帝政ゲルマニアの主産業とも言える、魔法を介さない、純粋な工業製品を生産する手工業。
この分野において、我がゲルマニアの技術力と生産力は、ハルケギニアに存在する他の4国の追随を許さない。
その原因としては、始祖の系譜を継ぐ他国と比較して、がちがちの魔法至上主義ではなかった事が幸いしている。
勿論、ゲルマニアにもブリミル教は浸透しているし、上級貴族の殆どはメイジである。
だが、『平民だろうが、力(金)さえあれば、貴族になる事が出来る』という制度に見られる通り、何も魔法だけが力ではないという事を、この国の中枢、つまり皇帝からして認めているのだ。
そんなゲルマニアの誇る工業製品の大部分を生産しているのは、ゲルマニア北部の地域、特に、ハノーファー(金属・機械)、ハンブルグ(繊維・木材)、ブレーメン(化学・軍需)などの工業都市が有名である。
この地域の商工業的な特色として、最も他と違う所を挙げるとすれば、“商業組合《アルテ》と職工組合《ツンフト》の併合”である。
他地域においては、職工組合という組織に認められた(一定の技術力水準を満たす事と、親方加入金を組合側に支払う事によって認められる)、“親方”という資格を持つ職工でなければ、工房や工場を持つ事は許されないのが一般的である。
この制度は、技術の独占、細かい物流の制御、徒弟の育成、職業倫理の徹底、既得権益の保持、という面では優れているのだが、いかんせん、生産量、生産効率という面では上手くなかった。
何故なら、“親方”達の経営する工場(工房)は、非常に細かく分業された小さなもので、その各々が独立した仕事を行っているからである。
例として、羊毛を原料とする、毛織物を製品として出荷する場合、選毛、洗毛、整毛、梳毛、刷毛、紡糸、整経(織機に経糸を掛ける事)、織布を経て、ようやく毛織物として出荷できる状態になる。
そして、この各々の工程“全て”に対して専門の職人が存在しているのである。
これを家内制手工業と呼ぶ。
組合が統率を取っているとはいえ、これだけの職人と設備が別々の工房で、各工程毎に仕事をこなしていたのでは、全体的な進捗の管理は難しく、高い生産性を求めるには無理があった。
では何故、これだけ細かく分業しなければならないのか。
その理由は色々とあるのだけれど、最も大きな理由として挙げられるのは、“親方”という人達は、技術者であり、教育者でもあるが、経営者ではないからだ。
つまり、彼らには分業された工場の壁を取り払い、規模を大きくした場合に、そこに集まる全ての工程に存在する多様な職人を統率し、管理し、折衝する能力に欠けていた。
実際、“親方”達は、自社製品の営業活動を含む経営努力の殆どを、職工組合に頼り切っていたのである。
北部には、今も昔も、手工業以外には、特に目ぼしい産業はない。
厳しい寒さ故に作物の実りは悪く、東部程の天然資源も存在しない。他地域に対抗出来る産業としては、北方の海でのニシン漁程度だろうか。
もし、北側の海を渡って東方とでも交易する事が出来るのならば、また違っていたのかもしれないが……。
そこで、北部の大領主であった先々代のリューネブルグ公爵は、地域の短所を補うのではなく、長所をさらに伸ばす事を目指した。
具体的な方策としては、いくつかの工場の経営権を纏めて経営力を持った富裕商人達に売り、その下で職人達を統率し、生産性の高い大規模工場の実現を果たすことは出来ないだろうか、と考えたのだ。
それは、変則的ではあるが、工場制手工業《マニュファクチュア》と呼ばれるものであった。
ただ、それを推進するためにはまず、手工業において絶対的な権限を持った職工組合を何とか丸め込む必要があった。
商業組合の運営委員《カンスル》でもあった公爵は、改革の前段階として、商業組合と職工組合の業務提携を申し出た。
しかし、この申し出は、職人側の猛反発に遭い、あっさりと撥ねつけられたのである。
当然だ。
この事を認めれば、職人達の権益が害される可能性が高いだけでなく、職人が商人よりも下の立場である、と認めるに等しいからだ。
それは“モノを作るヤツが一番偉い”というプライドを持った職人達にとって、断じて許されない事であった。
彼らは、貴族にすら頭を下げる事を嫌がる程、自分の腕に誇りを持っていたのである。
だが、公爵は自らの考えを正しいと信じ、曲げず、あらゆる権力を駆使して反発を押さえ込み、長い年月をかけて、強硬にこの改革を断行していった。
そして、様々な問題が起きた。起きないはずがなかった。
職人達のボイコット、ストライキ、デモによる生産性の悪化。それに伴う技術者の流出。
商人と職人の対立による物流と経済の停滞、闘争時代の幕開け。
失敗に次ぐ失敗による、公爵家自体の権威の失墜。
市井の人々は、公爵の無能を嘲笑い、皮肉をこめた小唄を唄い、後ろ指を差した。
結局、先々代の公爵は改革の成功を見る事なく、「それでも私は間違っていない」と言い残し、無念のうちにその生涯を閉じた。
得てして既存のルールを曲げようとする行為は、人々の理解が得られず、そう簡単には望んだ結果はついてこないものである。
先見の明があり過ぎた人間というのは、概して不幸なものだ。幸せな人間というのは、愚かな人間なのやもしれぬ。
翻って現在。
