クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ二) そんなわけで。 私は士郎を待っている。 胸をときめかせて、待っている。 正直、一年前までは、なぜこの時期になると世間が騒がしくなるのか、 私の観察しているカップルが、そわそわ、うきうきと落ち着きを無くすのか、 頭では理解していても、今ひとつ納得できていなかった。 私にとってクリスマスとは、両親と共に静かな時を過ごす、 ただそれだけの日だったから。 しかし、今ならば分かる。 その日が本来、どんな意味を持っているのかは別として、 大切な人と《特別な日》を共有することは、何物にも代えがたい喜びなのだ、と。 そんな浮かれ気分の故か、待ち合わせ場所が自宅に近いせいか、11時の約束なのに、20分も早く着いてしまった。 彼は、いつもの笑顔を見せてくれるだろうか。 私を見て、どんな言葉をかけてくれるだろうか。 少しうつむきながら、そんな想像をしていると、「……鐘?」 聞き慣れた声を、耳が捉えた。「ああ。士郎。ずいぶん早かっ……」 視線を上げ、微笑みかけて、「……」「………」 お互いに、絶句する。 士郎は、私との距離約5メートルの地点で、呆然と立っていた。 お互いの視線は、お互いの存在に。 いや、正確には、お互いの外見に注がれている。 彼は、そのままゆっくり歩を進め、私の1メートル手前で立ち止まった。 少し視線を動かせば、相手の全身が見える距離。 そこで双方は、相手の頭頂から爪先まで、じっくりと眺め合った。「「あの……」」 声が、みごとにユニゾンする。「「よく、似合ってる……」」 ビブラートまで、同じだった。 いつものトレーナーとジーンズ、とまではいかないにしても、普段どおりのラフな格好を予想していた私は、完全に意表を突かれた。 彼は、上は紺のジャケットを羽織り、下はグレーのスラックス。 薄いブラウンのシャツに、濃い青と銀のストライプネクタイを締め、 茶のローファーを履き、グレーのコートを手に持っている。 このようなときの定番であると、言えば言えるが、 普段は服装に無頓着な彼が、セミフォーマルな服装をここまで着こなすとは、思っても見なかった。「す、すまない。少々動転した。 いつもと違う雰囲気だったものだから……」 頬が熱くなるのを感じながら、頭を下げる。「い、いや、こっちこそ。 それに、その、鐘だって普段とは……」 彼も、顔を赤くしながら、頬を掻く。 そう。 私の服装も、いつもとは違う。 上は薄いブラウンのニットセーター、細身の白いスラックスパンツを履き、茶のベルトをアクセントにしている。 靴は、やはり茶のローヒールパンプス。 袖だけを通したコートの上に、アイボリーのストールを巻き、 頭には飾りのない濃い臙脂のベレー帽を乗せていた。 今まで、黒か灰色系の地味な服しか持っていなかった私にとっては、大げさに言えば革命的なイメージチェンジだ。 彼が呆然とするのも、まあ無理はない。 だが。「そ、そんなに驚くこともないだろう。 確かに、私のイメージとは合わないとは思うが……」「い、いや、そんなことない! 驚いたのは確かだけど、その…あんまり鐘にあつらえたようにぴったりだったから、……えっと…」 彼の語尾が弱くなっていく。 それと反比例して、私の頬が、温度を増していく。 思えば異性に、自分の服装を褒められたことなど、初めてだ。 父の役職上、パーティなどに出席することも多いが、私はいつも、失礼にならぬ程度に目立たない服ばかり着ていた。 普段着でも、華美な服装や目立つアクセサリーなどはほとんど身に付けたことがない。 別に嫌っているわけではないが、これが自分に一番似合うスタイルだ、と自然に思っていた。 だが、一週間前。 彼とこの日を約束した、次の日。 久しぶりに蒔の字、由紀香との時間を楽しもうと待ち合わせ場所に行ったら、なぜかそこに美綴綾子嬢までいたのだ。「おいおい、そんな身構えることもないだろう。 あたしがここにいることが、そんなに不満かい?」 ニヤニヤ笑いながら、腕を組む美綴嬢。 彼女の笑いは、パーソナリティ的に陰湿さは含まれないので、嫌な感じはしないのだが、 それでも、やはり警戒心は湧く。 隣を見ると、蒔寺はそれが当然、と言うような顔つき。 由紀香も、済まなそうに笑っているが、驚きは無い。「……知らなかったのは私だけ、ということか。 それで、美綴嬢。 理由くらいは、聞かせてもらえるのだろうな?」 私の持つ、数ある表情の中でも、最高の素っ気なさを含む顔を向けてやったのだが、「理由って、そんなもん決まってるでしょうが。 聖なる日を間近に控えた乙女のために、ファッションコーディネーターを頼まれたんだよ」「ふぁっっ!?」 意外すぎる単語に、間抜けな声で受け答えをしてしまった。 思わず、他の二人を振り返る。 士郎と約束をしたのは、昨日の夕方。 二人との予定は、それ以前に決まっていた。 故に、たとえ蒔と由紀香でも、あの約束を知るはずが無い。「んなもん、予想できないでどうするよ。 万国共通、ラブコメ恋人のお約束だろーが。 でも、メ鐘のこったからな。 いつもの未亡人みたいな格好で行くことも目に見えてる。 で、心優しいアタシと由紀香が、一肌脱いでやろうと思ったわけだ」「……ゴメンね鐘ちゃん、黙ってて。 