「強烈な台風が市内を襲っています。御覧下さい!! 強風により木がしなっております。
地域住民の姿も見当たらず、歩くことすら困難な状況です。
外には出来る限り出ないようにお願いします」
テレビの中にいるリポーターは雨に打たれながらも必死に実況をしていた。
あと、二時間程で俺の住んでいる地域にも台風がやって来る。
学園からは既に休校の連絡が廻っており、今日は学園に行かなくても良い。
「この芳ばしい香り……。やはり珈琲は至上の嗜好品だ」
八時になっても学校の支度をせず、のんびりしている。
俺はコーヒーを沸かして、リビングでくつろぐ。
香りを少しだけ嗅いで、一口啜る。そして、叫ぶ。
「なんて最高の日なんだ!!」
雨というものは人間に制限をかける。
しかし、その制限こそが逆に人間の本能をくすぐるのだ。
制限されたものを解禁へと向かわせるプロセスが人間を衝動的にさせる。
雨音が五月蝿いので、いくら騒いでも隣の家に迷惑をかける心配もない。
久々に訪れた休みを満喫すべく、日頃溜まっていた鬱憤を叫んで解消する。
ああ、一人暮らしは素晴らしい。
要するに、俺は学生らしく休日を楽しんでいるのだった。
俺はこの抑えきれないテンションを、何かにぶつけることにした。
さっそく目についたのはテレビゲームだった。
ある程度揃っていたソフトから俺が選び出したのは、ゾンビを打ち倒していくゲームだった。
「ひゃっはー! ゾンビは消毒だー!!」
普段なら見せないようなテンションで俺はゲームを進めていく。
きっと誰かに今の俺の姿を見られたのなら軽く首を吊って死ねる。
画面上に現れた怪物たちを火炎放射器で一掃する。
次々と倒れていく彼らは、俺のストレス解消の道具でしかない。
武器を切り替えて、接近戦を挑む。銃で対抗していくのが普通だが、今の俺を止めるものはなかった。
鈍く光る銀色の棒を装備して、ゾンビが密集している所で振り回す。
「あっ……」
最近どこかでゲーム上の武器を見た気がする。ステータス画面を開いてすぐに確認する。
そこに映し出された文字は『鉄パイプ』。
「置きっ放しだよな……。鉄パイプ」
斎藤さんが今度教室に運ぼうと言ったまま放置されたままの鉄パイプ。
スペースがなく、一本は駐輪場近くに立てかけて置いた気がする。
このままにしていたら、絶対に倒れて他のクラスの材料や展示物に被害を出す。
すぐに動きやすそうな格好に着替える。
鍵をかけて外に出ると、案の定雨と風が出迎えてくれた。向かう先は、静越学園。目的は鉄パイプの移動。
ゲームで発散しなくても、俺のテンションはすり減っていた。
▽
正しい主人公の倒し方 第六話
~タイフーンがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!~
▽
嵐の前の静けさ。
そうまでもいかないが、雨風は思ったほど強くない。
学園まで走っていけば十数分で到着するので、俺は急いで向かった。
田中と石川に応援を頼もうとしたが、電車が止まっているため来られないらしい。
仕方なく俺は一人で、学園の坂を雨に打たれながら駆け上がった。
目的地に着くと俺は愕然とした。
「あはは……。なんだよ、これは」
鉄パイプの周辺には、置いた時よりも倍の荷物が積まれていた。
文化祭が近くなったからだろう。鉄パイプを取り出すにはそれらを一旦どかす必要があった。
俺は傘を閉じて、一つずつ運び出した。
全身を雨に晒されながら、他のクラスの木材なども移動させる。徐々に雨は強くなっていた。
なんで俺がこんな事しないといけないのかという気持ちもあった。
しかし、ここまで来てしまったのだからやり通そうという意地があった。
10個程度運び出すと、ようやくお目当ての鉄パイプに出会った。
久しぶりの再開。やあ、元気だったかい鉄パイプ。雨の降りしきる中で二人っきり。
なんてロマンティックだ。君を持ってゾンビを殴り倒したら爽快だろうな。
くだらないことを考えながら安全な場所に運ぶ。
だが、鉄パイプは言う事を聞かない。
俺は焦った。鉄パイプは確かに重かったが、一人でも持てる重量。