北部の工業地域は、未だかつてない隆盛を迎えていた。
そして、その繁栄をリードしているのは、“親方”達が運営する、一つの工程をこなすだけの小規模工場ではなく、領主や富裕商人が出資し経営する、様々な工程と職人を一箇所に詰め込んだ大規模工場だった。
そう、公爵は決して間違ってはいなかったのだ。
長きに渡った暗黒の時代を経て、何とか正常に動きだした商人経営による大規模工場は、これまでにない生産性の高さを見せた。
そして、そこで大量生産された安価な工業製品は、あっという間に、市場を席巻してしまったのである。
勿論、一時期は失墜しかけていた公爵家の権威も、回復したどころか、以前よりも強固なものとなっていた。
では、昔ながらの工場の灯は消えてしまったのだろうか。
そうではない。
近世ヨーロッパでも、イギリスから始まった工場制手工業の台頭によって、職工組合の制度自体は崩壊してしまったが、それまでの家内制手工業の灯が消える事はなかった(産業革命、及び工場制機械工業の台頭までだが)事を考えれば、それは決して不思議ではない。
さらに、このセカイ、というかゲルマニア北部では、より穏便な変化を辿っていると言える。
別に、この改革は商人の利益だけを考えたモノではなく、地域全体の利益を考えた物であったから。
むしろ、“親方”になれない、一般の職人にとっては、働き口の大幅な増加によって、職を求める遍歴の旅に出る必要もなくなり、安心して修行にはげむことが出来るようになっていた(見習い期間を終え、一端になった職人達は、自分で親方になるか、そうでなければ自分の工房を持つために別の都市に移らねばならなかった。小さな工場では、従業員は殆どが見習いで、あとは親方しか存在しないのが普通であったのだ)。
そして、“親方”もまた、若い職人の育成には必要不可欠な存在であったので、その制度自体が廃止になる事はなかった。
その多くは、昔ながらの小さな工場で未だ脈々と、若い世代にその技術を伝え続けているのである。
しかし、その“親方”達の中には、大工場の隆盛を見て、商人の経営者に負けてなる物か、という気概を持つ者も居た。
彼らは大工場の生産力に対抗するために、他の小工場と提携を結び、ともすれば合併した。
勿論、彼らの大部分は、経営については素人であり、失敗し破産するものも珍しくなかったが、成功を収めた者も少なからず現れた。
ベネディクトはそんな成功を収めた“親方”の中の一人であった。
彼は若くして腕のいい職人であったが、経営に必要なのは、職工としての腕ではない事をよく知っていた。
そこで、彼は一度自らの工房を休業し(親方の権利はそう簡単には消えないらしい)、商工組合からの紹介で商家に弟子入りし、経営知識を学ぶ事にした。
既に遍歴商人として活躍していたカシミールと知り合ったのも、この下働き《ガルツォーネ》時代であったという。
しかし、既に20歳を超えていたベネディクトは、商家の見習いとしてはかなりの高年齢で、一つの仕事を覚えるにも大変な苦労をした。
彼は実に8年もの間(普通は5年程度で見習い期間は終了する)、商家の見習いを続け、実際に工房の経営に着手し始めたのは、30歳を目前にした時であった。
それから、およそ15年。
紆余曲折ありながらも、彼の工房はそれなりの成功を収め、ハノーファーでも有数の金属製品メーカーとなっていた。
しかし、今度は別の問題が湧きあがった。
所謂、後継問題である。
彼には13歳になる双子の息子が居た。
当然、“親方”である、自分の後を継ぐ以上、職工としての腕も受け継がせたいのはやまやまではあったが、彼は息子達に自分のような苦労はさせたくなかった。
なので、その息子達には、幼い内から読書き算術を教え、職工として本格的に修行させるよりも先に、商家への弟子入りをさせ、将来的にどちらの方が経営に向いているのか、その適正を見極める事にした。
その弟子入り先として、白羽の矢がたったのが、旧知の仲であるカシミールが経営するこのカシミール商店であったのだ──
「と、これが、あいつらがウチに修行へ来た建前上の理由だな」
「……こんだけ長くて建前かい」
しれっとした顔でいう親方に、私は思わず突っ込みを入れた。
険悪な親子喧嘩の現場に出くわした後。
そのまま居残りを命じられた私は、彼らの詳しい経緯を聞かされていた。
この分だと、今日はロッテとの鍛錬は休みにするしかあるまい。これは僥倖……じゃなくて、残念だなぁ。
まぁ、業務命令と言われては仕方あるまいよ。
「いや、しかしだな。物事はきちんと説明せにゃいかんだろう」
「後半部分はともかく、前半の北部工業史は要らないですね。その程度の知識なら私でも知っています」
「はっ、半人前が偉そうな口を聞くじゃねェか」
「……全く、年寄りは話が長くて困ります……っ?!」
有無を言わせず拳骨が飛んできた。
私は反射的に体を捻って、その拳をするりと躱した。鍛錬の成果ってやつだね。
「避けるんじゃねェ!」
「いや、痛いですしね。……で、本当はどんな理由なんです?」
「……まぁ、平たく言えば、親の手に余る問題児だったって事だわな」
「へ、あの二人がですか?」
問題児、と言う事はアレか。
盗んだ馬車で走り出したり、イケナイ粉末に手を出したり、窓ガラスを割って歩いたりしていたのか?
