クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ四) 妙なときに妙な場所で実現した、士郎と私の両親の顔合わせ。 だが、意外に話は弾んでいるようで、気付けば、私の発症時のことに話題は移っていた。「娘自慢をするわけじゃないんですけれど、本当に、あの時のこの子は偉かったんですよ。 痛みを堪えて、自分の足で私たちの寝室まで歩いて、ドアをノックしたんですから」「お、お母さん……」 そんな、変な娘自慢をされても困る。「うむ。 この病気が発症すると、大の男が痛みで気を失うことも多いそうだからな。 女は男より痛みに強い、とは言われるが、それを差し引いても大したものだ」 父も、盛大に親馬鹿を発揮している。 ああ、士郎。君もそんなに大まじめに頷くんじゃない。 まあ、正直な話、自分でもよくあの痛みに耐えられたとは思う。 それは、今まで味わったことのない、いや、想像すらしたことのない、激烈な痛みだった。 『それはまるで』、と、比喩を探すことすら馬鹿馬鹿しいほどの痛みだ。 だが。 その痛みに耐えながら、父母の寝室へと足を運んでいるとき、 私は、心のどこかで思っていた。(まだまだ、《あのとき》に比べれば) 《あのとき》が何の時だったのか、痛みに朦朧とした頭では、はっきりと思い描くことは出来なかった。 しかし、今なら分かる。 私は、あの《五日間》を思い出していたのだ。 士郎の、彼の家族との葛藤。 その原因の一端が、自分にあると知った時の衝撃。 そして、苦しむ士郎を間近に見続けた、あの体験。 あの心労と、今回の肉体的痛みを、比べることは出来ないのかもしれないが、 《あのとき》を体験していなければ、私はこの痛みに、あっさり音を上げていただろう。 いろいろと得ることの多い体験だったが、これも、《あのとき》が与えてくれた、大いなる副作用と言うべきか。 私が物思いにふけっていると、「あ、いかん。 士郎君、せっかく来ていただいて済まないが、私はこれで失礼させてもらうよ。 公務を放り出して来てしまったものでね」 父が時計を見て慌てて立ち上がった。「じゃあ、私も席を外させてもらうわ。 入院の手続きや、必要な物を家から持って来なくてはならないの。 士郎君、申し訳ないけれど、お時間があったら、鐘のことを見ていてくださる?」 母も、いつもどおり微笑みながら、腰を上げる。「あ、もちろんです。 俺で良ければ……」「《俺》でないと、鐘は嫌なんじゃないかしら?」「お、お母さん!」 父と母は、笑いながら私たちに手を振り、病室を出て行った。 ……全く。 私の両親は、あんなにラディカルな性格だったか? さて。 二人きりになってみると、改めて恥ずかしさが増す。 ここは病院の個室。 私はベッドの中。 しかも、パジャマ姿(クマ柄)。 父母もよくぞ、こんな状況に思春期の男女を置いていったものだ。「あ、あー。で、士郎」「お、おう?」 いかにも、取って付けました、といった私の発言に、彼は過剰に反応する。「い、いや。 来てくれたのは非常に嬉しいんだが、学校はどうしたんだ?」 今は午前10時前。 本来ならば、面会時間ですらない。 そう聞くと、彼は頭を掻いた。「いや、ホームルームのあとに、蒔寺と三枝さんが、俺の教室に来てくれてな……」 私が急に入院した、という事実を聞くと、原因も何も確かめずに学園を飛び出したのだそうだ。「……」 …確かにあの二人には、母から連絡を入れてもらっていたが…… 一人の女生徒が急病で入院したと聞いたとたん、授業を放っぽらかして駆け去ってゆく男子生徒。『私たち、お付き合いしてます』と、全校放送で流しているようなものではないか。 ……まあ、今まで積極的に言わなかっただけで、別に隠しているわけでもないが。 だいたい、毎日いっしょに下校し、週に一度は私の教室で蒔寺たちも交えて昼食を取っているのだ。 今さら、と言われれば、返す言葉もない。 つい先日も、美綴嬢から『最近、美術室に近寄るのが申し訳なくてなあ』と、ケラケラ笑いながら言われてしまったばかりだ。「……悪いな。そこまで頭が回らなかったんだ」 彼が、申し訳なさそうに頭を下げる。「…だから、そういう風に謝らないでくれ。 多少恥ずかしいのは事実だが……私が嬉しくないとでも思っているのか?」 言った後、再び布団を目元まで引っ張り上げる。 だが、視線は彼に固定。 彼も、赤くなりながら、笑って見つめ返してくれた。「……それにしてもさ。 命に別状無くて、良かったよ」 彼が、本当にほっとしたように言う。 だが……「……ああ、そうだな。良かった」 同じように微笑み返さなければならないのに、私の口調は、そうなってはくれなかった。「……」「……」 ……そろそろ、布団を引っ被ったまま話を続けるのも、申し訳なくなってきた。 パジャマ姿を見られるのも恥ずかしいが、横臥しているところを見下ろされるのも、また恥ずかしい。 なので、私は起きあがり、足だけ床に降ろした。「おい、大丈夫か? 安静にしてないと……」 そう言いながら、彼はベッドサイドにあったカーディガンを取りあげ、私に着せてくれる。「なに、問題無い。 さっきも言ったが、石さえ触らなければ、普段と状態は変わらないんだ」 視線で礼を言いながら、彼に答える。 ……そう。 普段と、なにも状態は変わらないのに。「明後日、手術。その後、3日間入院。自宅安静が2日。 計、8日か」 入院してから今まで、ずっと頭の中で繰り返していた算数を、口に出す。 それは、つまり。 五日後に迫った、陸上競技会への参加は、絶望的ということだ。「……」 彼も、とっくにそのことに気付いていたんだろう。 辛そうに、顔を歪める。「……こんなに元気なんだ。 いっそのこと、大会が終わるまで手術を伸ばせないものか、医師に聞いてみたんだが……」 私の言葉に、士郎が否定的な視線を向ける。 その眼差しに、私は笑って答えた。「とんでもない、と却下されたよ。 日常動作ならともかく、激しい運動は厳禁だと。 当然だな。 動けばそれだけ、石が触る確率が増えるわけだから」 あげく練習中に、ましてや大会当日に発症でもしたら、みんなに迷惑をかけるだけでは済まない。「……本当にな。 いっそ、もっと寝たきりになるような重い病気だったら、諦めもついたんだろうが……」 そう言いかけて、 はっ と気付いた。「……すまない。 不謹慎な発言だった」 本当にそんな病気で苦しんでいる人に対し、失礼極まりない。 二重の意味で沈んでいる私に、「まあ、確かに今のは、ちょっとアレだったけどな」 彼は、いつものあたたかい笑顔を向けてくれた。 立ち上がり、私の隣に腰を下ろす。 そして、やさしく肩を抱く。「そんなに強くならなくてもいいぞ。 いつか、鐘も言ってくれたろう? 俺と二人きりのときくらいは、辛そうな顔をしていいんだ」 肩に感じる、彼の掌が温かい。 頭を傾け、彼の肩に乗せると、とても落ち着く。 落ち着いてから、今まで私は落ち着いていなかったんだと、 ひどく不安で、さみしくて、混乱していたんだと、分かった。「……しろう」 気付けば私は、彼の服を握りしめ、 その胸に顔を押しつけていた。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。