時は、午前10時45分。 私は、新都駅前広場で、士郎を待っている。 胸をときめかせて、待っている。 久しぶりのデート、ということももちろんある。 しかし、たとえ昨日一日会っていたとしても、このときめきは変わらないだろう。 なぜなら、今日は…… クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ一)「えっと、さ……、鐘…」 いつもの、いや、久々の帰り道。 士郎は、珍しく語尾を濁らせつつ切り出した。 入院騒動も一段落し、自宅安静を経て、私が学園に登校したのが昨日。 その放課後に陸上部のみんなが、私の快気祝いを兼ねた、三年生の引退謝恩パーティーを企画してくれた。「衛宮くんも、来ればいいのに」という由紀香の言葉は、陸上部全員の希望でもあっただろうが、彼は苦笑しつつ辞退した。 まあ、それはそうだろう。 先日の競技会の一件を思い出すまでもなく、もし彼が同席すれば、私とセットでみんなのオモチャになることは、目に見えている。 なので、今日が私の再登校後、初めての二人きりの帰り道、ということになるのだが。「その…… 終業式の日の夜とか、その次の日とか、空いてるか? 良かったら、だな……」 よほど言いにくい、いや、照れることなのだろうか。 士郎は、顔を赤くしながら、言いよどむ。 終業式の夜? その日は確か、学園は午前中で終わって、夜は家で…… あ……「……つ、つまり、士郎。 12月24日と、25日のこと、か……?」「あ、ああ……」 ……あまりにも遠回りな言い方をするから、理解するまでに時間がかかったじゃないか。 12月24日と言えば、終業式であると同時に、紛うことなきクリスマスイブ。 その翌日は当然、クリスマス当日である。「その…… 24日の夜は、俺の家で、みんなでパーティーする予定なんだよ。 遠坂や桜や、藤ねえとイリヤもいてさ。 で、鐘にも参加してもらえると、うれしいな、って……」 頬を掻きながら、彼が続ける。 ……彼の、ぶっきらぼうな心遣いが、とても嬉しい。 あの《五日間》にもなんとか区切りがつき、私と彼の《家族》との溝は、かなり埋まったと言って良い。 とは言え、まだ多少ぎくしゃくしているはずのその間柄を、少しでも取り持ってくれようとしているのだろう。 しかし。「……すまない。 イブの夜は、毎年、両親と過ごすことになっているんだ」 私の家はクリスチャンではない。 だが、母方の祖父母がそうであったせいか、この日は特別な日、という認識が子どもの頃からあった。 父もこの日だけは、忙しい公務を割いて、できる限り早く帰宅してくる。 私が成長している今、いつまでこの習慣が守れるかは分からない。 だからこそ、守れるところまでは守っていきたかった。 彼と父母を天秤にかける申し訳なさに俯く私に、「なんだ、それならそっちを優先しなきゃ。 こっちは、ただ飲んで食べて馬鹿騒ぎするだけなんだから」 当然のように、彼は微笑む。 ……実際、二の足を踏む理由は、それだけではない。 以前ほどではないにせよ、私は衛宮家にとってはまだまだ《お客様》である。 彼の言う《馬鹿騒ぎ》でコミュニケーションを深める《家族》の中に、いきなり混ざるのは、いささか気後れがするのだ。 なので、いつもどおり、彼の無意識の善意に甘えることにした。「ありがとう。 ……で、士郎。 イブの夜は、お互いに予定があるとして、その《次の日》とは?」 我ながら、意地の悪い質問であると自覚はしている。 しかし、彼の口から答が聞きたくて、わざととぼけて見せた。「と、とは?……って……」 案の定、彼は髪を引っかき回しながら、視線をさまよわせている。 こんな彼を見て楽しめるようになったあたり、私も少しは余裕が出てきたのだろうか。 彼はしばらく向こうを向いて歩き続けていたが、「 ――― 」 やがて、深呼吸を二、三度繰り返すと、体ごとこちらを向いた。「……もし、鐘の都合が良ければ、俺に付き合ってもらいたい。 その日は、ずっと鐘といっしょにいたいんだ」「………」 前言撤回。 たったこれだけの台詞で、私の《余裕》とやらは、跡形もなく吹き飛んでしまった。 