん、ヤケに商人について理解があるような。
もしかして、さっきのエレノアの疑問って。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが……。もしかして、伯って、商売に手を出して、しかもそれで結構な収益をあげたりしていません?」
「……ん。まぁ、結構な収益かどうかはしらないが、シュルピスが本社の商社とは、半投資共同経営≪コンメンダ≫の関係にあるな。いや、王宮の勅使などをやっていると、国内各地の情勢が手に取るようにわかるのでね」
あ、やっぱり。
確かに、王宮の勅使ならば、公的に国内をあちこち回れるし、各領主や領民にも、それとなく話を聞いて回る事も可能であろう。
ただし、それで集めた情報を生かせるかどうかは、経済に対する知識とセンスがあれば、の話だが。
「貴族が商売? ゲルマニアの成金みたいじゃない」
「あら、貴族が商売に関与することを禁止している法はないでしょう?」
「それは始祖の教えで」
「教会法にも、そんなことは一言も書かれてはいないわ。〝厳格派〟の坊さんが息巻いているだけでしょ」
「でも! お父様だって『貴族が金儲けなどに躍起になるとは』って」
「もっとも、商売に手を出した貴族のほとんどが損を出すことになっているから、生半可な覚悟で商売に首突っ込むのをオススメはされないでしょうし、私もしないけどね」
「む、むぅ」
反論を遮って言うと、エレノアはぷくっ、と頬を膨らませる。
エレノアは商人の方が貴族より賢い、と言われているようで気に食わないだろうが、事実、ロマリアのメディチやロメッリーニ、ゲルマニアの四大貴族みたいな有名どころのように、商売がらみで大きな利益をとれている貴族は、割合から見るとかなり少ない。
なぜなら、このセカイの商売形態の基本は、無限責任の共同経営だからであろう。
無限の責任とは、金だけ投資してあとは失敗しても損をするのはその分だけ、というようなものではなく、店が負債を背負えば自らも負担をしなければいけないし、もし舵取りがうまくいかずに、倒産でもさせてしまえば、当然それに責任を負わなければならなくなる、という事。
出資が最も多いからといって、必ずしも最も利益を享受できるわけではないし、とにかく、経営そのものに参加しなければ、儲け話には混ぜてもらえない。
つまり、貴族であろうと、商売をするなら勉強くらいはしていなければ話にならぬ、ということで、『僕』のセカイのように、純粋な投資家、なんてものはいないのである。
私としては、正直、『僕』のセカイの無責任な商業形態よりも、こちらの方が健全な形である、と考える。
この形態は確かに商売に関わる、というハードルは高いけれど、それで良いのではないだろうか。
先見性のないトウシロウが、場当たり的に経済を好き勝手にするよりは万倍マシである。
事実、無軌道な虚構経済が蔓延ってしまった『僕』のセカイは、終わりの見えない閉塞に包まれてしまっていたじゃないか。
「まあ、貴女のその反応が、さっきの貴女の質問の答えだわね」
「どういうことじゃ?」
「悪い噂が流されている要因というのは、商売で成功している、ということ。つまり、金儲けを良く思っていない厳格派の教義に熱心な貴族とか、他に商売に手を出して失敗したような貴族、手を出したいけれど意気地のない貴族のそしりや恨み、妬みってこと。でも、彼らが自分を棚にあげて、それを言うのは格好がつかないから、遠まわしに、伯が好色な事をつついているのでしょう。どうでしょう、違いますか?」
エレノアを押しのけるようにして問うロッテに答えつつ、モット伯へと話を振る。
「ふむ、噂の出所はわからぬから、はっきりとは明言できんが、私もそういう事ではないか、とは考えてはいる。……しかし、いよいよもって、聡明な事だ。これは、メイドとしてではなく、是非とも我が社に欲しいところなのだが、それも駄目かね?」
「魅力的なお誘いではありますけれど……。私には、出来るだけ早く自分の店を持つ、という目標がありますので。そのためには、少々不確実ではありますが、遍歴の旅が一番かと」
「くく、それに、引き留める師匠やら恋人の手前、啖呵を切って出てきた事もあるしの。余所の商社で働いては、ヤツらに合わせる顔があるまいて」
ま~た、この姉は余計な事を。
確かにトリステインに入ってからは、あんまり商売も上手くいかないし、そういう見栄もあるっちゃあるけどさあ。
「ほぉう、恋人がいるのか」
「そうなんじゃ、まったく、色気付きおってからに。しかし、まあ、成功を掴むためには、悪い相手ではないかもしれんが。なあ?」
