クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ十三) 丘の上の教会は、記憶どおりの姿でそこにあった。 今年の二月、冬木市の各地で起きた怪事件のひとつとして、この教会の破壊と神父の失踪がある。 噂では、外装はともかく、礼拝堂内部と居住区は手の付けようも無いほど壊されていたそうだ。『それはまるで、人外の生物が暴走し、闘争したかのごとくであった』 という都市伝説付きだ。 しかし正面に立って、開け放たれている扉から内部を伺うに、そうした痕跡は全くない。 むろん、新しい木の香が漂ってくるような新装ぶりではあるが、内装そのものは以前と変化は無いようだ。 クリスマス・ミサの最終回とあってか、内部はすでにかなりの人で賑わっている。 信者だけではないのだろう。 家族連れや、私たちのような男女の二人組も見受けられる。 私は、ほっと息をついて、士郎に話しかけた。「ずいぶんと壊された、と聞いていたが、見る限りでは無事に修復されたようだな。 この街のシンボルの一つだ。 こうして賑わっているのを見ると、安心する」「まあな。 …苦労したからなあ……」 それに返ってきたのは、しみじみとした、心底から感慨の籠もった述懐。「……? 苦労、と言うと?」 不思議に思って士郎を見ると、彼は初めて自分の呟きに気付いたかのように、「え? ……あ、い、いや、なんでもない!! 元どおりになって良かったよな、うん!」 あわてて手を振り、作り笑いの見本のような表情をする。「そ、それより、早く入ろう。 もうすぐ始まるだろうし、混んでるから、早く行かないといい席取られちまう」「いい席……と言っても、コンサートではないんだ。 賛美歌を歌って、説敎を聞いて―――それくらいのことだから、どこでも変わりはないんじゃないか?」 私の疑問に、彼はしどろもどろに答える。「あ、いや…… なるべく目立たない席、というか、終わったらすぐに出られそうな席っていうか…… その、いろいろとあるだろ?」 ……不審だ。 先ほどから、士郎の挙動言動は不審すぎる。「……やはり、無理をしてここに来ているのではないか? だったら……」「い、いや、違うって! さっきも言ったけど、建物自体には何の問題もないんだ。 ただ……」 また言葉を濁す士郎。「建物に問題がないとすると、何か? ここに会いたくない人物でもいるのか?」 業を煮やして、少々詰問口調になる。 すると、「 ! 」 ずばり大当たり、という顔で、士郎が絶句した。「……… …いや…… 会いたくない、と言うか、だな」 しばらくためらった後、彼はようやく重そうに口を開く。「会うとまずい、と言うか、その後の運命が左右される、と言うか…… いや、今、会わなくても、いずれはそうなるんだろうけど、 でも、せっかくこのところ平穏なんだから、もう少し先延ばしにしてもらえればなー、と……」「ひどいことを言うのね、衛宮士郎」「「 !!! 」」 いきなり後ろから声をかけられ、二人とも飛び上がった。 それも、生半可な後ろではない。 うなじに息さえ吹きかけられそうな、《超》真後ろだ。 特に士郎は、飛び上がるだけでは済まなかった。 私の掌を握ったままいきなり前方にダッシュし、数メートル移動したところでやっと振り返った。 私も、引っ張られて転びそうになるのをかろうじて立て直し、同じく後ろを見る。 そこには。「せっかく久しぶりにお会いするというのに、人をまるで疫病神か何かのように形容するなんて。 どうやら、先日の労働では改心しきれなかったようね」 カソック(法衣)に身を包んだ銀髪の少女が、感情の籠もらない視線でこちらを見つめていた。「か、カレン!? いつからそこに!!?」「あなたたちが、この地点に立ち止まって三十秒後には居ました。 全く気付かなかったのだとしたら、いささか修行不足ではないかしら?」 目を剥いて尋ねる士郎に、ゆっくりとこちらに近づきながら、少女はあくまでも淡々と返答する。 歳の頃は、私たちよりも少し下だろうか。 小柄で細身な体。 白い、と言うよりも透きとおるような肌の色。 目の色は琥珀……いや、金色か? 髪は、少しウエーブがかかっているが、イリヤ嬢の雪のような色とも、私の灰がかった色とも似ていない。 まさに銀糸を縒りあわせたような、見事な銀髪だ。 カソックの下から覗く、白い包帯が痛々しく、彼女の儚げな印象を増している。 ……カソックを着ているということは、ひょっとして……?「……士郎。 この方は……?」 カレン、と、彼はこの少女を呼んでいた。 交わされた会話からして、二人は知り合いのようではあるが……「あ、ああ。 こいつ……いや、彼女が、新しいシスターだよ。 カレンって言うんだ。 で、この人は氷室。 俺の、……まあ、なんだ……」 初対面の私たちを、それぞれ紹介する士郎。 私のことを《恋人》と明言しないのは、彼らしい照れなのだろうが、もっと堂々としても良いのに。 …いや、単なる照れ以上に、素性を知られることへの怯えのようなものが垣間見られるのだが……「初めましてシスター。 氷室鐘、と申します。 衛宮くんとは、その……お付き合いをさせていただいています」 彼の態度に首を捻りつつ、シスター・カレンに挨拶する。