帝政ゲルマニア、ザールブリュッケン男爵領フェルクリンゲン街。トリステインの南部とガリア北東部に隣接する交易都市の一つである。
いや、受け売りだけどね。まあとにかく、これが私の現在地らしい。
面接の後、私達は主人が決まるまでの宿舎に案内された。宿舎といっても、ボスとの面接を行った建物と同じ建物内の一区画である。
宿舎に用意された部屋は殺風景でこぢんまりとした2人部屋で、寝る時は床に雑魚寝だ。
私の同室になった娘は、10代半ばの物知り少女だった。
彼女は元々ゲルマニアの裕福な商家の娘だったらしく、世間の情勢や地理にも詳しかった。また、口入屋の商売についても知識が豊富だった。
客に呼ばれない時は、基本的に自分達の事しかしなくてよいので、暇な時間が結構ある。正直、ここの生活は実家より随分楽だ(売れた後は知らないが)。
そこで、彼女に世間話がてら、色々と情報を聞いてみたのだ。
ちなみに彼女は、容姿は並みだが、文字も読めて、商売用の計算もでき、教養もあるので3つ星クラスである。実に妬ましい。
彼女の実家が何の商売をしていたのか少し気になったが、それを聞くのはタブーだと思い、それについて質問するのはやめておいた。
どうやら私がいたオン、という地域は、トリステインといっても南の端、ゲルマニア、ガリアに隣接する地域だったらしい。
あの何日かの馬車旅で、いつの間にか国境を渡っていた、というのだから驚きだ。
しかし仮にも領民を商品として積んだ馬車が国境を渡れるのか?という疑問が浮かんだ。
いくら非力な娘達とはいえ、貴族にとっては領民は一応財産のはず。勝手に売買されて、国外に流出までしてはそれだけ税収の面で損害を被るのだ。
と、そんな疑問をぶつけてみたが、普通の人間を攫ってくるような賊の類なら勿論止められるが、売買されて各々のコミュニティから追放された時点で、人ではなくモノ扱いになるらしい(決して安いモノではないが)。
勿論、無秩序に売買されて領民が減っては領主が困るので、口入屋と領主の間で「今回は○人買います。だからこれだけ払います」と話がついているという。その場合、領主側に支払われる代金は家族に払ったものと同等、つまり私の原価は金貨20~30枚程度(エキュー金貨なのか新金貨なのかは不明)と言う事になる。
そして、そのモノが国境を越えた所で、単なる交易と見做されるとの事だ。
この口入屋は、ゲルマニアの商会ギルドに属していながら、トリステインの寒村を中心に人集めをしているらしい。トリステインの農村は、ガリアやゲルマニアよりも、圧倒的に貧しい所が多く、人が安く多く買えるそうだ。
それを聞いた私は、日本の企業が外国人労働者を違法に安い賃金で働かせていたのを思い出して切なくなった。
ちなみに上流貴族(男爵以上)あたりになると、奴隷同然の奉公人など取らずに、自分の領地内で募集を掛けるか、ウィンドボナあたりの大きな商会に求人を任せて、普通の平民と正式な雇用関係を結ぶそうだ。
ここのような口入屋から奉公人を買うというのは、世間体的にあまりよくないのだ。
その事を考えると、どう頑張ってもマトモな主人に当たりそうもない気がして怖い。
「出ろ。そろそろ時間だ。風呂に入っておけ」
ノック無しで部屋に入ってきた大男が、客との面会がある事を告げる。
客に会うのはここに来てから一週間ほど経つが、これで3回目だ。
普通はもっと頻繁に呼ばれるらしいのだが、文字が読めない事と、10歳という年齢もあり、私は人気が無いらしい。