「ちょっと、やめなさいよ。大体、そんな打算的な理由じゃ……。あぁ、もう、私の事はどうでもいいでしょうが! そもそも、そこまで発展したような関係じゃないっての」
人の恋路を茶化すほど面白いことはないってか。
ふと見れば、先程まではむくれていたエレノアまで、へぇ、と興味津々な感じで話を聞いているし。
まあ、確かにフッガー家の一員、というのは傍から見れば十分に魅力的かもしれないが。
「お相手は富裕な商家の息子か何かかね?」
「ちょっと? 伯?」
「いや、貴族の息子じゃな。なんじゃっけ、〝ブッチャー家〟の三男坊じゃっけ?」
「肉屋はないでしょ、肉屋は?! フッガー家よ!」
悪ノリするモット伯とロッテの会話に、思わず突っ込みを入れてしまう。墓穴過ぎるだろ……。
「フッガー家って、あの銀鉱の成り上がりの? 嘘でしょ? いくら野蛮なゲルマニアでも、領主の子息と平民の娘にそんな接点があるわけないじゃない」
「貴女のようなヤツってことよ」
「どういう意味よ?!」
「ごめんなさい、貴女は道に迷っただけだったものね(嘘だろうけど)。まあ、あいつの場合は家を飛び出してから、三年以上帰っていなかったみたいだけれども」
「はぁ?」
「まあ、信じられないわよね。別に信じてくれる必要もないからいいんだけれども」
端っから疑ってかかるエレノアの反応は当たり前の反応だろう。
あんな向う見ずで親不孝な貴族子弟は、ハルケギニア中を探しても、そうはおるまい。
しかしモット伯の反応は違った。
「いや、信じよう」
「えぇ? いや、そこは信じなくても」
「君らは意味のあるウソは吐いても、意味のないウソを吐くタイプには見えないからな」
「……この身には勿体のない評価をしてくださり、ありがとうございます、でいいのでしょうか、この場合?」
首を傾げながら言うと、モット伯は黙って頷いてみせる。変な信用をされてしまっているようね。
「しかし、そういうことであれば、また話が変わってくるな」
「へっ?」
「ツェルプストーと並んで、ゲルマニア系商社の顔であるフッガー家と繋がりがある、となれば、タダで帰すワケにはいかんよ」
「えぇ?」「んむっ?」
帰すワケにはいかん、などと宣言され、私達は思わず身構えてしまう。
「ああ、違う違う、そういう意味ではなくて」
「はい?」
「商売の話さ。自分で言うのも何だが、ウチの商社は国内では、シュルピス、ラ・ロシェル、レールダムに三店舗を構える、まあ言うなれば大手だ」
「は、はあ」
「しかし、国外には一つの店舗もない、国際的には無名な商社でしかない。まあ、ガリア方面では、主要な都市のいくつかに取引代理人を雇ったりはしているが……。しかし、私も共同経営者も、外国の商家にはあまり伝手がないために、どうしても消極的な事しか出来なくてな。今は何とか、そのとっかかりが得られないかと、右往左往しているところなのだよ」
モット伯はそう言って、大げさに肩をすくめて見せる。
取引代理、というのは、その地方に支社を持たない(持てない)商社が、ジモティーの商人に手数料を支払って取引の依頼をする事だ。
一昔前は腕があっても、資金力に乏しい若い商人なんかの稼ぎ口だったのだけれど、最近では、代理専門の業者なんてものも台頭してきている(つまり、個人から組織への移行により、金だけを持ち逃げされたり、地元の商人同士で結託して法外な値段を要求されたりするようなリスクは減り、今はそれなりに信用の度合もあがっている、ということ)。
支社を打ち立てるよりも手軽なので、国際商業の世界では、割とポピュラーな存在となっている。
「つまり、私にフッガー家との橋渡しをしろ、と?」
「その通り。代わりといってはなんだが、私は君らにウチの商社への紹介状を書こう」
それが出来れば私にとっても美味しい話ではあるけれど。
地元の商人との繋がりが出来るというのは、将来的な意味で大きいだろう。
この国に来てからというもの、まともなコネクションを作れた覚えがないし。
「ですが、先程も申し上げたとおり、個人としてはともかく、商人としては、フッガー家と深い関わりがあるわけじゃあないですよ? 今現在は、本人とも、手紙のやり取りをしているだけの関係ですし。あまり伯のご期待には添えないような気がしますが……」
「いやいや、手紙のやり取り、結構ではないか。ならば、その手紙に、私の事もちらっ、と書いてみてくれぬか? さるトリステインの貴族が父上に会いたがっている、とかな。それでもし了解を取れれば、今度は私の自書を同封する、ということで!」