この前との違いは田中がいないことだ。支えになってくれる人がいない。
引きずっていけば何となりそうだが、跡が付くことが怖い。
吐く息は白くなった。早く帰って風呂に浸かりたかった。
もう一度ホットの珈琲を飲みながらゾンビ倒しに興じたかった。
一方的に攻めれたボクサーのように雨というパンチに打たれ続けた。
「あれ、佐藤くん?」
名前を呼ばれたので振り返ると、そこには可愛らしい水玉模様の傘を差している斎藤さんがいた。
しっかりと制服を着込んで、不思議そうな目でこちらを見ていた。
この前のマラソンの事などが一瞬脳裏を掠めた。
だが、そんなことより目の前の最優先事項をなんとかしないといけない。
「斎藤さん、早くパイプの端を持って!!」
「えっ!? う、うん。分かったよ」
斎藤さんも傘を仕舞い、鉄パイプを持った。なるべくこちらに重さが来るように俺は持ち方を変えた。
二人がかりでやっと鉄パイプを移動することが出来た。
パンチを貰いすぎた俺は、朦朧としながらパイプを仕舞った。
「よし、終わった。解散」
「ち、ちょっと待ってよ!」
俺は引っ張られて、屋根の下に移動した。
俺の手が冷えすぎていたためか彼女の手は暖かい。
これで二回目か。相変わらず彼女は強引だった。けど、嫌じゃない。
「ほら、これで拭いて」
「斎藤さんも拭いた方が――」
「これでも言えるの?」
彼女の持つ手鏡に映る俺は、ずぶ濡れだった。
水もしたたりすぎた男は、どうやらイイ男ではなくなるらしい。
手渡されたタオルハンカチで軽く顔の周り拭いた。
花の匂いのような良い香りがした。
「こんな時によく手鏡なんか持っているな」
「えへへっ。それは私が女の子だからですよ」
俺はポケットからハンカチを出した。こういう几帳面さは社会人の常識。
持っていない物だと思っていたのか彼女の顔に驚きの表情が浮かんだ。
彼女に、ずぼらな人間と思われていたのかもしれない。
「でも、鏡は自分の顔を見るもんだ。これで拭いてくれ」
「あ、ありがとう」
いつものふわっとしたショートヘアは濡れて、しっとりと真直ぐ伸びている。
吐く息も白く、ハンカチで体を拭く彼女。それは、湯上りを思わせるようで魅力的かつ扇情的だった。
屋根の下で、互いのハンカチを交換して顔を拭いている男女。奇妙な風情があり、乙なものだ。
「そろそろ帰ろうか。
ハンカチは洗って返すから」
「私も洗って返すね」
それぞれの傘を広げた。その時起きた突風。
彼女の可愛らしい傘と俺の没個性なビニール傘はコウモリ型から一転、ワインを入れるようなグラス型へ変わった。
戻そうとすると、骨組たちがバキバキと音を立てて壊れていった。斎藤さんは涙目になった。
水玉の傘だったものに愛着があったらしい。
俺たちは帰る手段を失った。
▽
「うん……。友達もいるから……。じゃあお願いね」
斎藤さんは携帯電話を切るとため息をつきながら、こちらを向き直した。
「あと30分ぐらいで父さんが来てくれるって。
佐藤くんの方は家への連絡いいの?」
「俺は一人暮らしだから、連絡取っても意味ないんだ」
「へえ、一人暮らしだったんだ」
なにを納得したのか腕を組んで一人で頷いている。
今更気づいたが、これは彼女の癖のようだ。
「ところで、佐藤くんはよくこんな雨の中一人で来たね」
「斎藤さんもね」
「私は頭で考えるより体が動くタイプだから」
俺もここにいるということはそっちのタイプのようだ。
荷物を運ぶことを考えておけば、お互いカッパで来るなり、援軍を呼んだはず。
「この前買った鉄パイプ置きっ放しだったことに気づいた時は慌てたよ」
「俺もそうだ。あのままだったら絶対に倒れていたからな」
自分たちのクラスの分を壊したならまだ良いが、他のクラスの物を壊したら大変だ。
本当に斎藤さんが来てくれて助かった。
「それで斎藤さんはなんで制服で来たんだ? 今日は休校なのに」
「休校だけど、平日に学園に来るなら制服じゃないと行けないのかなって思ったんだよ」
彼女は「そんな必要はなかったけどね」と舌を出しながら続けた。
こんな律儀さがあるから彼女は委員長なんだろう。