う~む、とてもそうは見えないんだけど……。
「そうなった理由は分からんが、あいつらはハノーファーじゃ有名な悪たれ坊主だったらしい」
「13歳で?」
うわぁ……。親の顔が見てみたい、って見たわね、そう言えば。
「で、自分じゃどうしようもなくなったベネディクトの奴は、どこかの商家へ放り込んで、性根を叩き直して貰おうとしたんだが、北部の知り合いの商家じゃ軒並み受け入れを拒否。まぁ、どこもそんな問題児を受け入れたくはないだろう。……それで、俺に泣きついてきてな。仕方なしにウチで預かる事にしたんだ。そうでもなきゃ、工場経営者の息子が、交易商になんざ修行にこねェだろう?」
「……まぁ、実際、畑違いですもんね」
北部の工場経営者と西部(南部)の商館経営者では同じ商家と言えど大分違う。
とはいえ、大商会ともなれば、交易以外の業界に手を出している場合も多いが。
例えば、フッガー商会は、アウグスブルグ交易商会組合に属してはいるが、ウィンドボナ中央金融・商取引組合から許しを得て、金貸し業務も行っている。
元々フッガー家は、高利貸しで成り上がった家、という理由もあるが、交易商兼金融商というのは、割とポピュラーなのだ。
ただ、この商店において交易以外はやっていないので、工場経営者の育成にはあまり向いていないと思う。
もしかすると、私がそう考えているだけで、基本は同じなのかもしれないけどね。
「でも今のギーナさんとゴーロさんは全然そんな感じしませんけど」
「それが、大層な悪たれだと聞いていたから、俺も覚悟していたんだが。いざ働かせてみると、言われた通りに仕事はこなすし、大して問題も起こさない。まぁ、無愛想なのは問題っちゃ問題だがな」
「……つまり実家が嫌だった。というか、ベネディクトさんに反抗していただけだと?」
「ま、そんな所かね」
なるほど、父親に反抗してグレてしまったというパターンか。
それで、家を継げ、とか、継がない、の言い合いになっていた訳だね。
二人じゃないと継がない、なんて言っていた気がするけれど、あれは単なる継がないという意志表示なのか、それとも別の意味があるのか……?
「それで、私にどうしろと?こんな話を聞かせた以上、何かやらせる気ですよね?」
「察しがいいな。お前、あの父子をどう思う?」
「どう思うって……。まぁ、無事に仲直りできればいいですね、としか」
「よし。それじゃ、お前、あの父子の関係を取りなしてみろ」
いや、そこでその接続詞はおかしいだろう。話、繋がってないですよ?
「何で私が……」
「暇そうなのはお前しかいねェじゃねェか。ちなみに俺は忙しい。死ぬほど忙しい」
「いや、全然暇じゃないですよ。経理の研修もありますしね」
「じゃ、明日一日は仕事を休みにしてやるから、今日と明日でそっちの方を何とかして来い」
「はぁ?!」
「何だ、文句あるのか」
「いきなり休みにされても困りますよ。それに正直言って、今回の件は私とあんまり関係がないじゃないですか」
「馬鹿たれ!そんな事じゃ商人としてはやっていけんぞ」
「いやいやいや、何でそういう理屈になるんです?」
「これだから半人前は……。いいか、商売ってのはな、利益だのなんだのと言う前に、人と人との関係が重要なんだ。見習い仲間の事を関係ないです、何て言うようなヤツにゃあ、独立は到底無理だろうな。“商売をするには、まず人に与えよ”だ」
親方はそう言って、私の反応を伺うように、じとり、と横目でこちらを睨む。
「うぐ……」
「お前は物覚えはいいが、そう言う所が駄目だ。てんでなっちゃいねェ。“物知りだけでは商売は成功しない”んだよ」
あうぁ、耳が痛い……。
「でっ、でもですね、これは父子の問題でしょうし、赤の他人が首を突っ込むのは筋違いかと」
「さっきのアレを見たろ?このままじゃ何処まで行ってもあのまんまだ。誰かがテコ入れしてやる必要があるんだよ」
「無理ですって。子供なんですよ、私は」
「都合の悪い時だけ子供ぶりやがって」
「大人ぶった事なんてありませんけど」
「ぐ……。とにかく、これはお前の貧弱な人間力を養う研修の一環だ。ほれ、わかったら減らず口を叩いてないで、さっさと行きやがれ。さっきも言った通り、俺は忙しいんだ」
椅子の背もたれにだらりと身を預け、しっしっ、と手を振って面倒臭そうに言う親方。
「むぅ……。本当は、自分が面倒臭いだけの癖に……」
「……何か言ったか?」
「いえ、この件が上手くいったら、私に何かご褒美は出るのかなぁって」
「出るわけねェだろう、何だそりゃ?」
「私は“強欲で自分勝手な女”ですから、ねぇ?」
「……ちっ、ヤスミンの奴か。相変わらず口の軽い……」
私が厭味っぽく言うと、親方は気まずそうに顔を顰める。
