クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十五)「先輩…… 私を、もう一度先輩の《家族》にしてください」 間桐嬢の、二つ目の願いは、これだった。「あのとき……私、すごく混乱してて…… 心にも無いこと言っちゃって…… すごく後悔したんです。藤村先生のお宅で」 少し俯きながら、彼女は言葉をつなぐ。 『あのとき』とは、士郎の家で何かがあった、日曜の夜のことを指すのだろう。 士郎も、その時のことを思い出しているのか。 真剣な眼差しで、彼女の言葉を聞いている。「……でも、あのときの私の言葉どおりでもあるんです。 今、私には、本来の意味での家族はいません。 でも、だからこそ…… 先輩といっしょにいられた二年間が、 先輩が私のこと《家族》って呼んでくれた、その言葉が、 私を支えてくれてたって、やっと気付いたんです」 ……間桐桜嬢の兄である間桐慎二は、半年前から行方不明だ。 他に、彼女に肉親があるという話も聞かない。 彼女の言葉には、事情をよく知らない私にも感じる重みがあった。「あのとき、遠坂先輩に言われたことについても、この五日間、ずっと考えてました。 私、先輩に…… 《家族》っていう言葉に甘えて、 ずっとぬるま湯に浸かってたんですね。 今なら分かります」 『ぬるま湯』という言葉に、士郎は肩をピクリと震わせた。「それで……それでも、思ったんです。 そんな、なし崩しな関係じゃなくて、自分の意思で…… 私が私であるために、改めて、先輩の家族になりたい、って。 だから……」 そして、間桐嬢は、深く頭を下げる。「厚かましいことは承知してます。 今さら、こんなこと言える出来る義理じゃないことも、分かってます。 でも、お願いです。 私を、もう一度《家族》にしてください。 私のこと……そう、呼んでください」 頭を下げた姿勢のまま、彼女は動かない。 そのまま、どれほど時が過ぎたのか。 それとも、何秒も経っていなかったのか。「桜、それって、お願いすることじゃないぞ」 クスリ、という笑い声に、間桐嬢は顔を上げた。 私も振り返ると、そこには、困ったような、やさしく包み込むような、士郎の笑顔があった。「してくれ、も何も、桜は最初から俺の家族だ。 この間も言ったろう? 少なくとも、俺はずっとそう思ってきたし、今もそうだ。 桜も、そう思ってくれてるんなら、別になんの問題も無いじゃないか」「先輩……」 彼の暖かさに直に触れたかのように、間桐嬢が目を潤ませる。 そんな彼女に、士郎は改めて向き直り、「それに、お願いするのはこっちの方だ。 俺も桜のこと、遠坂やイリヤに言われたことをずっと考えてた。 確かに、俺は《家族》っていう言葉で、桜を縛りすぎてたんだと思う」 彼の言葉には、微かに苦渋が滲み出ている。「そう考えた上で、改めて思う。 桜は、俺の家族なんだって。 俺が大事にしなきゃいけなくて、俺を大事に思ってくれる、大切な人なんだって。 だから、俺の方から頼む。 桜。 これからもずっと、俺の《家族》でいてくれ」 今度は、士郎の方が真摯に頭を下げる。「せ、先輩、やめてください、そんな……」 あわてて手を振る間桐嬢。 彼女は、しばらくおろおろと視線をさまよわせていたが、「……分かりました。 先輩が、そう言ってくださるんなら、確かに『お願い』することじゃないですよね。 私、これからもずっと先輩の《家族》でいます。 いやだ、って言っても、もう聞きませんよ?」 深呼吸を一つすると、彼女は、それこそ桜の花のように笑った。 その笑顔は、悔しいが同性の私から見ても、惚れ惚れするほど美しかった。「誰もそんなこと言わないし、言わさないよ。 これからもよろしくな、桜」 それに答える彼の笑顔も、清々しく、あたたかだった。「じゃあ、その家族の権限として、三つ目のお願いをしちゃいます。 私、今日までは藤村先生のお宅に泊まりますけど、 明日は朝一番で先輩の家に帰りますから。 明日の朝食は、私に作らせてください」「え? だって、明日の当番は俺だぞ?」「いえ、五日間も留守にしてて、当番も放っぽってたんですから。 お詫びの意味も含めて、私が作ります」「そんなこと言ったって、この五日間、誰も来なかったから、料理もほとんどしてないし…… だいたい、冷蔵庫にもろくな材料残ってないぞ?」「あ、それなら大丈夫です。 私、これからお買い物してから帰りますから。 藤村先生のお宅に置かせてもらって、明日の朝、荷物といっしょに持ってきます。 先生やイリヤさんも来るでしょうし、遠坂先輩にも連絡して、久々にみんなで食べましょうよ」「なら、余計に大変じゃないか。桜一人には任せられない。 よし、折衷案だ。 明日は二人で作ろう。 この間みたいに、抜け駆けはするなよ?」「望むところです。 先輩こそ、いつものように、土蔵で寝過ごしたりしないでくださいね?」 絶妙の呼吸で、話を進めていく二人。 ……そろそろ、限界だ。「話がまとまって、良かった。 二人の仲も修復したようで、目出度しめでたし、だな」 パンパンパン と拍手をしながら士郎の隣に立ち、腕を彼の左腕に絡める。 さりげなく、胸を押しつけることも忘れない。 ついでに、彼の左手の甲を、思いきりつねってやった。「いっっ!! か、鐘!?」 驚き、慌てたように、私を見る士郎。 だが。 たとえ、《家族》で《妹》であるとは言え、 ここまで息の合ったイチャイチャ振りを、延々と見せつけられて来たんだ。 《恋人》として、これくらいの悋気は当然だろう?衛宮士郎。「で、間桐さん。 君の『お願い』も、もう終わりかな?」 そろそろ、こっちの身が持たないんだが、というニュアンスを、言外に含ませる。 少し寂しげながらも、口に手を当てて笑いを堪えていた間桐嬢は、私の言葉に、「氷室先輩。ずっとわがまま言って、申し訳ありません。 あとひとつだけ、よろしいですか?」 そして彼女は、改めて私たち二人に向き直った。 ---------------------------------------------------------- このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、 『エンゲージを君と』(Nubewo 作) http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1に触発され、書かれたものです。 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、 その文責はすべて中村にあります。