クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (五ノ四) 私の部屋に二人で入り、ドアに鍵をかける。 もとよりこの家には、彼と私の二人きりだが、それでも鍵をかける。 窓に遮光カーテンを引き、できる限り暗くする。 室内を見回し、軽く息を吐く。 すべて、儀式の一環として。 そして、その部屋の真ん中で―――装飾が少なく、年頃の少女にしてはやや殺風景な部屋の真ん中で、改めて彼と抱き合う。 部屋の中は、無音。 壁の時計は、クォーツではないので音を立てず。 防音製の高い窓からは、外の雑音も入ってこない。 耳に響くのは、私と彼が触れあう音。 あとは―――心音。 部屋に入ってからの彼は、先ほどの迷いを脱ぎ捨て、積極的に私をリードしてくれる。 私の想い……私の、決意を、私の行動から読み取ってくれたのだろう。 婦女子が、自分から男子を自室に誘う。 あのときは、自然に口から出た言葉だが、今、思い返してみると…… 口づけを受けながら、別の意味で頬が染まる。 しかし、後悔は無い。 口づけのリズムが、だんだん激しくなる。 彼の、見かけによらずたくましい左腕は、しっかりと私を支え、 右掌は、やさしく私の髪や背を撫でている。 その右掌が、ふいに違う動きをして…… ―――うん。 大丈夫だ。 今度は、あの時のように驚いたりしない。 私の左胸に置かれた彼の掌を、逃れたりなどしない。 むしろ、その掌を愛おしいとさえ感じる。 少し唇を離して、彼は私を見る。 私は、微笑んで頷く。 彼も、微笑みを返してくれた。 再び、口づけの中、彼の掌が私の体をさぐる。 大切なものを、確かめるように。 無骨だが、誠実に。限りない優しさを込めて。 口づけのリズムと、その愛撫の中、私の頭は、だんだん朦朧としてゆく。 私の体から、だんだん力がぬけてゆく。 これ以上、膝が自分を支えきれない。 その、一歩手前で、「 ――― 」 私は、背後のベッドに、自分から腰掛けた。 当然、抱き合っている彼も、それに引かれる。 ふたり、ベッドに体重を預ける。 私の体が、だんだん背後に傾いてゆく。 口づけは、止むことを知らない。 彼の舌が、私の唇を割る。 歯茎をなぞり、歯をこじ開け、舌を絡める。 時折、上唇を甘噛みしてくる。 それは、彼の性格を現すごとく、焦らず、ゆっくりと。 こちらに負担をかけないよう、やさしく、丁寧に。 ―――あのときは、それに答える余裕は私には無かった。 彼の行為に、意識を保つことで精一杯だった。 しかし、人は成長する。 今の私は、不器用ながらもそれに答えることが出来る。 彼の真似をして舌を絡め、唇を甘噛みし、少し離してはまた吸い付き…… 頭の朦朧さが、増してくる。 いや、朦朧としている、と言うより、別の世界で思考をしている、と表現した方が的確か。 私の思考はこの世界を離れ、別の次元へと移行する。 どんな世界……? ―――知るものか。 彼の手が、私のカーディガンを脱がす。 ブラウスのボタンを、一つひとつ、ゆっくりと外していく。 下に着たシュミーズと……肌が、露わになる。 ……恥ずかしい。 恥ずかしくないわけが、ない。 初めて異性に―――彼に、自分の肌を見られるのだ。 どんなに遮光性の高いカーテンで窓を覆ったとしても、時刻は、未だ昼過ぎ。 暦の上では春の明るさは、この部屋にも充分に侵入し、 部屋の中を……わたしを、照らし出す。 恥ずかしい。 恥ずかしいが……それだけだ。 不安も、怯えも、無い。 私の衣服を脱がす、彼の指が愛しい。 露わになった肌を愛撫する、無骨な掌が愛しい。 ときどき唇を離して私を見る、彼の眼差しが、愛しい。 彼への感情に耐えられなくなった私は、彼の頭を抱き寄せ、自分から彼の唇に吸い付いた。 彼が、私を少しずつ脱がしていく。 