ある生徒は、上靴のまま机の上に乗っている。
ある生徒は、他人の椅子を勝手に倒している。
ある生徒は、隅で隠れてお菓子を食べている。
言葉にすれば、学級崩壊を起こした教室のように聞こえるかもしれないが今日は仕方がない。
何故なら、今日は文化祭前日。俺たちのクラス展『お化け屋敷』は形になりつつあった。
「暗幕は当日するから、まだ動かすなよ!!」
「扇風機入手しました。延長コードお願いします~」
「外壁班、ガムテープ切れました。余っているブースあれば下さい」
「マジック! ちがう、赤じゃない。黒マジック!!」
俺たちが作業をしていると、ピーンポーンパーンポーンとお知らせ音が学内に響き渡る。
「文化祭の準備は9時までになります。
作業の終わった生徒は速やかに下校をしてください」
誰も帰る素振りを見せようとはしない。
教師公認の夜まで騒げるイベントだ。全員わくわくうきうきしながら準備をしている。
これなら、明日の公開には間に合うだろう。俺はそっと教室を出た。
「あれ? 佐藤くん帰っちゃうの?」
声がした方に振り返る。
俺にそんな風に声を掛ける相手は決まっている。
斎藤さんは心配そうに俺を見ていた。
▽
正しい主人公の倒し方 第九話
~そのときは主人公によろしく~
▽
「喉乾いたからジュース買って来るだけだ。
だいたい鞄も持っていないのに帰ることないだろ」
俺はそう言って、教室にある自分の鞄を指差した。
斎藤さんは、その事に気づくと申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。前みたいに帰っちゃうのかと思ったから……」
前みたいに――そうか、そんな前科があったな。自分の中でずっと昔の事に思えた。
あの時斎藤さんが引き止めなかったら、俺は田中と親しくなれなかった。それに彼女ともここまで親しくなれなかった。
出会えなかった人もいると思う。彼女に感謝。
「ああ、そうだ。ついでに奢るから、なんか飲みたいジュースあるか?」
「えっ、いいよ」
「そう言いなさんな。たかが120円の甲斐性だ。遠慮するな」
「……じゃあ、りんごジュース」
「分かった」
俺は斎藤さんに親指を立てた後、教室から離れた。
時計の短針は『6』を指していた。
自動販売機は、学園の中央広場に設置されている。『コ』の形に建てられた校舎の真ん中に広場はある。
ベンチにもたれながら花壇を見て昼寝。日当たり良好。休み時間の際、生徒たちで賑わう場所だ。
体育館前にも自動販売機はあるが、遠いのでこちらの方に俺は向かった。
学園の至る所が、色鮮やかに飾り付けられている。普段通っている学園と同じ場所とは思えない。
そこら中にあるポスターや広告を見ながら歩くので、いつも歩いている廊下がやけに長く感じられる。
「演劇部『ロミオVS桃太郎 ~和洋折衷~』 12:00から第一体育館」
「吹奏楽部『My Favorite Music Medley』 12:00~1:00中央広場で」
「石川本一ソロコンサート『ヴァイオリンに乗せて、僕の想いを』 10:00中央広場にて」
最後のポスターを見つけた時、危うく吹き出しそうになった。
そこには、正装をした石川がヴァイオリンを弾いている姿が貼られていた。意外とサマになっていた。
時間があれば、田中と当日行ってみようと思った。
「ん? なんだこれは?」
石川のポスターより目を惹く広告があった。
いや、広告というよりそれはノートの切れ端に鉛筆で書かれているだけのものだった。
生徒会の承認の判子もない。怪しさ全開の紙を俺は食い入るように見た。
「『SH』 この文字に心当たりがある方は文化祭の二日目に3階自習室へ」