「……よし。それじゃ、この件が上手く行ったら、基本の給金を9エキューに昇給してやろう」
「えっ…………。まっ、真剣っすか?」
真剣と書いてマジと読む。
あまりにもあっさりと昇給を口にする親方に、私はやや唖然としながらも聞き返した。
「男に二言はねェ、だったか?」
「9エキューって事は、月に3エキュー増えて……。と言う事は年間で36エキュー増える?!……うほほっ」
親方の言質を取るや否や、夢見心地で金勘定の世界へトリップする私。
「少し落ち着け……」
「……ふひ、ひ、すいません」
「で、やるのか?」
「勿論です!見習い仲間のためですから!人として、当然のことであります!」
「……そうか、頑張れ」
「はいっ!」
呆れたように言う親方に、満面の笑みで答えて、さっ、と踵を返す。
目の前に差しだされた極上の餌に、私は小躍りしながら意気揚々と商店を後にした。
「元々、そろそろ昇給はさせる気だったんだが……な。あいつの場合は早い内に外に出してやった方が成長するだろうし……。ま、これであいつも北とのコネができるだろ。遍歴の旅、最初の足がかりには丁度いいさな」
静寂に包まれた薄暗い商店の中、カシミールはぼんやりとそんなことを呟いた。
*
まずは親から話を聞くべきだろうと考えた私は、ベネディクトが逗留しているという宿に向かった。
ちなみに宿の名前は“美味しいムラサキヨモギ亭”。
名前はアレだが、平民向けとしてはかなり上等な宿だ。さすが経営者だけあって、結構お金持ちらしい。
通常これくらいの高級宿になると、宿側のセキュリティも厳しいのだが、受付でカシミール商店からのお使いです、と告げると、すんなりとベネディクトの部屋に通してくれた。
「やっとこさ来やがって!この腐れ坊主ど……っ、あ、あれぇ、嬢ちゃん?」
「あ、あはは。こんばんは」
どうやら双子が訪ねて来たと勘違いしたらしく、鬼の形相で部屋から飛び出してきたベネディクトに、引き攣った笑顔で挨拶する。
やけにあっさりと通されたのは、双子が来る事を前提に、宿側に話を通しておいたのかもね。
「どうしたい?何か用でもあるのかぃ?」
「えぇと、ちょっと親方に、その、頼まれまして」
「……はぁ、そうかい。カシミールも相変わらずお節介な奴だな」
溜息を付くベネディクトからは、つん、と濃いアルコールの臭いがした。
部屋でヤケ酒でもしていたのかねぇ。
「ま、入りな。何もねえけどさ」
「はい、お邪魔します……おわっ?」
部屋の中へと案内するベネディクト。
私が会釈しながら入ろうとすると、早速何かに躓いてこけた。
躓いたのはワインの空瓶。
うん、これはガリア南西部アキテーヌの酒だ。
ワイン産地としては有名なガリアの品だが、残念ながらこれは2級品。
ボルドー産の最高級品によく混入されるという曰くつきの酒でもある。
価格は一本600~800スゥ程度か……。
「じゃなくて。ちょっと呑み過ぎじゃないですか、ベネディクトさん」
思わず鑑定してしまったが、辺りを見渡せば、部屋の中には10本以上の酒瓶が散乱していた。
ベネディクト達が商店を出てから、まだそれほど時間は経っていないはずなのだけれど、物凄いハイペースで呑んでいたらしい。
「うるせい、放っといてくれぃ」
「……やっぱり、息子さん達の事ですか」
「はっ、あんな馬鹿共知った事かぃ、今日という今日はもう頭に来た!」
ベネディクトは声を張り上げて、呑みかけの酒瓶を手に取ると、ぐいっと一気にそれを呑み干した。
「まぁまぁ、落ちついて」
「はっ、これが落ちついていられるかぃっ」
「えぇ、えぇ。そうですよね。……でも、どうして息子さん達、工房を継ぐことを拒んでいるんでしょうかね?」
「知るかい、べらぼうめ。どうせ工房で汗水垂らすなんざやってられねぇって所だろうよ。こっちに来てからは随分と大人しいそうじゃねえかい」
「はぁ、確かに、暴れん坊には見えませんけど」
「どうせあいつらも、交易商の方が楽に儲けれるし、格好いいなんて思ってんだろうさ。最近の若い奴は皆そうなんだ、嬢ちゃんもその口だろ?」
だらしなくベッドに横になりながら、ひっく、と酒臭い息を吐いて言うベネディクト。
むぅ、ちょいとカチンと来た。
「……ちょっと待って下さい。それは聞き捨てなりません」
「なんでい、違うってのかい」
「交易商は決して楽ではありませんし、格好良くもありませんよ。はっきり言って、泥臭くてリスクばっかり高い仕事です。ま、確かに成功すれば、見返りは大きいかもしれませんが」
「へぇ、じゃあどうしてそんな所で修行をしているんだい?見た所、嬢ちゃんはイイ所の出だろうに」
「……いえ。全く持って違いますけど」
ベネディクトは酔ってどろんと濁った眼でじろじろと私を見る。
どこをどう見たらそう見えるんだ……。
