クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ七) 予想に違わず、と言うべきか。 士郎が次に足を向けたのは、ヴェルデ地下街の総合食料品売場だった。「俺も普段はほとんど深山町で買い物するからな。 ここのスーパーは詳しくないんだけど、まあ、基本はいっしょだから。 まずは、一通り見ていこう」 詳しくない、と言った割に、彼は流れるような動作で店内に入り、入口に置いてあるカゴに手を伸ばした。 その取っ手を掴んだところで ぴたり と止まり、「 ――― 」 こちらを向いて、決まり悪そうに笑いながら手を離した。 まあ、それはそうだろう。 目的地がだんだん所帯じみてくるのに加え、彼の動作があまりに自然だったので、私も、途中まで気付かなかったのだが。 今は一応、デート中。 しかも、クリスマスという年に一度のイベントなのだ。 まさか、レジ袋ぶらさげてこれからのスポットを回るわけにもいくまい。「……悪い。 つい、習慣でな」「いや。 よくぞ掴んだところで手を止めたものだと思うぞ。 会計を済ませて店を出るまで気付かないだろう、と予想していたからな」 からかい半分、本気半分の笑顔で士郎をにらむと、彼は肩を縮めて頭を掻いた。 改めて、手ぶらのまま店内を回る。 まずは、生鮮食品からだ。 ……しかし、素朴な疑問なのだが。 スーパーマーケットという所は、どうしてどこも、入口付近に野菜や果物が陳列されているのだろう? 士郎は、食材の一つひとつを手に取り、それを私に示しながら、懇切丁寧に解説してくれる。 曰く。 ジャガイモは、大きすぎる物はスが入っている可能性が高いので要確認。 表面に水滴が付いている人参は、長く放置されていた証拠と見るべき。 この胡瓜は、皺の寄りがぼやけているから、鮮度が高いとは言えないだろう。 魚は、水をかけて生きが良いように見せかけている場合があるから、目を見て判断すること。 等々。「……君は、本当に年頃の男子生徒なのか?」 彼の知識の豊富さと眼力の鋭さに、本気で敬意を表しながら、私はつい、とっても素直な感想を漏らした。「べ、別に好きで覚えたわけじゃないぞ! ほ、ほら爺さん…俺の親父は家事なんてなんにもやらなかったし、そのあとはずっと一人暮らしだったんだ。 やむにやまれぬと言うか、必要に迫られて、だな……!!」 アジの開きのパックを持った手をぶんぶん振り回しながら、必死になって士郎は力説する。 しかし、先ほどのDIYコーナーの時を上回る生き生きとした表情を、今の今まで見せつけてくれていたんだ。 その言には、到底頷けない。「まあ、いいじゃないか。 別に非難しているわけでもないし、からかっているわけでもない。 これだけ熱心で優秀な教師に、生徒が感激したのだと思ってくれ」 彼の肩を ぽんぽん と叩いて慰めるが、士郎は(……なんか、鐘ってだんだん遠坂に似てくるよな) とか(桜もそうだったし……女の子ってみんなそうなのかな?鐘だけは違うと思ってたのに……) とか、 今にもしゃがんで床に鼠を描きそうになっている。 ……こういう屈折した心理表現は、やはり思春期男子特有のもの、と安心して良いのだろうか? そんな掛け合いを挟みながらも、衛宮敎授の講義は続く。 そして精肉売場で、アブラミの色による鮮度の見分け方を教わっていると、「衛宮ではないか?」 後ろからかけられた声に、士郎と私は、豚バラ肉から目を離して振り向く。 そこに立っていたのは、「珍しいところで会うものだな。 今日は、こちらまで出てきて買い物……というわけでもなさそうだが」 端正な面貌。 筋の一本通った涼やかな立ち姿。 冷静で怜悧な声音。 柳洞寺の跡取りにして、穂群原学園の元生徒会長、柳洞一成だった。「なんだ一成。そっちこそ珍しいな、こんな所へ。 生徒会の用事か?」 屈託無く、士郎が返事を返す。 元生徒会長、と私は言ったが、柳洞一成は、つい一週間前まで、《元》の付かない現役の生徒会長だった。 