俺は掲示板からその紙を引き抜き、読み返した。
心当たりがあった。周りに人がいないか左右に首を振って確認した。
引き抜いた紙をそっとズボンのポケットに入れた。文化祭にもうひとつ用事が出来たようだ。
中央広場には、予想通り特設ステージが準備されていた。
明日にはここが人で埋め尽くされるだろうことを推測しながら、広場の隅にある自動販売機に向かう。
「缶コーヒーでも飲むか」
240円を投入し、まずは林檎ジュースのボタンを押した。
ガコンっと音を立てて、自動販売機の口から林檎ジュースが現れた。
しかし、チャリンっと音を立てて、120円のお釣りも返ってきた。
再びお金を再投入し、缶コーヒーを買った。
時間にすれば、数秒のロスなのになんだか凄く勿体無く感じた。
二つの缶を持ちながら俺は、教室へと足を運ぶ。
「あっ、佐藤先輩!!」
俺を呼んだ秀実ちゃんは、元気よくこちらに近づいてきた。
その格好は、黒と白を基調にしたやたらフリルの多いメイド服だった。
夜の学校に、彼女の格好はいささか不釣合いだった。
「それを文化祭で着るのか?」
「はい! 私のクラスで『メイド喫茶』するんですよ。
今日はその試着です。良かったら文化祭の時、先輩来てくれませんか?」
「そうか。行かせてもらうよ」
ゲームでも秀実ちゃんと織田の妹さんが、メイドになっていた事を思い出した。
その姿は、目の保養に十二分の効果を発揮している。ブルーベリーの数十粒分の効果が期待できる。
ふと秀実ちゃんの顔を見れば、俺が持っているジュースに目がいっていた。
俺は、林檎ジュースを彼女に手渡した。
「これでも飲んで、残りの仕事頑張れ」
「えっ、いいんですか?」
「いいぞ。眼福料も兼ねているから」
「ありがとうございます。……ご、ご主人様」
お辞儀をした後、彼女は舌を出してはにかんだ。
「てへへ……。練習しているんですが、慣れませんね」
「そりゃあ、普段からそんな風に言ってないからだ。
慣れていた方が驚くぞ」
「それなら普段から呼んでもいいですか? ご主人様?」
彼女が首を傾げて聞くと、頭の横でアップした髪も合わせて動いた。
白のカチューシャに合わせて、ヘアゴムも同じ色にしてあった。
「……却下。文化祭が終わったらメイド役も終わるんだ。続ける意味がない」
「あはは、そうですよね。冗談が過ぎました」
なんだか勿体無い気がした。120円を入れ直すより勿体無い気がした。
「そろそろ時間なので、クラスに戻ります。ジュースありがとうございます。
じゃあ先輩! 当日はぜひ来てくださいね」
照れながらメイドさんは、俺のあげたジュースを大切そうに持ったまま去っていった。
俺はそれを手を振りながら見送る。彼女の姿が通路を曲がって見えなくなるまで。
俺は自動販売機で林檎ジュースを買い直し、教室へと戻った。
「おっそ~~い!!」
鼓膜が破けんばかりの第一声。
教室に入るなり、俺の耳元で斎藤さんの声が響いた。
「……すまん」
夫婦喧嘩の際、仲直りの秘訣は男がすぐ謝ることだと聞いたことがある。
夫婦ではないが、この場合も俺が圧倒的に悪いのですぐに謝る。
時計の長針は、俺が出て行った時から半周進んでいた。
それでも、なお怒っている斎藤さんの元にある女子が来た。
斎藤さんの友人にして吹奏楽部部長、そして田中の想い人。
「ふふっ、実は斎藤さんは先ほどからずっとそわそわしていたんです。
もしかしたら、佐藤くんが遅くて心配していたのかもしれませんよ?」
「あわわわっ! な、なに言ってるの滝川さん!!」
あたふたと両手を素早く振って否定する。
その強い否定に少し傷つきながらも俺は、林檎ジュース片手に斉藤さんに尋ねた。