いかんね、この人完全に酔っ払ってるよ。
「まぁ、それはこの際、横に置いておきましょうか……。それよりも息子さん達と仲直りしてみませんか?ぜったいその方がいいですって(主に私の昇給のために)」
「ふん、あいつらは俺をおちょくってやがるのさ。『二人とも経営者にしてくれるなら後を継いでやってもいい』だとよ。そんなもん無理に決まってんだろ?ふざけた馬鹿共に歩み寄るなんざ御免だね」
「……はぁ」
うーん、何か聞く耳持たずって感じだなぁ。この分だとまともに話し合いとかしてないんだろうね。
「かぁっ、クソっ、イラつく!」
ベネディクトは片手で頭を掻きむしりながら、新しいワインのコルクを指の力で抜く。握力半端じゃねぇ。
「……ほれ、嬢ちゃんも呑めや」
「いっ、いえいえ、私はまだ11歳ですので……」
「バーロぉ、オレなんかぁ産湯が酒だったんだぜぇ?」
ロレツの回らない口調で言いながら、とくとく、と汚れたグラスに安いワインを注ぐベネディクト。
もうかなり回ってしまっているらしい。
確かに飲酒の年齢制限はないけれど、流石に11歳の女児に酒を勧めるのはどうだろうか。
「それとも、俺の酒が呑めねえっていうのかぃ?」
「わ、わかりましたよ、呑みますよ。一口だけですよ?」
泥のように濁った目で睨まれ、思わず呑むと言ってしまった。
くそ、絡み酒ってのは、ほんとに性質が悪い……。
『私』は一度もアルコール類は口にした事ないのよね……。『僕』は毎日毎晩呑んでたみたいだけど。
まぁ、一口くらいなら大丈夫よね?
「では、頂きます」
「いよっ、嬢ちゃんのちょっといいとこ見てみたいっ」
「ごふ……っ!」
悪乗りしたベネディクトに、ばんっ、と背中を勢いよく叩かれ、私は思わずグラスに入っていたモノを全て呑みこんでしまった。
や、やばい、まずいとか、そういう事じゃなくて。
頭が、くらくらしてきた。
あれ?
声が。
おくれてくりゅよ?
「ありゃ、一杯で寝ちまったぃ……こりゃ、参ったな。悪ふざけが過ぎたかぁ」
「…………」
ぐでん、とした私を見て、ベネディクトはしまったなぁ、という風に鼻の頭を掻く。
「仕方ねえ、カシミールのとこまで連れてっか」
「……おぅふ」
「うおっ?」
ベネディクトが私を抱えようと近づくが、私はびくん、と電気ショックを与えられたかの如く起き上がる。
うーん?妙に頭がすっきりしてるなぁ……?
「酒、もうねぇんですか?」
「いや、あるけどよ。ほれ」
「…………くはぁ、効っくぅ」
「おい、そんなに一気に……。大丈夫かよ?」
私はベネディクトから、ひったくるようにして開けたばかりのワイン瓶を受け取ると、ぐい、とラッパ呑みを始め、ものの数秒で瓶を空にする。
安ワイン 五臓六腑に 染み渡る
うむ、五七五。
「……さて、じゃ、いきまうか?」
「そんなふらふらで、どこに行くってんだい」
「酒のお礼に一丁、頑固者の父子を仲直りさせてやろうかなって。双子君達の部屋にね」
「あ?何を言ってんだ?」
「いいから、いいから、黙ってついて来なさいな。あ、お酒は1本貰ってく」
「お、おいっ、何で俺からあいつらの所に行かなくちゃならねーんだ?!」
私がに袖を引っ張ると、ベネディクトは必死に拒絶の意思を示す。
照れてるんですね、わかります。
「大丈夫、何とかなるって……。どぉんと、うぉーりぃ。びぃ、はっぴぃ」
「…………どっちにせよ、送って行かなきゃならんな、こりゃあ」
何やら肩を落としたベネディクトと、頭がべりーないすな感じな私は、美味しいムラサキヨモギ亭を後にして一路従業員寮を目指すのであった。
*
「何やっとるんじゃ!遅いぞ、たわけっ!」
従業員寮へ着くと、入り口で貧乏ゆすりしながら待っていたらしいロッテが怒鳴り声をあげる。
あー、そういえば、鍛錬すっぽかしたまんまだったっけ。
「へへ、固い事言いなさんな。ヨテイはミテイ~ってね」
「臭っ!酒臭ぁっ!?……主、餓鬼んちょの分際で酒を呑んだのか?!」
酒瓶片手に言う私に、鼻を摘まんで言うロッテ。
「悪ぃ、俺が悪乗りして呑ませちまったんだよ」
「あ、何じゃ、主は」
すまなそうに肩を落とすベネディクトに、ロッテは怪かしげな顔で問う。
「ベネディクト、つうケチな職人よ。ここで世話になってるギーナとゴーロの親父だ」
「あぁ、あの黒い双子か……」
「おまえさんは?」
「この飲兵衛の姉じゃ」
「ありゃ、そらすまねぇ……」
ロッテを肉親、と勘違いしたのか、一層申し訳なさそうにするベネディクト。
「まぁ、まぁ、ここは痛み分けっつぅことでね」
「いや、意味がわからんのじゃが」
ロッテは怪訝な顔をさらに顰める。
「おい、何なんじゃこいつ。酔っ払ったにしても些か様子が変ではないか?」
「いや、やっぱそうなのか。俺もおかしいとはおもったんだけどよ」
