クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ六)「じゃあ、鐘。次はどこに行く?」 DIYコーナーを出ると、士郎は私にそう聞いてきた。「……どこ、と言うと?」 思わず首を傾げる。 今日は、夕食の場所以外は、士郎がプランを立ててくれるのではなかったか? 最初の紅茶専門店、そしてこの店と続いたので、てっきり今日は《想い出の場所巡り》だと思っていたのだが。「……あっ、そうか。説明してなかったよな。 悪い、自分だけ先走って」 何かに気付いたように、士郎が頭を掻く。「いや確かに、前の二つはそういう意味もあったんだけどさ。 今日は、それぞれが興味のある場所に、替わりばんこに行ってみようかと思ったんだよ。 ほら、初めてのデートの時、鐘、言ってただろ? 『街中にあるものは大半はもう見知っているものだ』 って。 でも実際は、このDIYコーナーみたいに、行ったことのない所って、けっこうあるじゃないか。 そういう、自分はよく知ってるけど相手はあまり知らない場所を、案内し合うっていうのは、どうかな?」 ……なるほど。 先ほど『この先は、鐘にも協力してもらわなきゃならないんだけど……』 と言っていたのは、そういう意味だったのか。 確かに、私と士郎の趣味は、重なるところがほとんど無い。 だが、お互いの得意分野に、お互いが興味を持っているのも事実だ。 現に、今のDIYコーナーで士郎の解説を聞くのは、相手が士郎であるということももちろんあったが、とても楽しかった。「……ふむ。 なかなか面白いプランだな。 お互いのことをより良く知り合えて、未知の対象の知識も増す、ということか。 ならば次は、私の番か?」「ああ。 いきなりで申し訳ないんだけど、どっかあるかな?」 士郎の言葉に、しばし黙考する。 私の興味のある場所、か。 いくつか思い当たるが、プランはまだ始まったばかりだ。いきなり趣味に走りすぎるのも……「……よし。 ちょうど良さそうなところが、近くにある。 そこへ行こう」 そう言って、私は士郎の手を引っ張り、先に立って歩き始めた。「……ここ、か?」「不満かな?」「あ、いや。そんなことあるわけないけど……」 言葉を濁しつつも、目をぱちくりさせている士郎。 まあ、無理もないか。 私が彼を連れてきたのは、同じヴェルデの中にある、輸入食料品店だった。 ここも、先の二箇所と同じく、私たちの想い出の場所だ。 初めてのデートの時、紅茶専門店に入れず時間を持て余した私たちは、ここでささやかな買い物などをした。 つまり、実質上ふたりで初めて訪れた場所、と言って良い。「まあ、想い出つながりで選んだことは認めるがな。 しかし、今の私にとって興味深い場所であることも事実だぞ?」 突っ立っている士郎の手を引き、店内へと入る。 店内は相変わらず、少々雑多と言っても良い印象だった。 ワインや紹興酒、各種リキュールと共にハーブやスパイス、チーズとハムなどが所狭しと並んでいる。「興味深い、って言うと?」 士郎が、あの時と同じようにチーズを手に取りながら、尋ねてくる。「…まあ、もう少し秘密にしていようと思っていたんだが…… 実は今、母の料理を少々手伝っていてな」 少し頬が熱くなるのを感じながら、私は士郎に説明した。 私の母は料理が上手で、特にフランス料理を得意としている。 こういう母を持った場合、年ごろの娘はどういう行動を取るか。 積極的に料理を習うか、全面的に親に依存するか、どちらかだろう。 私は典型的な後者だった。 母の域に辿り着くまでの道程の遠さを思い、早々に投げ出していた感すらある。 だが、士郎の弁当や食事を何回もご馳走になるに連れ、『このままでは、さすがに女子としてまずいのではないか』 という焦りが、ようやく湧いてきた。 なので、遅まきながら母に教えを請うたのだが……「へえ。 じゃ、もう少ししたら、鐘のお手製フランス料理を食べさせてもらえるってわけか」 目を輝かせて微笑む士郎。 ……その曇り無き瞳が、痛い。「……士郎。私は先ほど言ったはずだ。 母の料理を《手伝っている》、と」 そう。 教えを請うた私に母がやらせたのは、材料の買い出しから皿洗い、皮むきなどの下ごしらえ。 あとは、料理している母の横に控え、『あの調味料を取って』『こっちの鍋は、もう下げていいわ』『これの盛りつけ、お願いね』 等々、完全なるサポート役に徹する日々だった。 料理は習うのではなく盗め、ということなのかもしれないが、 年ごろの娘が親に『料理を教えてほしい』と言っているのに、普通こういうことをさせるか? あんまりなので、私が文句を言うと、「私もあなたのお祖母さまから、まずはこんな風にして料理の基礎を習ったのよ。 