会う、といっても個人的に会う訳ではなく、客の希望に合う娘達を連れて行き、その中から気に入った者がいれば引き取る、というシステムだ。まあ、商品の陳列のようなもの。陳列時の服装は勿論、素っ裸である。
1回目の客は、どうみても助平心丸だしの成金っぽいハゲデブ。多分ロリコン。何せ背後に回られて、フンフンと匂いを嗅がれましたからね私。ちらっと目に入ったその下半身はこんもりと……。マジで鳥肌モンでした。
大方、抱き枕代わりのペットを買うつもりで来ていたんだろう。
不幸にもハゲデブの餌食になった娘は、私と一緒に連れられてきた、あの泣き虫金髪だった。
私は自分が災難から逃れられた安堵とともに、犠牲となった彼女に同情し、心の中で合掌した。アレに買われていたら自殺モノだったな多分。
2回目の客は、1回目よりさらに酷かった。見た目は善良そうな中年と育ちの良さそうな少年。
「パパ、コレどうかな」
「ソレが気に入ったのか?う~ん俺としてはもう少し活きが良さそうなのがいいんだが。主人、試し打ちしてみてもいいかね?」
「申し訳ありませんが、お代を頂く前の行為は控えて頂いております」
私を指さして、あからさまなモノ扱いをする親子。まあそれはいいとして。
“試し打ち”って。その手に持ってる鞭と棒は何なの。親子揃って嗜虐趣味の変態ですか……。
「むぅ、鳴き声を聞けねば決められんではないか」
ほっ。ボスが止めてくれて助かった。エエ人や……。
結局親子は試し打ち出来なかったのが不満だったのか、誰を引き取ることもなく去っていった。
この親子に買われていたら、自殺モノというより他殺モノになっていた。
「チッ、何が試し打ちだ。ロクに商品を買った事もないくせに。次からは出入り禁止だな」
親子が去った後、それまでの笑顔は何処へやら、ボスは不愉快そうに歪めた顔で吐き捨てる。
それとなしに尋ねてみると、あの親子は“試し打ち”と言って何回か娘に怪我をさせた挙句、引き取りもしなかったらしい。
なるほど、それで止めたのか。商品を傷モノにした挙句、金を落とさないのは客じゃないっすよね。納得納得。…………はぁ。
とまあ、2回ともロクでもない客だった。そういう訳で、客と会うのが少し怖いのだが、少なからず楽しみにしている事もある。
それが風呂だ。
なんと、蒸し風呂ではなく、きちんとお湯を張った風呂で体を洗えるのだ。
これは、少しでも客への印象を良くして、早期に買ってもらうためのラッピングのようなものだ。臭い娘なんぞ印象最悪だからね(ここまでの客層を見ると臭いに反応する特殊な人間もいそうだが)。
さて、楽しく嬉しい風呂にも入った。髪もセット。戦闘準備完了だ。
少しでもまともそうな人なら、アッピールしまくってやろう。
あまりに売れ残ると、口にするのも憚られる悲惨な末路が待っているらしいし……
*
「リーゼロッテ様、お待ちしておりました」
客用の正面エントランスで、口入屋のボスが、客らしき若く美しい女性を恭しく出迎える。その表情は気持ち悪いほどの営業スマイルだ。
この口入屋に女性客は珍しい。助平目的にしても、労働目的にしても、圧倒的に男性客が多いからだ。
このあたりの地域はトリステイン・ガリア・ゲルマニアの3国の国境近くである事が影響して、旅の商人などを相手にした宿場町が多く、飲食店や娼館などの娯楽施設が多く存在する。そんな事情から、この店の最大のお得意様はそんな風俗産業を扱う商人なのである。
元々、この口入屋では、男の奉公人も扱っていたのだが、その客層のせいで、売れ残りが多数出てしまっていた。なので、今は女、それも20歳未満の若い娘専門の口入屋になっている。