気味悪そうな顔で私をちらと見ながら、ロッテとベネディクトがひそひそと話す。
「なぁにを、こそこそやってんの。ほら、ほら、さっさと行こう。あ、吸血姫も来る?」
「ばっ……。何を言っておる!」
あっはは、焦ってる、怒ってる。
「吸血……?」
「……どうでもいい事は忘れた方が良いぞ?」
「あ、あァ……」
「ま、これでは今日の鍛錬は休みにするしかないのぅ。……じゃ、妾は部屋に戻っておるからの」
何か裏があるのではないか、と思わせるほど物分かりのいいロッテ。
まぁ、私の気のせいだぁね。
「頼もーぉっ!」
ベネディクトを引き連れた私は、どん、と寮の2階東奥の部屋、つまり双子の部屋を蹴り開ける。
「……アリア?!」「……と、親父かよ。何しに来た」
「ふん……」
一瞬ぎょっとした表情になったギーナとゴーロだが、ベネディクトが居る事に気付くと、たちまち不機嫌な顔で吐き捨てる。
ベネディクトもまた、仏張面でそれに答える。
「えぇいっ、やめやめっ!」
険悪な雰囲気を漂わせ始めた場を打破しようと、私は父子の間に割って入る。
「……な、なんだよ」「……おかしいぞ、アリア」
「私が不器用極まりない父子のために一肌脱いであげるつってんの。……そうだ。お酒が入れば少しは本音も喋れるんじゃないの?」
私はそう言うと、一本と言いながら、三本ほど脇に抱えてきたワイン瓶をどすんと双子の前に置くと、部屋の戸棚にあった不揃いなグラスを四つ持ってくる。
「……やっぱりおかしい」「……酔ってるだけ?」
「呑みなさい。いや、呑め。それとも私のお酌じゃぁ不満?!」
「……いえ」「……頂きます」
私が瓶をぞんざいに傾けると、双子は恐縮しながらグラスを手に持つ。
うんうん、人間素直が一番だね。
「ほぅら、おっちゃんも。酒は“心の特効薬”ってねぇ」
「あ、あぁ……(おっちゃん?)」
釈然としない顔をしながらも、杯を飲み干すベネディクト。
ついでに私も貰っておこう。
「……ぷはぁ。美味ぇ。よぉし、じゃ、いい雰囲気になった所でね」
紫色になった口を拭いながら言うと、なってない、と言いたげな顔で私を見る父子。
「仲立人として、不肖、この私が双方の言い分を聞かせて貰いましょうか」
「なんでアリアが?」「関係ないじゃん」
「親方の指示」
「……うえ」「……参ったな」
「そしてその上で……っ。どっちの言い分が正しいか、私が判定するッ!」
そう言って天に拳を突き上げると、三者三様の呆れ顔を浮かべるが、私は構わず続ける。
「はい、では早速、ギーナとゴーロ。……君らは結局、将来的にどうしたいわけ?」
「……それ答えないと」「……駄目か?」
「さっさと言うっ!ウジウジした男は嫌いよっ!」
「……やれやれ」「……はぁ、仕方ないな」
私が声を荒げると、それに押されるように、ぼそりぼそりと喋り始める双子。
「……俺達は、兄弟二人で何かをやりたい」「それは交易でもいいし、工房でも構わない、と思っている」
「なんだとぉ?どっちでも構わないなんててめぇ、一体何様のつもりだ、ぃっ!?」
「ここは黙って聞きましょう、ね?」
「つつ、はいはい、わぁったよ」
掴みかかろうとするベネディクトの首筋に、軽く水平チョップを入れて黙らせる。
「つまり二人一緒にやれるなら何でもいい?」
「何でもいい、とは言わない」「けど、そんな所かもな」
ふぅん、“二人なら継ぐ”というのは本心と言う事か。
「なるほど。それに対しておっちゃんは?」
「いつまでも仲良くおままごとしてられる訳じゃねーんだ。おめえらももう素人じゃねえんだから、二人で仲良く経営なんざ、無理だってわかるだろうよ。一人が家を継いで、他は家を出る。これが常識だろうが」
ふむ、それはまた極めて正しい意見ではあるね。
「親父はいつもそうだな」「あぁ、まともに俺らの話を聞いた事がない」
「てめぇらこそ勝手ばっかりしてるだろうが!てめぇらのやんちゃで、オレがどれだけ近所に謝りにいったかわかってんのか?」
「職人出の癖に世間体ばっかり気にしやがって」「そんな事だから母ちゃんにも逃げられるんだよ」
「ぐ、ぐぐ……」
舌戦が終わると、再び睨み合う三人の父子。
ううむ。一番の原因は、双子とベネディクトがどちらも頑固者ということだぁね。
双子がグレたのも、それが原因なんだろう。
この感じだと、他にも色々と複雑な事情はありそうだけど。
ま、でも今回は後継ぎの問題だけに絞った方が良さそうかねぇ。
「アリア」「お前は俺達の味方だよな?」
「何言ってやがる、オレの言う事の方が正しいに決まってる」
暫く睨み合いを続けた父子は、今度は睨む標的をこちらに変えて言う。
「ま、結論から言うと、どっちが正しいとかはないわねぇ、実際。だから妥協点を見つけよう、って感じかな」