だが、『年が明けても三年生が会長なのは、さすがにまずいのではないか』 という、生徒会の苦渋の決断により、学期末にようやく新会長が選出された。 今は、新旧引き継ぎの時期なので、士郎もこんな質問をしたのだろう。「いや、今日は寺の用向きだ。 年の瀬は、準備もなかなか煩雑でな。 入り用の物を調達に来たところだ」 なるほど、彼の後ろでは、私服姿ながら剃髪した、若い僧らしき人が軽く頭を下げている。「大抵の品は深山町で揃えるのだが、やはり新都でないと手に入らない物もあってな。 ここの店主と、先ほどまで仕入れの交渉をしていた」「そっか。お寺は、年末年始はやっぱり大変だな。 今年は、俺はいつから行ったらいい? なんでも言いつけてくれ」 真顔でそう尋ねてくる士郎に、柳洞は一瞬目を見開き、「 ――― 」 それから、長いため息をついた。「馬鹿なことを。 俺の会長交代のときのゴタゴタで、貴様にはあれほど迷惑をかけてしまったのだ。 この上、お家の事情でまで甘えられるものか」「お家の事情、って…… なんだ、毎年手伝ってたじゃないか。変な遠慮しなくても……」「たわけ」 なおも食い下がろうとする士郎に、元生徒会長は一喝を入れた。「貴様にはもう、存分に時間を割かなければならない人が出来たのだろう。 その人を置いて、何をしようと言うのだ。 俺とて、馬に蹴られたくはない」「「え……」」 士郎と私の呟きが、思わず重なる。 私たちを見る元会長の視線は、若干、私の方に多く注がれているような気がした。「……」 思わず、私と視線を交えた士郎は、「あ、ああいや……、まあ、それはそうなんだけど…… あ!た、托竹さん、お久しぶりです!!」 真っ赤になって視線をさまよわせていたが、元会長の後ろにいる若い僧に、あわてて歩み寄った。 そのまま、僧と談笑を始める。 ……どうやら、話を誤魔化したつもりらしい。 当然、あとには私と元会長が残った。「……私を見ても驚かないのだな、寺の子」「まあ、聞いてはいたからな、役所の子」 二人とも、あえて懐かしい呼び名で声を掛け合う。 地元の古刹の跡取りとして生まれた男子と、 地方政治に従事し、今は市長である政治家の娘。 地元有力者の子ども同士、歳が同じこともあって、二人は幼少の頃から面識はあった。 逆に言えば、その程度の付き合いだ。 顔を合わせれば、二言三言声を掛け合い、そのまますれ違う。 そう、ちょうど今のような雰囲気で。「少し意外だな。君が、私と士郎のことを知っていたとは」 清廉潔白、女嫌いとの噂まで立っているこの男のことだ。 男女の交際などという浮いた話にも、全く興味を示さないと思っていたが。 まあ、私と士郎の場合、私の入院騒ぎでなし崩しに公認になったようなものだ。 この男と士郎は友人なのだし、彼が少しくらい興味を持っても……「当然だ。衛宮が話してくれたからな」 そんな思いに耽る私に、元会長、いや柳洞一成は、意外な言葉をかけた。「……士郎が?」「うむ。 十月の終わり頃だったかな。生徒会室で聞いた。 『氷室と付き合うことになったから、承知しておいてくれ』 と」 そう言葉を続けた柳洞は、私の目をじっと見つめている。 十月の終わり頃というと、初めてのデートが終わり、やっと付き合い始めた頃ではないか。 あの頃。 別に隠すことでもないが、二人の仲はあまり大っぴらにはしないでおこう、と話し合ってはいた。 私は、これまでのいきさつもあったので、蒔寺と由紀香にだけは話していたが、 士郎は、あの《五日間》から察するに、家族にも知らせていないものだと思っていた。「俺も驚いた。 いや、衛宮とお主が付き合い始めた、ということにもだが、聞けば遠坂や間桐桜、藤村教諭にも伝えていないと言う。 それを、俺などに話しても良いのか、と言ったのだが……」 柳洞は、苦笑しながら眼鏡の位置を直す。「『なんでか俺にも分からないけど、一成には話しておかなくちゃいけない気がしたんだよな』 と。 