そんないかがわしい店に客としてくる物好きな女性客は、このリーゼロッテくらいのものであった。
「ああ、今日は事前に言った通り、新しく入った娘を見せてくれ。全員だ」
リーゼロッテは笑顔を貼りつかせたボスに目も向けずに、端的に用件だけを言う。
「……かしこまりました。ではこちらに」
ボスは一瞬顔をしかめたが、すぐに笑顔を作りなおしてリーゼロッテを案内する。
(不気味な女だ。ここ数年でかなりの数の娘を買っているが、一体何に使っているんだか。まあ、こちらとしては売れればそれでいいんだがな……)
ボスは内心そんなことを思いながら、娘達が控えている大広間へと歩を進めた。
ギィ、と広間の扉が開かれる。集められた娘は新規に連れてこられた3人の娘。
アリア、赤毛、長身の3人だ。
「む、4人ではなかったかな?」
リーゼロッテは直立して並んでいる3人を一瞥し、主人に疑問を投げかける。
「はい、1人は5日前に他のお客様に売れてしまいまして」
主人は申し訳なさそうに頭を下げる。
「そうか。ではこの3人に面接を行う。ミスタ、悪いが外してくれ」
これがボスがリーゼロッテを不気味に思う理由の一つであった。
毎回、この奴隷商、ごほん、口入屋の主である自分を退出させて選考を行うのだ。
もちろん自分がいない間に商品である娘達を傷モノでもされれば、即出入り禁止なのだが、特にそんなことはなく、後で娘達に聞けば、特に何もなかったという。
ただ、面接の内容は何なのかを何故か覚えていない、というのだ。それがまた気味が悪い。
「……わかりました。終わりましたらお呼び下さい」
気味が悪いとは思っていても、安定して店に金を落とす上客なので、機嫌を損ねるわけにはいかない。ボスは最敬礼で頭を下げると、静かに広間から退出した。
*
おお……ないすばでぃー!
心の中で叫ぶ私。面会場所である広間にやってきたのは、恐ろしく美人な若い女性だった。女性は胸元と背の大きく開いたショートラインの青いドレスに、白い薄出の肩かけを羽織り、手にはサッチェル型の上品なハンドバックを携えている。
歳の頃は10代後半。腰まで伸ばした美しいブロンドのストレートヘアに、穏やかな雰囲気を演出する若干垂れ気味な大きな青い瞳と、高く通った鼻筋。情に厚そうなプルンとした唇。そのプロポーションは奇跡的なバランスで均整がとれており、露出の多い衣装をつけているのにかかわらず、下品さを微塵も感じさせない。
女性ならば性的な心配もないし、身につけているものも明らかに高級品だ。マントと杖は見えないので、銀行家や、大商人、もしくは資産家のご令嬢か何かだろうか。その性格までは分からないが、柔らかな外見(顔)から判断すれば、とてもではないが酷い人には見えない。
これはちゃーんす!滅多にない優良物件!行くぞ私!頑張れ私!勝ち取れ私!
「さて、では自己紹介から始めようか。私はリーゼロッテという。よろしく頼む」
そう言ってリーゼロッテお嬢様は軽く会釈する。
結構クールな喋り方だが、私達のような商品風情に頭を下げるなんて、間違いなくイイ人である。これは絶対逃してはならない!
「アリアです!トリステインのオンにある農村から参りました!年齢は10歳、何でもやります!やれます!頑張ります!」
「……フリーデリカ」
「ヤネット、です」
あれ~?何か温度差がひどいな。
他の2人は就活を舐めているとしか思えない態度である。
フフ、素人のお二人さんには悪いがここは私が貰うよ。
「元気がいいな君は」
「ありがとうございます!」
私に向かってニコリと神々しい笑顔を向けて下さるお嬢様。好感触……!これはもう内定確実か?!
