クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ十)「さて、そろそろ次へ行こうか。 その様子から察するに、さすがに頭がのぼせてきたのではないか?」 私の言葉に、士郎も苦笑しながら頭を掻く。「ご明察。 ここはやっぱり、男子禁制の地だよ」 二人で笑いながら、ファンシーショップの出口をくぐる。 と。「あーっ! シロウ、やっと見つけたーーーっ!!」 ヴェルデ構内に、突如響きわたる少女の声。 続いて、銀と紫の砲弾らしき物が、こちらに向かって突進してくるのが見えた。「え?イリ…… ぐほっっ!!」 砲弾は、過たず士郎の腹部に命中。 当たり所が悪かったのか、彼は咳き込んでいる。 そんな士郎の状態を全く無視して、砲弾…もとい、少女は言葉を続ける。「もう! 午前中からずーっと探してたのに、シロウったら全然見つからないんだもの。 もう帰っちゃおうかと思ってたんだから!!」 士郎の胴にしがみついていた少女は、今度は、腹を打たれて前屈みになった彼の首に飛びつく。「でも、諦めないでよかった! やっぱりシロウと私は、運命の糸で結ばれてるんだねーーっ!!」 そのまま、彼の首を支点にして、くるくると回る少女。 ボディブローを決められた上、首を絞められて、士郎の顔には既にチアノーゼ症状が出ている。「っっぷはっ!! い、イリヤ、なんでここに!?」 やっと少女をやさしく引きはがし、士郎は呼吸を荒くしながら尋ねる。 気持ちよく抱きついていたところを離されたのが不満なのか、少女……イリヤ嬢は、頬を膨らませながら答えた。「むー。 なんで、ってご挨拶ね。 シロウの晴れ姿を見に来たに決まってるじゃない」「は?」 間の抜けた声で受け返す士郎。「ほんとなら、リンやサクラといっしょに、朝からシロウたちのこと観察するつもりだったのよ。 なのに、ほんのちょっと遅れただけで、リンったら先に行っちゃうんだもの。 あーあ。 私も、手のかかる保護者なんか見捨てて早く出かければよかったなあ」 唇を尖らせながら不満を並べる少女は、とても愛らしいのだが、語られる内容はなんだかとても不穏当だ。「でも、これはこれで良かったかな。 こそこそ覗くより、やっぱり間近で見た方がいいし。 んー……、うふふ」 彼女はニンマリと笑った。 そのまま二、三歩下がり、士郎の姿をじっくりと眺める。「リンやサクラのセンスは認めてあげるわ。 お兄ちゃん……、かあっこいいーーーっ!!!」 満面の笑みを浮かべて、またもや士郎の首に飛びつくイリヤ嬢。 今度は、彼の首筋に顔を埋め、しきりに頬ずりなどをしている。「………」 いつかの、海浜公園での間桐嬢と士郎の掛け合い。 紅茶専門店で聞いた、遠坂嬢とのやりとり。 そしてつい先ほど士郎が語った、かつての恋人との逸話。 それらの出来事を、妬心を感じつつも微笑ましく聞いていられた私は、悋気の少ない女なのかもしれない、と自分では思っていた。 だが。 それならば、目の前の情景に、 年端もいかぬ少女、それも義理とはいえ妹とじゃれあう衛宮士郎に、 なぜ私はこんなにもギスギスした感情を抱いているのだろう?「い、イリヤ! ちょっ、離れて!離して! 場所を考えろ場所を!!」 士郎は辺りを見回しながら、絡みつくイリヤ嬢を必死で引きはがそうとして果たせないでいる、ように見える。 しかし、しょせんは大人と子ども。 本気を出せば、簡単に振りほどくことが出来るはずなのに、為すがままにさせているのはどういうことか。 その表情も、困惑の裏に嬉しさが滲んでいる、と感じるのは、私の僻目なのだろうか。 それとも……士郎、ひょっとして君は、そっち方面の趣味もあるのか? 自覚できてしまうほど、剣呑な目つきで二人を眺める。 だが。「あーっ!ヒムロ!! あなたも、かわいいーーーっ!!!」「は?」 次は、私が間抜けな声を出す番だった。 