でも私たち、ファッションってよく分からないし…… 美綴さんだったら、そういうのに詳しいかなって、それでお願いしたの」 堂々とふんぞり返る蒔の字と、申し訳なさそうに上目づかいになる由紀香。 ……確かに蒔寺は、和装はプロの域に達するが、普段着はジャージで上等、と言いかねない女だ。 由紀香も、素材は良いのに、興味が無いのか、質素な服しか身につけない。 その点、美綴綾子は、武芸百般の女丈夫ではあるが、綺麗なもの、カワイイもの大好きの少女でもある。 自分自身はラフな服を好むが、ファッションに関する知識は、少なくとも私たちよりは上だろう。 何重もの意味で、頭を抱える。 私も士郎も昨日初めて気付いた可能性に、周りがとっくに気付いていたこと。 多少着飾ろうと思っていたとは言え、いつもどおりの服で出かけようとする思惑を見抜かれていたこと。 美綴嬢まで引き込んで、私のために動こうとしてくれる友の心使いに、気付かなかったこと。 そして、三人の顔つきから想像するに、今日は絶対に無事には済みそうにないこと、などだ。 額に掌を当てて俯いている私を見て、美綴嬢のニヤニヤ笑いは最高潮に達した。「んじゃ、氷室も覚悟が出来たみたいだから、そろそろ動きますか。 蒔寺、三枝、体力の貯蔵は充分か?」「おうよ。 氷室の着せ替えが出来るなんて、このあと輪廻転生しても無いかもしれないからな。 地獄の底まで付き合うぜ」「さ、行こう、鐘ちゃん。 大丈夫だよ。鐘ちゃんなら、なに着ても似合うはずだから」 由紀香が、やさしく私の手を引っ張る。 ……その心遣いは嬉しいが、由紀香。『なに着ても』 と言うことは、なんでもかんでも、取っ替え引っ替え、私に着せる、という意味だろうか……? その後は、正に予想どおりの展開だった。 さすがに昼食は取ったが、それを挟んで陽が暮れるまで、私のファッションショーは続いた。 で、最終的に選ばれたのが、今日着ている一連なのだが。「み、美綴嬢。 これは、い、いくらなんでも、体のラインが出過ぎてはいないか!?」 体にピッタリしたニットのセーターに、細身のスラックスパンツである。 嫌でも、体型を強調することになってしまう。「アンタね。 自分が持ってるその武器を、存分に使わないでどうするよ? 実際、あたしが知ってる中で、アンタのボディに張り合える女学生なんて、間桐くらいのもんなんだからね。 そいつを着ていけば、衛宮もイチコロ間違い無し。 十倍は惚れ直す、ってもんさね」 呆れたようにため息を履いた美綴嬢は、私を下から上まで舐めるように見、満足げに頷いた。 それは、塑像家が自分の作品の最終チェックをするような目つきだった。「おーおー。 コーディネーター様とモデル嬢の息はピッタリだね。 やっぱ、『チーム・80オーバーズ』の余裕ってヤツ?」「「なっっ!??」」 蒔の字の僻み100パーセントの声音に、思わず、胸を覆う仕草をする、美綴嬢と私。「鐘ちゃん、きれいだよ。 すっごく、かわいい。 これなら、衛宮くんもきっと褒めてくれるよ」 そんな私たちのやりとりとは関係無く、掌を組んで目をキラキラさせる由紀香。 ……この服飾が、私に似合うものだとは、未だに思えないが。 三人の確信に満ちた眼差しに後押しされ、私は、当日この服を着ていくことに決めた。 照れくさくて言葉には出来ないが、彼女たちの友情に、心から感謝しつつ。 そんな経緯を、できるだけ簡潔に、士郎に語って聞かせると、「……やっぱり、同じようなことって、どこでも起こるんだな」 彼は、苦笑いして頭を掻いた。 彼によると、やはり今日の約束をした日の晩、夕食の席で『家の都合で、氷室はクリスマスパーティーには来られない』と、彼の家族に告げたのだそうだ。 残念そうな声が起こる中、「ま、おうちの都合じゃしょうがないわよね。 で、士郎。 その次の日は、どうするの?」 に始まり、「まさかシロウ、いつもの飾りっ気のカケラも無い服で行くつもり?」 と続き、「先輩、それは女性への、クリスマスに対しての冒涜です!!」「お姉ちゃんは、士郎をそんな甲斐性の無い男に育てた覚えはなーい!!」 等々、彼が一言も発する余裕すら与えてくれず、 翌日、遠坂嬢と間桐嬢に連行され、やはりファッションショーを繰りひろげたのだそうだ。 ……まったく、私たちの周りの友人は、そろいも揃って世話好きと言うか、物見高いと言うか。 聞けば、士郎が引き回されていた時刻や場所は、私がそうだった所と、ほぼ同じであるという。 よくまあ、顔を合わせなかったものだ。 ……… なにか、策謀めいた匂いを感じるのは、私の僻目なのだろうか?「ま、まあ、ともかくだ。 美綴たちに感謝しなきゃな。 鐘の、俺が今まで知らなかった魅力を見せてくれたんだから」 士郎が、ますます顔を赤くしながら告げる。 ……また君は、そういう、どんな女たらしでも恥ずかしくて言えないような台詞を、無自覚に……「……な、ならば私も遠坂嬢や間桐嬢に感謝しよう。 私が気付かなかった、君の可能性を教えてくれた」 私の台詞はどうしても理屈っぽくなってしまうが、それでも彼には効いたようだ。 そのままお互い、何度目かのお見合い状態となる。「……じゃ、じゃあ、とりあえず動こうか」「そ、そうだな。 時間は、無限ではない」 私たちは、お互いに残されたわずかな距離を、一歩ずつで縮め、 今日、初めて、にっこりと笑い合った。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。