「まあ、彼の大切な方なのですね。 ご挨拶が遅れました。 私は、カレン・オルテンシア。 若輩の身ですが、この秋より冬木教会の運営を任されております。 どうぞよろしく」 彼女は初めて微笑み、胸の前に両掌を組んで一礼した。 オルテンシア。 確か、南欧の何処かの国の言葉で、《紫陽花》を意味したのだったか……? 名は体を表す、と言うが、可憐で儚げな彼女に、よく似合う響きだ。「あら、うれしい。 説明も無しに、私の名前の意味を分かってくださった日本人は、あなたが初めてです。 私も、この名前がとても気に入っています」 シスター・カレンは、ますます嬉しげに微笑む。 女性の私ですら見惚れるほどの笑顔だが、士郎はなぜかそれを、複雑そうな顔で見ていた。「氷室さん、とおっしゃいましたね。 失礼ですが、もしや氷室市長とご関係が……?」「父を、ご存じでしたか?」「まあ、お嬢さんでいらしたんですか。 どうりで、どことなくあの方を彷彿とさせるご印象でした。 氷室市長には、教会の再建や運営などで、多大なるご協力をいただいております。 どうぞ、よろしくお伝えください」 なるほど。 先ほど私自身が言ったように、この教会はある意味、冬木市のシンボルだ。 その再建に市が、父が力を貸したとしても不思議ではない。「そのお言葉、父も喜びましょう。 娘の私が言うのも僭越ですが、こちらこそよろしくお願いします」 さすがだ、と思った。 第一印象は可憐で華奢な少女だったが、この歳で一つの教会を任されるだけある。 一本、芯が通っている。 互いに再び頭を下げあったあと、シスター・カレンは士郎の方を向いた。 その目は、彼に対する慈愛に満ちあふれている。「しばらくお見えにならないと思っていましたが、こんな素敵なお嬢さんとお付き合いされていたとは。 ならば、あなたのその充実した顔つきも頷けます。 今までのご苦労に見合った幸せを、手にされたのですね。 (駄犬の分際で)」「は?」 疑問の声は、士郎からではなく、私の口から漏れた。 ……今、祝福に満ちた言葉の末尾に、恐ろしく場違いな言動が混ざっていなかったか? 思わず士郎の方を見たが、彼は額に手を当てているものの、驚いてはいない。「し、士郎。 シスター・カレンとお知り合いなら、最初から言ってくれればいいのに。 さすがに驚いたぞ」 気を取り直して、士郎に話しかける。 今のは、私の聞き違い……だろう。「ああ……まあ、ちょっとしたきっかけで、な……」 彼は、相変わらず煮え切らない口調で頭を掻く。 代わりに、シスター・カレンが口を開いた。「なんです、衛宮士郎? ミス・氷室に、私たちの仲のことを言っていないのですか? それは、不誠実ではないかしら?」「「は?」」 今度こそ、士郎と私の声がユニゾンする。 私たちの……仲? 不誠実? それは、どういう……? 我知らず、隣の士郎を振り返る。 いや、睨む、といった勢いだったかもしれない。「だーーーっ!! ち、違う、違う鐘! か、カレン!なんだよそれって!?」 必死に手を振って否定しつつ、士郎が彼女に食ってかかる。「もちろん、10月の初めに私たちが運命の出会いを果たしてから、今日までの出来事についてです」 対して、シスターはあくまで真顔で誠実に、幾分寂しそうに告げる。「あれほどの交流を、あなたは忘れてしまったのですか? ……無理もありません。 こんな素敵な方と巡り会えたんですもの。 私との仮初めの関係など……」 《運命の》出会い…… 仮初めの《関係》…… ……10月の初め、と言えば、まだ私が士郎を意識する前。 そんな頃から今まで、彼はこの女性と……「だーかーら!! 関係ってなんだよ! この教会を修理するの、手伝っただけだろ!!」「私は、最初からその意味で言っていましたが?」 絶叫する士郎に、しれっとした口調で返すシスター。「 ! ! ………!!!」 士郎は顔を真っ赤にし、口をぱくぱくさせる。「……しゅうり?」 私も、呆然とした口調で呟く。「はい。 彼には、教会の改修などで、ひとかたならぬお世話になったのです。 ……どうかなさいましたか? ひょっとして、私の日本語の使い方が、おかしかったのでしょうか?」 シスター・カレンが、心配そうに聞いてくる。「……あ! い、いえ、申し訳ない。 少し誤解をしてしまいました。 どうぞ、お気になさらず……」 確かに、自在に日本語を操っているとは言え、この国に赴任して日の浅い彼女のことだ。 微妙な言い回しが誤解を招くことまでは、理解できないだろう。 私は、早とちりをした自分を恥じると共に、シスターを安心させるために頭を下げた。「そうですか、よかった。 私の未熟のせいで、お二人にご迷惑がかかっては大変ですから」 そう言うと、彼女は再び花のように笑った。 ……ただ。 初めの笑顔が、名前どおり紫陽花のように儚げな印象だったのに対し、 今の笑顔が、まるで大輪のダリヤのごとく、麗々しく満足げに見えたのは、気のせいなのだろうか? そして、何故士郎は、今にも膝を付きそうな姿勢で、頭を抱えているのだろう? ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。