「ふむ、佐藤の言う通りだったな。学食も悪くない。
俺はこの『レギュラーカレー』の庶民くささが好きになったぞ」
「ああ、別名『具なしカレー』のことか」
学食のおばちゃんに聞くと、よく煮込んだから具がないらしいが真相は定かではない。
ただし、量だけはある。あの相撲部部長山田の大好物なだけはある。
俺は田中と石川と一緒に三人で学食で昼飯を食べている。
不思議なことに先ほどからずっと田中は無言のままだった。
何か言いたげなのを我慢し、時折グラスに入った水を飲んでいるだけだった。
「どうした田中? 何かあったのか」
「で、デートをしよう――」
「えっ?」
田中の言葉を聞いて俺は箸を、石川はスプーンを落とした。
彼の頬は、まるで初夜を迎えた生娘のように赤く染まっているではないか。
硬直――学生食堂内で俺たちのスペースだけ時が止まったように思えた。
俺と石川が、停止から復帰するのには数十秒を要した。
「……いいか田中。俺とお前は友達だ。
それに間違いはないがそれ以上いけない。親友が限度だ」
「その通りだ。愛の形は人それぞれだが、お前が行こうとしているのは茨の道。
止めはしないが、其れ相当の覚悟はできているのであろう?」
「ち、ちょっと待てよお前ら! オレがいつ同性愛者になった!!」
今度は佐藤たちだけではなく、周辺にいた人たちまでが反応した。
好奇の視線が消え去るまで、気まずい空気を耐えるしかなかった。
「違ったのか?」
「ちげえよ。俺は今度の週末に、滝川をデートに誘おうと思っていたんだ。
それをお前たちが途中で区切るから、変な風になっちまったんだよ」
「はは、そうだったか。失礼したな」
石川のその謝りは、形式上のものに近かった。俺の方は我関せず味噌ゴーヤ丼を食った。
味噌の甘みがゴーヤの苦味と絡み合い、非常に旨い。
石川を田中に引き合わせたのは数日前だった。
偉そうだが、自分のことは鼻に掛けない。そんな石川と田中はすぐに打ち解けた。
今では、こうして三人で学食にいることが多い。
「お前って女子と付き合った事ないんだよな。大丈夫なのか?」
「ああ……。だけどよ、まあ頑張ってみるぜ」
「そうか」
今度、豚バラが安い日に味噌ゴーヤチャンプルを作ろう。
俺はそんな事を考えながら、田中の話を聞いていた。
▽
正しい主人公の倒し方 第七話
~ある日サブと三人で 語り合ったさ~
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「まずは、今週末のテスト合格しなきゃいけねえぜ。
クリアしねえと土日が補習になるからな……」
「田中よ、お前は勉強が苦手なのか?」
「二人と違って、補習授業常連者なんだよ」
マヨネーズをあえてもいいかもしれない。味噌とマヨは相性がいい。
むしろ、完成した後にマヨをぶっかけてみてもいいだろう。
夏でもガツガツ喰っていけるようなこってりさが出るかもしれない。
「お~い。佐藤聞いているか?」
「ん? やっぱりぶっかけた方がいいかもしれないな」
「はあ? 何を言ってんだお前は」
頭の中からゴーヤを一旦消して、真面目に話を聞くことにした。
どうやら今度の金曜日にある日本史のテストのことらしい。
「石川は勉強よく出来るからなあ。この前の期末にも掲示されていたし」
「忌まわしき英才教育のお陰だ。小学生の頃に友人と遊んだ記憶がない。
今は助かっているが、後悔もしているぞ」
「オレは今後悔しているよ」
とほほっとため息をつきながら田中は言った。
テストで成績優秀者の上位10名は掲示板に貼り出される。
その横に貼られるのが、補習組の成績劣等者になる。
「でも、意外なのは佐藤も最近成績が良くなった事なんだよな」
「えっ、俺か?」
「あんまし話さなかったけど一年生の頃は、お前とよく補習してたんだぜ。
それなのに、二年になってから一度も補習教室に顔を出さねえもんな」
勉強は好きではなかったが、今なら効率良く出来る。
仕事相手の顔を伺うことや採算が合わない数字と睨めっこするより遥かに楽だ。
そういえば、分からない箇所を教師に聞きに行ったら驚かれたことがあったな。
俺が来る前の佐藤とはそういう生徒のようだ。
「一生のお願いだ。頼むから俺に勉強を教えてくれッ!」
学食の机に両手と頭をつけて頼む田中。
もし机がなかったら彼は土下座していたかもしれない。それほど気迫の篭った申し込みだった。
「簡単に一生分を使うではない。手伝いたいのは山々だが、すまない。
この一週間は部活がある。佐藤の方はどうだ?」
「俺は帰宅部だからな……。明日あたりなら見てもいい。
日本史は暗記科目だし一夜漬けでもなんとかなるかもしれない」
「マジかッ!? 恩に着るぜ佐藤」
俺の手を握りながら、田中は満面の笑みを浮べていた。
とりあえず、腕が痛くなるから握った手を上下に振るのは止めて欲しい。
「田中よ、今度のテストは戦国時代から桃山までが範囲だったな。
この問題はどうだ?」
