クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ十二)「……鐘?」 士郎の、少し心配そうな声で我に返る。 我に返って初めて、自分が物思いに耽っていたことに気付いた。「……ああ、すまない。 イリヤさんのことを考えていたんだ」 先ほどの、イリヤ嬢の囁き。(……シロウのこと、よろしくね) あの囁きは小さすぎて、士郎の耳には届いていなかっただろう。 否。 士郎に聞かせないために、彼女はわざわざ私を抱きしめたのだ。 兄の恋人に、その人の今後を頼む。 平凡な、家族として当たり前の願いのようにも思える。 だが、彼女の笑顔、声音に含まれる何かが、私に告げている。 この言葉を、決して忘れてはならないと。 この期待を、決して裏切ってはならないのだと。 私は、小さく頭を振って、気持ちを切り替えた。 この問題は、今ここで考えるべき事ではない。 そもそも、簡単に結論を出して良いことでもない。 あの言葉と、そして自分自身としっかり向きあい、自分の中で問い続けていくべき事柄だ。 だから、士郎にもそのことは言わず。 代わりに、もう一つの真実について語った。「……先ほど、イリヤさんが私のことを妹と…《家族》と、呼んでくれたろう? それが、嬉しくて……な」 そう。 彼女が私にくれた、もう一つの言葉。(カネも私の家族ってことになるんでしょ?) 今、思い出しても、涙が滲みそうになる。 あれほど求め、あがき、手には入らないのかと諦めかけていたその言葉が、 全く予想外の天使から ぽん と手渡されたような。「……そうだな。 イリヤの言うとおり、鐘も俺の家族だよ。 少なくとも、俺はずっとそう思ってた」「士郎……」 ここで、そんな言葉を言ってくれるのは、反則だ。 嬉しすぎて、どうしていいか、この込み上げてくる感情をどう処理すればよいのか、分からなくなってしまう。 彼の胸に、顔を埋めたくなる衝動を必死に堪え、私は士郎の左腕に ぎゅっ と抱きついた。「イリヤも言ってたけどさ。 また、俺の家に来てくれよ。 イリヤや桜、遠坂、藤ねえ。 みんなといっしょに、夕飯でも食おう」 覚えているのか、いないのか。 彼は、そんな台詞を私にくれた。 それは、イリヤ嬢と初めて会った日。 士郎の家で、間桐嬢と睨み合いをした後の帰り道。 二人の不機嫌の原因に全く気付かなかった彼は、私に今と同じ言葉をかけた。(そんな晩餐が開かれることは無いだろう) そう思いながら私は、彼の言葉に適当な相づちを打った。 そして今。 その言葉が繰り返され、それが実現する、……実現しても良い状況になっている。「……そうだな」 だから私も、あの時と同じ言葉を繰り返した。「ぜひ……ぜひまたお邪魔しよう」 * * * * * * * * * *「……ところで、次はどうする? もうだいぶ、いい時間になってきてるけど」 しばらく無言で、腕を組んで歩いていたが、ふと士郎が聞いてきた。 なるほど、腕時計を見るまでもなく、陽もずいぶんと傾いてきている。 しかし、逆に言えば、まだ陽はあるのだ。 夕食を予約した時間には、少々早い。 順番で言えば、次は士郎がスポットを選ぶ番だが……「……情けないけど、ネタ切れだ。 こういうときは、自分の無趣味が恨めしいな。 鐘、どっかあるか?」 頭を掻きながら、士郎が聞いてくる。 しかし、こちらもご同様だ。 喫茶店などに入って時間を潰すのももったいないし、第一、夕食前にすることでもない。 このまま歩き続けるのも一つの手だが、少々寒いし、にぎやかなことが続きすぎたせいか、疲れてもいる。 どこか静かなところで、ゆっくりと、有意義な時間を…… 贅沢な望みを抱きつつ、二人で頭を悩ませていると、ふと、道端の広報掲示板が目に入った。 『クリスマス・ミサ開催 信者でない方もご自由にお越しください 冬木教会』 開催時間を見ると、最後の回に間に合いそうだ。 しかも終了後に、予約してある店に行くと、ちょうど良い頃合いとなる。