などと思っていると、お嬢様がいつの間にか急接近して、私の顔を覗きこんでいた。鼻と鼻がぶつかりそうな距離で。
「へぁ?!」
突然の事に変な声を出してしまう。マズい!落ち着け、私。
私を覗きこむその綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。あれ?瞳の色が……
「ね………く…よ」
お嬢様が何かを呟くが、はっきりとは聞こえない。
……何か……ね……むい…………
「うまそうだ」
そんな言葉が聞こえた気がしたところで私の意識は途切れた。
「……んむ?」
どれだけ経ったのか。頭が働かない。焦点が定まらない。自分の状態がわからない。
周りを見れば、長身と赤毛は放心したような様子で立っている。私もそうか。あのお嬢様は……口入屋のボスを呼んできたようだ。お嬢様の瞳はやはり透き通るような青だ。さっきのは見間違いだったのか。
「フフ、この栗毛の小さい娘……アリアといったか。いくらで引き取れる?」
お嬢様はそう言って、私を背後から抱き締める。ローズ系のいい匂いがした。
何も覚えてないけど、いつの間にか私に決まったみたい。
え、決まった?しかもなにこの親愛表現?嬉しい事は嬉しい。だけど何かが変だ。
「星無しですのでエキュー金貨で150、新金貨で200になります」
凄い粗利ですねボス。まあ宿舎での生活費の分もあるしね。流石に中流以下の平民だと買うのは厳しい価格。
「ふむ、そんなものか」
お嬢様改めご主人様は、ハンドバックの中から、金貨の詰まっているであろう袋を取り出し、ポン、と惜しげもなくボスに手渡す。
「その中に代金分入っているはずだ」
えええ、そんな丼勘定?経済感覚がマヒしてませんか、ご主人様。
「お買い上げ有難うございます。では事務室で手続きを致しますので、こちらへ」
「うむ。娘達は少々疲れているようだ。手続きが終わるまでアリアに飲み物を。それ以外の娘は下がらせてやってくれ」
「かしこまりました」
買った私だけではなく、他の娘をも気にかけて下さるご主人様。
「ああ、それと適当な服も見繕ってやってくれ。裸のままでは可哀想だろう」
「は、わかりました。おい!」
ご主人様の要望通りに、ボスは下男に指示を出す。その後、私にここで待つように言ってから、ご主人様とボスは広間のドアから退出していった。
私如きにここまで気遣いをしてくれるなんて、優しすぎやしないか。
私は用意されたシンプルなデザインのブラウスとスカートを身に付けながらそんな事を考える。
美しく、優しく、金もある。こんな人が私のご主人様になるというのか。一体何の目的で?不謹慎極まりないが、目の前のリーゼロッテという女性が不気味に思えてしまう。
それにこの優しさは私を売った日のオカアサンを思い出させる。
馬鹿らしい。
オカアサンとご主人様は全く違うじゃないか。こんなに素晴らしいご主人様への猜疑心が消えない私は、きっと心が汚れているのだ。
「待たせたな、アリア」
「いえとんでもございません、ご主人様」
半刻ほどで、ご主人様は事務室での書類手続きを終えたらしく、広間へと私を迎えに来てくれた。
「ご主人様はやめてくれないか?リーゼロッテでいい」
「は、はい。ではリーゼロッテ様と」
「よし、では行こう」
私に微笑みかけるその表情はとても柔らかで、美しい。裏などあろうはずもない。
先程まで抱いていた疑念は完全に吹き飛ばされ、この主人に選ばれた嬉しさと、他の主人に選ばれなかった安堵感が一斉に込み上げてきた。
もしこの時の表情を鏡で見ていたら、きっと緩みきっただらしない表情をしていた事だろう。
ご主人様に手を繋がれて、外に待たせた立派な装丁の施された箱馬車へと連れられて行く。気分はまるでシンデレラだ。
そこに着くまでにすれ違う娘達に、私は優越感を感じていた。私は幸せを約束されたのよ、貴女達もがんばってね、と。
高揚した気分のまま、私とご主人様を乗せた馬車は動き始める。
私は輝かしい未来を夢想しながら、ゆっくりと流れていく景色を眺めていた。
つづくようです