士郎の首から飛び降り、今度は私に向かって突進してくるイリヤ嬢。 そして、「その帽子!そのセーター! すっごく似合ってる! それにヒムロの胸ってふかふかー! やわらかーい!!」 先ほど士郎にしたのと同じように、飛びついて私の首に腕を回してくる。 ぎゅっ と全身で抱きつき、私に頬ずりをしてきて…… 甘い匂いと、すべすべの肌ざわりに、思わず胸がときめく。 わ、私は決して、そっちの趣味は、 っ!やっ……ど、どこを触っ…… 助けを求めて士郎を見るが、彼は首をさすりながら、呆然とこちらを見ていて…… ……何故、顔を赤くしている? やっと私を解放してくれたイリヤ嬢が、改めて私の前に立つ。「ねえねえヒムロ! ヒム…… ……うーん。 なんか呼びにくいなあ、この名前」 腕を組んで、考え込んでいる。 確かに私の苗字は、外国人、それも子どもには少々発音しにくいだろう。 ……先ほどの余韻に顔を熱くしながら、ぼんやりと思っていると、「ねえ、あなたのファーストネーム、《カネ》っていうんでしょ? そう呼んでいい?」 彼女は、実に無邪気な顔と声音で、そう提案してきた。 ……正直、戸惑わざるを得ない。 あの《五日間》の前日。 士郎の家で、この少女と初めて出会った夕方。 彼女は私を、無機物を品定めするかのような目つきで眺めていた。『あなたがヒムロ?』 彼女の第一声の冷ややかさ、否、冷たささえも含まれていない声は、今も耳の奥に残っている。 だが、それも仕方のないことと思っていた。 私は、この屋敷の部外者。 異物であり、ひょっとしたら排除されるべき対象だったのだから。 あの時の無機質な声音と、今、目の前に聞く笑い声。 これは本当に、同一人物から発されているのだろうか? 答えるべき語を見つけられない私を、どう思ったのか。 イリヤ嬢は、不思議そうな目を向けてきた。「どうしたの? そう呼ばれるの、イヤ? ……あ、そうか」 彼女は、何かに思い当たったような顔をした。 自分の額を、こつん、と叩く。「そう言えば、自己紹介もまだだったよね。 ごめんなさい。手順を間違えてたわ」 そう言って笑ったイリヤ嬢は、 すっ と背筋を伸ばした。 両手でスカートの裾を摘み、「改めまして、ごきげんよう。 わたくしは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 エミヤシロウとは兄妹にあたります。 以後、よろしくお見知りおきを」 今までの無邪気な子どもとは別人のような優雅さで、丁寧に一礼する。 真の貴族、という人種がまだ残っているとすれば、きっとこのような姿を言うのだろう。 一瞬、我を忘れて見惚れてしまったが、礼には礼を返さねばならない。「……ご丁寧な挨拶、痛み入ります。 私は、氷室鐘。 若輩ですが、どうぞよろしくご指導願います」 年下の少女にすべき挨拶ではないが、なぜか自然に言葉が出た。「うん、じゃあ堅苦しいのはこれでおしまい。 これからは《カネ》って呼ぶね。 私のことも《イリヤ》でいいよ」 少々時代がかった私の礼が気に入ったのだろうか。 彼女は元の、いや、さらに無邪気な笑顔を送ってくれた。「ええ。 よろしく、イリヤさん」 向こうが呼び捨てで、こちらが『さん』付けというのも妙だが、彼女に対してはそれが自然だと思える。「うーん、固いなあ。 ま、サクラも始めはそうだったし。 こういうのって、慣れよね」 イリヤ嬢は、ちょっと不満そうに眉をひそめたが、またすぐ笑顔になって、私の手を両掌で握ってくる。「……あー、イリヤ。 ちょっといいか?」 ずっと蚊帳の外だった士郎が、ようやく口を挟んでくる。「その…… 今日は、鐘にずいぶん懐いてるんだな? いや、仲がいいのは、とっても嬉しいんだけど……」 語尾を濁しながら、イリヤ嬢に尋ねる。 士郎も、《あの時》とは全く違う彼女の態度に、驚いているのだろう。 そんな士郎の問いに、イリヤ嬢はむしろ きょとん とした顔で尋ね返す。「なんで? 