「ふむ。 どうだ、士郎。 次は、ここへ行くというのは?」 私や、私の父母は、この宗教の信者ではない。 だが、母方の祖父母がそうであったことに加え、この街は、異国風の物と共に、この宗教に対する馴染みも歴史的に深かった。 私自身も、丘の上の冬木教会――以前は言峰教会と言ったが――に、何度か礼拝に行ったことがある。 そのとき説教してくれた壮年の神父は、今年の二月ころから行方不明となっているらしい。 その後、外国から急遽代理で来た老神父も、秋に帰国。 今はその後を継いで、年若いシスターが教会の運営を担っているという。 深い関心があるわけではないが、市長の娘などをやっていると、これくらいの風聞は耳に入ってくる。 だから、久しぶりにあの教会に行きたいという欲求と、そのシスターとはどんな人物なのかという好奇心から、 ほんの軽い気持ちで、士郎を誘ったのだが。「……あ、あの教会に……か?」 ギクリ という擬音が見事に似合いそうな顔色で、士郎は呟いた。 気のせいだろうか、腰がわずかに引けている。 どうかしたのだろうか? 先ほども言ったように、たとえ信者ではないにせよ、この街の住人にとって、教会は馴染み深い場所だ。 士郎が、特定の宗教の信者であるという話も聞いていない。 何がいったい、彼をそんなにためらわせて……「……あ…」 そこで、私は思い出した。 以前、父から聞いた話を。 十一年前、新都を襲った大火災の時。 身寄りを失った子ども達は、丘の上の教会に集められ、そこで庇護を受けた。 そこから里親を募り、子ども達は新しい親に引き取られていったという。 その災害で親友を失った父は、せめてその息子である《士郎》という名の子どもが生き残っていないかと、真っ先に教会を訪ねたそうだ。 だが、そこにいた子どもの中に《士郎》は居らず。 父は、暗澹とした気持ちのまま、帰途に着いた。 その話からすると、ここにいる士郎は、教会に居たわけでもないようだが。 しかし、あの大災害の後だ。 どんな混乱があったのか、私などには知る術もない。 士郎が、あの教会に引き取られていたのであれば、 そして、そこで思い出すのも辛い出来事があったのだとすれば…… ……暗い顔をして俯いてしまった私を見て、士郎はあわてて手を振った。「あ、い、いや違う!違うよ。 俺、病院から直接爺さん……義理の父親に引き取られたから、あの教会には行ってないんだ。 まあ、あんな事情だったから、その後もほとんどあそこには行かなかったし、 最近も、いろんなことがあって、あの教会にはいい思い出が無いんだけどさ……」 話のディテールがよく掴めないが、士郎にとって、あの教会はあまり近寄りたくない場所、ということか。「……すまない。 知らなかったとは言え、無神経な提案をしたことを謝る。 どうか……」 頭を下げかける私に、「い、いや、だから違うって!! そんな思い出も、もう俺の中では片が付いてるし、あの教会自体には何の問題も無いんだ。 ただ……」 そこで、再び言葉を濁す士郎。 ……教会自体に問題が無いのならば、何をそんなにためらっているのだろう? 彼は、腕を組みながら懸命に頭を巡らせていたようだったが、「……そうだな。 よし、行こう、鐘」 決然と、私にそう告げた。 ……そこまで覚悟して行くことも無いと思うのだが。「いや、ここは行くべきだと思う。 行っても多分、少なくとも鐘には実害が無いだろうし、 ここらで顔を出しとかないと、それこそ後が怖いし……」 悲壮な決意の表情で、士郎はますます分からないことを呟く。 そして、私の掌を取って、率先して教会に向かって歩き始めた。 心なしか、無理やり蛮勇を奮い起こしているような歩調だ。 ……なんだか、教会に行くのか、ダンジョンの最深部に向かうのか、分からなくなってきた。 いったい、冬木教会に何が待ち受けているのだろうか? ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。