「少し休憩でもしないか?」
「……うん、いいよ」
俺たち二人は、教室の隅に作られたスタッフルームで缶ジュースを飲む。
『やや微糖』の文字に惹かれて買った缶コーヒー。俺はプルタブを引き一口啜る。
口当たりも後味も甘い。無糖からやや甘いではなく、砂糖ありからやや控えめという事らしい。
甘さが気になって、一気に飲めないのでちびちび啜るように飲む。
横にいる斎藤さんは、林檎ジュースを一口ずつゆっくり飲んでいた。
「だいぶ形になってきてるね。明日には公開できそう。う~ん、楽しみだよ!!」
「そうだな」
鉄パイプで固定された壁によって、教室は迷路のように入り組んでいる。
鉄パイプの内の一本はやや錆びかけていた。台風の日に運んだ鉄パイプだろう。
「台風の時は大変だったな」
「そうだね。でも、佐藤くんのおかげだよ。
もし、あのままだったら絶対間に合わなかったよ」
「斎藤さんがいなかったら、俺は困っていた」
俺が斎藤さんを見ると、視線を外された。
彼女は林檎ジュースの缶を見ながら、話題を変えて話した。
「ところで、佐藤くんはどこのブース担当?」
「確か、第三ブース」
「私と同じだよ」
「どんな仕事をするんだ?」
「こんにゃくをお客さんに当てる仕事」
斎藤さんが指差す方向には、釣竿が置いてあった。
なるほど、こんにゃくを垂らして通り過ぎたら当てる。
お化け屋敷の小道具で定番中の定番だ。だが、地味な仕事にかわりない。
缶コーヒーが残り少なくなってきた。
首を後ろに倒して、最後の一滴まで飲み切った。若干口の中に甘さが残った。
同じぐらいに斎藤さんも飲みきったようだった。
「よし、仕事再開するか」
俺は立ち上がり、腰を反らして背筋を伸ばした。
斎藤さんも同じ動作とって、ストレッチをした。
「ジュースありがとう。缶捨ててくるよ。
奢ってもらったから、これぐらいしなきゃ」
「それじゃあ、よろしく」
二つの缶を持って斎藤さんは、教室を出て行った。
俺の方は、教室の仕事を手伝う。田中や山田などいる輪に俺は向かった。
時間の流れは、集中力に作用されるらしい。
専門家ではないので詳しいことは分からないが、とにかく俺は集中していたようだ。
只今の時間は午後八時。残る仕事は細かい装飾ぐらいだろう。
ダラけ始める連中も出てくるのも無理もない。
「佐藤くん。少しいいかい?」
呼ばれて振り向けば、織田が立っていた。
「今から用事があって抜けるんだけど、残りの仕事頼んでいいかな?」
残った仕事は、外壁に厚紙を貼って隙間を隠す作業だそうだ。
織田は自分の背が低いので時間がかかったが、背の高い俺なら大丈夫だと思って頼んだらしい。
自分がさきほど抜けていた事を思い出した。このぐらいは引き受けよう。
「いいぞ。俺がやっておくからお前は行け」
「ありがとう! じゃあすぐに戻るから」
織田は教室から出ていき、代わりに俺が仕事を引き継ぐことになった。
田中たちを呼んで、数人で取り掛かった。のりを付けてペタペタと厚紙を貼っていく。
何か重要な事を忘れている。
俺はヒロインを避けていた。
だから、文化祭前日は関係ないと思い込んでいた。
でも、あるじゃないか。そうだ、あるんだ。
選択イベント。織田がヒロインの元へ行く。それが、誰なのかは分からない。
咄嗟に教室の中を確認した。柴田さんも斎藤さんもいない。
当然だ、イベントが進行しているんだから。
胸糞悪い気分になる。
いや、関係ない。俺の目的は物語の中心に行くことだ。
関われたのなら、もうそれで十分だ。何もしなくて明日は文化祭だ。
そうだな、明日は忙しくなりそうだ。
それでも、何でだ?
ヘドロが喉の奥から込み上げてくるようなこの気持ちは何だ?
