クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (四ノ二)「お邪魔します。 あの、遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 本年も、よろしくお願いします」 玄関先で、士郎が両親に深々と頭を下げる。 『しゃっちょこばる』という形容そのままの緊張振りだ。「こちらこそ、よろしくお願いするよ。 本当によく来てくれたね、士郎君」「そんなに緊張しないで。 自分の家だと思ってくつろいでくださいな。 それにしても、本当に几帳面なのね。 時間ぴったりだわ」 やさしく微笑む父と、玄関の時計を見ながら彼をねぎらう母。 ……約束の20分前には下に来ていたこと、 美綴嬢との前哨戦のことは、とりあえず忘れることにする。「さあ、しばらくリビングで休んでいてね。 今、お昼ご飯を用意しますから。 鐘、士郎君をご案内なさい」「はい、お母さん」 士郎にスリッパを勧め、上がるように促す。 『緊張するな』という方が無理なのだろうが、士郎、下を見ろ。スリッパはもっと左だ、左。 父母に分からないように、彼の背を軽く叩いてやる。 彼は はっ と何かから解かれたように瞬きし、「 ――― 」 まだ少々ぎこちないながらも、いつもの照れくさそうな笑顔を浮かべてくれた。 士郎の相手は父に任せ、母と私はキッチンで昼食の最後の仕上げを行う。「今日は、鐘との合作なんですよ。 この子ったら、士郎君が来るまでに、簡単な物でいいから何か一品教えてくれ、って……」「お、お母さん!」 危うく食器を取り落としそうになりながら、母に抗議する。 しかし、そんなものは聞こえませんとばかりに無視しつつ、「だから、多少出来が悪くても大目に見てちょうだいね。 なにしろ、この子のデビュー作なんだから」 ……確かに、そうお願いしました。 何品もある昼食の中の、ほんの一つ。 甘鯛のポワレ、青菜のソテー添え。 クリスマス翌日からこっち、それだけを、受験勉強もそっちのけにして何度作ったか。 でも、お母さん。 今、この場でそれを言いますか? ……ああ、士郎。 君も、そんなに期待に目をキラキラさせるんじゃない……。 並べられた数々の料理は、素晴らしいものだった。 母はフランス料理を得意とするが、他の料理が不得意なわけでは決してない。 また、一つのジャンルにこだわらず、それらをミックスさせ、オリジナルに仕上げる手腕にも長けている。 今日の品々も変に気取らず、家庭的総菜の面影も残した、温かい物に仕上がっていた。 いつも食べているはずなのに、改めて母の腕前に脱帽する。 ―――同時に、私のちっぽけな料理が、惨めにすら見えたものだが……「……うん、うまい」 ナイフとフォークを意外に器用に操って食事をしていた士郎が、私の料理を一口食べて、そう呟いた。 そして、二口、三口と手を進めてくれる。「……士郎?」「お世辞じゃないぞ。 こと料理に関しては、俺は絶対に嘘は言わないし、言えない。 もちろん、お母さんの料理みたいに絶品、とまでは断言できないけど、これが初めて覚えた料理なんだろう? なのに、ここまでの味を出すなんて。 頑張ったんだなあ、鐘」 そうして、本当に満足そうに笑ってくれる。「……」 …君が嘘を言えないのは、料理に限ったことではないが…… おかげで私は、頬を熱くするやら、込み上げてくるものを押さえるやらで大忙しだ。「だから言ったでしょう? 私だって、及第点に達していないものを、お客様に出させたりなんかしません。 彼の舌にかなって良かったじゃないの」 そんな私に、正面に座った母が優しい目を向けてくる。「……はい」 私は、感謝を込めて母を見つめ返した。「でも士郎君、本当に味覚が鋭いのね。 これなら、安心して生徒を任せられそうだわ」「「は?」」 意外な方向に進む母の言葉に、士郎と声が重なる。「これからは、士郎君が先生になってくれるそうね。 鐘も、それまでに少しでも腕を上げておこう、って必死だったのよ。 母親が言うのも何だけど、この子、筋は悪くないから」「お、お母さん!?」 私があわてて遮ろうとすると、母の隣にいた父までが笑みをたたえ、「外野がいると、授業に集中できないだろう。 次に、私たちが二人とも出かける日はいつだったかな?」「そうですね。 今度調べて、鐘にいくつか候補を教えておきます。 士郎君、この家のキッチンや材料は、遠慮無く使ってね。 マンツーマンで、しっかり鍛え上げてちょうだい」「 !! …… 」「…は、はあ……」 ナイフとフォークを持ったまま、二人並んで真っ赤になる。 ……お父さん、お母さん。 この家で、士郎と二人きりで、料理をしろ、と……? いえ、密かにそれを望んでいなかった、とは言えないのですが…… 楽しくも、時々心臓に悪かった昼食は無事終わり。 その後は、リビングに場所を移して、お茶と雑談を楽しんだ。 テーブルに乗っているのは、あの紅茶専門店で売っている茶葉《本日のお勧めブレンド》で入れた紅茶と、同じくあの店オリジナルのスコーン。 士郎が、わざわざ手土産に持ってきてくれた物だ。 これを手にしたときの、母の喜びようと言ったら無かった。 まるで少女のように目をキラキラさせ、その紙袋を ぎゅっ と抱きしめ、 『ありがとう、士郎君!』 と……「鐘から聞いたけれど、士郎君も紅茶を入れるのがお上手だそうね。 せっかくだから、入れてもらえれば良かったかしら?」 上機嫌でカップに鼻を埋める母。「―――あ、いえ。 これには足元にも及びません。 最近、ちょっとは自信が付いてきてたんだけど、喝を入れられたって言うか……」 真剣な顔で紅茶を含み、舌に転がす士郎。 帰ったらさっそく特訓せねば、と考えているのが丸分かりだ。「まあ、お世辞でも嬉しいわ。 じゃあ後で、とっておきのコツを教えてあげる。 この勘どころを掴めれば、味がワンランクは上がるわよ」「ほんとですか!? ありがとうございます。ぜひ……!」 絶妙の掛け合いで、話が弾んでいく。 父は苦笑したまま、私はどういうわけか限りなく無表情に近い表情で、二人を眺めている。 ……ずいぶん、母と《も》親しげじゃないか、衛宮士郎。 あのクリスマス・デートの時、イリヤ嬢やシスター・カレンから受けた忠告を思い出す。 本当にこの男は、まるっきり無自覚に殺し文句をぽんぽんと……「……鐘?」「なんだ?」 いつの間にか、士郎がこちらを不思議そうに、心配そうに見ている。 それに対し、条件反射的に出た私の返事は、我ながら氷湖を渡る風のように冷ややかだった。「……いや…」 士郎は慌てて目を逸らし、横目でこちらをちらちら伺っている。 暖房はそれほど効いていないのに、額に汗が滲んでいるのはどういう訳か。「鐘。」 二の句の継げなくなった士郎に代わって、父が微笑みながら話しかけてくる。 ―――いや、微笑み、と言うより、爆笑を辛うじて押さえている風にも見えるのだが……「君の、士郎君への気持ちは充分わかったから、そろそろ勘弁してあげなさい。 何も、自分の母親にまで焼きもちを妬かなくてもいいだろう?」「は?」「お、お父さん!」 間の抜けた声を上げる士郎と、目を剥いて腰を浮かす私。 そんな私を手で制しながら、「お母さんも娘想いなのは分かるが、あまり挑発するのはよしなさい。 鐘どころか、こちらまで妬けてしまいそうだよ」「ごめんなさい。 士郎君って、その気にさせるのがすごくお上手なんですもの。 でも、この娘の今の様子だと、確かに余計なお節介はしなくても良いみたいね」 夫婦そろって楽しそうに、本当に楽しそうに笑いながら、スコーンを囓っている。「……あの、すみません。 それって、どういう……?」 心底分かっていない、という顔つきで、士郎が尋ねる。 両親は、そんな士郎の態度に、目をぱちくりさせた。 ……ややあって、「……本当に、鐘の言うとおりの子なのね。 なんだか、悪いことをした気になってきたわ」「本当にな…… 士郎君、気にしないでもいい。 年寄り二人が若い頃を懐かしんで、ちょっとした悪戯をしただけなんだよ」 今度は、本当に温かな微笑で、私たち二人を見つめた。「はあ…… ……?」 返事だけはするものの、相変わらず欠片も理解していない士郎。 説明を求めるように私を見るが、「………」 私は、と言えば、もうソファに転がりたくなるくらいに脱力していた。 ……どこの世界に、娘の恋人を誘惑して、嫉妬に燃える子どもの姿を楽しむ親がいるんだ。 本当に、これが父と母の本来の性格なのだとしたら。 今までの、厳格で寡黙だった両親は、いったい何だったのだろう……?「これなら……どうかな?」「ええ。 よろしいかと思います」 疲れた体をソファに沈めていたら、父と母の口調が少し変わったように聞こえた。 顔を上げると、両親は、微笑みは残したまま真摯な眼差しでこちらを見つめている。「「 ? 」」 士郎と思わず顔を見合わせ、知らず背筋を伸ばす。 そんな私たちに、父が静かな口調で切り出した。「士郎君。鐘。 二人に、ちょっと見てもらいたいものがある。 その上で、意見を聞かせてくれないか?」 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。