静越学園の制服はチェックのスカートに、リボンとラインの入ったベスト。
今はベストが濡れてしまったので、斎藤さんはベスト脱いで長袖のオーバーブラウスになっている。
もう一度彼女の制服を見た時、俺は気づいてしまった。
彼女の背中で、水色のブラがちらりと透けて見えることに。
斎藤さんとは横並びなっているため、前は見ていない。
前もどうなっているのか確認したくなる自分を必死に抑える。
いやらしさと浅ましさに自己嫌悪しそうになる反面、「しかたないさ……君は男だから」と諭してくれる悪魔がいる。
意識しまいと思うほど、意識が持ってかれてしまう。まさに泥沼。
この程度のハニートラップに掛かるほど俺は飢えているのだろうか。
ずっと悪魔が「YES! YOU CAN!! YES! YOU CAN!!」と叫んでいる。死ね、悪魔。
「な、何しているの?」
「ヒンドゥースクワットだ……」
二人っきりの屋根の下で、女を差し置いて下半身運動の王様をする男。気持ち悪い以外の何でもない。
煩悩という悪魔を退散させるには、百八回の鐘つきかこれしかなかった。
ようやく悪魔を撃退した頃には10分経過していた。先ほどより息が白くなっていた。
「お、おつかれさま~」
「ああ」
しばし無言が続く。当然か。
いきなりスクワットを始めた男になんて声をかけたらいいか分からないもんだ。
俺だって分からない。もし、知っている人がいたらソイツはスクワットマニアかその友人だろう。
「あのさ、なんで突然スクワットしたの?」
ああ、スクワットが終わったらこうやって声をかければいいのか。
俺は無駄な知識を一つ斎藤さんから学んだ。だから、お礼に素直に答えた。
「斎藤さんのブラストラップが見えて、煩悩を封じ込めるため自分と戦った」
綺麗な平手打ちを喰らったのは数秒後だった。
彼女の右肩を中心に弧を描いた右腕はスナップを効かせたまま、俺の左頬を叩いた。
人生で初めて母親以外の女性から叩かれた。ジンジンと染みるような痛さが残った。
殴られた後に気づく。なんでこんな馬鹿な解答をしたんだ。
きっと雨に打たれて思考能力が低下していたからとか、煩悩を打消しきれていなかったからとか、言い訳だけがポンポンと浮かぶ。
けれど、それは意味のないことで再び俺と斎藤さんの間に沈黙が始まった。
雨と風は暴徒と化していた。雨が大好きなアマガエルさんたちもこんな天気を望んでいないはずだ。
彼らのゲコゲコと喧しい合唱が打ち消されてしまうから。可哀想なカエルさんたちだ。
俺はつまらない現実逃避を止めた。
「……さっきはごめん。変なこと言って」
諦めて、俺は斎藤さんに話しかけた。非がこちらにあるのだから仕方がない。
「……いいよ。佐藤くんだって男の子だもん。気にしちゃうのは仕方ないよ」
「じゃあ、見てもいいのか?」
「ダメ」
重かった雰囲気は冗談が言える程度に軽くなった。良かった、まだ見放されていない。
その後は俺たちは当たり障りのない会話をして過ごした。授業のこと、友達のこと、好きな音楽のこと。
なるべく斎藤さんの方を向かないようにして。
話題が途切れ途切れになった時、俺はこの前気になったことを聞いた。
「前に世界はサイコロにみたいに単純って言ってたけど、どういう意味なんだ?」
「う~ん、そうだね……。頭の中に六面サイコロを思い浮かべてみて」
頷いた後、頭の中に立方体を描く。そこに20個の黒点と1個の赤点をつけていく。
「出来た? 次はそれを手のひらに置いたイメージを持って」
「こうか?」
頭の中にあったサイコロを右手の上に移し出す。俺は架空のサイコロを優しく握る。
「サイコロを振ってみて」
言われた通りに、振る真似をする。
右手から立方体は転がり落ち、コンクリートの上でくるくると回る。
やがて一つの面に落ち着く。
「何の数字が出た?」
「……3だ」
適当に思いついた数字を口にする。
その数字を聞くと彼女はふむふむと頷いて満足したようだった。
「それが世界の全てだよ」
「数字の3が? 42じゃなくて?」
「違うよ。佐藤くんがサイコロを振って出した数。
それが世界の答えなんだよ」