「妥協点?」
「客観的に見て、明らかに理不尽な言い分なら口を出したかもしれないけど、このくらいの食い違いならどうしろとは言えない。私も親方もさ、結局は赤の他人でしかないから。だったら、後は父子で話し合うなりして、お互い納得のいくようにした方がいいんじゃないかなぁ、と、思う次第で。月並みで悪いけどもね」
「むぅ……。しかしだな、オレが言ってるのは職人の世界じゃ常識なんだぜぃ?」
自信満々に言うベネディクト。
だから、そういう問題じゃないっつうの……。頭固いなぁ。
「はぁ。じゃ、双方の言い分だけどさ」
「あぁ」
「“船頭多くして、船、山に登る”という言葉がある通り、確かに二人で経営しよう、なんてのはちょっと無理じゃね、とは思うよ?いくら今は仲が良くても将来が不安だものね。特に結婚なんてした後は、今度は後継ぎの問題で工房が分裂してしまうかもしれないわよね」
「はは、そうだろ、そうだろ。俺はそれを言いたいんだよ」
とりあえずベネディクトの意見を肯定してやると、彼は上機嫌でそれに賛同する。
「フネが山を越えるのは普通だろ?」「そうだ」
「はいはい、そうね。だけども。それは、おっちゃんの問題じゃなくて、継いだ二人の問題じゃないのかな、とも思うのよね」
「……む」「……ぬ」
「それに、三矢の訓、という言葉もあるし」
「なんだそれ?」「聞いたことない」
「1本の矢なら簡単に折れるけど、3本纏めれば簡単には折れない、と言う事。これは、かのモーリ家の三人兄弟が」
「モーリ家?」「どっかの貴族?」
「……と、まぁ、それは置いといて、つまり力を合わせて結束すれば、怖いものはないという事よ」
「成程、いい事を言う」「あぁ、きっと凄い貴族だ」
うん、確かに凄い貴族ね。武家だけども。
「だから、どっちの言い分にも正しさはある訳。だったら、双方の意見の、真ん中を取りなさいって事。今こうなってるのは、両方ともまともに意見を聞かなかった結果なんだろうし」
「ぐ、むぅ」
私の推察に、バツが悪そうに唸るベネディクト。
「だから、きちんと真正面から話し合え!思っている事をお互い全部曝け出せ!そして殴り合え!」
私は酒を呷りながら、父子を煽る。
「へ、成程……。そいつはいいかもしれんな。思えばこいつらを甘やかしたのがまずかったのかもしれねえし」
「老いぼれが俺らに勝つ気かよ」「なめてんのか?」
「おぉ、やってやろうじゃねえかい。表出やがれっ!」
ぎろり、と睨み合いながら、父子は元気に部屋を飛び出していく。
我ながら滅茶苦茶な裁きだが、この父子には荒療治の方がいいだろうからね。
余った血を全部抜いてしまえばいい。
終わった頃には、少しは歩み寄っている、かもしれない。
後は運を天に任せて。
「これにて一件落着、になればいいんだけど」
「……そう上手くいくかの?」
表から聞こえてくる父子の罵声を聞きながら呟くと、開きっぱなしのドアからロッテが顔を出した。
どうやら、自室になんか戻ってなかったみたいねぇ。
「さぁ、ね」
「……いつもなら“上手く行かせるのよ”と言うわの」
「そうかもねぇ」
「言葉選びも、間の取り方も、いつもより年寄り染みていたのぅ?」
「そりゃ、酔ってるからじゃない?」
「……ふん、まだ惚けるか」
なぁるほど、私の正体を探っているって訳か。
別に話してもいいんだろうけど。でも、今は駄目だね。
「ま、貴女の知っている『私』ではないかもね」
「……どういう事じゃ?」
「ま、いずれ分かるよ。『私』が話す時が来れば」
「……むぅ、ますます訳が判らん奴……?」
途中まで言って、突然に手の甲で目を擦り出すロッテ。
「目の錯覚か……?」
「どうしたの?」
「……いや、何でもない。さて、そろそろ部屋に戻ろうぞ」
「そうねぇ。さすがに眠くなってきたし……」
未だに聞こえてくる父子の激しい対話をバックミュージックにして、5000エキューの美貌姉妹達は寝床に付くのであった。
*
そして翌日。
「おうぇぇぇええ」
私は朝から便器とお友達になっていた。
とにかく気持ち悪い。これは完全に二日酔いと言うヤツだろう。
親方から休みを貰っていて良かった……。これでは仕事など出来るわけがない。
ハルケギニアの商人達は、何としても漢方薬を東方から輸入すべきだ。
さて、昨日の記憶は、ベネディクトの部屋に入った辺りからすっぽりと抜け落ちていた。
ロッテから聞く所によれば、父子の方は酔った私が何やら上手くやったみたいだけど。
ふぅむ。さすが私ね。なんつって。
「おい、反吐娘。客が来とるぞ」
「はぁ、ふぅ。え、何?」
「客じゃ!昨日の岩親父が来ておる」
「……今、行くっ」
吐き気を何とか押さえて、ドアの方向へ向かう。
ふむ、ベネディクトが訪ねてきたという事は、昨日の件か。