俺たちが手を握り合っている横で、石川はノートに問題を書いていたようだ。
俺と佐藤はそのノートの書き込みに注目した。
『中世の日本において法原則である喧嘩( )は、武田氏や今川氏など様々な戦国大名の( )に取り入れられた』
日本史などの歴史や過去の偉人は、この世界でもほぼ一緒だった。
歴史や暗記科目に困ることはなかった。ここでもクラシック音楽を聞けたことに感謝する。
俺の隣の田中くんは先ほどの元気はどこにいったやら、頭を抱えて悩んでいた。
「穴を埋めて言ってみたまえ。これは基礎問題だ」
「中世の日本において法原則である喧嘩(上等)は、武田氏や今川氏など様々な戦国大名の(精神)に取り入れられた……」
「戦国時代の治安が恐ろしくなりそうだな。正解は(両成敗)と(分国法)だ」
札束がケツを拭く紙切れにもならないような世界が頭の中に浮かんだ。
そこは、木が枯れ水が無くなり人々が飢え死んでいく殺伐とした戦国時代だった。
田中の顔は、まるで世紀末に世界が核の炎に包まれたと言わんばかりに青ざめていった。
「……オレなんとかなるのか?」
「なんとなるじゃなくて、するんだろ。
滝川さんとデートするんじゃないのか?」
「そうだ、佐藤の言う通りだぜ。オレも頑張るからよろしく頼む!」
田中は起上り小法師ばりの立ち直りを見せてくれた。
だが、それから問題を出しても出した分だけの不正解が返ってきた。
その度に田中は、落ち込んでは復帰することを繰り返した。
「……教える俺が言うのもなんだが、本当に大丈夫なのだろうか?」
「案ずるな。田中はテストで絶対に合格するであろう。
何故なら心惹かれるもののために真剣に頑張っているからだ」
ふと口から零れた疑問に、すぐに石川が反応した。
「俺も柴田さんに惚れている。似たもの同士が成功して欲しいという希望かもしれない。
しかし、女のためという欲でいいと思うぞ。欲は向上心に繋がる。
精神的に向上心のないものはバカだ」
「石川……」
田中は石川の言葉に感銘を受けたようだった。
「ところで、石川はなんで柴田さんに惚れ込んでいるんだ?」
「その事を話すとなると長くなるな。
俺が彼女と会ったの一年前のグラウンドだ。
真っ直ぐに笑顔でトラックを駆け抜ける彼女を見て俺は一目惚れをした。
胸の奥深くに訴えてくるまるでレモンのような爽やかな何か。俺は彼女の姿からそれを得た。
それからというもの出逢う度に彼女の美しさに気がついていく。
昨日は瞳、今日は頬、明日にも何かを見つけるだろう。
きっとサモトラケのニケに顔があるなら、それは彼女の生き写しかもしれない云々――」
恋は盲目とは言い得て妙。
時速270キロを出している新幹線のように石川の饒舌は止まらない。
石川がバカになるは柴田さん関連のことらしい。この場合は、向上心をもったバカになるのだろうか。
面白いのでしばらくそのままにしておこう。
「そういや、この中で好きな子を言っていないのは佐藤だけだよな」
「ん?」
「オレは滝川、石川は柴田。じゃあお前は?」
少し考えてみた。自分が好きな異性はいるのだろうか。
輪郭だけがぼんやり浮かんで、屋根まで飛んだシャボン玉のように一瞬で消えた。
石川は勝手に柴田さんとのエピソードを話していた。
「いないな」
「じゃあ、好みのタイプぐらいはあるだろ?」
それなら答える自信がある。ずっと前から決まっている。
いつの間にか石川は話をやめ、俺の解答を待っていた。
「笑顔が可愛い子。見ているこちらまで、温かくなるようなそんな笑顔」
俺の答えを聞いて二人は驚いていた。
彼らは俺がどんな事を言うと思っていたのだろう。
「なかなか測りにくい基準だなあ。
それでよ、その基準をクリアした女の子はいたのか?」
「いたことにはいたけど無理だな」
「そう簡単に諦めちまうのか?」
「ああ」
彼女たちは俺が手の届かない一等星だから。
彼女に見合う明るさが俺にないから。今はまだ。
「駄目だな」
石川は髪を掻き上げながら俺に言い放った。
田中も石川の意見に同調するように頷いた。
「実に勿体無い。俺は佐藤がどういう理由で諦めているか知らない。
しかし、諦めたらその勝負はスタートラインにすら並ぶことがないぞ。
いつまでもウジウジしていたらいつの間にかレースが終わっているぞ」
「オレもさ、誰かを好きにならなきゃいけないとは言わないけど、
誰だって人を好きなる資格はあると思うぜ。それが叶うかどうかは別だけどよ」
昼休み終了のチャイムが鳴った。次の授業開始まであと五分。
俺は結論を出さないまま、食器を片付けるため席を立った。
「二人とも今日は勉強手伝ってくれてありがとな。佐藤、次の教室に行こうぜ」
「こちらこそ」
「ああ、行こう」
石川と別れて、田中と教室に向かう。
その間、田中はずっと日本史の頻出語句をぼやいていた。
石川が作った予想問題が書き込まれたノートと睨めっこしながら。
俺はずっと好きな子の事を考えていた。
何の変哲もない代わり映えない廊下と睨めっこしながら。