席から立ち上がって、顔を突き出してアグレッシブにそう提案するモット伯。
こっちの話はヤケに押してくるねえ、この人。ま、こういう熱さがなければ、商売ごとで収益などあげられないわよね。
「しかし、上手くいくかどうかは保証しかねますよ?」
「構わんよ。下手な魔法も数打ちゃ当たる、というやつさ。数ある国外デビューへのアプローチの一つだよ」
期待はしていないが、大したリスクもないし、やって損はないだろう、ってことか。
「まぁ、そういうことでしたら、喜んで協力させていただきます」
「あ、それならば、ついでとはいっては何じゃが、妾達の運んできた荷を見てはくれぬか? いくら自分が経営に参加している商社とて、扱うモノを見ずに紹介、というのは、どうも違うような気がするしの。というか、領主様の太っ腹なところも見てみたいしのぅ?」
私がうん、と返事をすると、それに乗っかってロッテはかなり図々しい提案を持ち出す。
だが、それは良い厚かましさである。ロッテも中々に行商の道が板についてきたじゃない。
大失態をやらかしてしまったために、正常な判断が遅れたけれど、たしかに、領主にお目通り出来るなんて、またとない好機。
これを見逃しては、商人の名が廃るというものよね。
「言われてみれば、それもそうか。しかし、高値で、というのは無理な話だな」
「なんと。領主様は、妾の頼みなど聞けぬと仰るか」
「ふ、取引はあくまで、等価交換が基本、だろう?」
モット伯は、気障っぽくそう言って歯を見せるけれど、煌々と室内を照らす灯りは、彼の整った歯並びよりも、寂しくなった頭をきらり、と光らせるのだった。
私以下三名が、耐えられずに噴き出してしまったのは言うまでもない事である。
*
そして、日付けは変わって。
「結局、時計が360度回ってしまったわね。宿、ちゃんとキャンセルしておくべきだったか」
バンシュからさらに南へと続く未舗装の街道。
夜闇を照らすカンテラを持ちながら、まだ本調子とはいえない馬達の手綱を引いてゆっくりと歩かせていた私は、思い出したように呟く。
転んでもタダでは起きない、の精神(いや、どちらかというと瓢箪から駒、もしくは、棚から牡丹餅?)で、モット伯へと営業を掛けた私たちは、大急ぎで馬車を泊めてある厩屋へ戻り、屋敷へと再度推参したのである。
その結果は…………上々!
ベネディクト工房で手に入れた農具だの、トリステイン産の食料品は売れなかったけれども、屋敷にいる大量のメイド達が使う、道具や日用品の類などは全て、言い値(適正価格)で買い取って貰えたのだ。
ゲルマニア北部製の工業品の質はトリステインでも一部では有名らしく、さほど売り込みをするまでもなく、メイド達はどこぞの大売出しに集まる主婦かのような勢いで掻っ攫うようにして商品を持って行ったのである。もっとも、それを彼女らにねだられたモット伯は、苦笑いをしていたが。
トリステインであろうが、ゲルマニアであろうが、やはり、金のあるところへ行けば、問題なく商売になる、と再確認できたのは大きい。
その後、モット伯に感謝を述べるついでに、地元商社も紹介してもらい、私達は屋敷を辞した。
その足でバンシュの街へ舞い戻り、紹介してもらった小さな商社で、このあたりの名産を買えるだけ買い漁って、今に至るというわけ。
本当は、安全上の問題から、夜に移動するべきではないのだけれど、やはり追手が気になるので、これ以上街に停泊するのは良くない、という判断した結果である。
「あんた、寝ていないようだけど、大丈夫なの?」
「二、三日は起きっぱなしでも余裕よ。二十四時間働けますか、ってね」
「ふぅん、ならいいけど」
幌の中からひょこっと顔を出したエレノアが声を掛けてくる。彼女なりに気を使ってくれているのだろうか。
ちなみに、ロッテのほうは、けたたましい鼾の音から察するに、爆睡中だろう。
「というか、あんたまで、私に敬語を使わなくなってない?」
「そういえば。すっかり失念していましたわ。こちらのカタッ苦しい言葉使いの方がよろしいですか?」
「いや、いいわ……。明らかに敬意を伴わない、慇懃無礼な敬語なんか使われても腹が立つだけだもの」
わざとらしく問う私に、エレノアは、諦めたような顔で、溜息交じりの答えを返す。
「ねえ」
「何かしら」
「私の感性って、おかしいのかしら」
少し間をおいて、エレノアは不安そうな声色で切り出す。
……ふむ、こちらの問いが本題ね。
今回のことで、自らの世界を悉く否定されたような気がして、彼女も揺れているのだろう。