いや、この男から、こんな直球すぎるアプローチを受けて、冷静でいられる女性などいるか?「……」「………」 しばらく、無言。 しかし、ボールを投げてきたのは彼で、受けとったのは私だ。 ならば、次は私が言葉を発さなければ。「……あ、ああ。 その日なら、一日空いている。 だから、……私も、その…… き、君とずっといられると、うれしい……」 とても、顔を見ながら返事など出来ない。 ……しかし、最近思うのだが。 私は、こんなストレートに感情の発露が出来る人間だったろうか?「……そ、それでだ、士郎」 羞恥の袋小路に入ってしまうことを防ぐため、私はあえて事務的なことを口にした。「一日、というと、夕食も君と共に、と考えて良いのか? 一応、両親にも許しを得ておかなければならないのだが……」 近ごろ、フランクさが垣間見えてきてはいるが、基本的にうちの親はそういったことには厳しい。 まあ、士郎は父母の信頼を得ているようだし、夕食くらいなら許してくれるだろうが。 ……そこまで考えて、ふと、先ほどのやりとりを反すうする。『その日は、ずっと鐘といっしょにいたいんだ』『私も、君とずっといられると、うれしい』 ……《一日》がどこまでを指すのかは、様々な見方があろうが、 最長で見ると、次の日の朝まで、という解釈も……「ああ、できればそうしたいと思ってる。 ご両親、許してくれるかな?」「し、士郎!? い、いくらなんでもそれは許……」 …………。「…遅くなるし、やっぱりダメかな?」「……」「? どうした、鐘?」「……いや。 夕食くらいなら、おそらく許してくれると思う。心配しなくて良い」 思いきり明後日の方向を向いて、なんとか言葉を絞り出す。「そっか。なら良かった。 あとは……」 語尾にいささかの苦悩を聞いた私は、彼の方を振り返る。「士郎? 何か問題が……」 尋ねかけて、一つの可能性に思い当たった。 もう12月の半ば。 約束の日まで、あと10日を切っている。 クリスマスというスペシャルイベントを前に、夕食の話題で男性が苦悩することと言えば……「……実は、お見込みのとおりなんだよな。 昨日、やっとそれに気付いて、あちこちの店に当たってみたんだけど、どこも満席でさ。 ほんとに、情けないんだけど……」 頭を掻きながら、彼が申し訳なさそうに呟く。 士郎らしい。 彼はもともと、そういったイベントには無頓着だ。 加えて、あの《五日間》以来、様々なことが私たちの周りに起きた。 むしろ、この段階で準備万端整えられていたら、私の方が仰天しただろう。 なので、悩む士郎に、小さな助け船を出す。「ならば、夕食の手配だけは、私がしても良いか? 心当たりの店が、いくつかあるのだが……」「え? でも、普通そういうことって、男が用意するんだろ?」 意外と古風なところがある。 と言うより、こうしたことにはとんと疎い彼のことだ。 誰かに、吹き込まれたのかもしれない。「些細なことにこだわって、充実した食事が取れなくなるより良いだろう? その代わり、その他の予定は、全部君にお任せする」 肩肘張らずに楽しもうじゃないか、という私のメッセージを受けとってくれたのだろう。 彼も、笑って頷いた。「オーケー。 じゃあ、申し訳ないけど、お願いするよ。 それじゃ、当日のプランは気を入れて考えないとなあ」 さっそく腕を組んで考え込む彼を見て、私も笑った。「せいぜい、頭を悩ませてくれ。 しかし、あまり凝りすぎなくても良いぞ。 なにしろ……」 確か、最初のデートの時だったか。 彼に言ったセリフを、もう一度繰り返す。「私達はどこかへ行きたくて集まるのではなくて、集まりたくてどこかに行くのだろう?」 ----------------------------------------------------------このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、『エンゲージを君と』(Nubewo 作)http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、その文責はすべて中村にあります。