彼奴は、いつもの顔で笑っていた。 ……不覚にも、胸が熱くなったぞ。 俺は、あの男にそんなにも信頼されているのか、とな」 少し頬を染めながら、満足そうに目を閉じる柳洞。 ……そうか。 士郎に関して、今まで私は、藤村教諭や間桐嬢を始めとする《家族》のみに目を向けていた。 それは、そうせざるを得ない経緯もあったのだが、 当然のことながら、彼にはそれ以外の世界もあったのだ。 先ほどの《ネコ》女史もしかり。 この柳洞一成や美綴嬢を始めとする、友人たちもしかりだ。 藤村教諭たちは、たしかに彼の家族だが、家族であるが故に、言いづらいこともある。 そういった事も、自分の信頼する友人には、包み隠さず話す。 人として、ある意味当たり前のことだ。 その《当たり前のこと》を、士郎がしてくれたということ。 それが出来る友人を持っていてくれたことが、なぜか無性に嬉しかった。「友として、信頼して打ち明けてくれたのだ。 その信頼を汚すわけにはいかん。 だから、徹底して知らぬ振りをした。 たとえ、お主とすれ違ったとしても、な」 なるほど。 この男が、そこまで腹を据えていたのなら、私が気付かなかったのも無理はない。「が、最近の状況を鑑みるに、どうやらお主等は《カミングアウト》とやらをしたらしいからな。 なので、今日は俺も声をかけたのだ」 ……堅物のこの男から《カミングアウト》などという言葉が出ると、妙におかしい。「……ありがとう。 私からも礼を言う、柳洞一成」 自然に、彼に対して頭を下げていた。 彼の親友でいてくれて。 彼の大事なことを聞いてくれる友として、彼と付き合ってくれて。「ば……馬鹿なことを。 俺は、衛宮のためを思って行動したのだ。 お主に礼を言われる筋合いは無い」 あわてて目を逸らす柳洞。 こういうときに、しきりに眼鏡の蔓をいじるのは彼の癖だ。「……まあ、意外と言えば意外だったな。 衛宮から初めて聞いたとき、正直、信じ難かった。 お主には失礼だが、衛宮とお主が並んで立っている様を、どうしても想像できなかった」 本当に失礼なことを言っているが、気持ちは分からなくもない。 私自身、現在でも他人に自分たちがどう見えているか、想像も出来ないのだから。「衛宮は普段があれだからな。 率直に言えば、自分から彼奴を引っ張っていってくれる、そんな女性が似合いだと、漠然と思っていたのだが……」 ……以前、そんな意見を聞いた気もする。 《ネコ》女史からだったろうか。 確かに、士郎の周りの女性からすれば、私はおとなしい部類に見られるのだろう。 では、具体的には、彼にはどんな女性が似合うのだろうか。「……それは例えば、遠坂嬢のような?」 それとなく水を向けたとたん、柳洞は大きく身震いした。「冗談でもよせ。 あの女狐に衛宮を任せるくらいなら、うちで僧として末永く生きてもらった方がよほどましだ」 本気で厭がっている。 柳洞と遠坂嬢の確執は以前から聞いてはいたが、なるほど、これは相当なものだ。 ……しかし柳洞一成。 いかに士郎の身を案じているとは言え、今の発言は少々危険なのではないか? それが分かっているのかどうか、柳洞は こほん と咳払いをした後、「だいたい、遠坂の名を出すまでもなかろう。 衛宮には、もはやお主がいる。 押しも押されもせぬ、立派な伴侶がな」 しばらく、言葉の意味が分からず、きょとんと立ちつくす。 そして、「 ――― !!」 自分でも滑稽に思うほど、一気に全身が熱くなった。「な……なにを言っ… は、伴侶!? 柳洞、そういう冗談、は……!」「失敬な。 俺は、こういったときに冗談や世辞など言わん。 俺が先ほど『信じ難い』と言ったのは、あくまで第一印象だ。 実際、何回かお主と衛宮が二人で居る所を見て、俺の杞憂だったということがよく分かった。 特にたった今、お主たちが食材を選んでいた場面など、どこのおしどり夫婦かと思ったくらいだ」 ……士郎とは違った意味で、この男は難敵だ。 