当たり前じゃない。 シロウはカネのハズなんでしょ?」「「 ? ……… !!! 」」 最初、語意が掴めず首を傾げていた士郎と私は、 次の瞬間、ものの見事に赤面した。 は、ハズ!? ハズ、と言うと、『ハズバンド』の略!? つ、つまり、日本語に訳すと…… 絶句している私たち二人の心境も知らぬげに、イリヤ嬢は言葉を続ける。「なら当然、私とカネも姉妹ってことになるじゃない。 姉と妹が仲良くするのは、当たり前なんでしょう?」 ……確かに、彼女の言うとおりだ。 将来、私と士郎が、その……そういうことになったとしたら、 彼女は私にとっても《妹》ということになる。 し、しかし、こういう形で将来の可能性をいきなり突きつけられると、 いや、決して嬉しくないなどということはないのだが……「それに、シロウが選んでシロウが好きになった人だもの。 サクラやタイガからもいろいろ聞いたし、今見てても、ヘンな女には見えないしね。 なら、リンたちと同じように、カネも私の家族ってことになるんでしょ?」 変わらぬ笑顔で、イリヤ嬢は言葉を続ける。 なるほど。 イリヤ嬢が、ここまで私にフレンドシップを発揮してくれたのは、なにも私自身を信頼したからではない。 間に士郎の存在があったからだ。 初めて会ったときに、あそこまで私に素っ気ない態度を取ったのも、彼を案じるが故。 今日の笑顔も、士郎が私を愛し、大切にしていることを、認めてくれたからだろう。 ……同時に、思う。《カネも私の家族ってことになるんでしょ?》 家族…… この言葉を、まさかここで贈られるとは。 それも、私を認める可能性は最も低いだろう、と思っていた少女に。 胸が熱くなる。 こみ上げてくる何かを、どうにか押さえようと努力していると、「だからカネ。 なんでもお姉ちゃんに相談するのよ? シロウはとってもいい子だけど、天然の女たらしでもあるんだから。 そんな事がまたあったら、遠慮無く言いなさい。 懲らしめるから」 真顔で私に言い諭す、イリヤ嬢。 ……は? お姉ちゃん? 文脈から言うと、その、『お姉ちゃん』とはイリヤ嬢で、私にとっての、ということか? 確かに、ときどき垣間見せる彼女の威厳は、《姉》と呼ぶにふさわしいものだが、 いやしかし、外見年齢からして、それはいくら何でも無理な気が…… 混乱した私は、思わず士郎を振り返るが、「なっ! ちょ、ちょっと待てイリヤ! 『女たらし』とか『そんな事がまた』とか、どういう意味さ!?」 士郎は士郎で、別の問題でイリヤ嬢に食ってかかっている。「呆れた。否定する気? あつかましい。 サクラやリンや、その他にも今まで、何人引っかけてきたか忘れたの? どうせカネの時も、無意識に殺し文句吐きまくって落としたんでしょ」 腰に手を当てて、やれやれとため息を吐くイリヤ嬢。 士郎は顔を真っ赤にしたまま、口をぱくぱくさせている。 …まあ確かに、そういった側面も、無きにしもあらずだったのだが……「カネ、だからくれぐれも目を光らせてなきゃだめよ。 でなきゃこの男、無自覚に女を口説きまくるに違いないんだから」「ご助言、深く感謝します」 丁寧に、真摯に彼女に一礼する。「か、鐘ぇ……」 士郎が実に情けない声を出すが、あえて無視する。「それにねえ、カネ。 んー、うふふ……」 イリヤ嬢は一転、指を顎に当てながらニンマリと笑う。 その笑みは、女の私でさえ ドキリ とするほど妖艶だった。「油断もしちゃダメよ? 私もシロウのこと、あきらめたわけじゃないんだから。 カネに少しでも隙があったら、遠慮無く奪い取るからね」「……肝に銘じます」 再び、深く頭を下げる。 年端もいかぬ子どものたわごと、とは、この少女の場合、間違っても片付けられない。 間桐桜嬢ともども、私にとっては最重要注意人物だ、と改めて認識した。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。