実のところはどうだったんだろうか……。
「おぅ。嬢ちゃん」
「お、おはようござい、うぷっ、ます」
顔面を紫芋のように腫らしたベネディクト。
しかしその表情は明るい。どうやらロッテ情報は間違っていなかったらしい。
「その様子だと、何とか仲直りは出来たみたいですね」
「ま、少しマシになった程度だがよ。今度の収穫祭の時期には、とりあえず二人とも家に帰って来るつっててな。そこで改めて話し合いだ」
「そうですか。良かったです。あ、あの二人は……」
「商店に行ってるぜ。オレよりひでえ面にしてやったがな、はっはは」
ベネディクトは自分の顔を指して言う。
その場で解決、と言う風には行かなかったようだが、この様子だと、そのとっかかり程度は出来たんだろう。
「ま、礼と言っちゃなんだがよ……。これを受け取ってくれい」
「これ……?」
どさ、と背中に背負った大きく重そうな麻袋を下ろすベネディクト。
その中からはかちゃかちゃ、と金属器具の擦れる音が聞こえてくる。
「いや、嬢ちゃんは結構危ない目に遭いやすい体質だって聞いてな」
「はぁ」
私はトラブルメーカーか。あの双子め、余計な事はよく喋るのね……。
「そこで、ウチで開発した製品よ。嬢ちゃんにも使えそうなものを選んでみたんだが」
「製品?」
「あぁ、ほら」
ベネディクトが麻袋を開けると、中から出てきたのは、様々な武器だった。
スティレット。フリントロック・マスケット・ピストル。連装式クロスボウ。シュバイツァーサーベル。ハチェット。その他色々。
成程、私にも使えそうというのは、扱いの難しさは別として、どれも比較的軽量な武器だ、という意味だろう。
それにしても、どれも一流品である事が見ただけでわかる程見事なものだ。
「これ、本当に貰ってもいいんですか?これだけイイ物なら、売っちゃうかもしれませんよ?」
「好きにすりゃいいさ。これは、他の地域で売れるかどうか、試しに持ってきたサンプルの一部だからな。北部の連中だけで評価し合ってても、同じような意見しか出ないから、カシミールに評価してもらいに来たんだよ。あいつらの事はこれのついでだな」
「えぇと、つまりこれって試作品みたいなものですか?」
「試作品、というかまだまだガラクタレベルだな。どんな欠陥があるかわかったもんじゃねえから、下手に売り捌いたらヤバイ事になるかもしれんぜ」
額に皺を作って笑うベネディクト。
「ふふ、わかりました。肝に銘じておきます」
「それと、もし嬢ちゃんが独立して、北部の品が欲しくなったらよ。うちに手紙を書くといいさ」
「え、それって……」
「あぁ、言ってもらえれば、オレから組合に話を付けておくからよ」
余所の組合の人間が、他のシマで商売をするには、かなりの制限がかかるのだ。
しかし、組合員に個人的な繋がりがあれば、その制限も若干緩くなる。
武器の贈り物も嬉しいが、これはもっと嬉しい申し出だ。
「あ、是非、よろしくお願いします!……といっても、もうちょっと先にはなると思いますけど……」
「構わんぜ。何年後でも。大した手間じゃあないしな」
「ありがとうございます。でも、できるだけ早いうちに連絡が出来るように頑張りますよ。忘れられたら困りますしね」
「かっ、恩義を忘れるような不義理な男に見えるかい?」
軽口を叩きながらも、がっちりと握手を交わす、私とベネディクト。
うーん、瓢箪から駒と言うやつか。思わぬところでこんなコネが手に入ってしまった。
それとも、親方はこれを見越していたとか?
いやいや、考え過ぎだろう。
「ほほぅ、これは中々……」
いつの間にか麻袋の近くに腰掛けたロッテは、スティレットを手に取って、興味深げにまじまじと眺める。
「しかし、これだけあると、どれを使えばいいのか、迷ってしまうのぅ」
「何、一通り使ってみて、しっくりくるのを一つだけを選べばいいのさ。一つの武器を極めるには、膨大な時間が掛かるからな」
私の方を見て問うロッテに、ベネディクトが横から答える。
「ふむ、なるほど。では、早速試してみんといかんわな。非力なこやつには、こういった武器が丁度いいじゃろうし」
「え?」
ロッテは言いながら、がしっ、と私の首根っこを掴む。
「ちょ、ちょっと、私、具合が……」
「心配するでない。二日酔いは汗をかけば治るんじゃ。それに、主は昨日の鍛錬をサボったからの。今日は白目を剥いても扱くのをやめんからな」
やる。ロッテならやるよ、絶対。
「やーめーろぉっ!た、助けて下さいっ!」
「はっは、やっぱり父子も姉妹も仲良くなくちゃあ、いけねえなあ」
連行されていく私を見て、面白そうに快活な笑い声を飛ばすベネディクトに、心の中で裏切り者、と叫びながら、私は今日も地獄へと引き摺られていくのであった。
つづけ