どうしてこうも続く。俺は諦めたんじゃないのか?
俺はこのままでいいのか?
「どうした佐藤、そんな顔して。体調わりいのか?」
「……すまん、田中。後の仕事頼んだ」
「おい、どこ行くんだよ!!」
「屋上」
田中がまだ何か言っていたが、無視する。
今度学食でレギュラーカレーでも奢ってやる。だから今回だけは許せ。
廊下を思いっきり走る。
こんな日だ。いちいち咎める教師も風紀委員もいない。
汗を掻きながら走る俺は、廊下にいる生徒たちの注目を集める。
俺の記憶に間違いがなければ、彼女は屋上にいる。
この世界はゲームだ。
織田が主人公で、俺はモブ。俺だけでは、この世界を覆せない。
ガラス越しの玩具を欲しがる子供のように指を咥えて待つしかない。
背景、群集、端っこ。それが俺の役目かもしれない。
しかし、俺は意志を持って、この世界に二本の足で立っている。
今、俺が廊下を走っている事は誰にも止められない。
世界が俺を決めるんじゃない。俺が、世界で行動を決めるんだ。
勝手にルールを作っていたのは、俺だ。
背景で何が悪い!! ヒーローじゃなくて何が悪い!!
俺は全力で駆ける。頭で考える前に、体は前へ進む。
階段は二段飛ばしで上り、屋上へ向かう。
頭の中に浮かぶCG。彼女の隣にいるのは主人公の織田。
屋上にいる織田の横で、彼女は笑顔で星を見ている。
それがどうした! そこに俺がいてもいいじゃないか!
彼女は、俺を初めて認めてくれた人だ。
ひねくれていた俺に声をかけてくれたのは、彼女が初めてだった。
いつも笑顔で俺に話しかけくれる彼女に俺は惹かれた。
この世界はゲームだ。でも、俺は俺だ。彼女は彼女だ。
画面越しの彼女が好きになったんじゃない。
――この世界の彼女が好きなんだ。
俺は一人の女性として『斎藤裕』が好きなんだ。
物語なんかどうでもいい。俺は彼女のことが好きだ。
扉の前まで来た。
そうだ。この扉を開けば、斎藤さんがいる。
彼女は星を見上げているだろう。俺はなんて声を掛ければいい。
「やあ、元気かい?」
「好きだ! 俺に味噌汁を作ってくれ」
「サモトラケのニケに顔があるなら、それは君の生き写しかもしれない云々」
どれも違うような気がする。頭がしっかり働かない。
ドアノブに手をかけた。
あとは回せばいい。それだけの動作なのに、緊張してしまう。
心音は狂ったように速くなっていく。このままだと心臓が破裂してしまいそうだ。
俺はドアノブを回す。扉は……
――開かなかった。
何度もひねり回す。ガチャガチャと音はするが、扉は開かない。
何だよ、これは! 鍵を掛けられるのは内側だろ! 何で開かないんだ!!
「……で………だったよ」
「それは…………に………」
扉の向こうから話し声が聞こえた。
声で分かる。織田がいる。斎藤さんがいる。俺はいない。
ああ、楽しそうだな畜生。へへ、なんで俺はこんなところにいるんだろう。
屋上へと続く扉にもたれる。
そのまま体は床へとずるずる落ちていく。
右手で顔を隠すように伏せる。でも、隠しきれず涙が落ちていく。
扉一枚なのに遠い。君への距離が遠い。
その前にいる強敵を倒さないといけないのか。
相手は勇者だ。村人Bが倒せるのか。
どうでもいい。
感動的な名場面や、心を揺す振るようなエンディング。
そんな物は糞食らえ。今欲しいのはこの扉をぶち壊す力だ。
けれども、俺にそんな力は無い。
明日は、文化祭。
見上げても、夜空も星もない。
あるのは、暗くて黒いコンクリートの天井。
星にすらなれなかったのか、俺は。