十二歳といえば、平民社会ではともかく、貴族社会ではまだ、社交界にデビューできるか否かの子供でしかない。おそらく、彼女はまだ、自分と家族以外の人間をほんの表面上でしか知らないのである。
自己の形成とは、他人との交流を通して作られていくものである。彼女はその経験が圧倒的に足りないがために、あっさりと他者の言葉に自己を揺らされてしまうのだろう。
もしかすると、魔法学院というのは、魔法を勉強することが主なのではなく、そんな孤独な貴族子女を他者と交流させるために作られた場なのかもしれぬ。
「ええ。私も貴族の世界はよく知らないけど、今まで出会った貴族の中では、おそらく貴女が一番世間から遠いでしょうね」
「そう……。って、随分とはっきりと言ってくれるじゃない」
「その方が貴女の好みかと思って」
「……ま、相違ないわ」
眉をハの字にして不機嫌な表情になるエレノアではあるが、突っかかりはしてこずに、何かを考えるようにして腕を組む。
父母の教えを盲信しているのかと思ったけれど、そういうワケでもないらしい。まあ、そうでなければ、今頃こんな場所にはいないでしょうけれど。
「立派な貴族になるためには、他者の考え方、感じ方も理解できなくてはダメ、なのかしら?」
「ん~、悪いことではないでしょうね。上に立つ者は常に公正、中庸であれ、ってね。公正な判断を下すためには広い見識と多方向からの視点が必要でしょうから」
「……けれど?」
やはり察しのいいお嬢様ね。言外に含みを持たせた事にあっさりと気づいて続きを催促するとは。
「だからといって、自分の在り方までも他人に合わせる必要性はまったくない、と思うわ。ま、世間の常識や民衆の世論くらいは知っておくべきでしょうけど……。とにかく、飽くまで真ん中にいるのは自分。その自分がどういう人間でありたいか、それが大切なのではないかしらね」
「でも、それで周りがついてこなかったら?」
「自分がそれまでの人間だった、というだけよ」
私はそう言い放つと、くるりと、前に向きなおす。
あとは自分で考えることね、という意志表示。
「……厳しいのね」
エレノアの呟きは、満天の星に彩られた夜空に呑まれ、ぽつりと消えていった────
アリアのメモ書き トリステイン編 その2
美人(他称)の商店、トリスタニアにて。地獄に仏とはこのことか。赤字回避に成功。
(スゥ以下切り捨て。1エキュー未満は切り上げ)
評価 さらに危険な行商人
道程 ケルン→オルベ→ゲルマニア北西部→ハノーファー→トリステイン北東部→トリスタニア→トリステイン中南部(バンシュ)
今回の費用 売上原価 224エキュー
旅費交通費 宿宿泊費×3 2エキュー
消耗品費、雑費 食糧、風呂、雑貨 5エキュー
備品代 馬と車の預かり費(まちはずれの厩屋) 4エキュー 商社に預けるよか安いね。ちょっと信用が薄いけど。
計 235エキュー
今回の収益 売上 321エキュー
★今回の利益(=収益-費用) 86エキュー YATTA!シュルピスに着けばさらに儲かる?
資産 固定資産 乗物 ペルシュロン種馬×2
中古大型幌馬車(固定化済み)
(その他、消耗品や生活雑貨などは再販が不可として費用に計上するものとする)
商品 (ゲ)ハンブルグ産 毛織物(無地)
(ゲ)ハンブルグ産 木綿糸 ▲ 完売 メイドさんの下着用
(ゲ)ハンブルグ産 木綿布 ▲ 完売 メイドさんの下着用
(ゲ)シュペー作 農具一式
(ゲ)シュペー作 調理包丁 ▲ 完売 屋敷厨房用
(ゲ)ベネディクト工房 縫い針他裁縫用具 ▲ 完売 メイドさん用
(ゲ)ベネディクト工房 はりがね
(ゲ)ベネディクト工房 厨房用品類 ▲ 完売 屋敷厨房用
(ゲ)ベネディクト工房 農耕馬用蹄鉄
(ト)トリステイン北部産 ピクルス(ニンジン・芽キャベツ・チコリの酢漬け)
(ト)トリステイン北部産 フルーツビール
(ト)トリステイン北部産 燕麦
(ト)バンシュ産 レース生地 △
(ト)バンシュ産 レース地テーブルクロス △
(ト)バンシュ産 レース地カーテン、ベッドシーツ △
(ト)トリステイン中央部産 ブドウ酒(安物銘柄)△
計・944エキュー(商品単価は最も新しく取得された時の評価基準、先入先出の原則にのっとる)
現金 2エキュー(小切手、期限到来後債利札など通貨代用証券を含む) 調子に乗って買い込みすぎた
有価証券(社債、公債) なし
負債 なし
★資本(=資産-負債) 946エキュー
★目標達成率 946エキュー/30,000エキュー(3,15%)
★ユニーク品(用途不明、価値不明のお宝。いずれ競売に掛けよう)
①地下水 短剣
②モット伯の紹介状 ゴールデンチケットとなるだろうか