クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (七)「だいぶ参ってるみたいね」 俺は無言でうなずく。正直、声を出すのも辛い。「まあ、参ってくれなきゃ困るわ。 これで、いつものようにのほほんとしてたら、私もイリヤも、本気であなたのこと殺してる」 さばさばした口調で、遠坂が言う。 ……遠坂、言ってることがさっきと違うぞ。 苦笑するが、相変わらず声は出ない。「で、結論は出た?」「……わからない」 やっと声が絞り出せた。「考えが全然まとまらない。 桜が俺にしてきてくれたこと、俺が桜にしてきたこと……そんなことばっかりが頭の中を巡って…。 桜に、なんて言えばいいのか、どんな顔をして謝ったらいいのか……」「ダメよ」 煮え切らない俺の言葉を切りさくように、遠坂は言った。「桜にアンタから何か言っちゃダメ。アンタにはもう、言うべき言葉は無いわ」「……」 そう、かもしれない。 二年間も桜の想いに気付かず、あるいは見て見ぬふりをしてきたんだ。 今さら俺に、彼女に言葉をかける資格など……「そうじゃないわよ」 遠坂は、俺の考えを読んだかのように、苦笑しながら続けた。「確かに、資格うんぬん、ってのもあるかもしれないけどね。私が言ってるのは、言葉どおりのことよ。 アンタには、桜にかけるべき言葉は残ってないの。 アンタはもう、桜に答えたんだから」 ……意味が、分からない。 俺が、桜に、答えた…?「士郎。 アンタが氷室さんのことを好きになって、それが桜に分かった時点で、アンタは桜の気持ちに対して答えたことになるのよ。 桜の想いに気付いていたかどうかは、この際、関係無いわ。 今日、氷室さんといっしょにいる所をあの子に見せたことで、言葉より雄弁に答えたのよ。 『俺は、桜より氷室を選んだんだ』って」「……」「この状況で、桜にかけるべき言葉があるとすればひとつだけよ。 『氷室とは別れるから、俺と付き合ってくれ』 どう、言える?」「………」 言えない。 鐘と出会う以前であれば、あるいはそういうことも有り得たのかもしれない。 だが、今、俺が一番愛し、大切に思っているのは、氷室鐘だ。 たとえ桜であっても、この想いを違えることなど、出来ない。 俺の表情を見て取った遠坂は、にっこり笑って言った。「正解。 だから、今アンタは動いちゃダメ。アンタはもうボールを投げたんだもの。 桜がそれをどう受けとるか、それはあの子次第よ。 そのまま放り捨てるか、投げ返してくるか…… あの子からのリアクションがあるまで、アンタに出来ることは無いわ」 きつい言葉をやさしい声で、ズバズバと、染み通るように語りかけてくる。 確かに、遠坂の言うとおりだ。 俺は、鐘を選んだ。 桜の想いを知っていようがいまいが、この事実は変わらない。 ならば、俺に出来ることは何もない。桜が出す答を、待つしかない。 ……ある意味、何よりも辛い選択だ。 俺の大切な人が、俺の馬鹿のせいで苦しんでいるのに、それを傍観することしか出来ないなんて。「衛宮くんにはちょっとキツいかもね。まあ、乙女心を踏みにじったバツとして、観念しなさい」 気を遣ってくれているんだろう。遠坂は、ことさらに明るい声で言った。 そして、そのままの口調で、「じゃあ、バツついでに、もう少し落ち込ませてあげましょうか。 桜一人じゃない、って言ったら、どうする?」「え?」 振り向いたその先には、「この家に通い詰めてたのは一人じゃないってこと。藤村先生も、イリヤも、……私も、ね」 切なげに微笑む、遠坂の顔があった。「想いの深さでは、桜が一番でしょうね。 そもそも、みんながみんな恋愛感情って訳でもないし。 藤村先生は、ほとんど弟としてアンタを愛してるし、イリヤもそれに近いのかな。少なくとも、恋人にしたいっていう気持ちは無いみたいね。 でも、二人とも《家族》って言葉で割り切れるほどの感情ではないことも確かよ」 遠坂は、夜空の星を見上げながら、淡々と続ける。「遠坂……」 無意識に声が出る。彼女は、それをどう受けとめたのか、「私? んー、私はそうね、『あわよくば』ってところかな。 アンタが氷室さんとくっつかないで、桜もあんまりモタモタしてるんだったら、動いてもいいかな、って思ってた」 彼女は笑みを浮かべたまま、透きとおった目で、しばらく星を眺めていた。 やがて、その眼差しのまま俺に目を移すと、「だからアンタ、幸せになりなさい。 これほどいい女たちを袖にして、氷室さんとくっついたんだもの。 生半可な覚悟だったら、承知しないわよ」「―――」 俺は、無言でうなずいていた。 俺なんかが、幸せになれるのかどうか、それは分からない。 鐘と、これからどうなっていくのかも分からない。 しかし、この誇り高き女性に、ここまで言わせたのだ。 自分の馬鹿さ加減を自嘲している暇など無い。 全力で進んでいく。 遠坂に、いや、彼女たちに酬いる方法は、その一つしか思いつけなかった。 遠坂は、もう一度にっこりと笑って、満足そうに頷いたあと、勢いよく立ち上がった。「さあて、じゃあ言うべきことも言ったし、私も帰るわ。 また明日ね」「え?」 思わず間抜けな声を出す。帰るって…今からか?「おい、もう12時過ぎてるぞ。いくらなんでも遅すぎるんじゃないか? どうしても用があるって言うんなら、送って……」 そこまで言って、これがさっきの桜との会話と同じであることに気付く。 遠坂は、呆れた顔でこちらを見ていた。「アンタねえ…… やっぱりその性格、いっぺん死なないと直らないのかしら?」「……なんでさ?」「なんでさ、じゃないわよ。 いい? 私は今、アンタに告白して、振られたのよ? まあ、順番で言うと、振られてから告白したんだけど。 その直後に、振られた相手に家まで送られるなんて、我慢出来ると思う? ましてや、同じ屋根の下で眠るなんて」 出来の悪い生徒に根気よく言い聞かせるように、懇々と遠坂が諭す。「あ……」 確かに、そうだ。 今の今まで、遠坂自身に教えられてきたのに、それが全く身に付いていない。 再び深い自己嫌悪におちいる俺に、「まあ、そんなわけだから、気持ちだけ頂いとくわ。 実際、襲われても大抵の人間なら大丈夫だし、むしろ相手が気の毒ってもんよ」 明るい声で、遠坂は言う。 その口調には、俺への優しさと、若干の虚勢が混じっているように思えた。「私もしばらく、ここに泊まるのは止すわ。桜にも悪いしね。 あ、でも魔術講義はもちろん続けるわよ。明日までに、集中力戻しときなさい」 じゃあねー、と手を振りながら、遠坂は門の方に歩いていく。「遠坂」 俺は、立ち上がって声をかけた。「ん?」 振り返った彼女は、もう半分、暗闇の中にいる。「ありがとな」 その一言に、万の想いをを込めたつもりだった。「……馬鹿」 赤い衣装は、苦笑を一つ残し、影の中へ消えていった。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。