合間に、彼も一枚ずつ、自分の衣服を脱いでいく。 母に済まないな、と、ふと思う。 今日、出がけに母は言っていた。 ……言っていた。 ―――なんと、いっていただろう?(あなたはもう大人なのだから、細かいことは言わないけれど……) ああ、そうだ。 いつも笑みを絶やさない母が、珍しく真剣な表情で、私の両肩に掌を置いて、言ったのだ。(大人の行動には、常に責任が伴います。 その責任を受けとめるだけの覚悟、そして周りに迷惑をかけず、事をスムーズに運ぶための準備。 それは、大人としての最低限の義務なのよ。 そのことだけは、忘れないで) 大人の、責任。 両親から大人として扱われているとは言え、私は法的には未成年だ。 大人としての責任を取れない年齢である私は、このような行為をすべきではなく。 そんな、娘を想う母の忠告を、私は今、無駄にしようとしている。 ……いや。 本当にそうか? あの時の言葉は、少々抽象的だった。 母は、ひょっとしたら、もっと違うことを言いたかったのではないか?『責任を受けとめるだけの覚悟』『周りに迷惑をかけず』『事をスムーズに運ぶための準備』 母は、責任を取れない事はするな、と言ったのではなく、(それは、大人としての最低限の義務なのよ) 《事》を成すのなら、第三者へ迷惑をかけることなく、責任を受けとめるための《準備》を怠らず、 それこそが、大人としての《義務》だと―――「……士郎。」 この部屋に入って、初めて私は、言葉を発した。「避妊具の用意は、あるか?」 何を言っているのだ、私は!!!?? 別世界に行っていたはずの思考が、一気に現実に引き戻される。 熱を帯びていた体が一瞬にして冷え、別の熱によって覆い尽くされる。 か、仮にも、愛する人と初めての時を過ごそうとしている、ふ、婦女子が、 まさにそ、その行為の真っ最中に、当の恋人に向かって、 ひ、ひにん……ぐ? そのような、即物的で散文的で具体的な名詞など真っ向から男性に投げつけてどこの経験豊富な女性でもあるまいにこんな言葉をいきなり浴びせられた彼の心中は察するに余りありいや察することなど恐ろしくて出来るはずもなく――― 思考が暴走し、朝の自分など比較にならぬほどのパニック状態に陥る。 ―――永遠にも似た長い時間が過ぎた、ような気がした。 が、実際には、一瞬だったらしい。 それが分かるのは、「ああ、持ってきてる」 私の言葉に、士郎が、実に自然に答えたからだ。「あの夜から、鐘といっしょになりたい、ってずっと思ってたからな。 このあいだ、隣町まで行って買ってきたんだよ。 ……今日、使うとは思わなかったけどな」 さすがに、深山町や新都で買う勇気は無かった、 と、彼は頬を染めて笑う。 ―――ほんとうに、きみという、男は…… 失言をした、私へのいたわりでは無い。 経験者の余裕などでも、勿論ない。 彼は真実、私とひとつになりたいと思い、 そのために、自分がどう行動すれば良いのか、考えたのだ。 母の言うとおり、『大人としての責任』を、果たそうとしたのだ。 それは、言い換えれば、私への想い。 私と彼が進むべき、未来への想い。「しろう―――」 改めて、彼に抱きつく。 今こそ、胸を張って言える。 恐れなど、無い。 後悔など、微塵も無い。 彼とひとつになることに、誇りすら感じる。 羞恥で燃え上がっていた私の体が、また別の熱によって上書きされる。 それは、無上に心地よい、涼しさにも似た――― 彼の手が、私を少しずつ剥がしていく。 彼も、少しずつ自分を剥いでゆく。 お互いに、もう脱ぎ捨てるものが無くなり、 最後に彼は、まるで聖なる物を扱うような手つきで私の眼鏡を外し、 そっと、サイドテーブルに置いた。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。