それが不満だと言うのなら、そうね、士郎くんに教えてもらったら? 彼のお料理、とっても美味しいんでしょう?」と来た。 確かに、士郎の料理の美味さについては、母にも何回か話したことはある。 だが、士郎に食べてもらうのを目標にして料理を習いたいと言っているのに、 当の士郎に習え、とは、どんな論理なんだ。「……はあ。 なんて言うか、厳しいお母さんなんだな」 私の苦渋の説明に、士郎も毒気を抜かれたような顔をしている。 確かに、私の母は厳しいところは厳しいが、普段はいつもおっとりと微笑んでいる淑女だ。 それが最近、妙にラディカルというか、ファンキーというか、私の知らない一面を垣間見せつつある。 今回のこれも、単に厳しいと言うより、なにか裏があるような気がしてならないのだが……「……まあ、そんなわけで、この店にも母の使いでよく来るようになったんだ。 今では、どこにどんな食材や調味料があるか、だいたい把握している」 少々脱線した話を、元に戻す。 そのまま、目に付いた商品をいくつか彼に説明していく。 始めは『ふむふむ』『へえ』などど、あいづちが聞こえていたが、気付けば隣が妙に静かになっている。 どうかしたか? と聞こうとして士郎を振り返ると、「……すごいなあ、鐘。 洋食が得意な桜だって、多分そこまで詳しくないぞ」 彼が《本気で感心した》という目で頷いていた。 ……… 言われてみれば、以前彼とここを訪れた時に比べて、格段の進歩だ。 商品の単なる知識だけではなく、それをどう使うか、どんな場面で用いるのが良いか、概略なら説明できるようになっている。 認めるのは若干悔しいが、やはり母の方針は正しいのだろうか……?「……し、しかし、知識だけではな。 実際には、私は食材を扱ったこともほとんどないし……」「なんだ、それなら今度教えようか?」 経験の無さを恥じる私に、彼は実にあっさりと提案してきた。「は?」 思わず、間抜けな声を出してしまう。「まあ、さすがにここの食材は、俺の専門外だから無理だけどな。 でも、鐘の説明を聞いてると、料理の基本的な手順や勘どころは、もう押さえてるように思えるんだ。 なら、あとは実戦あるのみ。 簡単な料理から始めていけば、すぐに上達するよ」 ……思わず、絶句してしまう。 士郎が、私に、料理を……? 確かに以前、彼の屋敷にお邪魔したとき、『よければ今度、うちで手ほどきをしてくれないか?』 と言ったことはある。 だがあれは、間桐桜嬢との静かな攻防の中で出た台詞であり、実際に習いたいと思ったわけではなかった。 それを……「ああ、でも今、鐘を教えてるのはお母さんだしな。 ちゃんとした教育方針があってやってるのに、俺が横からしゃしゃり出るのはまずいか」「い、いや!!」 腕を組んで考え込む士郎に、思わず声をかけてしまう。 自分で出した声の大きさに、自分でびっくりした。「……鐘?」 彼も、目を丸くしてこちらを見ている。「そ、……その、だな。 それなら、心配はいらないと思う。 母はそこまで狭量ではないし、母自身も、し、『士郎に習え』と言っていたんだ。 一応、了解を取る必要はあるだろうが、まあ…… ゆ、許してくれると、思う……」 ……なぜ私は、こんなにも頬を熱くしながら、こんなにも必死になっているのだろう。 答は分かり切っている気もするが、今それに気付くと、いろいろ大変なことになりそうな気がしたので、あえて無視した。「そ、そっか。 じゃあ、お母さんのお許しが出たら、って条件付きだけど、俺が教えてかまわないかな? ほんとに基本的な、それも普通のお総菜料理になるだろうけど」「あ、ああ。 よろしく、お、お願いする……」 あれよあれよという間に、士郎の料理教室が決まってしまった。 いつ頃が良いか、場所はどこにするかなど、具体的なことは後で決めるとして、 まったく、これは母のスパルタ教育から出た、瓢箪から駒と言うべきか…… ……まさかとは思うが。 ひょっとして、母はそこまで読み切っていたのだろうか……?「じゃあ、鐘」「な、なんだ!?」 思考に耽っていたところにいきなり声をかけられ、思わず顔が跳ね上がる。「……いや。そこまでビックリすることもないと思うんだけど。 とにかく、そうと決まれば、実習前のプレ課外授業だ。 次に行くところは決まったぞ」 彼は、生き生きと目を光らせ、私の手を引いて店を出た。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。