士郎は、殺し文句や恥ずかしい言動を、完全に素で言ってのける。 対して柳洞は、その言葉の破壊力を充分に承知していながら、平押しに押してくる。 どちらも、本音であることが分かるだけに始末が悪いのは一緒だが。 柳洞は、笑みを浮かべながら続ける。「まあ、俺もこれで、卒業を前にやっと肩の荷が下りた、と言ったところか。 衛宮には、なんとしても幸せになって欲しかったからな」 その笑みは、意地悪さを充分に含んではいたが、何故か暖かだった。「衛宮は、もっと幸せになるべきだ。 いや、衛宮のような男こそ、幸せにならなければならんのだ。 なのに彼奴は、自分のことは全く投げ出して、他人の世話にばかり奔走する。 このままでは、あの男はどうなってしまうのか、と案じていたのだが……」 私が、あの《五日間》で骨身に染みた心配を、柳洞も口にする。 さすが、士郎の親友に値する男だ。「役所の子。 いや、氷室鐘。 俺の方こそ、頭を下げて頼む。 衛宮士郎を、よろしくお願いしたい」 そして柳洞は、彼らしい折り目正しさで、誠実に頭を下げてきた。「俺に出来ることがあれば、なんでも言ってもらいたい。 骨は惜しまん。 どうか彼奴と、添い遂げてやってくれ」 ……胸が、熱くなる。 幼少の頃より、顔だけは見知っていた相手と、今、初めて出会ったような気持ちになる。 だから私も、できる限り本音で、本気で礼を返した。「……正直、『添い遂げる』という約束は出来ない。 そんな自信は、今の私には無い。 だから、別のことを誓おう。 添い遂げるために、全力を尽くす、と」「充分だ」 柳洞は、満足そうに頷いた。 ……それにしても。「衛宮士郎とは、すごい男だな」 生涯、ただの顔見知りのままだったはずの相手と、こんなにも気持ちを通わせてくれる。 間桐桜嬢のときも味わったが、このような感覚は、彼を知るまで体験したことがなかった。「全く、同感だ」 柳洞も、感慨深そうに呟く。「ん? なにがすごいんだって?」 二人して深く頷いていたところに、当の『すごい男』が口を挟んだ。 ……慣れているつもりではいたが。 この男の、場の空気を読まない緊張感の無さは、もはや天然だ。 柳洞と二人、がっくりと肩を落としながら、横目で彼を睨む。「な、なにさ?」 彼にしてみれば、不当で理不尽な視線なのだろう。 後ずさりしながらうろたえている。「一成君、そろそろ次に行かないと……」 先ほどまで士郎と話していた若い僧が、穏やかに口を挟む。 剣呑な空気を自然に和らげるのは、さすが修行の賜物か。「ああ、そうですね。申し訳ない。 ではな、衛宮。 氷室、くれぐれも、よろしく頼む」 一礼して、涼やかに背を向ける柳洞。「ああ。こちらこそよろしくな、柳洞」 その背に声をかける。 その声音は、自分でも意外なほど穏やかだった。「へ? 鐘、『よろしく』って、何さ?」 一人、話の見えない士郎が、疑問符を顔に張り付けている。 ……少々、いたずら心が湧いた。「気にすることはない。 君の親友と、君の今後のことについて、いろいろと協議していただけだ。 何も心配することはない」 嘘は全くついていない。 だが、この物言いで気にしない人間はいないだろう。「ちょ、ちょっと待て! なんか、すごくあやしい匂いがするんだけど…… 鐘、一成と何話してたんだ!?」 案の定、不安と怯えをあらわにする士郎。「まあ、いいじゃないか。 それより、授業に戻ろう。 確か、アブラミと赤身の境界線がはっきりした物を選ぶのがコツ、だったな?」「あ、ああ。そうだけど…… じゃなくて!! 本当に鐘、いったい……!!」 必死に、さっきの会話について聞き出そうとする士郎と、 あくまでとぼけ、豚バラ肉から目を離さない私。 笑いを堪えるのに腹筋を総動員しながら、 クリスマス・デートの第五場は過ぎていった。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。