ぽかんと口を開けたまま理解出来ていない俺を見て、彼女はクスクス笑った。
意地悪な謎々を出して旅人を困らしているスフィンクスのように。
「サイコロはね、1から6の数字しか出ないんだ。
だから、佐藤くんも7とか0とか言わなかったんだよね」
「あ、ああ」
「小学生でも何の目が出たのか分かるよね。
たとえば、双六で3の目が出たら佐藤くんはどうする?」
「進ませるしか無いだろ。それがルールだから」
「3マス先に『一回休み』の文字が見えていても?」
「……ああ」
彼女は一回俺から視線を外して、雨の様子を見た。
当たると痛そうな強さで雨は降っていた。
「人生のサイコロを振る前には、いろんな可能性があるんだ。
サイコロを振っちゃったら、どんな目でも進まなきゃいけない。
けど、ただそこに行くまでに努力をすればいいんだよ」
「そうすれば、一回休みもなくなるよ」と彼女は続けた。
「意外と単純じゃないな」
「ううん。自分が頑張ればいいだけだから、単純だよ」
彼女は笑って答えた。俺はその表情を見ると首を縦に振ることしかできなかった。
彼女の言葉の意味を考えていると、俺の視界に光が入った。
白のセダンが屋根の前に止まった。運転席の窓を4分の1ほど開けて、男が顔を出した。
白髪混じりで細目の人の良さそうな男だった。
「ご苦労様だったね、裕(みち)。さあ早く乗りなさい。
確か佐藤くんだったかな? 君も乗りたまえ」
斎藤さんは俺に顔を向けて「父さんだよ」と言った。
▽
「いやあ、大変だったろう。この酷い雨の中だ。
これでも飲んで暖かくなりなさい」
俺はタオルで濡れた箇所を拭きながら、斎藤さんのお父さんの話を聞いた。
悴んでいた指には、渡された暖かい缶コーヒーはありがたかった。
「ありがとうございます」
ふむふむと満足そうに頷いている姿が斎藤さんとかぶった。
あの癖は親から引き継がれていたのかと妙な納得をした。
「ところで、佐藤くん。尋ねたい事があるんだがいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「娘とはどこまで進んだんだい?」
この人は車を器用に操りながら、そんなことを聞いてきた。
飲みかけていた缶コーヒーを吹き出しそうになるが、必死に抑える。
助手席に座っていた斎藤さんは缶を落としそうになるが、なんとか落とさなかった。
「なに言ってるのよ、父さん!!」
「はははっ、裕が最近話題に出す男の子のことが気になってね。
娘の恋心を心配する。これも一つの親心さ」
「わ、私たちはそんな関係じゃないよ。ねえ?」
斎藤さんは、こちらに首を向けて尋ねてくるが俺は曖昧な返事を返すしかなかった。
「そうです」「かもしれませんね」「おおよそは」こんな感じで。
「見た目は少しおっかないけど、礼儀正しい。
力も強そうだし、この手のタイプの人はいざという時頼りになる。
うん、及第点だ」
「父さん、おっかないとか失礼だよ! それに及第点ってなに!?」
「そりゃ、我が娘に相応しいかの点数さ。斎藤に佐藤。なんだか似ているな。
どうだい佐藤くん、うちに婿入りしてみないか? 結婚しても苗字はさほど変わらんぞ」
呆れ果てたのか斎藤さんがこれ以上口を開くことはなかった。
フロントガラスに当たる水滴は大きな玉になって後ろへ流れた。
水滴の隙間から見えた景色は、自宅近くのものだった。
「ここら辺りじゃないかな?」
「そうですね。次の交差点を右に曲がってから見える小さい家です」
「あれかい? いいね、新築じゃないか」
佐藤家の前で白のセダンはピタリと止まった。
雨が入らないようにしながらドアを開けた。
「今日はありがとうございました」
「少しいいかな、佐藤くん」
斎藤さんのお父さんは窓を開けて、俺を呼び止めた。
手招きまでされたので、俺は顔を近づけた。
「ああ見えても、あの娘はなんでもかんでも突っ走る癖があってね。
君ならそれを止められると思うんだ。よろしく頼むよ」
斎藤さんに聞こえないような小さな声で彼は言った。
俺がもう一度何を言ったのか聞き返そうとする前に、車は発進した。
俺は頭を掻きながら、誰も待っていない家に帰った。